Analyze him
恋をすれば女は綺麗になる。それは定説。だが男の場合は?
彼は元々容姿端麗であった。 20代の頃は世の女性たちの視線を一身に集めていた。 黒シャツに白い3つ揃えのスーツを重ね、その胸にバラを挿しても、たとえそれがカトレアであっても彼 − 大都芸能の速水真澄 − ほど似合う人はいない。憎らしいくらいにキマッていた。
だが、さすがに30を過ぎたせいか、過酷なデスクワークが響いたためか、タバコの吸いすぎか、或いはまた別の理由なのか。彼にかつて憧れていた女性達からは容赦のない、辛口のコメントが聞かれるようになった。
服の趣味が悪い、表情に冴えがなくなった、いつも眉間にシワがよっている、視線に色気がなくなった、肌が荒れている、輪郭が悪化した、などと散々な言われようだった。 男でも女でも美貌を誇る人は年をとればそういった類のことはどうしても言われてしまう。
しかし、彼にチラリと視線を送られただけで、文句を言っていた当の彼女たちの体中に血潮が滾り、顔が沸騰状態になって意識が遠のく、という現象がここ最近頻発しているのもまた事実なのだ。彼は不死鳥のようにその色男ぶりを取り戻したのである。
その表情の一つ一つが男さえ認めずにはいられないほどの強烈なフェロモンを放っていて、場合によっては危険とさえ言えるものだった。 「現代の光源氏」と化したこの社長に関しての無責任な噂が次から次へと流布された。
噂その1 : 評判の悪かった当時の服は全て処分してしまった 元々長身でプロポーションも理想的な彼は、最近ではそのままミラノ.コレクションでも通用するようなブランドのスーツやネクタイ、アクセサリー、香水はオーダー.メイドものを身につけているというのは事実であった。
以前の意に染まない婚約の過去を消し去ってしまいたい、マヤと何もかも新しいスタートを踏み出すんだ、という彼なりの区切りのつけ方なのだろう、秘書の水城はそう解釈していた。だからトラック何台分の衣服を処分してしまったと聞いたとしても驚かなかった。ネクタイは勿論、カフス、ベルト、靴下に至るまで彼が身につけるもの全てが新調したように見える。
噂その2 : 専門のスタイリストがついている 配色は勿論、素材にもこだわりぬいた着こなし、或いは休日出勤での着崩し方が大評判となっていた。そのファッション・センスは新しいトレンドを作るかと思われた。 所属の多くの男性芸能人が真似をし始めたのは噂ではなくれっきとした事実である。 彼の写真が載った経済誌が前代未聞の売切れ続出になるという珍現象も起こった。
噂その3 : ファッション・ショーへの出演、ファッション雑誌の撮影の依頼が多数舞い込んだ
噂その4 : 整形手術を受けた、エステに通っている、その女殺しの台詞、表情、立ち居振る舞いは水商売関係者仕込みだ
…などなど。
彼の全身は以前にも増したシャープさと強靭さを兼ね備え、肌は肌理が整い輝くようで、たまにとろけるような笑顔が出ようものなら、必ずその被害は本人にとどまらず、その職場の業務になど多方面に出たほどだった。ここのところ大都芸能の社内ではそういった現象がたびたびおこっている。
業界一の大企業のトップに君臨する男の一挙手一投足が、社内の、時には社外の女性たちをも巻き込んで日々の定番の話題になった。どんなに縁のない部署からの話題でも半日あれば十分に全社にいきわたる。社内メールの利用量は以前とは比べ物にならなかった。
彼に「ありがとう」と言われたり、出入口のドアを押さえてもらったりすれば、その日の話題、羨望、嫉妬の中心になれることは間違いない。
「いやぁ〜ん、素敵!」 「私にも言って!」
などと黄色い声をあげる女性社員の姿は珍しくなくなった。
ある日彼の目の前で転んだ女性社員が彼に手を差し延べられた話は数日間に渡ってのトップニュースとなった。 ただしその熱狂の渦を尻目に、その場に居合わせた水城の分析は違っていた。
「マヤちゃんだったら転ぶ前に抱きとめているタイミングだわ。彼女に対しての反射神経は段違いだから」
彼の視線に耐え、或いは彼から目をそらす事が出来、何を言われても淡々としていられるのは他でもない、彼の恋人と水城だけだった。 水城はサングラスをしているから、よく見えていないのだ、と女性たちは陰で言っていた。
彼が女優の北島マヤとの交際を公表した時には危うく卒倒者が出そうになるほどの騒ぎになった。泣き濡れた女性など数え切れない。 彼女の身の安全を慮って、少なくともそういう口実で踏み切った交際宣言だったのに、却ってマヤは大いなる敵意を抱かれてしまうようになった。
「マヤ、どうだ?これ。新調したんだけど」
「ま、またですか?お金持ちの感覚って、なんか全然わからないです」
「似合う?」
「は、速水さんなら何でも似合いますよ…」
消え入りそうな声で俯いて言うマヤの姿を見て、水城は妬みどころか、本当の被害者は彼女かもしれない、と本気で同情した。
口さがない男たちは「若い子を手に入れたから」と言い、口さがない女たちは「彼女のほうが地味すぎるからバランスをとっているのよ」などと言っていた。後者はともかく、前者はまあ、当たっている、と水城は思う。長年の片思い。その間「11歳も年下の子に…」は彼の口癖だった。
また女性たちの言葉についてはマヤも水城もそれぞれに気にして、スタイリストと相談の上マヤを着飾ったり、エステに通わせたり、マナーを学ばせ、会話術を叩き込んだりしたこともあったのだが、その成果を見せるべく、彼女があるパーティに出席したところ、マヤの周りが常に若い男性で埋め尽くされるという現象が起こり、翌日水城は真澄に呼び出され、急遽交際宣言の段取りをつけることになってしまったのだった。 結局マヤの改造計画はその恋人の殺気立ったジェラシーによって頓挫している。
その一方で、真澄の美貌の向上とフェロモン放出はとどまるところを知らなかった。 秘書としてはっきりわかっているのは、最近彼は寸暇を惜しんでジムに通い、体を鍛えていることだ。それが前述の男たちの揶揄につながっているのだが、最近彼から聞かれるようになったのは、
「20代の若い人にも負ける気がしない」
だった。そんなこと、少し前までは一切言わなかったことである。水城はこの言葉が気になってしょうがない。
長年の恋が成就したために内面から磨きがかかっているというのは、確かにあるだろう。 しかし、それだけだろうか?水城は納得しきれない。真澄の服装がどう変わろうと、マヤにそれほど違いがわかるとは思えない。彼女はいつも当たり障りのない返事しかしないのだから。 真澄自身も彼女の口から
「顔綺麗ですね」 「脚長〜い」 「どんなものでもお似合いです」
と言われるよりは
「ありがとうっ!速水さん、大好きっ!」 「もうっ、イジワル!」
と言われるほうが百万倍嬉しいことはその表情を見ればわかる。真澄は最初から自分の容姿や着こなしに対してマヤの評価に期待しているわけでもなさそうなのだが…。
一つには自分がどれだけ女性にモテるのかを、マヤに知ってもらいたい、というところなのだろう。或いは単にヤキモチをやいてほしいだけなのかもしれない。 だが今のところそれは逆効果のような気がする。マヤはますます卑屈になって
「あたしなんかが隣にいたら速水さんには迷惑なのよ!」 「交際宣言なんかしたけどあたしはダミーなんでしょ?速水さんには他に本命がいるのね?」
と怒り、涙ぐみさえする回数が増えたようだ。マヤはいつでも気にしている。 それなら真澄も周りの女たちを刺激させることはことごとく自粛すればいいようなものなのに、さっぱりその兆しは見られない。 水城は首を傾げた。結果を考えないで動く人ではないのに…。マヤの劣等感を煽ってまで強行しているのは一体…。
「違う、違うのよ、理由は他にもあるはずだわ。私はまだ今の真澄様を掴みきれていない…核心に迫れていないわ」
水城はどうしても自身が納得出来るような答えを見出せないでいたが、それは人知れず彼女には言いようのないストレスになっていった。 ところがその求め続けた答えはある日突然に彼女の目の前に差し出されたのである。 休日に行きつけの美容院へ行き、カットを任せている間に、水城は用意された雑誌をパラパラとめくった。普段全く縁のない雑誌でもたまに目を通すのは、水城のようなキャリアウーマンといえども気晴らしになることがある。 仕上げのブローに入ったところでふとあるページに水城の目が止まった。
「一番美しいのは恋人がいる人?」
その本文はつまり恋人が出来ると、女性の場合はむしろ地味になることが多い、恋人が薄化粧を好む、露出の多い服を嫌がるなどの理由から。ことごとくマヤに当てはまるので、水城は思わず同情のため息をついた。
反対に現在恋人募集中の人はいつどんな出会いがあるかもしれないから、いつも最大限に美しく、派手に、華やかにしているものだ、などと書いてあった。しかし、水城の目を釘付けにしたのはそこではなかった。
「最終的には、異性に対してではなく、同性への対抗意識で女性は化粧品やファッションに懲り、それが加速していくのだ」
水城は天啓を受けたような衝撃を味わった。
(コレよっ!これこれっ、掴んだわっ!真澄様のオトコゴコロ!!)
水城はブローの途中で危うく拳を握って立ち上がりそうになった。彼女のかもし出す異様な雰囲気に担当の美容師が一瞬たじろいだほどだ。 なんとかギリギリで冷静さを保って支払いを済ませ、裏通りまで駆け込み、建物の壁に手をつき、地面を見つめ、肩で息をした彼女の形相は一変した。
真澄様!あなたは同性への対抗意識から自分をあそこまで磨き上げているのですね! マヤちゃんの恋人になりたければ自分を超えてみろ、と周りの同性を牽制するために。 目から鱗が落ちるとはまさにこのこと!対同性とは盲点だった! ああ、でもついに私は掴んだわ!! 止めをさしたのは、その数日後のことだった。マヤが真澄を待っている間に雑談をして、彼女がうっかり口にしたのがきっかけとなった。
「前に桜小路くんと外食した時、溺れかけたことがあったんです。ボートのロープが足にからまっちゃって。桜小路くんが助けてくれたんですけどね」
マヤはハッとして慌てて言った。
「速水さんには黙っていてくださいね。怒られちゃう」
溺れかけたのが危ないから怒るのか、ただのヤキモチなのかはこの際追求の対象ではなく、マヤの次の発言が水城にとっては決定的だった。
「だけど、あの時実は速水さんが近くにいたのかと思って」
「え?」
「紫のバラが届いたから」
水城はまた立ち上がりそうになった。
(謎はすべて解けた!)
つまり桜小路とデート中のマヤにバラを贈って注意を引き付けたものの、却って気にしすぎたマヤが溺れてしまった。その彼女を自分の目の前で助けたのは桜小路だったのだ。その時のことがトラウマになっているに違いない。その無念さが目に浮かぶようだ…。 他でもない、
「20代の若い人にも負ける気がしない」
この言葉がそれを裏付けているではないか!
(そう言えば最近桜小路くんの前でいきなりマヤちゃんを抱き上げたり、ぐるぐる回ったり、そのまま走り出したこともあったわ… 水泳に行って自由形で最速記録を出したとか機嫌良さそうに言っていたことも… それにこの間社内運動会を今年は例年より早く設定して、所属俳優にも参加を呼びかけては、とも提案していたし)
「水城さん?ねえ、速水さんに言わないでね?」
水城は晴れ晴れとした顔をして貴重な情報提供者にニコリと笑いかけた。
「勿論よ。心配しないで」
ほっと安心したマヤがあっ、そう言えば、と持っていた飲み物をテーブルに置いた。
「桜小路くん、今度芸能人の水泳大会に出るんですって?」
「え?」
「この間速水さんが関係者に電話で強く推薦しているの聞いたんですけど。自由形の短距離に必ず出すようにって。タイムはすぐに報告してほしいとかなんとかって熱心にかけあっていましたよ。 何か新しい役に関係あるんですかね?あたし自身の仕事の話じゃないから訊いちゃいけないのかなって思ってまだ訊いていないんですけど」
彼のもう一人の密かなる腹心の部下が
「あなたの中の海はひろすぎてぼくにはみえません…」
とさじを投げ…もとい、それ以上の追求を差し控えているのに対し、大都芸能のトップ秘書水城は、妥協を許さない探究心で、また新たなデータを蓄積したのである。 大都の役員連中をして今や「若社長の懐刀」改め「鬼社長の生き字引」と言わしめる彼女。上司の内面をより深く、細部にわたって把握することが秘書の重要な務めと信じて疑わないが、それ故余計な荷物を負うハメになるのもまた、彼女の宿命なのであった。
− おわり −
■絵虹様より ウィンドウを開けてめまいをおこした皆様!水城さんファンの方々!どうぞこの駄文をお許しください。 すばらしいポートレートに完全に浮かれて気づいていないようですが、バカと嫉妬は使いよう、って意図で書いてみた話、しかも何気に台詞を思いっきり絞ってあって…え?いえいえ、何も言っていませんよ・・・ またしても42巻リベンジモノにしてしまいました。お粗末さまでした!!(><)
■管理人より 或る日、ウチのメールボックスをのぞくと、絵虹様より添付ファイル付きのメールが…。「…もし気に入ったものがあったらどうぞ」って3作も!! ええええーーーっ!!!!!
なんて太っ腹な気前の良いお言葉でしょう!!! 絵虹さん、すばらしい作品を(惜しげもなく!)本当にありがとうございました。 + + + +
★本日の公演、楽しいと思われた方はよろしければ談話室(BBS)、または劇場入り口にて「おひねりメッセージ」をお寄せ下さいませ。皆様のあついお志はハリセン社長が作者にお届けします。さればわれら一同今後の励み。このパック、これよりマスマス精を出し、見事な舞台をお目にかけるようお約束いたします!( ̄人 ̄)パパンがパン! |