言うまでもないが、こういった類のプロジェクトは、大抵失敗する。私自身、これまで様々な案件を経験してきたが、成功するプロジェクトは例外なく主体的にゴール設定が明確化されており、反対に失敗するものは曖昧だった。
こうした経験から、目的意識の希薄さに端を発する様々な問題と時間単価というビジネスモデルは、一種の“共犯関係”にあるという結論に私は達している。
ゴール不在の状況に、時間単価の考え方は馴染みやすいのだ。目的意識が希薄でも、「とりあえず○○さんあたりを、△△時間くらい囲い込む」という時間単価の考え方を持ち込むと、ひとまず「なんとなくのプラン」が生まれるのである。また場合によっては、その○○氏の能力・評判によって「なんとなくの説得力や信用」さえ発生させてしまう(連載の第2回目で指摘した「プロマネ・プロデューサー待望論」の一種である)。
「なんとなく」が生む不幸
この「なんとなく」が発生する傾向は、IT(情報技術)システムの構築を伴う業務に比較的目立っているように思う。おそらく、情報システムはその要素となるハード、ソフトの価格が分かりやすいため、詳細な目標設定や事業設計をせずとも、「なんとなく」がさらに「それらしく」見えてしまうのだろう。
しかし検討が進めば、中身は明確化してくる。すると、自分たちが作ろうとしていたシステムについて、予算の過不足はもちろん、そもそもの必要性や可能性(身の丈にあっているか、など)が見えてくる。ところがプロジェクトは既にスタートしている以上、この時点で全面的な見直しを余儀なくされたら、そこまでの稼働はサンクコスト(回収できない費用)としてすべて捨てざるを得ない。当然の帰結とはいえ、悩みどころだろう。
それでも、勇気をもって途中で引き返せるなら、立派だ。実際には、最後まで問題から目を背けたままプロジェクトを進めてしまい、まったく使いものにならないITシステムが出来上がる。こんな話は、残念ながら枚挙に暇がない。最近ではユーザーとシステム構築に携わったベンダーの間で訴訟にまで発展することさえもあるようだ。
結論としては、ユーザー自身が意識改革し、自らマネジメントしていく姿勢を明確にしていくしかないと思う。すべての起点はユーザー側にある以上、そこが率先して変革するのが筋というものだし、ユーザーの意識が高まらない限り、ベンダーも変わらないはずだ。
その時に時間単価というビジネスモデルだけでは、おそらくプロジェクト全体はマネジメントしきれないはずだ。それにユーザー自身が何を達成したいのかを明確にできるようになれば、時間単価などのビジネスモデルも含め、おそらくソリューション実現の方法や調達そのものを大きく変えられるだろう。
新生銀行が徹底した業務機能のモジュール化と明確な全体管理によって、システムの構築・運用に要する時間とコストの大幅な圧縮やアウトソーシングに成功した話は有名だ。こうした取り組みも可能になる。