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2008-08-27 21:22:26 stanford2008の投稿

桜井淳所長が推進する未臨界安全評価法のパラダイム転換-米原子力学会の技術基準への根源的問いかけ-

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桜井淳所長は、"水戸"での雑談の中で、よく、日本の研究者は、米国の機械学会(American Society of Mechnical Engineers ; ASME)や原子力学会(American Nuclear Society ; ANS)の技術基準について、その意味も考えず、鵜呑みにする傾向があり、好ましいことでないと苦言を呈していますが、その傾向は、比較的まともな原子力機構や大学の炉物理研究者にも共通しており、どうしても、根源的な問いかけをして、これまでの根拠なき定義からのパラダイム転換を図ろうとしており、具体的には、原子力研究施設(原子炉・試験炉・臨界集合体・核破砕ターゲット・核変換炉)や核燃料サイクル施設(濃縮ウラン貯蔵容器・濃縮ウラン輸送容器・燃料加工施設・新燃料輸送容器・新燃料貯蔵庫・軽水炉炉心・使用済み燃料貯蔵プール・使用済み燃料輸送容器・使用済み燃料中間貯蔵施設・核燃料再処理施設・プルトニウム加工施設)の核的安全評価法について、未臨界の定義となる技術基準の物理的根拠の考察をしていますが、たとえば、タンクに軽水炉燃料棒を正方配列したTCA(Tank-type Critical Assembly)炉心のように、タンクに、徐々に、軽水を補給し、深い未臨界状態から臨界にする場合、事前に、モンテカルロ計算の臨界固有値計算をしておき、水位と実効中性子増倍率keff(effective neutron multiplication factor)の関係を求めておき、効率的に、臨界にしますが、計算でも求めることができますが、実験中に、炉心近傍に設置された中性子検出器によって、keff値に対応する体系の中性子数がわかるようになっており、keffが低い値から0.9くらいまでは、中性子源からの中性子によって決まる中性子数と増倍によって、徐々に増加する程度ですが、keffが0.98までは、それまでよりも多く検出され、0.98から臨界1.0までは、指数関数的に急増加し、0.99では、中性子数は、臨界の時の約100分の1になり(炉物理教育では、理論的根拠はないものの、反応度ρ=(keff-1)/keffの逆数を目安にするとしています)、0.99がいかに深い未臨界か良く分かり、米国の技術基準では、安全余裕度を考慮して、0.98以下としたり、0.95以下としていますが、0.98には、炉物理的な根拠があるものの、0.95には、0.98より小さいからより安全という程度の説明しかなく(安全評価上は何の問題もない)、明確な炉物理的根拠は、見出せず、桜井所長は、OECD/NEAの不確定会合(http://wwwndc.jaea.go.jp/JNDC/ND-news/pdf90/No90-02.pdf )の結論がでる前に、独自の論理(OECD/NEA不確定会合は、0.95を基準に議論を進めていますが、桜井所長は、その根拠の不確定から、基準とは認めておらず、新たな定義のしなおしを模索しています)でのパラダイム転換を図ろうとしています。
2008-08-27 20:43:35 stanford2008の投稿

桜井淳所長の推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(2)-「危機」と「通約不可能性」-

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桜井淳所長の推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(2)-モンテカルロ研究史における「危機」と「通約不可能性」についての論考-桜井淳所長は、以前にトーマス・S・クーンの唱える「科学革命」に匹敵する「モンテカルロ革命」なるものの存在を道破したことを本ブログで紹介しましたが、さらに桜井所長は、クーンのパラダイム論の重要なキーワードである「危機」と「通約不可能性」についても新たな論考を展開しているそうで、クーンのいう「危機」とは、パラダイムの範型に従って行われる「通常科学」の継続に伴い、現行のパラダイムでは対処しきれない変則事例が蓄積し、それが許容範囲を超えると「通常科学」を継続することが困難となる「危機」が生じるというものであって、それらが萌芽となり新しいパラダイムが台頭し、「科学革命」へと至るのですが、パラダイムの転換は、累積的、連続的な発展ではなく、断続的な転換であるというのがクーンのパラダイム論だそうで、このパラダイム論をモンテカルロ研究史に援用するのなら、かつてモンテカルロ界を牛耳っていたUを中心としたモンテカルロパラダイムでは、モンテカルロに山積する研究課題を克服し、新たな展望を切り拓くことが困難であることが、(U以外の)誰の目にも明らかとなり、多くのモンテカルロ研究者、技術者がUを中心としたモンテカルロパラダイムに対して漠然とした危機感を抱くようになったそうで、ある時、その「危機」を象徴するふたつの事件が起きたのですが、それは、とある委員会でUが東大のK助教授を30分間にわたってつるし上げ、最後にバカヤロウと罵倒したことと、また別の委員会では、Uは何の論拠もなく、「ポイントディテクタは使えない」と火の出るような剣幕でまくしたてたそうで、パラダイムに蓄積する「変則事例」を乗り越えるために、Uに残された唯一の方法は、大声で怒鳴り散らすことだけで、多くのモンテカルロ研究者がUを中心としたモンテカルロ恐怖政治に危機感を抱き、無意識のうちに新しいパラダイムの出現を待望するようになっていたその時に、桜井所長が不覚にもUを主査に担ぎ出して設立した日本原子力学会「モンテカルロ法による粒子シミュレーション」研究専門委員会は、そのような「危機」が臨界点に達していた状況で始まったそうですが、当時、パラダイム転換の曙光に気づいていた者は桜井所長を含めて誰もおらず、多くは依然としてUをモンテカルロ界のボスと位置付けていたそうですが、今から振り返って考えれば、必然的に、この委員会は、失敗に終わり、それは同時に古いパラダイムの終焉を意味するもので、その後、新しいパラダイムが出現し、モンテカルロ法は現在の隆盛に至っていますが、このモンテカルロ法の隆盛は、Uが植えつけてきたモンテカルロ法の価値観を下地として発展してきた延長線上にあるのではなく、Uを否定し超克することで、断続的なパラダイム転換の帰結としてなされたものだそうで、桜井所長は、この委員会の失敗のA級戦犯としてUに対してモンテカルロ界からの永久追放を宣告したそうですが、モンテカルロ界のパラダイム転換という断続的な転換には、このような非情な措置も不可欠だったそうで、その後、桜井所長は、東大のN教授をモンテカルロ研究推進の最高指導者として迎え入れることに成功し、それが奏功して新しいパラダイムへの展望が拓かれてきたそうで、その意味で桜井所長は、みずからをモンテカルロ界のパラダイムシフターとして自負しているそうですが、クーンによれば、異なるパラダイム間には、共通する価値基準が存在しないために、同じ用語であっても、意味の変化により、専門家間で理解が不可能となる「通約不可能性」なるものが存在するそうで、Uという人物に対する評価についても、旧パラダイムではモンテカルロの開拓者、ボスとしての評価だったのが、現在のパラダイムでは、モンテカルロ暗黒時代の魔王とされており、これも「通約不可能性」の一例だそうです。



2008-08-27 17:04:15 stanford2008の投稿

吉岡 斉『原子力の社会史-その日本的展開-』(朝日選書、1999)へのいくつかの疑問点

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桜井淳所長に拠れば、社会科学の分野では、いくら学術的内容の論文や著書でも、査読を経ていないものは、すべて、エッセー(essay)と分類されており、歴史的に有名なトーマス・サミュエル・クーン『科学革命の構造』もエッセーであり、一般論として、困ったことに、エッセーを題材に、査読付論文誌に論文を投稿しても、査読の対象にならず、なぜかと言えば、査読を経ていないものに、たとえ、誤りがあったとしても、不思議ではなく、問題にする方がおかしいということになり、エッセーにはエッセーで対応する以外に方法がないのであり、桜井所長は、エッセーに対して、本気で対応するのも大人気ないと感じており、さらに、そのような議論は、価値がないと位置付けられているため、意識的に避けてきましたが、いくつかの例、すなわち、村上陽一郎や吉岡斉のように、たとえ、誤りがあっても、絶対にないと錯覚している研究者に対しては、すべて指摘しようとは思わないものの、それとなく、ひとつやふたつの助言をする気は有り、たとえば、吉岡 斉『原子力の社会史-その日本的展開-』(朝日選書、1999)には、大きな誤りや勘違いが少なくなく(自我自尊・意識的挑発・錯覚・本質的な不勉強)、ひとつの具体例として引用すれば、「最後の新型転換炉研究開発も、青森県大間における実証炉建設計画が中止になった以上、「常陽」の運転を継続する意味はなくなっていた」(p.264)のように、まったく意味不明の勘違いもあり、朝日選書は、著者校正が3回、編集者校正が3回あるにもかかわらず、最後まで、気付かないというのも不思議な世界で、結果的には、あまり大きなことは、言えない、ごく普通の研究者のように思えますが、いかがでしょうか。

2008-08-26 18:51:04 stanford2008の投稿

中山 茂はいかなる著書や研究に優先してまでも東大での研究と"ねじれ人事問題"の真実を語るべき

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桜井 淳所長に拠れば、30歳台初めに、ある作業をとおし、東大講師の中山 茂に会い、雑談する機会がありましたが、その後、30歳台後半には、意見の違いから、厳しいやり取りをしてしまい、そのままになっていましたが、桜井所長は、特に、単純に、中山を否定も肯定もせず、慎重に対応してきましたが、東大に在籍した2004年以降、東大科史・科哲(科学史・科学哲学の略)の先生と意見交換する過程で、中山から直接聞いた事や師弟関係にある吉岡斉のエッセーでの注釈とは異なった真実に遭遇し、本人だけでなく、周辺の人達も自身に都合の良いことばかり語るだけで、誰ひとり真実を語ろうとしない現実に違和感を感じつつ、今日に至っていますが、中山は、大学における研究や人事問題に対する重要な問題に遭遇しており、それらは、個人の問題ではなく、大学に共通する問題でもあるため、たとえ、多忙でも、多くの問題意識と研究を抱えていようと、すべてに優先させ、東大での研究と"ねじれ人事問題"の根源的な問題を1冊の著書として語るべきであり、その意味では、桜井所長は、中山には、同情的であるとの意思表示をしています。
2008-08-26 16:58:44 stanford2008の投稿

4Sの年会研究発表が8月20-23日にオランダ ロッテルダムで開催-桜井淳所長の次の大きな目標-

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桜井淳所長に拠れば、最近、日本原子力学会での年2回の口頭発表は、意識的にせず、もっぱら、日本科学技術社会論学会の年1回の口頭発表をするようになり、東大に在籍した2004年4月以降、2回の口頭発表を行い、いま、3回目の発表準備中で、会員数は600名弱で、口頭発表件数は、年間100件に過ぎず、学会としては、小規模ですが、米国には、Society for Social Studies of Science(4S)があり、年1回の年会研究発表(annual meeting)、いっぽう、欧州には、European Association for the Study of Science and Technology ; EASST)があり、年1回の年会研究発表(annual meeting)が有り、前者は、後者の共催の下に、2008年8月20-23日まで、オランダのロッテルダムで、500名規模の年会研究発表が実施(http://www.4sonline.org/ , http://www.4sonline.org/meeting.htm , http://www.4sonline.org/4S_EASST_2008_Rotterdam_Program_FINAL.pdf )、日本からも東大からの3件を含む数件の口頭発表があり、世界全体の研究発表の内容からすれば、STS研究の現状が良く示された先端的なもので、桜井所長は、今後、2010年に東大駒場キャンパスで開催されるSociety for Social Studies of Scienceの年会研究発表や学会論文誌"Science, Technology & Human Values"に投稿する等、つぎのステップに関心を示しています。





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