初音ミク 著作権を根底から脅かす恐ろしい娘2007年11月02日 04時13分12秒

今、話題の初音ミク。

「無駄なソフト」とか「オタクのおもちゃ」だとか、
逆に一方「新しい技術」だとか色々な意見があるのだが、
ふと気がついたことがある。

これって、著作権の根本を揺るがしかねないソフトじゃないか?

というのも、
『著作権法上「歌う」とはどういうことか?』という事について、
まっこうから疑問を投げかける事になっているからだ。


歌謡曲は「歌」と「詞」から構成されている。
そしてこれは、それぞれ別な人に帰属する権利(作曲者と作詞者)だというのは良く知られている。
そのため、通常、BGMや演奏だけならば著作権は作曲者の権利にのみ抵触していることとなり、作詞者が「その曲を弾くな」という権利もなければ使用料を取ることもできない。


ところで、技術的な面で言えば、今まで、シンセサイザーで人の音を録音し、その言葉にドレミファソラシドと音階を付けて演奏することがはやった時期があった。
(今でもそういう利用法による楽曲はある)

この時は、いくら「おはよう」とか「こんにちわ」とかシンセサイザーから流れても、「歌った」とは考えず「音階にあわせて、記録した言葉を演奏しているに過ぎない」と解釈するのが普通でした。

当然、これで作った楽曲が「歌詞を歌った事による侵害」に当たることは、まずありません。

まあ、このあたりは普通に考えれば納得できるでしょう。


ところが、初音ミクの場合はどうでしょう?


初音ミクは、あくまで「演奏ソフト」です。
確かに「しゃべっている」かのように「偽装」することはできますが、実際にPCが「意思」を持ってしゃべっている訳ではありません。
PC上において50音(表音)のサンプリングを行い、演奏する曲にあわせ合成している『だけ』です。今までのシンセサイザーが単純な合成しかできなかったのを「違和感の無いように複雑な発音でも合成できるようにした」という事でしかありません。
(とはいえ、その技術こそがとても重要で難しいのですが)

つまり、初音ミクがどれだけ「歌おう」が、本来、それは合成音(演奏)の一種に過ぎないということになります。

と、いうことはいくら「歌おう」が作詞者の権利を『歌って』侵害した事にはならないはずです。
※「歌詞をそのまま流用している」という部分には抵触する可能性はありますが、歌詞の無断掲載と同じぐらいの抵触行為でしかありません。

なので、現行の初音ミクによる著作権侵害は、そのほとんどが「演奏」による侵害となり
「歌唱」による侵害では「ない」と考えないといけないはずです。

でも、聴くと解る。
あれは「歌」だ。
あれを「シンセサイザーによる単なる演奏」と納得できる人は少ないでしょう。

では、法律上でも、あれを「歌っている」と認めるのでしょうか?
作った人(打ち込み人)を、実際に歌ったわけでもないのに、「歌った」として権利侵害を問えるのでしょうか?
それとも「初音ミク」を「歌った人」として権利侵害を問うのでしょうか?

「歌う」という事が「誰が何をした時」発生するのか。
著作権における『主体』と『客体』と『行為』の定義そのものを揺るがしかねない状況になったと考えられます。

世界中の「著作権」概念を根こそぎひっくり返す。
実は、初音ミクはそこまで恐ろしいソフトだったのです。


また、今後、同様の技術が発展した場合、「電子書面に関する意思表示の有効性」など、今までしかめっつらで話してきた話が、「電子技術による『偽装発音』による意思表示の有効性」はどうなのか?
という新たな問題をも発生させる可能性がでてきました。


単純に「オタクのおもちゃ」といえない恐ろしさがここにはあるのです。

初音ミク---恐ろしい娘

---
と、アップしようとここまで書いて、一応念のためにネットでミクと著作権について調べてみたら、同じようなことを書いている人がいた。

こっちの方が、もう少し解りやすく書いているからいいかもしれない。
…でも、そろそろ、この技術のもつ法律上の「本質」に気づきだした人、増えてくるでしょうね。
自分でも気がついたくらいだから。


http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2007/10/post_df56.html
「初音ミク」と著作権法

コメント

_ t ― 2007年11月04日 00時46分44秒

過去にMIDIサイトが潰された件は無視ですか?

_ TAKE(管理人) ― 2007年11月04日 03時46分44秒

コメントありがとうございます。

MIDIサイトの閉鎖などのJASRACのやり口を無視するわけではないのですが、今回の場合、JASRACだけでなく裁判所なども、何をもってミクに対応するのかが、「面白い」所だということです。

つまり、機械が「歌を歌う」事を認めるのか?
では「歌唱行為」とは何か?
「歌唱による」表現とは、人を介さなくても可能なのか?

という「歌」の定義そのものが揺らぐ事件だということです。

単純に「演奏行為」として(これは事実成立する)ミクを取り締まることはできますが、聴いた人が、今のミクの「歌」を『あれは歌ではないただの演奏だ』といい続けることができるのか?
ということこそが、問題となるのです。

また、今以上にソフトが進化したらどうなるでしょう?

このように考えると、既存の著作権だけでなく権利義務そのものの問題です。

ロボット3原則や「ロボットが自分の意思で人に危害を加えたらどうなるのか?」という、火の鳥で手塚治虫先生が与えた論題など、多くの話が現実化しようとしているということです。

このあたり、空想世界に技術が追いつき始め、そして「一般社会」と、そこから生まれる「法律」が対処していかなければならないのです。

だからこそ、その第一歩となるだろう、このソフトのあり方が面白いと考えているのです。

_ Mon ― 2007年12月08日 09時25分27秒

どう考えても自動演奏です。

> 「歌」の定義そのものが揺らぐ事件だということです。

揺らぎませんw

_ TAKE(管理人) ― 2007年12月09日 13時07分05秒

コメントありがとうございます。

>どう考えても自動演奏です。
>> 「歌」の定義そのものが揺らぐ事件だということです。
>揺らぎませんw

そのような考え方もあると思います。

ただ「自動演奏」とすると、状況によっては「歌詞」に対する著作権侵害が認められなくなります。
「歌唱行為」が無く、「歌詞として聴こえるもの(空耳)」を演奏している。という主張であれば「歌詞に対する権利侵害は発生しない」という論理が成り立ちます。

また、これは歌の話だけでなく「詩や本の朗読」をミクにさせた場合でも、「原文らしきもの」を自動演奏しただけで、誰かが実際に読んでいる(または実際に朗読したものを上映・放送している)わけではないので、「朗読行為」ではない以上著作権侵害にあたらない。
結果、「作家の権利を認めない」という事にも繋がる可能性がでてきます。

現行の著作権法が「良い」とはいえませんが、「クリエイター」の権利が変な方向で事実上廃止されていくことも、「創作活動」に影響を及ぼすようになります。

「実演」とは何か、朗読や歌唱行為とは何かなどを見直さないと著作権の基本思考自体に問題が出るようになるでしょう。

(実際、ロボットによる発声表現については、現状「色々な課題」を持つようになっています。)

_ ののの ― 2007年12月18日 20時49分25秒

まああまり意味のない煽りに反応することはないと思いますよ

この問題は今後VOCALOIDが発売されていけば嫌でも表に晒されていくでしょう
人間の仲介が無いものを歌と言うか否か
著作権という考え方がもう限界に来ているという証明みたいな事件ですからね
ただ私たちはその「人間の尊厳を侵害する」VOC@LOIDにロマンを感じてしまうわけで・・・

ただ、最後は「JASRACの判断」とかに落ち着かないで欲しいとは思います

_ スノーラビット ― 2007年12月19日 13時28分52秒

技術的なものはともかくとして、合成された音声を聴き手が「歌」と
して認識しており、送り手がそれを前提にデータを作成するなら、
それだけで法廷でも「歌」と認められるのではないでしょうか。

受け手が音のデータを聴いて「歌としての著作物性があるな」と
感じ、社会通念として定着すれば音のデータを作る過程はどう
でもいいと思うのです。

ただ、これだと判例の数が出るまでは混乱が予想されますので、
屁理屈をこねる余地があるのも確かなので、著作権法に「合成
音声による歌の作成」を「歌」の表現方法の一つとして、「歌唱」
とは別個に定義しておくのがよいと思います。

_ TAKE(管理人) ― 2007年12月19日 22時33分27秒

のののさま、スノーラビットさまコメントありがとうございます。

お気遣い有賀等ございます。
ただ、煽りかもしれませんが、一般の人の中には、同じように「ただの自動演奏で、著作権の概念に影響はない」と考える人もいるかもしれませんので、コメントさせていただきました。

著作権法の概念は最近非常に流動的になり、しかも「創造に対する権利」ではなく「創造物を流通させるものの権利」擁護の視点で話がすすんでいるように、今、感じています。

これは初音ミクだけの話ではなく、
後退していく創作活動 ―
2007年10月02日 01時01分07秒
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2007/10/02/1832297
でも書いたとおり、全体的な風潮としてあると感じています。

この中で、歌唱行為という概念自体も、ある程度明確にしていかなければ厳しいでしょう。
スノーラビットさんの説も私は取るところなのですが、

では「一般大衆において平均的に歌っていると認識できる」範囲とは「どのレベル」なのか。「裁判官の一人でも歌だと認識すればよいのか」など定める範囲が非常に難しくなっています。

また、例えば「自動作曲ソフト」(変数利用による音符の羅列)や「自動作詞ソフト」(類義的表現をある一定のリズムにおいて並べ、詩を形成するソフト)などを用いた場合、作詞者は誰となるのか?また、その詩・曲自体を「創作性のある活動」と呼べるのか?など、機械化がすすむにつれ、今後も非常に多くの問題が発生してくると考えます。
まさに「機械が著作活動を行うのか?」というSF的テーマが現実化しつつあるのだと考えています。

まあ、こういう「未来」を考えるのは楽しいのですが、一方で「ダウンロード自体を違法化する」という、現実を見ずにうるさい業界団体しか見ていない文科省の考え方とかを見ると、著作権法により創作活動が犠牲になる事が現実化しつつあるのが、非常に悲しいところだと思います。

この話は、ニュースで出ているのですが、「単純な複製」までをさすのか「二次著作物」まで指すのかがよくわからないので微妙なところです。
「違法な(というより原著作者に許可を得ていない二次著作物)はすべて摘発対象(親告抜きで)」という形にでもなれば、単純なパロディだけでなく、下手をすれば、引用と複製の範囲の微妙さから、より多くの情報の利用が制限されることとなるでしょう。

…まあ、この話はもう少しまとめてから書くつもりです。

実際、著作権に関する各種契約業務は、自分達の仕事でもありますし、日本行政書士連合会認定の著作権相談員行政書士である以上、一回、きちっとおさえてからでないと書くのもまずいでしょうから。

_ きょう鏡音リン・レン(ボーカロイド)をいじってみたよ ― 2007年12月29日 21時45分53秒

ボーカロイドで機械に「歌わせ」ることをやってみて、検索でこちらにたどり着きました。
実際には、自分の知っている歌を、ボーカロイドに指示を与えて、「歌って」いるように聴こえるまで、調整していく過程をおこなうことで、「機械による歌唱」行為が実現しているのでしょう。
スノーラビットさんの考え方は妥当なもだと思いますが、「歌唱」行為の主体者が、①指示を与えた人(=歌詞、音程を理解している)、②機械発声システム(=実稼働する声帯、器官)に
分かれてしまう分業状態のあり方を上手く取り扱わなければならないでしょう。生身の人間では分業されていません。
ボーカロイド程度では機械単独で歌唱行為と見なすことは難しいでしょうし、機械に指示を与えて、指示を与えた人が納得するまで作り直す行為などを考えると、作曲家が歌手に歌い方を指示する行為と極めて似通っているとも思います。
そこでは、歌唱指導した人が歌う人とは思われてはいないと思います。歌唱と思われる機械生成音声だとしても、指示を作る人の影響がどれほどのものか、という重要度の比率が、絡んでいるとも思います。お金になりそうなことは、流通者に有利に、責任は作成者に押し付けているご都合主義もあると思います。
機械による歌唱行為はもっと世間一般に議論されてほしいと思います。

_ さすが街の法律家 ― 2008年02月11日 08時51分06秒

意思がないのに歌うのか。
そりゃぁ法学界いや科学を根本から揺るがす大事件ですね、確かに。

_ TAKE(管理人) ― 2008年02月11日 16時11分02秒

そうですね、これは実は「大問題」の一歩手前の話だと思っています。

「歌」とは、「人」が「音律を加えた」「声」によって自らの思想信条等を発露するもので、「意思表示」の一つ(法的な意味ではなく)といえると思います。

ここで、「声」を他のモノで表現した場合は「楽器演奏」であって「歌」と別なモノと取り扱われる話になります。

では、今のミクの技術で、アレを「楽器演奏」と捕らえる事ができるのでしょうか?
作成側は「楽器演奏」と捉えるでしょうが、「聴く側」からすれば「歌」と捉えるのが一般的である。

こうなると、ここで「権利関係」に矛盾や錯誤が生じる可能性が極めて高くなると考えられます。
しかも、まだ「ミクレベル」だからいいのですが、今後、さらに進化する可能性が増えます。

この時、どう考えるか?
そこがポイントになると考えます。

また、この技術は、さらに進めて行くと「人工声帯による音声発声」にも繋がってくるでしょう。

しかし、この時でも、本当に本人の意思による「発声」か(人工声帯から流れる「発声内容」が「意思内容」と本当に一致しているのか)などを、どこかで精査し確認を取る事が必要になってきます。

今、「意思表示」の最後の証明は、「自署(または実印押印)」が基本です。
そして「自署できない人」には代替手段をいくつか構築しています。

実際、第三者立会いの元、「瞬き」というまぶたを利用した意思表示の可能性についても模索されています。(障害者用の手段としてなど)。

人工発声技術(ミク)が進歩すれば、この「代替手段の一つ」として認められる可能性もあるでしょう。

ですから、本当の事を言えば、この問題は「著作権」(歌唱行為)というだけの問題でなく、「音声による意思表示」という大本にも関わってくる問題の「第一歩」とも考えられます。

だから、小さな「著作行為」(歌唱行為)という形での段階で、少しずつ考えていく事が大切なのではないでしょうか。私は、そう考えます。

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