マヤが涙声になっているのがわかって真澄はつらかった。

「速水さん、援助したことあるんでしょ?誰かに。気をつけたほうがいいですよ。縁を切ろうとしても、相手があたしみたいにいつまでも気にしてしまうことだってあるんですから。

速水さんも紫織さんと婚約して幸せでいっぱいで、本当はもう、そういう縁は一切切りたいんでしょう?

紫のバラの人もきっとそうなんだって思うことにしたの。そうすれば少なくとも、あの人は幸せなんだから、あたしなんかじゃとても代わりにならないほどの幸せを掴んだんだから、それでよかったんだ、って思えるもの」

「どうして」

真澄はマヤの体ごと踊り場まで降り、非常扉にマヤの体を押し付けてその両手首を掴みながら言った。

「どうして俺が幸せを掴んだから、そのために俺が応援していた人と縁を切りたがっていたなんて思うんだ?」

マヤはコンクリートで打ちっぱなしのビルの外灯に、半分だけ照らされた真澄の顔を見て、怖くなると同時に切なくなった。

「もう一度訊く。俺の何を知っているって言うんだ」

詰問されて彼女は顔をゆがめた。

「あたしに言えっていうんですか!今までさんざん、直接名乗って欲しい、って言っていたの、何年も前から言っていたの、あなたがよく知っているじゃないですか!」

「俺は」

真澄がマヤに顔を近づけて言った。

「君の誤解を解きたい。一つは俺が応援し、励ましてやりたい、その成長を見続けたいと思ってきた人は今まで一人しかいないということ」

真澄はマヤの腕を放した。マヤは真澄の体と非常扉に挟まれた状態のまま、もう自分から逃げ出そうとはしなかった。

「もう一つは俺がその人と縁を切ろうとしていたのは、初めは俺の意志ではなかったこと。
結婚しようが、自分の気持ちは変わりようがないことがわかっていたから、続けるつもりだった」

「じゃ、あ…なぜ?」

真澄は強い風にあおられる髪をかきあげた。

「相手がもう俺の応援など必要のないほど成功していたから、ちょうどいい、と思った。俺はその相手への気持ちのやり場に途方に暮れていた。
結婚しようというのにその人を、婚約者とは別の女性のその人を愛した…他の誰にも奪われたくないほどに」

紫織の話をすることには迷いがあった。
元々彼女がマヤに絶縁状を送っていたのだったが…。
だが、真澄の話を聞いてマヤが呆けたように虚空を見つめているのに気づいた。

「あたし、速水さんが紫のバラの人だって思っていたの」

力ない声で彼女が言った言葉は真澄が既に覚悟していたものだった。しかし、次の言葉は予想外だった。

「でも、間違いだったのね。今わかった」

(マヤ!?)

「速水さん、紫織さん以外に好きな人がいたんだ…ずっと応援していたその人のことが好きだったんですね。紫のバラの人は違う人だった…」

マヤはその場にヘタヘタと座り込んだ。

「どうしよう…あたし、あなたがあの人だと思って、あの人に阿古夜の台詞に線引いた台本渡しちゃって。それをあの人は迷惑に感じてしまったんだ…」

マヤのその言葉で様々な記憶が一気に蘇った。彼女が紫のバラの人を愛していると言っていたことも。真澄はマヤを抱きかかえて非常扉を開けて、中へ入った。その階は空いているらしく、中は暗く、誰もいなかった。非常扉の上の小窓から外灯がもれているのが唯一の明かり。

エレベータの前にカーペットが敷かれていたのに気づき外の寒さが防げるだけマシだ、と思った。もうしばらくの間だけ、二人で話す必要がある。

「せっかくのドレスが汚れるな。立てるか?」

「すみません…」

マヤは座ったままでいい、と言った。考えてみたら久慈氏にもらったドレスだから、これでいい、すぐに新しいのを買ってやる、と真澄は思った。足拭きのようなカーペットの上にドレスに散りばめられたスパンコールが弱々しく光った。

「チビちゃん、君は誤解ばかりしているんだ。なんでそこまでわかっていてまだ誤解しているんだ。
俺が君のファンだったんだ。『若草物語』を観たときから。
君に紫のバラを贈り、少しでも励ましたかった。だが、君への気持ちに…」

彼はそこまで言って少しでも曖昧な言い方をすればまたマヤが誤解すると思って、思い切ってはっきりと言うことにした。

「君を愛していることに気づいてますます名乗れなくなった。
君が俺を憎んでいることは骨身にしみてわかっていたから。
報われるわけがないと思って他の女性と見合いし、結婚しようとしたんだ」

「うそよ…そんなはずない」

マヤはエレベータのドアの脇の壁に寄りかかって力なくつぶやくように言った。

「あたしなんて、美人じゃないし、こんなに垢抜けなくて頭悪くて、いつまでも子供っぽくて、演技以外になんの取り柄もないんだもの。憶えている…舞台の上の君が好きだって言ってくれたの。それはそうかもしれない。
だけどあなたはいくらだってもっと素敵な女性をたくさん知っているのに。紫織さんだって…」

「俺は本気だ。今までさんざん君をからかってきたが、この気持ちは本当だ。君からあの台本を受け取ったときにはとても信じられなかった。夢かと思った。

君への気持ちはごまかしきれないとわかって紫織さんに婚約解消を申し入れたが、彼女が承知しなかったのでいまだに解消もできずにいた。
でも君の気持ちがまだ俺に、紫のバラの人にあるのなら」

「あたしは…」

マヤはまだ力なくよりかかっていた。目に涙が潤んでいた。

「今言われたこと、からかわれているとしてもいい。ほんの少しだけでもその言葉に浸っていたい…。あなたが、速水さんが好きで、でもつらくて、阿古夜の演技が出来なくて悩んだけど、あなたにだけはどうしても観てもらいたかった…あたしの紅天女…あなたに何を言われても」

「すまなかった」

真澄はたまらずマヤを抱きしめた。

「心にもないことを言って、君を傷つけたな。君の気持ちが奮い立てば、と思ったんだ。
舞台の上の君が好きだ、そして北島マヤを愛している。
愛している…こんな短い言葉をどうして言えなかったんだろう」

真澄はマヤの顔を見ながら言った。

「今日は君が見違えるようにパーティの華になっているので生きた心地がしなかった。男たちの目はみんな君に注がれていたから、自分の手の届かない所へ行ってしまったみたいで」

マヤはそれまでの表情を一変して思わず笑った。

「変なの。あたしよりずっとパーティ慣れしているのに。もっと華やかな人いっぱい見てきているのに」

「だが俺はチビちゃんがいい…役作りのためだって聞いて安心した」

水城君には聞かれたくないが、と内心思った。

「速水さんに見られるのすっごく恥ずかしくて。歯の浮くような話し方を聞かれるのも。他の人は騙せても速水さんだけには通用しないだろうから。
…本当のあたしのこと誰よりも知っているんだもの。ニセモノのあたし見られるの恥ずかしかった…」

「ファム・ファタールぶりがきまっていたので気が気じゃなかった。他の男も君を見て恋に落ちてもおかしくなかったから…今日のドレスはよく似合っているが、今度は俺にもプレゼントさせてくれよ」

「…速水さんが紫のバラの人なんでしょう?
今までさんざんもらっています」

「一緒に選びに行きたいって言っているんだよ」

真澄はマヤを抱きしめてそのぬくもりを感じながら、今の幸せを一時的なものには終わらせない、と決意した。そしてマヤにもこれ以上誤解を与えないように、はっきりとそれを約束してから、彼女の両目を見て言った。

「それと次回はダンスの相手をさせてくれ。
昔よりずっと上手に踊れるようになった君の相手を」



 

    

   

 

どの作品でも書き上げるより推敲に時間のかかる私にとって、この話は読み返しやすさナンバーワンでとても楽をさせてもらえました。

クライマックスが一流ホテルの豪華で美しい部屋ではなく、雑居ビルの非常階段というのも全く私らしいと自画自賛しています。

 アクセス数から言うと当サイトの一番人気です。

タイトルは「マイ・フェア・レディ」をもじっただけです。ドレスアップしたマヤちゃんに動揺する速水さんという構図は他の方のお話でもイラストでも拝見してきました。書き始めた頃には淡白に終わると思っていたのですが、つい、紫のバラの人に話題が移ってしまったらかなり濃い会話内容になってしまいました。

一番気に入っているのはマヤちゃんが紫のバラの人は別の人だったんだ、だって速水さんが自分のことを好きなはずないんだから、というところです。

いただいたコメント見ていると、速水さんのジェラシーにインパクト大だったようですね。もう彼の嫉妬については無意識のうちに書いている感がなきにしもあらずでして(笑)、あ、そういえば、みたいなマヌケな反応をしてしまいました。

私がパロを書き始めたのが楽園様投稿の”Expression”、その連作の後、”Lost 1/2”だったので鷹宮家と婚約や事業提携をどうする、ということを軽くすっとばす話が書きたかったというのがきっかけだったと思います。(うろ覚え…)

「代役リハーサル」という話もこの路線かな、と思っています。明るめの軽い話が人気があるんですね。(^^)そうはわかっていても話ができるまではなかなか難しかったりします…。

 

    

   

2006.3.2掲載

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