Novel
五柱のお仕事・その1

「やっと落ち着いた……かな」
 シズルの淹れた紅茶を口に運びながら、ナツキが呟いた。
 ナギが起こしたあの戦争――戦争と呼んでよいのかどうかも分からないが――からどれくらいの時が経ったことだろう。
 部屋の窓から見下ろすヴィント市は、ようやく落ち着きを取り戻したかに見えた。
「そうどすなあ、学園の修繕も大体終わりましたし」
「ああ、そうだな。それに書類仕事も一段落ついた」
 シズルの声に頷いてカップをソーサーに戻すと、ナツキは自席を立ち上がって伸びをする。
「ナツキはいつまで経ってもその手の仕事が嫌いやねえ」
「元々向いてない仕事とは思うがな」
 そう言って笑いながら、ナツキはソファへと席を移した。その隣にシズルも腰を下ろす。
「うちは書類に向かってる時のナツキの顔、好きどすえ」
「どんな顔してる?」
「そうやねえ」
 ナツキの問いに、シズルは頬に手を当てて考え込む。
「好きだって言うならぱっと出てきそうなものだが?」
 意地悪そうに笑うナツキに、シズルは微笑みを返して答えた。
「好きや、いう気持ちと同じどすわ」
「は?」
「その人のことがなんで好きや、て言われても上手いこと言われへんもんやろ? それと同じ」
「それで上手く誤魔化したつもりか? シズルにしては珍しいな」
 すっとナツキの手がシズルの肩に回る。
「ちゃんとした答えを教えてくれるまで離さない、と言ったら?」
「そんなん言われたら教えるわけないやないの」
 あくまでもその笑みを崩さないシズルの顔。
 その顔へ、ナツキの顔が寄せられていく。
「じゃあ、次の手と行くか」
 吐息と共に紡がれたナツキの台詞が、シズルの唇に当たるほどの距離。
 そっと、ナツキの唇がシズルのそれに重なろうとした。

「はーいお待たせー! マーヤ・ブライスただいま推参!」
 バーンと扉をおっ広げて登場したのは、ショールを巻いた浅黒い肌の女性であった。その声と共に、ナツキの動きがぴたりと止まる。
「あら?」
 思い切りわざとらしく首をかしげるマーヤ。ナツキの硬直はまだ続いている。
「あらあらぁ?」
 首をかしげてニタリと笑みを浮かべるマーヤ。ナツキの首が、ようやくギリギリとマーヤの方を向いた。
「……貴様」
「お邪魔だったぁ? っていうかナツキの言ってた時間だよねえ?」
「……じ、時間に遅れないのはいいが、ギリギリなのは感心しないな」
「ごめんなさいねぇ。そうだね、もうちょっと早く来てればここまで盛り上がる前に入れてたもんねぇ」
 ケラケラと笑うマーヤをただ睨み付けるナツキ。対してシズルは別段どうと言うこともなく、普段通りの笑みを浮かべた表情であった。
「そうか、そうだな……ところで、サラの奴はどうした」
 ごほん、と咳払いをしてナツキがその場を誤魔化すように呟いた。
「サラ? 見てないけど……」
「来てますよ、とっくの昔に」
 開け放たれた扉の向こうから現れたのは、金髪に眼鏡の女性。
「大分前についたんですけど、なんだか入りづらくて」
「なーんだ、早く来てても変わらなかったんじゃん」
「……いつ頃来てたんだ」
「『うちは書類に向かってる時のナツキの顔、好きどすえ』って会話は聞きました」
 ナツキの問いに、サラは表情も変えずに答える。
「そもそもどうやって聞いた、それ」
「扉開いてましたよ」
「ああ、そうそう。不用心だね学園長さん……ま、ここに忍び込むようなバカはもう当分出てこないだろうけど」
「お二人とも」
 その場を遮るように、シズルの声が響いた。
「そろそろお話、始めましょか。うちとナツキの仲良しぶりを見せつけるためにわざわざお呼び立てしたわけやありませんし」
「仲良しって言葉で済むのかなあれは……ってごめんなさいなんでもないです」
 ぼそりとそう呟いた瞬間、シズルの顔を見てぎょっとしたように身を縮めると、マーヤはナツキ達の向かいに座り込んだ。その脇をコンと肘でつつき、
「貴女は一言多いんですよ」
 と呟くと、サラもその隣に座る。
「あー、じゃあ、第……何回だっけ。まあいい、五柱定例会議を始める。議長はいつも通り私、議事録はこれもいつも通り、シズルに頼む」
 ナツキのその声がする前に、既にシズルは羽根ペンを手にノートを広げていた。
「はい、議長」
「なんだ、マーヤ」
「一人メンバー足りなくない? あのホラ、えーとその」
「ジュリエット・ナオ・チャンですわね。確かに彼女も五柱なのですから、この会議に出席する義務があるのでは」
 サラの言葉を受けて、ナツキが頷く。
「ああ、今回皆に集まってもらったのは彼女の件についてなんだ」
 一座を見渡すと、ナツキは言葉を続ける。
「彼女が五柱の四の席に選ばれてすぐあの事件だ。GEMも私が直接手渡したし、彼女の初仕事は非常事態の収拾だった」
 マーヤとサラは、ナツキのその言葉にそれぞれ頷く。
「そう言うわけで、ナオは『普段の五柱の仕事』をよく知らないわけでな」
「ほんまやったら先輩のうちらが色々教えてさしあげるところやったんですけどなあ。うちもナツキもここのところずっと忙しゅうて」
「それでほったらかしだったっての?」
「それならそうと早く言ってくださればよろしいのに」
 口々にそう言うマーヤとサラに、ナツキは頭を下げる。
「それについて言われると返す言葉もないな。で、改めて彼女に普段の仕事を教えていこうと思うわけだ」
「今は何をやってらっしゃるんですか?」
「いやもうずっと私たちの書類仕事の手伝いを。ハンコ押しても押しても書類が押し寄せて来てな」
「いくらうちでもちょっとあれはしんどいなあと思いましてな。で、今日は一通り落ち着いたしナオさんは久しぶりのお休みということで」
「で、二人きりでスーパーストロベリータイムを過ごそうってワケだった、と……ってすいませんもう言いません」
 再びシズルの視線を感じ取ったのか、マーヤは黙り込んだ。しかしここまで来て口に出すというのは業というかなんというか、何か信念のようなものを感じさせる。
「それで私たちを呼んだ、と。それで、普段の仕事をどう教えて行くおつもりで?」
「簡単な話だ。期間を決めてそれぞれ一人一人の手伝いをしてもらう」
「あぁ、なるほど。学園長やシズルさんの事はもう覚えたから、次は私たちの番と言うことですか?」
「いや、今回の件もあくまで例外だ。特にシズルの場合は私の側についてるばかりが仕事じゃないしな」
「……そうだね」
 ナツキのその言葉に、何か思いきりツッコミを入れたそうなマーヤではあったが、さすがに今度はこらえたようだ。
「先輩としてもっとちゃんとナオを導いてやらないと、とずっと思っていたんだ。みんなよろしく頼む」
「相変わらず堅いね、そういうとこ」
「これが性分でな」
 マーヤの言葉に、口元に軽く笑みを浮かべてナツキはそう答えた。
「まぁ、学園長がナオさんに拘るのも分からないでもありませんが」
 ぼそりとサラがそう呟いた。
「なんどすか、それ?」
 ナツキが口を開く前に、シズルがそう問いを発する。
「ええ、ハルカお姉様とユキノ大統領にお伺いしたのですが、お二人は遙々エアリーズまで二人きりで旅をされたとか」
「それはうちも聞いてますけど」
「ユキノ大統領曰く、それはそれはお二人は仲睦まじかったとか」
「ちょ、ちょっとサラ待て。待て待て待て待て」
「聞けばその後カルデアまでまたしても二人旅。その後は黒い谷。ガルデローベに戻られるまでずぅぅぅぅっと二人きりで仲良く旅をされたわけで」
「……」
「シズル、ちょっと黙らないでくれないか」
「……サラさん、続けておくれやす」
 ナツキの方には一瞥もくれず、シズルはサラの言葉を促した。
「去る筋の情報に寄れば、学園長がナオさんにGEMを渡したときは、それはもう婚約指輪を渡すかのような雰囲気であったと聞いています。夜景を眺めながら寄り添う二人。すっと差し出される小箱。ああ、美しい浪漫の世界じゃありませんか」
「うひょー、やるねえ学園長」
 歌うように語るサラにチャチャを入れるマーヤ。
 二人をギッと睨み付けると、ナツキは改めてサラに向き直って叫ぶ。
「ヤマダか!? あのヤマダとか言う情報屋だな! あの野郎どこまでデタラメを!」
「出鱈目やったらそんな慌てることないんと違います?」
「シズル、違うんだ。なんていうかこうその……誤解! そうお前は何か誤解している!」
 わたわたと手を振り首を振り、シズルの前であわてふためくナツキ。
 いつの間にやら口元に浮かんでいた笑みも消え、真剣な表情でナツキを見つめるシズル。
 そんな二人を面白そうに見ているマーヤとサラ。
 しばしの沈黙の後、シズルが口を開いた。
「……誤解? 誤解てなんですのん。そもそも誤解されるようなことをしてはったん?」
「そうじゃない、そうじゃないんだ!」
「これはもう学園長はダメかもわからんね」
「少なくとも会議を続ける雰囲気ではなくなってしまいましたねえ」
「元はと言えばお前のせいだろうが!」
「ナツキこっち向いて」
 サラを怒鳴りつけた勢いはどこへやら、シズルの一声にナツキは言葉もなくカクッと首だけをシズルに向ける。
「で、結局ナオの件はどうすんのさ」
「そうどすなあ、ここできっちりナツキの弁明を」
「そ、そうじゃなくて、ナオの教育については、その」
「オッケー。じゃあ私とサラで順番決めとくわ」
「そうですね、それでは今日の会議はこれで終了と言うことでよろしいですか?」
 そう言いながら、サラとマーヤはそれぞれ席を立つ。
「ちょ、ちょっと待て。順番って我々を無視してその」
「学園長達のことはナオさんもよくご存じでしょうし」
「そうだね、まずはあたしたちの事を知ってもらった方がいいっしょ」
「「じゃ、ごゆっくり」」
 そして、二人は学園長室を出て行った。
 もちろん、しっかりと扉は閉めて。
 その直前、
「さあこれで二人きりどすえ。なんもかんも全部洗いざらい吐いてもらいますさかいに」
「は、吐くってそんな! た、助けろ、おい、お前ら! なあ、助けてっ!」
 と言う声が聞こえたのだが、敢えて言うことを聞こうとする二人ではなかった。
「……ああやってイチャイチャしてるだけなんだよな、二人とも」
「そうですねえ、会うたびに当てられてしまいます」
「ナオだっけ? ここで勤務するとしたら気の毒だよねえ」
「それもまた五柱の勤めですよ」
「そうなのかねえ……ところで腹減ったね、なんか食べに行かない?」
「またカレーですか? はぁ、あなたと食事に行くといつもそれですね」
「マウリヤの味を完全再現してる店なんてヴィントぐらいにしかないんだよ? ああ、今回の騒ぎで潰れてないといいけど」
「相変わらず人の話を聞かない人ですね……あー、まあいいでしょう。じゃあそこにしましょう」
 などと昼飯の相談をしながら去っていくマーヤとサラには、閉じられた扉の向こうで行われているシズルの乱行など気にすることでもなかった。

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