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桜井淳所長の推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(2)-モンテカルロ研究史における「危機」と「通約不可能性」についての論考-桜井淳所長は、以前にトーマス・S・クーンの唱える「科学革命」に匹敵する「モンテカルロ革命」なるものの存在を道破したことを本ブログで紹介しましたが、さらに桜井所長は、クーンのパラダイム論の重要なキーワードである「危機」と「通約不可能性」についても新たな論考を展開しているそうで、クーンのいう「危機」とは、パラダイムの範型に従って行われる「通常科学」の継続に伴い、現行のパラダイムでは対処しきれない変則事例が蓄積し、それが許容範囲を超えると「通常科学」を継続することが困難となる「危機」が生じるというものであって、それらが萌芽となり新しいパラダイムが台頭し、「科学革命」へと至るのですが、パラダイムの転換は、累積的、連続的な発展ではなく、断続的な転換であるというのがクーンのパラダイム論だそうで、このパラダイム論をモンテカルロ研究史に援用するのなら、かつてモンテカルロ界を牛耳っていたUを中心としたモンテカルロパラダイムでは、モンテカルロに山積する研究課題を克服し、新たな展望を切り拓くことが困難であることが、(U以外の)誰の目にも明らかとなり、多くのモンテカルロ研究者、技術者がUを中心としたモンテカルロパラダイムに対して漠然とした危機感を抱くようになったそうで、ある時、その「危機」を象徴するふたつの事件が起きたのですが、それは、とある委員会でUが東大のK助教授を30分間にわたってつるし上げ、最後にバカヤロウと罵倒したことと、また別の委員会では、Uは何の論拠もなく、「ポイントディテクタは使えない」と火の出るような剣幕でまくしたてたそうで、パラダイムに蓄積する「変則事例」を乗り越えるために、Uに残された唯一の方法は、大声で怒鳴り散らすことだけで、多くのモンテカルロ研究者がUを中心としたモンテカルロ恐怖政治に危機感を抱き、無意識のうちに新しいパラダイムの出現を待望するようになっていたその時に、桜井所長が不覚にもUを主査に担ぎ出して設立した日本原子力学会「モンテカルロ法による粒子シミュレーション」研究専門委員会は、そのような「危機」が臨界点に達していた状況で始まったそうですが、当時、パラダイム転換の曙光に気づいていた者は桜井所長を含めて誰もおらず、多くは依然としてUをモンテカルロ界のボスと位置付けていたそうですが、今から振り返って考えれば、必然的に、この委員会は、失敗に終わり、それは同時に古いパラダイムの終焉を意味するもので、その後、新しいパラダイムが出現し、モンテカルロ法は現在の隆盛に至っていますが、このモンテカルロ法の隆盛は、Uが植えつけてきたモンテカルロ法の価値観を下地として発展してきた延長線上にあるのではなく、Uを否定し超克することで、断続的なパラダイム転換の帰結としてなされたものだそうで、桜井所長は、この委員会の失敗のA級戦犯としてUに対してモンテカルロ界からの永久追放を宣告したそうですが、モンテカルロ界のパラダイム転換という断続的な転換には、このような非情な措置も不可欠だったそうで、その後、桜井所長は、東大のN教授をモンテカルロ研究推進の最高指導者として迎え入れることに成功し、それが奏功して新しいパラダイムへの展望が拓かれてきたそうで、その意味で桜井所長は、みずからをモンテカルロ界のパラダイムシフターとして自負しているそうですが、クーンによれば、異なるパラダイム間には、共通する価値基準が存在しないために、同じ用語であっても、意味の変化により、専門家間で理解が不可能となる「通約不可能性」なるものが存在するそうで、Uという人物に対する評価についても、旧パラダイムではモンテカルロの開拓者、ボスとしての評価だったのが、現在のパラダイムでは、モンテカルロ暗黒時代の魔王とされており、これも「通約不可能性」の一例だそうです。
桜井淳所長に拠れば、社会科学の分野では、いくら学術的内容の論文や著書でも、査読を経ていないものは、すべて、エッセー(essay)と分類されており、歴史的に有名なトーマス・サミュエル・クーン『科学革命の構造』もエッセーであり、一般論として、困ったことに、エッセーを題材に、査読付論文誌に論文を投稿しても、査読の対象にならず、なぜかと言えば、査読を経ていないものに、たとえ、誤りがあったとしても、不思議ではなく、問題にする方がおかしいということになり、エッセーにはエッセーで対応する以外に方法がないのであり、桜井所長は、エッセーに対して、本気で対応するのも大人気ないと感じており、さらに、そのような議論は、価値がないと位置付けられているため、意識的に避けてきましたが、いくつかの例、すなわち、村上陽一郎や吉岡斉のように、たとえ、誤りがあっても、絶対にないと錯覚している研究者に対しては、すべて指摘しようとは思わないものの、それとなく、ひとつやふたつの助言をする気は有り、たとえば、吉岡 斉『原子力の社会史-その日本的展開-』(朝日選書、1999)には、大きな誤りや勘違いが少なくなく(自我自尊・意識的挑発・錯覚・本質的な不勉強)、ひとつの具体例として引用すれば、「最後の新型転換炉研究開発も、青森県大間における実証炉建設計画が中止になった以上、「常陽」の運転を継続する意味はなくなっていた」(p.264)のように、まったく意味不明の勘違いもあり、朝日選書は、著者校正が3回、編集者校正が3回あるにもかかわらず、最後まで、気付かないというのも不思議な世界で、結果的には、あまり大きなことは、言えない、ごく普通の研究者のように思えますが、いかがでしょうか。