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北京五輪:ソフトボール上野投手の連投を美談にする、日本の悪しきスポーツ文化

佐藤弘弥2008/08/22
北京五輪で金メダルを獲得した女子ソフトボールだが、エースの上野由岐子投手に連投させる監督・コーチら指導者と、それを美談とするマスメディアには疑問を感じた。こうした、いかにも日本的なスポーツ根性物語を良しとする風土は、日本のスポーツ界が世界レベルに達する障害にしかならないだろう。
中国 スポーツ NA_テーマ2

北京五輪:ソフトボール上野投手の連投を美談にする、日本の悪しきスポーツ文化 | 8月20日に行われた北京オリンピック、対米国戦での上野由岐子投手。(Afro)
8月20日に行われた北京オリンピック、対米国戦での上野由岐子投手。(Afro)
 「北京オリンピック」という祭りの喧噪が、少し騒がしく感じ始めてきた開催13日目の8月20日のこと。

 時々、テレビを付けると、ソフトボール中継ばかりが目についた。何故か、昼間から夜遅くまで、エースの上野由岐子の投球ばかりが映っていた。再放送かと思えば、「ライブ」とある。呆れて、途中で見るのを止めてしまった。

 後で結果を聞けば、アメリカとの準決勝で、延長9回を投げ抜き、最後にホームランを打たれて敗れたものの、次のオーストラリア戦で今度はオーストラリア相手に延長12回をひとりで投げ抜き、4−3でサヨナラ勝ちしたそうだ。このことで、浮かれたキャスターは、自分のことのように大騒ぎだ。それにしても、この1日で行われた2試合21回で、上野が投げた318球をどう評価したらいいのか(翌日の決勝戦まで含めれば413球投げている)。

 一度敗れたアメリカと決勝を行うというのも、承服しがたい奇妙なルールだ。だが、もっと変なのは、318球をひとりで投げさせるというソフトボール首脳陣の無神経だ。また日本のマスメディアが、この異常とも思える連投に好意的な報道をしているのも、いかにも日本的なスポーツ根性物語のようで、嫌な感覚がした。

 交代する投手がいないはずはない。このひとりの才能に頼り切る無神経な采配を見ながら、高校野球のあえて真夏に開催される高校野球と同じ感性が働いているな、とつくづく感じた。

 これは日本だけで許される感性だ。アメリカ人は、間違いなく「クレージー」とか「カミカゼ的」と感じるだろう。

 今でも、高校野球で松坂が、連日200球近くを連投して、横浜高校を全国優勝に導いたことは高校球史に残る美談のように語られる。もしもこれで松坂の肩がどうにかなり、せっかくの逸材が、このためにダメになるようなことがあっても、日本の野球ファンは、あれはあれで良かったというのであろうか。

 その松坂が、アメリカの大リーグに入り、徹底的に球数管理をされ、100球以上になると、5回だろうが、6回だろうが、たちまち松坂は代えられてしまうのである。

 これはアメリカの文化と日本文化の違いと言って良い。まずアメリカは、投手の肩を消耗品と考える。そこで必要以上のボールを投げると、投手寿命を短くすることに通じるため、コーチ、監督は、投手の球数を計算し、ある種機械的に、どんなに良い投球をしていても、完封が目前だ、とかノーヒットノーランだ、というケースを除いて、情け容赦なく代えてしまうのである。

 一方日本の考え方は、ひとりの才能ある人間が出ると、その人間にオンブに抱っこで頼り切る嫌いがある。またエースと言われるような人間は、練習などで、ひとりで投げ抜く根性と責任感を、刷り込まれて、そのような心情を自然に持つに至ってしまうのである。

 はっきり言えば、今回の上野投手の318球を、美談と見るような文化である限り、(結果的に、今回は金メダルをとったが)ソフトボールに限らず、ベースボールに限らず、日本がアメリカに勝ち続けることは不可能である。このことを強く主張したい。

 そもそも、ソフトや野球は団体競技というスポーツである。これは哲学でもなければ、根性比べでもない。もっと言えば、「318球の日本的美談」は、他国の人間(特にアメリカ人)から見れば、まったく理解の出来ないクレージーな采配としか、映らないことを肝に銘ずべきだ。そしてこのような偏狭な根性ものは、世界最高のレベルに到達するために無用の障害を作っていると言いたい。もっと指導者も、マスメディアも、多様性を持った視点で物事を判断してもらいたいものだ。
◇ ◇ ◇

ご意見板

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[36596] ご高説賜りました
名前:石橋遼
日時:2008/08/30 01:14
思わず笑ってしまいました
私の感じた嫌悪感は、佐藤弘弥氏のおっしゃる説とは異なり、その心理的なものでもなく、残念ながら興奮もしておりません(笑) あしからず。
どーもこれほど長文と資料をもってしても理解できない読解力には弱りますが、もしくは感情的になられているのか。
氏の記事は的外れであることは、読み取れたはずなのですが。
多少控えたつもりなのですが、人間、聞きたくないことは耳に届かない様なので、少し直接的表現を用いますが、興奮されること無いよう願います。
(もういい加減、海外NGO活動はやめませんか?〜)のコメントの中では、とくとくと、事実背景、伊藤さんの活動や根拠を述べられている佐藤氏にしては、かなり意固地になっている感がいなめません。(このコメントには多々賛同するところもあるのですが)

私の嫌悪感は、(石橋さんと私は、まったく違うものを見ようとしているのだ、ということです。美しい夢を見たいと思う人と、その美しい夢を見ようと、何故するのか、と考えている立場では、まるで違いますね。)的な驕りと、( ソフトボールというスポーツの深層にある日本人の観念や感覚というものを分析する方向に視点を変えているのです。もっと言えば、ソフトから入って、日本人の精神性の分析に入っているのです)的なよくありがちな、慇懃無礼に
あります。
また、賛同のあるところにのみ擦りよる軟弱さ、またあの記事の文章の中から氏の言うところの(ソフトボールというスポーツの深層にある日本人の観念や感覚というものを分析する方向に視点を変えているのです。もっと言えば、ソフトから入って、日本人の精神性の分析に入っている)を読み取る方は皆無であろう。
もし、本当に
その事を提示しようとするのであればあまりも貧弱な文章力であると思いますが。単なる議論のすり替えにしかなっていない。
もし、あなたが、日本文化とナショナリズムを考えるのであれば、日本文化の悪しきものよりよきものを感じられることのほうが大切ではなかろうか?良きものを良しと感じる感性、純粋さも美しきことであることを知って欲しいものである。
文章の弄びによって自分を優位に見せようとするのは稚拙なオタク的傾向にほかならない。
日本文化の限界とその可能性を氏に探ってもらう必要も無いものと思うが

端的にいえば心理的子供にほかならない








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[36592] ソフトボールにも野球にも日本人の考え方が反映しており、私はその深層を見ようとしているのです
名前:佐藤弘弥
日時:2008/08/29 22:59
伊島明彦さま

コメント拝見しました。たとえスポーツといえど、さまざまな視点が出され、それぞれの立場で、互いの考え方の違いを敬意をもって受け止めることが大切であると思います。日本では、ディベートで熱くなって、揚げ足取りのような不毛な論争がネットで行われたりしますが、少なくても、伊島さんと私の間では、それはあり得ないことだと感じます。今後とも、どうぞよろしくお願いしたいと思います。

石橋遼 さま

かなり一方的で辛辣なご批判ですね。弱りました。ご説明すればするほど、興奮されるご様子ですので、余り多くは申しませんが、先に説明したように、この金メダル獲得のような話において、ひとつの神話化が進行していると私は考えています。つまり私の記事は、神話化を阻害するものになっており、石橋さんだけではなく、その阻害要因を取り払ってしまいたいという心理が働いていると考えられます。

比喩で言えば、石橋さんが、妙に腹が立って仕方ないのは、朝方良い夢を見ていた時に、騒音よって、眠りを妨げられたような不愉快さが私の記事にはあるのでしょう。

そこで、考えていただきたいのは、石橋さんと私は、まったく違うものを見ようとしているのだ、ということです。美しい夢を見たいと思う人と、その美しい夢を見ようと、何故するのか、と考えている立場では、まるで違いますね。

私はこの時点で、ソフトボールというスポーツの深層にある日本人の観念や感覚というものを分析する方向に視点を変えているのです。もっと言えば、ソフトから入って、日本人の精神性の分析に入っているのです。日本人は、とかく、一方向に思考が収れんすると言われますが、私の興味と疑問は、何故日本人は、ひとつの方向に考え方が「収れん」してしまうのか、ということを考えているということになります。

私は、最終的には、日本人と日本文化というものにターゲットを絞り、日本文化の限界とその可能性を探りたいと思っている者ですが、それはともかく、日本文化というものが世界の中で独自な位置をなす彫りの深い文化と見なされるようにとのナショナルな感性があることを申し上げて置きます。
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[36589] 反論です2
名前:石橋遼
日時:2008/08/29 22:18
アメリカに1度も勝てない、云々 奇妙なルール云々
日本は2000年シドニーオリンピックにおいて大会最高勝率(8勝1敗/勝率0.889)をもって1度はアメリカを予選で1-2で下しながらも
佐藤弘弥氏の言うところの奇妙なルールによって、決勝においてたった1度敗退したアメリカ戦によって銀メダルに甘んじた経緯がある。もちろん事実を把握していないというか、思い込みというか・・である、しかも、この事は、決勝戦を視聴していれば、繰り返し、解説されたことである。しかもこの解説者は、シドニーオリンピック時のソフトボール代表監督である。
解説、応援、報道にも、熱が入るのは当然ではなかろうか。
これが、経歴と事実である。
これをもってして
〉アメリカと日本のソフトボールチームの力量を比較すれば、かなりの力量の差があります。それははっきり言って、根性論では埋められないほどの差と私は考えていました。

とは、論外はなはだしいとかんじます。

事実を知らずに、思い込み観念のみで発想されたアメリカ上位的発想は、意図されずに書かれたことに、いっそうのいきどおりを感じ
ざるおえません。

また日本精神論があるようですが、時代錯誤されているのではないでしょうか?日本精神=悪しきものというのはいかがでしょう?

また、アメリカには根性論的な発想がないように、記載されていますが、上野投手は渡米し、アメリカでコーチを受けていますが、
そのときの様子を、放送でご覧になっていなっかたように思われます。そんな気持ちならマウンドを降りれとまで罵られていました。佐藤弘弥氏は承服できないでありましょうが。選手達には、関係のないところでありましょう。

努力と戦いは選手、指導者がおこなっています。

もちろん視点は複数あってもよろしいでしょうが、事実、背景、経歴、が抜けていては的外れなものでしかないようです。

野球日本代表に関してはまたべつの意見が多数あるとおもいます。
ここではろんじませんが。

また勝って賞賛するべき働きを十分されていると思うのは私だけではないでしょう、


〉(もしも日本チームが、負けていれば、記事への反論コメントがこれほどの勢いを持って書かれることはなかったと思います。

ですので、少なくても、日本のスポーツ界の問題点を、この機会に論じる意味があるのではないでしょうか。文化というものは、自分の無意識と関わることでもあり、世の中が、これで良しと受け流すようなところも、考え直して見ることから始まるものと考えます。 )

とありますが、述べたように、勝ったからではありません、無意識のアメリカ礼賛、事実誤認、斜めな捕らえ方に対する嫌悪感です。

[返信する]
[36587] 反論です
名前:石橋遼
日時:2008/08/29 21:17
1・佐藤弘弥さんはあまりソフトボールファンではないのでは?
 第一に途中で放送を見ていらっしゃらない、
 第二に、野球をあまりご存じない、長期リーグ戦とオリンピック の短期(もしくは高校野球)の短期トーナメント戦を混同されて います。これが分からないのでは、話になりません。
 リーグ戦での連投は今の野球でも見られることはありませんが、
 それでも、日本シリーズや、アメリカ大リーグのワールドカップ という短期戦では、ありえる事です。ただしプロの場合は、もち ろん、本人と監督との同意のうえでしょうが(そこらへんはシビ アでしょう)
 ただしオリンピック代表でも無理強いはありえないと思います。
 もちろん本人同意があっての連投であったと思われます。
 第三に、以上を踏まえて、この三試合見ていらっしゃいました  か? 負けることが出来ないと考えていた、アメリカ戦!当然
 頼れるのは上野です、が、負けてしまいました、これで次の試合
 負ければ銅メダルです、しかし、日本の目指すのは、金メダルで す。ここぞという試合上野しか考えられなかった、そういう、状 況の試合になってしまった。本当は、アメリカに勝って1日休む
 算段だった目論見がくずれてしまった、勝てばもう一度アメリカ と決勝で戦うことが出来る。
 この試合が壮絶な戦いでからくも勝利しました。
 この時点で、感動もひとしおです。
 が、決勝が残っています私自身誰が決勝を投げるのかと、思って
 いましたが。上野の連投でした、もちろん不安を感じたのは正直 な、気持ちですが。逆に上野選手の指導部からもしくは選手達か らの信頼感に感動をも感じました。そして勝利です!!
 この三試合はソフトボール界の歴史に残る三試合だと思います。
 ここでは、連投にのみ言及しましたが、もちろん他の選手、指導 部のすばらしさはもちろんのことです。
 ご覧になっていない方、興味のない方にいくら言っても仕方のな 事ですが、せめて見てから言って欲しいものです。
 そこにおいても論ずるに値しないのですが。
 見てもいずにスポーツ界云々は、ありえません、スポーツもしく は、オリンピックにおいてはなおさらの事、結果だけが全てでは
 ありません。この三試合は上野連投いたしかたなし!だったので す。
 あなたが感じた違和感は以上の状況の不理解によっておこったも のと思います。野球においても、長期戦であるリーグ戦では強い のに、短期戦では勝てなかった、ソフトバンクのような例もあり あります。それほど短期戦では、常の力が発揮できない事も多々
 あるのです。

 
[返信する]
[36579] 反論ではありません。
名前:伊島明彦
日時:2008/08/29 13:05
佐藤様

ネットでの議論でよくあることですが、罵り合い、結果として
炎上してしまうものを見かけます。
佐藤様の執筆はそれはそれで尊重し前向きに受け止めたいと思います。

ただ、もっとシンプルに下記のように考えます。


>他の投手が、何故私が投げさせられないで、上野ばかりが、投げ
>させられるの、と考えるのではないかと思いました。それはそう
>でしょう。選ばれたのに、ひとり上野ばかりが、監督の采配によ
>って投げるさせられるているのです。
>「何故あの子ばかり」と考えない方が不思議なくらいです。


上野でなければ勝てないというチーム共通の認識はあったと
私は思います。
例のハンカチ王子も田中(大)も「大丈夫か、他にいないのか」
というくらい連投してます。決勝で上野で負けても、ほとんど
非難される状況にもなかったと思います。


>ソフトが勝ったから称賛され、野球が負けたから批判されるでは
>なく、勝ち負けを離れて、日本のスポーツ文化が持っている前時
>代的な価値観をこの際、考えてみることが、


ソフトの称賛はあまりにも上野が超人的な能力を発揮したから
であり、野球は星野のチーム作りの過程、意気込みに比べ、采配
があまりにも疑問が多く、結果として銅すら取れなかったという
結果に対する失望が大きいところにあります。


佐藤様が御指摘の日本的前近代的な問題は賛否両論があってしかる
べしと思います。
しかし、それは指導者が概ねそのような人々ばかりであり、日本
のスポーツ文化が概ね同じようなものとは限らないと私は思います。


佐藤様が御指摘の日本的指導法は星野もそれに近いと思いますが、
さて、今回の失敗を機に彼が変るかどうか、チャンスさえ
与えられずに終わるか(WBC監督)私は非常に関心があります。


野村や落合であれば、また違う指導法になっていると思います。
[返信する]
[36570] 勝ち負けで判断するのではなく日本のスポーツ文化にある問題点をこの際考えることが大切では?
名前:佐藤弘弥
日時:2008/08/29 01:28
伊島さんの「視点は複数あっていい」というタイトルに全面的に賛成いたします。

しかしそのタイトルとは少し裏腹に内容は、「本記事」を「アメリカへの礼賛がある」という箇所には、この反論記事の前提となる論理だけに、本記事を書いた人間として、「アメリカと日本」の文化の違いを論じている比較論の立場はありますが、アメリカ礼賛の意図も、思考もないことをまず、申し上げます。ですので、優越論を論じているものでないことは、冷静に分析してっただければ容易に分かることです。

まずアメリカと日本のソフトボールチームの力量を比較すれば、かなりの力量の差があります。それははっきり言って、根性論では埋められないほどの差と私は考えていました。

そもそもこの記事の執筆は、日本の投手が318球を投げ抜いたオーストラリア戦、後に脱稿した経緯もあり、何故こんなにひとりの投手に負担を掛けるようなシステムなのか、と異常な感じを受けたことによって、書いたものです。

そして、他の投手が、何故私が投げさせられないで、上野ばかりが、投げさせられるの、と考えるのではないかと思いました。それはそうでしょう。選ばれたのに、ひとり上野ばかりが、監督の采配によって投げるさせられるているのです。「何故あの子ばかり」と考えない方が不思議なくらいです。個がしっかり確率しているチームは、おそらく許されない采配ではないでしょうか。ここにも日本ソフトボールチームの日本的精神性があるように感じます。

さて、この記事の最大の弱点は、これまでアメリカチームにオリンピックにおいて一度も勝ったことのない日本チームがほとんど「奇跡的に上げた勝利」を批判するようなタイミングで発表されていることだと思われます。つまり日本チームの勝利に水をさすような批判記事と思われてしまうことです。

つまり上野という投手がヒロインに祭り上げられる過程において、発表されている点だと考えられます。

もっとはっきり言えば、もしも日本チームが、負けていれば、記事への反論コメントがこれほどの勢いを持って書かれることはなかったと思います。

ですので、少なくても、日本のスポーツ界の問題点を、この機会に論じる意味があるのではないでしょうか。文化というものは、自分の無意識と関わることでもあり、世の中が、これで良しと受け流すようなところも、考え直して見ることから始まるものと考えます。

さて、石橋さんの伊島さんへの賛意コメントの中で新しい事実を知りました。この事実は私にとっては、まったく考えられない内容です
「・・・根性論がなにが悪いと言いたいところもあります。・・・ソフトボール代表の某選手はノーヒットでしたが、決勝前夜、全代表監督へのに、びんたをいただいたそうです。(本人の表現)そして、決勝では目が覚め、(本人談)みごとなヒットを打っていました。
そこまでの指導者と選手の絆を築ける精神性を賞賛するべきではないかと思います。」

とありますが、これは本当であるとしたら、これを私たちは日本のスポーツ界の美風としてとして、受け流し、また受け入れるべきでしょうか。私にはまったく承服しかねることです。

要するに、ソフトが勝ったから称賛され、野球が負けたから批判されるではなく、勝ち負けを離れて、日本のスポーツ文化が持っている前時代的な価値観をこの際、考えてみることが、大切だと思うのです。その意味で、伊島さんの「視点が複数あっていい」という考えかたを真摯に受け入れてみてはいかがでしょうか。
[返信する]
[36566] 伊島明彦様へ 拍手!!!
名前:石橋遼
日時:2008/08/28 23:07
いや、まったく持って仰るとおり、
アメリカ賞賛の傾向が根付いている。それよりもなお、その事に違和感を感じることもなく、というところがなんとも・・・
そもそも、オリンピックそのものが国際交流であり、スポーツを通じての各国文化の交流そのもので、思考、思想、精神論の交流じたいが目的といってもいいのではないでしょうか。

スポーツが強くあって欲しいと言う願望はもちろん、ありますが
根性論がなにが悪いと言いたいところもあります。
根性論の問題は、科学的根拠を無視したり、行き過ぎた強制を伴ったりと言うところであって根性そのものを否定するものではないと感じます。またソフトボール代表の某選手はノーヒットでしたが、決勝前夜、全代表監督に、びんたをいただいたそうです。(本人の表現)そして、決勝では目が覚め、(本人談)みごとなヒットを打っていました。
そこまでの指導者と選手の絆を築ける精神性を賞賛するべきではないかと思います。

それよろもなお、奇論、詭弁を記事として編集記載し、反論を持ってサイトを盛り上げようとする、編集者の悪しき意図を感じざるおえない事に、憤りを感じているのは私だけでしょうか?
時には、反論することさえ自分自身の品格を落としかねない様なものまであります。このサイトはこのままで良いのでしょうか?
[返信する]
[36555] 視点は複数あっていいと思う
名前:伊島明彦
日時:2008/08/28 15:40
興味深くこの投稿ならびに他の方々の御意見を読ませていただきました。


冒頭で「連投を美談にする、日本の悪しきスポーツ文化」といき
なり決め付けていますが、果たしてそうだろうか、そもそもそう
いう精神力と体力・技術力がなければ、そういう能力は発揮しえ
ないのですからここはまず、上野選手の力投を素直に賞賛しても
いいと思います。


著者に根底にまずはアメリカ文化への礼賛があり、日本はアメリ
カを見習うべしという概念があれば、かならずしも私は賛同しか
ねます。


学ぶべきもの、逆に教示するに値するもの、様々であってしかる
べしと私は考えます。
また日米に限らず、国と国との文化の違いは、価値観の相違であ
り安易に優劣を論じられるものではありません。


アメリカでさえ、通常のリーグ戦ではなく、ここぞという大勝負
の時なら、原則を破って誰かが超人的な働きをして勝負をモノに
するような事例はプロ、アマを通して探せば存在するのではない
でしょうか。


スポーツならまだしも、仮に生きるか死ぬかのような戦場であれ
ば、ただそこを切り抜けんが為に総てを犠牲にするような行動も
ありうるでしょう。


今回のオリンピックでも、金メダルを期待され期待通りの結果を
出した人と期待されたものの残念ながら無残な結果を残した人が
います。
その違いは何なのでしょうか。


上野選手が勝利の後、故障し心身共に後遺症を引きずるような
事態にでもなればまた考えを改めますが、甲子園の松坂、斉藤、
田中(大)など、通常の高校生とはレベルの違う肉体的精神的強さ
を発揮し、次のステップでも立派に成長し活躍しています。


大リーグの100球制限を例に上げ、日本流の根性論を一種の
虐待(そういう表現はありませんが)とみる観察眼には本質的に
次元の違いを感じます。


著者はむしろ、星野ジャパンの惨敗の根本的原因を論じた方が
いいのではないでしょうか。






[返信する]
[36473] 残念〜〜〜〜
名前:井之上文
日時:2008/08/24 23:04
やはり

 これは捏造だったんですね。
[返信する]
[36440] 小林さん
名前:井之上文
日時:2008/08/23 21:17
>>
私が最も驚くのは、プロ野球でさえ、選手が重要な場面で失敗(攻撃ないしは守備で)するとしばしば監督やコーチから殴られ、それを殴る方も殴られる方も全く問題と感じない感覚です。
星野監督などはその最たる人ですが、これもその監督を熱血漢として評価されこそすれ、非難は全く受けません。それを中で見ている選手たちも問題提起は当然一切しませんし問題とも思っていません。


こんな事実はどこにもないんだけどなぁ


あるんだったら具体的に教えてください、そちらのほうがニュースになりますよ。
[返信する]

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