「はい、これ」
シズルが机に置いたのは、上品なラッピングを施された小箱。
それが一体なんなのか、ナツキはしばらく理解できないという表情で見つめていた。
「……えーと?」
「いややわぁ、まさか自分の誕生日まで忘れたん?」
「あ、あーあーあー!」
「その反応やとほんまに忘れてはったみたいやねえ」
はぁ、とため息をついてシズルはナツキの顔を見つめる。
「あまり祝われて嬉しい年でもなくなってきたしな……あ」
何かに気づいたように、ナツキはシズルの顔を見つめて微笑んだ。
「例外は一人いるが、な」
「……そういうことにしておきましょか」
その微笑みが何となく怖いものを内に秘めているような気がして、ナツキは慌てて小箱を手に取った。
「もしかして今年もアレか?」
「ええ」
ラッピングをほどいた小箱の中から現れたのは、いつもナツキが身につけているクロスタイと、タイピン。
「よくもまあ似たようなデザインばかり毎度買ってくるもんだ」
「せやかてそれ、気に入ってますやろ?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
クロスタイを手に取ると、ナツキはしみじみとそれを眺める。
「いつも微妙な違いがあるものを探してくるのがすごいな、と思って」
「それに気づいてくれる人やってわかってるから、うちもそうしてるんどす」
「そう言われるとなんだか恥ずかしいな……おっと、お礼が遅れてた。ありがとう、シズル」
「うちも遅れてた言葉がありますわ。お誕生日おめでとう、ナツキ」
「……早速つけてみるか」
そう言って自らのタイに手をかけたナツキの手を、シズルの手が押しとどめる。
「シズル?」
「うちがつけたげますわ」
「いや、いくらなんでもそれは」
「イヤなん?」
少し拗ねたような目で見つめられて、ナツキの手に籠もっていた力が抜ける。それを了承の証と取ったのか、シズルの手がタイピンを取り去ると、するりとタイが抜き去られる。
襟の布越しに伝わるその感覚に、ナツキはびくりと身を震わせた。
「相変わらず敏感なんやねえ」
「ちょ、ちょっとシズル……止せよ」
「ええやないの、ちょっとぐらい。仕事ははかどってますやろ?」
「いや、ナオがいるからな」
その言葉に振り向いたシズルの真後ろに、書類を手に持ったナオが所在なさそげな顔で立っていた。
「……これ終わったんだけど、帰ってもいい?」
「いややわあナオさん、声かけてくれはったらええのに」
「あんたねえ! あの状態に割り込んで声かけられる人間がいると思ってんの!? 二人で甘ったるい空気ブチまけてさあ! それも今日だけじゃなくていつもいつもいつもいつも!」
ナオがここで仕事をするようになってから数ヶ月の時が経っていたが、その間にいったいどれだけ二人だけの世界が築き上げられるのを見てきたことだろうか。一日一回どころの騒ぎではない。朝だろうが昼だろうが夜だろうがこんな感じである。
「全く、いちゃつくなら余所でやってよね」
「そうは言うがなナオ」
先ほどまでの雰囲気はどこへやら、真剣な面持ちでナツキがナオを見据える。
「何よ」
「ここは我々の住居兼仕事場でな。余所へ行けと言われても困る」
「だからなんなのよ!? 公私の区別はちゃんとつけろって言ってんのよあたしは!」
「ふふ、私的なときはこんなもんやありませんで?」
「あああああああああああああもうイヤ! もうこんな連中と仕事するのはイヤよ! ああ真祖様あたしを早く解放して!!」
「はっはっは、お前の叫びも一体何度目かな」
「そうどすなあ、月に一度は聞いてるような気がしますわ」
頭をかきむしって叫ぶ常識人に対してあくまでも普段通りの態度を崩さないアホが二人。
「慣れるって、そのうち」
「人生妥協も必要ですからね」
そう言いながら現れたのは、マーヤとサラの二人だった。
「あたしは自分の人生妥協したくないのよッ!」
久しぶりだというのに、挨拶も無視してナオはそう叫ぶ。
「あんま気張ってると体持たないよ?」
満面の笑みを浮かべながら、マーヤが答える。その顔はどう見てもナオを心配している表情ではない。
「そうですね、たまには息抜きなんてどうでしょう」
ぱん、と手を打ってサラが続けた。
「いいねえ、久々のヴィントだし、パーッと飲みに行こうよ、飲みに」
「学園長の誕生日祝いって事で。いかがですか?」
「たまに帰ってきたと思えばそれか。お前らこそ体を休めたらどうだ?」
「何言ってんの学園長。帰還したらメンテナンスの前に燃料補給が第一よ」
「そうやねえ、皆で食事なんて久しぶりやし」
「じゃあ私お店の予約取りますね」
そんな中。
「だれかーわたしにきづいてよー」
などと歌っているナオがいたりするのだが、もちろん盛り上がる一同にその歌声が聞こえるはずもなかった。
数時間後、ヴィントの某居酒屋。
個室に座り込んだのは、五柱のうち三名。
「……あいつの誕生日祝いじゃないの?」
そう呟くナオの前にいるのは、サラとマーヤ。
「学園長とシズルさんはちょっと仕事が残っていると言うことだったので」
「そのままベッドまで直行ってことはないだろうけどねェー」
イヒヒヒヒ、とイヤラシイ笑い声を上げるマーヤだったが、その後すぐにマジメな表情に戻る。
「それに、あんたもあいつらの相手で苦労してるかと思ってさ。本人いる前だと言えない愚痴もあるだろ?」
「本当は、私たちが色々とお仕事を教えるはずだったんですが、急なお仕事が続いちゃって」
「さぁさぁ、遠慮なくその辺をブアァーッとぶちまけてごらん、お姉さん達に!」
「そうは言われてもねえ……」
そう言ってナオは考え込むようなそぶりを見せる。
「何、あんだけ目の前でイチャイチャされて不満もない? 変わった趣味してるねえ」
「そうじゃなくて、それ以外は別に悪いところもないし、その……」
「その?」
聞き返したサラの前で、ナオは口ごもりながらもこう答えた。
「あたしが仕事になれてないのは事実だしね。文句垂れるなら一人前になってから、と思って」
「……」
「……」
「な、何よ」
じっと見つめるマーヤとサラの目にたじろぐようなナオの声。
「えらい! あんたはエライよナオ!」
「そうですよ! あの二人にあそこまでされてもそこまで言えるなんて!」
「い、いやその……そもそも言っても無駄っぽくない? アレ」
「まあそれはその通りなんですけどね」
「どうしょうもないよねー、あれだきゃあ。一体何年いちゃついてんだか」
はあ、とサラとマーヤが同時にため息をついたところで、ようやくウェイトレスが注文を取りに来た。
「とりあえず生中」
「私はモスコミュールで」
「えーと、ウーロン茶」
順にマーヤ、サラ、ナオである。
「相変わらずオッサン臭いですねあなたの注文は。次は焼酎かポン酒ですよね」
「いいじゃん、その順じゃないと飲んだ気がしないのよ」
「あー、まあいいでしょう。ところでナオさん、ウーロン茶でよろしかったのかしら?」
「ホラ、あたし未成年だし」
「あらあら、泣く子も黙るシマシマ団団長様なのに?」
「……あんた、どこでそれを!?」
「私の出身、どこかご存じ?」
「……ああああああ!」
そう言われて、ナオは目の前の人間に常々覚えていた既視感に得心がいった。
「え、エアリーズってメガネ率高いの?」
「さぁ、どうでしょう。そう言えばチエさんもメガネかけてらっしゃいましたね」
「それよりそのシマシマ団てなによ」
「それがですねえ……」
「ちょっと止めてよ!」
そんな騒ぎの中に割り込んでくる二つの影。
「たいして遅れてきたつもりもないが、えらく盛り上がってるな」
「皆さん楽しそうやねえ、なんのお話どすか?」
「あー、ナオが学園長に日頃いじめられてるって泣きついてくるんで」
「そうそう、そんなナオさんに新人イビリは五柱の基本というお話をしていたところなんです」
「違うわよ、そんな話してないからね」
「わかってるわかってる。まあこいつらも自分より下が出来て嬉しいんだろうさ」
「そうどすなあ、こうやって五人揃うなんて何年ぶりやろか」
しみじみとシズルがそう呟くとともに、飲み物が運ばれてくる。
「あれ、学園長達の分頼んだっけ?」
「さっき店に入ったところで頼んできた」
「相変わらずそういうところは抜け目がありませんねえ」
「そういうところ以外は抜けてる見たいな言い方するな!」
「まぁいいや、じゃあ五柱の今後と我らが学園長、ナツキ・クルーガーの誕生日を祝して! あと我らがニューフェイス、ジュリエット・ナオ・チャンの今後に!」
「「「「カンパーイ!!」」」」
「……なんかついでっぽいのは気のせいかしら」
「まぁまぁ細かいこと気にしてたらダメよナオちゃん」
ビールを一気に呷ってそういう
「色々大変やと思いますけど、今後もあんじょう頼みますな?」
「そうそう、五柱がようやく本来の姿に戻ったわけだからな」
「学園長とシズルさんも、せめて勤務時間内は本来の姿らしくマジメに仕事してくださいね。イチャイチャしないで」
「アレは軽いスキンシップだろう」
「そうどす」
「アレが軽いなら一体何が重いってのさ」
そんな会話を聞きながら、ナオはふと同級生達の事を思い出していた。
たった二年の付き合いだった友人達だが、悪くない付き合いだった。
この面子とも、同じように付き合って行ければいいな、などと思いながら。
二時間後。
サラは机に突っ伏して豪快にヨダレを垂れ流しながら眠っていた。
「起きろよーサラー、二次会はカレー食いに行くぞカレー」
焦点の定まらぬ目でそのサラをゆさゆさと揺さぶるマーヤ。
「うぅんナツキぃ、うち酔うてしもうたわぁ。歩かれへんからだっこして帰ってぇ」
「ははは、甘えん坊だなあシズルは」
「うちはナツキの赤ちゃんどすぅぅぅぅ」
「シズルちゃんは本当にかわいいでちゅねー。誕生日のお返しはおしゃぶりかな? ガラガラかな?」
そう言ってケタケタと笑いあうナツキとシズル。
「……」
目の前で繰り広げられる、五柱とは思えぬその醜態。
『上品ぶってウーロン茶なんか頼むんじゃなかった……』
などと酔わなきゃやってられるかと言うような精神状態に陥りかけたその直後。
「うちのお返しはあれがええわぁ」
ねっとりとしたシズルの視線が、ナオに絡みつく。
「!」
「全く、お前の初物食いの癖は学生時代から変わらないな」
「ええやろ、ナツキぃ?」
「そうだな、今日は私もプレゼントを貰ったし……お返しだ」
「ちょ、ちょっと待ってよあんたねえ!」
「はっはっは、私は受けた恨みは忘れない方でな」
「あ、あんた……まさかあの時のことを?」
ナオの脳裏によぎったのは、エアリーズで大統領の口車にウッカリ乗ってしまった時のことだった。
「エアリーズの情報網なんざとっくの昔に把握済みだ。ユキノ大統領もまだまだ詰めが甘い……いや、隙がありすぎるハルカお姉様が悪いんだがな」
ナツキは、膝に載せたシズルの頭を撫でながら笑みを浮かべる。
「もしかして酔ってない……?」
「ああ、これか? ノンアルコールカクテルだ。実は私は下戸なんでな。それに……」
そこで一旦、ナツキは言葉を切った。
「こういう時、素に戻れるのは実に便利だ」
「なぁなぁナツキぃ、ええやろ? なあええやろ?」
「ああ、今晩は無礼講だ……行っておいで」
ちゅっとシズルの額に口づけると、ナツキはナオを見てニヤリと笑った。
その笑みを合図にしたかのように、シズルがゆらりと立ち上がる。
「ナオさん、ここからは五柱の夜のお仕事を教えてさしあげます……その体にみっちりと」
「ちょ、ちょっと待って! ねえ勘弁してよ! あの時の事は悪かったから! 謝るから!」
「悪いがその状態のシズルは私にも止められん」
「い、イヤ! いやああああああああああああああああああああああ!」
「ついでに言うとここは我々専用の席なんで、防音完璧監視ばっちりだったり……って、もう聞こえてないかな」
のしかかるシズルの隙間から伸ばされたナオの手がぴくぴくと動くのを見て、ナツキはグラスを口へと運ぶ。
「今日は誕生日なんだ。これぐらいいい目を見せてもらっても、悪くはなかろう」
薄れ行く意識の中でナオは、今まで一番チョロいと思っていた学園長が、実は一番油断ならない人物であると悟っていた。
『五柱……恐るべし』
この面子について行けるだけの老獪さを身につけなければ、と思いながら。