遅ればせながら映画「クライマーズ・ハイ」を見た。一九八五年八月十二日に起きた日航ジャンボ機墜落事故の取材に奔走する地元紙記者たちを描いた作品。われわれにとってリアルで、スクリーンに登場する編集局フロアを自分たちが働く職場と錯覚したほどだ。
この事故は、死者五百二十人を出した大惨事というだけでなく、個人的にも強烈な印象が残っている。この事故が発生した当時、私は福山支社勤務。福山市の青年団に同行して、中国・内モンゴル自治区へ友好の旅をした帰途、北京にいた時に事故のニュースが飛び込んできた。「歌手の坂本九ちゃんが亡くなった」が最初の伝わり方だった。日本へ向けて飛行機が離陸した瞬間「落ちないでくれ」と、足が震えたのを覚えている。
映画では、大手紙に比べて機材の貧弱な地方紙の悲哀が描かれる。無線がないために、何度も民家で電話を借りるシーン。携帯電話が当たり前の今では考えられないが、かつては誰もが経験した。私も山奥で起きた殺人事件の際、近くに一軒だけあった農家の電話を借りた。後日、菓子折を持ってお礼に行ったが「あんただけじゃ。そんなことしてくれたんは。マスコミはもう…」と、家人にこわばった表情で言われたことが忘れられない。
中国から帰って私が目にしたのは、事故を伝える洪水のような報道だった。そして妻からは、検査でおなかの中に双子の赤ちゃんがいることが分かったとの知らせ。生と死。命の重さとは―。二十三年前に重ね合わせて、もう一度さまざまなことを考えさせてくれる映画だった。
(読者室・下谷博志)