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初の国産スクーター「ラビット」まだ現役 高知

2008年8月30日8時8分

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写真愛車「ラビット」を前に大石さん(左)と高橋さん。2人とも隅々の部品まで熟知している=須崎市

 初の国産スクーターとして戦後、人気を集めた「ラビット」が生産中止から40年たった今も町を疾走している。ライダーは、「須崎ラビット愛好会」=代表、大石泰亮さん(72)=の面々。「動かなくなったものを動くようにするのが楽しい」と、颯爽(さっそう)と風を切る。

 ラビットは車体は金属製、ブレーキは足踏み式といった特徴がある。終戦直後の46年、富士産業(現・富士重工)がアメリカ軍のスクーターをモデルに、日本国内の経済性や道路事情を考慮して製造。翌年から本格生産が始まった。一般家庭で自動車が普及し始めたことや、ホンダのスーパーカブの台頭もあり、68年に生産中止になったが、60万台以上が作られるヒット・スクーターだった。

 高知県須崎市西糺町に住む大石さんがラビットと出会ったのは生産中止の年という。あこがれてはいたが新車は高く、動かなくなって放置されていたラビットを手に入れた。機械いじりが好きで、自分で修理し、通勤の足として使った。12年前に退職したあとも乗り続け、走行距離は10万キロを超えている。

 「作りがシンプルで、市販の部品を流用できるのが魅力」と大石さん。中古のラビットが手に入ると、エンジンを整備して興味を持った知人に譲り、ファンを増やしてきた。愛好会のメンバーは現在8人。コレクションではなく、実際に足として使っていることが自慢だ。

 同市原町で時計店を営む高橋孝夫さん(63)も仲間の一人。95年ごろ、すでに生産中止になっていたラビットを手に入れ、半年ほどかけて分解修理した。ラビットでドライブインなどに立ち寄ると、よく話しかけられるという。「古いスクーターですね。どれくらい出ます?」。最大で80キロは出ると説明すると、ビックリされるそうだ。「燃費もリッター40キロ。省エネです」と高橋さん。

 最近、メンバーたちは仕事が忙しいが、「また一緒にどこかへ行こう」と機会を探している。大石さんは「部品がなければ、自分のアイデアで解決する。そういう楽しみがあることに、若い人たちも興味を持ってほしい」と話している。(釘田寿一)

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