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NOTE.  

DATE.  2008 . 8 . 29

星野はなんも変わっとらんぞ

 ン? なんだ? 「パイン通り」さんに「コクコク」さんに、「COCO」さんに「ピコリーン」さんに、「ももちゃん」に「はすっち」さんに、「星の里」さんとか「ガリンガリン」さんとか、「コンピューター屋」さんとか「大阪の虎娘」さんとか、なんだかすごく長ったらしい名前の人とか、みんないつもの人たちだけれど、いろんなメールをたくさんありがとう。特にこのページでは昔っから一番の論客のようだった「虎隠居」のダンナには何度も激励のメールをいただいているようで、これまたひとことお礼をいいたい。

 今回は「武士の情け」とか「惻隠の情」とか、あるいは「臥薪嘗胆」とか、われわれの世代しか使わないような言葉もいろいろ連ねて、本当は一番いろいろといいたいところだろうと思うのに、いつもながら前向きな内容ではあるけれど、「情」を示していただいているようで、やっぱりオヤジはひとつ違うなと思いながら読ませてもらいました。

 事務局に聞くと、このページのメールボックスも「批判はあたりまえじゃ」「反省せえっ」「失格じゃ」「辞めろ」「去れ」「死ね」といった声でいっぱいらしい。多少は公平でないといかんもんだから事務局も一部はこうしたメールも入れている、ということだけれど、説明をしたり、本当のところを語ろうとしてもそれはすべて「いい訳」ということになるわけだから、「虎隠居」がいつも要求する総括もいつかタイミングを見て、という他ないだろう。

 田淵と浩二とベンチでもめたっていうような話も出まわっているようだけれど、なんでおれが田淵と浩二ともめたり、ケンカしなくてはいけないんだ。そういわなくては話が納まらないということなのかもしれないけれど、今は「問答無用」の世界にいるようなので、これからの野球界としての取り組み方やその他の話についても、いつかそういうチャンスがあったらというしかない。そして今はふと、いろいろいいたい放題な話や記事を、そういう人たちのことを読む人はどう思いながら読むのだろうと思う。

 台湾でもアムステルダムでも北京でも、番記者のみなさんには多岐にわたっていろいろ私見を述べてきているので、多少どこかでわたしの考えも目を触れることもあるかもしれないと思っているけれど、それもまた後日改めてということかもしれない。なにごとにも当事者ならではの、そこに身をおくものならではの真実というものはあるんじゃあないだろうか。

 本当をいえば、同情というものはやはり苦くて酸っぱいだけでうれしいものとは思われない。若い時からそういうつもりでずーっとやってきている、わたしもそういうひとりのつもりできている。それでも「虎隠居」のダンナをはじめ、みなさんの激励や慰めで心のどこかを洗い清められているような気がするのも事実だ。人間の源流が理屈を超えた、本当に温かなものだとすると人の世はまた信頼に足る、ということだろう。胸をふさぐようなうっ憤もこうして鎮めていかなくてはいけないと、みなさんのメールを見てもそう思っている。

 今は独り者の遅い夏休みを満喫している最中だ。満喫といっていいかどうかはわからないが、近くの喫茶店へお茶を飲みに行ったり、外食に出たり、家の中でごろごろ本を読んだり昼寝をしたり、涼しい頃合いをみてウォーキングに出たりもしている。そしてひとこと、みなさんにはいっておきたい。「星野はこれまで通り、なんにも変っていませんよ」と。

 みなさんに、ひとこと御礼まで。


© Sen’ich  Hoshino’s on-line report.