更新:8月29日 09:22インターネット:最新ニュース
オーマイニュースはなぜ失敗したか(上)
「市民みんなが記者だ」を合言葉にした韓国発の市民メディア「オーマイニュース」の日本語版が、ニュースの看板を外して再出発することになった。ソフトバンクから支援を受け、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が編集長に就任して注目されたが、初期こそ相次ぐ「炎上」でアクセスを集めたものの、大きな成果を上げることなく静かに終わりを告げた。オーマイニュースの失敗をどう考えればいいのか。この2年間を振り返ってみたい。(ガ島流ネット社会学) ■韓国での成功体験にとらわれる 日本と韓国の政治状況やネットユーザーの違い、実名への過度のこだわり、記事の論調や質、鳥越氏や韓国でオーマイニュースを立ち上げた呉連鎬(オ・ヨンホ)氏を始めとするスタッフの迷走、経営に不慣れな記者――。オーマイニュースの「終焉」を受けて何人かのブロガーやネットニュースがその失敗を分析しているが、個人的には「インターネットメディアでありながら、インターネット的ではなかった」ということに尽きると考えている。そして、市民メディアを標榜していながら、その本質が従来型メディアそのものだったことも見逃せない要因だ。
呉氏に初めて会ったのは2005年の12月だった。日本版立ち上げに向けて精力的に関係者を訪ねていた呉氏は、私のところにもやってきて意見を交換した。 主に呉氏からの質問に答えるという形式であったが、韓国で成功したオーマイモデルが通用するかどうかだけでなく、メディアを取り巻く環境やネットユーザーの意識の日韓の違いについても、かなり気にしているように見えた。 私からは、「韓国のメディアというだけでネットでは色が付く。これをどう払拭するか」「反既存、反体制、反権力を前面に打ち出すのではなく、新しいメディアとしてスタートしたほうがよい」「既に多くのネットユーザーがブログなどで情報発信しており、皆が記者というコンセプトに新しさはない。分散化した議論をまとめていくようなものはチャンスがある」と状況を示した。 また、ブログやSNSは自由に書けるものの、エディターやデスクが不在のため、もっと良い文章が書きたい、スキルアップしたいと思う人がいると考え、ジャーナリスト・ライティング教育という潜在ニーズを捉えて広告と教育を収入の両輪にしてはどうか、と提案した。これによって収益モデルも安定すると考えた。 呉氏は既存メディアやジャーナリストだけでなく、オールアバウトやミクシィも訪ねた。しかしながら呉氏が受けたであろう多くの提案が実現することがなかったのは、韓国での成功体験から離れられなかったということなのだろう。 ■既に日本は「みんなが記者」だった 2000年に創刊されたオーマイニュースが韓国で成長したのは、民主化改革を求める状況とインターネットの普及期がシンクロしたためだ。朝鮮日報、中央日報、東亜日報の3大紙はいずれも保守系で、政府寄りの報道姿勢は国民からの信頼度は低く、革新メディア登場自体にインパクトがあった。2002年の韓国大統領選ではノ・ムヒョン候補の当選に大きな影響を与えるなど「政治運動」としての側面も強かった。 一方日本では、政治の季節は遠く去り(上陸が2005年の郵政解散前であれば変わったかもしれないが――)、ネット上では既存メディアへの反発は見られても、国民から信頼されていないという状況でもなかった。何よりも、2ちゃんねるやブログなど、ネットで自由に情報発信できるようになっていた。 既に「市民みんなが記者」であり、そこにあえて「市民記者」という言葉を持ち込んだことは、ターゲットを狭めることになった。結果的に特定の思想を持った市民団体や既存メディアに反発する人々を呼び寄せ、一般的なネットユーザーの足が遠のくことになった。 ■相次ぐ炎上、困難な船出
2006年2月、ソフトバンクは日本版オーマイニュースへの6億9300万円の出資を発表、同時に韓国のオーマイニュースの第三者割当増資約6億円も引き受けた。ネットメディアとしては異例の13億円という巨費が投じられることが分かり、当時会った新聞やテレビなど既存メディア関係者らは危機感をあらわにしていた。 ソフトバンクの孫正義社長は、創刊後には自ら市民記者として「Web2.0時代が呼んだ新メディア」「赤じゅうたんvsインターネット」という2本の記事を投稿する力の入れようだった。 スタッフも徐々に集められ、共同通信でソウル特派員を務めていた青木理氏などが中心となって準備が進められた。5月には鳥越氏が編集長に就任することが決定、大きなインパクトを与え、新聞や雑誌、テレビなどマスメディアでも取り上げられることが増えていった。このように注目を集めるなか、6月1日に開設された「オーマイニュース開店準備中Blog」が、いきなり炎上することになる。 きっかけは、ITMediaの鳥越編集長へのインタビュー記事だった。
記者の質問に、鳥越氏は「2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミためでは困る。日本の社会を良くしたい。日本を変えるための1つの場にしたいという気持ちがある」と発言(鳥越氏は、2ちゃんねるの一部書き込みと言ったと主張。真偽が論争に発展した)。これにより、準備ブログに批判的なコメントが殺到する。 ネット上の匿名ユーザーとオーマイニュースとの対立はその後も続く。鳥越氏は、このブログの炎上を取り上げた毎日新聞の記事内で「戦争を知らない若い世代が、経済発展した韓国に違和感を覚え、過去にあった差別意識を再生産した」と理由を推測。総合情報誌ザ・ファクタの阿部重夫編集長によるインタビューでも「匿名掲示板とか、ブログの存在を全く否定する気はない。彼らはそこで遊んでいればいいし、楽しんでいればいい」とネット批判を繰り広げ、炎上を煽った。 ■既存メディアの枠組み抜けきれず 加速する炎上に対して編集部は「荒らし」と判断し、誠実な対応を取らなかったが、このことは「観客」となった一般ユーザーから信頼を得る機会をのがす結果につながった。 当時ブログに掲載された市民記者の記事は、編集部が自覚的であったかどうかは別として、いわゆる左翼的な思想への偏りが強いものが多く、中には筆者がカルトと関係していると疑われるものまであった。感情的なオピニオンが多く、事実関係を積み上げたレベルの高いものは、ほとんど見られなかった。 このような状況を見て、私は2006年8月に「オーマイニュースジャパンの『炎上』と『現状』」というタイトルの記事をブログにアップ。準備ブログの炎上原因をスタッフのネットリテラシーのなさと、既存メディアから抜け切れない編集部員の意識にあると指摘した。 「オーマイニュースは市民記者による、市民記者のメディアのはず。にもかかわらず、市民記者の記事が低レベルなまま放置されているのはなぜか。もしかしたら、編集部員たちは市民記者の記事を、新聞の『読者投稿』ぐらいにしか思っていないのかもしれません」「オーマイニュースのコンセプトにおける、主役は誰なのか考え直す必要があります。結局のところ、自分たちが既存メディアで発言できなかった問題を抱えて、『オーマイニュースなら書ける』と考えた記者が集まって、反戦、基地問題などを書きたがっていて、市民記者は二の次といったのが現状なのであれば、新しいメディア、そして何よりも『市民皆が記者』は実現しないでしょう」などと書いた。 その後、この危惧は次第に当たっていることが明らかになる。市民メディアを標榜していながらその本質は従来型メディアそのもの、という矛盾は創刊前から見え隠れしていた。 ● 関連記事● 関連リンク● 記事一覧
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