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社説:視点 五輪の汚点 平和運動の原点を忘れたのか=論説委員・中島章隆

 北京五輪で国際オリンピック委員会(IOC)は消しがたい汚点を残してしまった。

 8日の五輪開会式に合わせたように、グルジアからの分離独立を求める南オセチア自治州でグルジア軍とロシア軍の軍事衝突が始まった。世界の目が北京に集まったすきをついたグルジア軍の計画的な行動なのか、巧妙にグルジア側を戦闘行動に仕向けたロシアの作戦だったのか。戦火が収まった今も正確な背景は断定できない。

 だが、平和の祭典・五輪の幕開けを汚したこの事態に対するIOCの対応は当事国に配慮してか、実に腰が引けていた。

 開戦翌日、メダル第1号の表彰式に出席していたジャック・ロゲ会長に代わり、IOCのジゼル・デービス広報部長が記者会見した。「非常に残念。開会式の日に戦火が散るのは五輪精神に反する」と通り一遍の遺憾の意を表明し、「五輪停戦は国連や各国が実現してほしい」とIOCの責任を回避した。

 思い返してもらいたい。近代五輪の創始者、クーベルタン男爵が古代ギリシャで1200年近くも続いた古代オリンピックの復活を提唱したのは「大会期間中、すべての戦いを停止する」とした「五輪停戦」の思想を生かそうとしたことにある。

 北京五輪開幕前日、国連の潘基文(バンギムン)事務総長も「五輪停戦」を呼びかける声明を発表したばかりだった。ロゲ会長自身の口から軍事行動の当事国に強い抗議と即時停戦の訴えがあって当然だろう。平和の祭典の主催者としての責任を放棄したと批判されても仕方あるまい。

 クーベルタン男爵の失意の晩年については、あまり知られていない。五輪を始めたものの、第一次世界大戦の戦雲がフランス国内に広まる中、国際平和を唱える主張は「反国家的」として冷遇された。大戦が終了するとスイスに移住し、亡くなる10年前の27年、講演でこう語っている。「もし再びこの世に生まれてきたら、わたしは自分が作ってきたものを全部こわしてしまうだろう」(鈴木良徳著「続オリンピック外史」)

 現実政治の前に、スポーツを通じた平和の訴えは無残にけ散らされた。理想を体現した五輪までも「こわしてしまう」と語ったクーベルタン男爵の無念。その思いを引き継ぐことで五輪は第二次世界大戦も乗り越え、21世紀まで続いてきた。

 五輪開幕日に勃発(ぼっぱつ)した戦闘行為に抗議すらできないIOCなら五輪を「平和運動」と位置づける資格もない。五輪は単なる金もうけのスポーツ大会として看板を掛け替えてはどうか。

毎日新聞 2008年8月30日 東京朝刊

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