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>ダンボさん
靖国を攻撃し、国歌・国旗を攻撃し、皇室を攻撃する。その目的は日本民族、即ち「大和民族」そのものを攻撃しているのです。その更に奥の、真の深層心理は分かりません。併合された屈辱の怨念を、いま晴らしているのかも知れない。(別件で8/20産経「正論」古田博司教授の論説参照)
(8/27追記)
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http://sankei.jp.msn.com/life/education/080820/edc0808200321006-n1.htm
しかしそれを福音に基づいてとかイエスの教えによってとか語るのは、極めて傲慢なことです。そして人間がなぜ傲慢になるかと言えば、ほとんどの場合、その者の「浅はかさ」故です。
謙虚で浅はかな人間というのは、いない。
私は、このように語られる司教のいらっしゃることに、希望を繋ぎます。
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http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2008/08/post_5509.html
教皇様は「きわめて個人的な形でイエス・キリストによって愛されているという経験」がパウロの信仰を基礎づけていると言います。そして「パウロの信仰は理屈ではありません」とも言います。神の存在をそこまでリアルに意識することが信仰の基礎であるならば、人間の勝手な思い込みとご都合主義で、神に成り代わって神の立場を判断し、自分の考えを正当化することが如何に傲慢であるか。パウロの墓の前に祈るとき、パウロほどの経験もない身で、傲慢に生きている自分に、思わず恥じ入ってしまうのでした。
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http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html
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