景気の後退局面入りに伴い、総合経済対策の議論が活発になっている。与党の一部には歳出を2兆〜3兆円積み増すべきだとの意見も出ている。一方で、予算バラマキではなく、構造改革によって成長を図るべきだとする議論も目立つ。選挙をにらみ、経済政策が焦点となってきた。
しかし、彼らの議論を聞いていると、これまでの反省を踏まえもしない不毛な神学論争が、どうして繰り返されなければならないのかと、やるせない気持ちになる。
景気対策に即効性を求めれば求めるほど、効果は一時的、限定的で、持続的経済成長へのインセンティブをそぎ、将来世代に大きな負担(=意味のない財政赤字)を残すだけだったことは、バブル崩壊後の景気対策と効果、とりわけ地方経済の惨状をみれば明らかだ。今回の景気対策の検討に当たっても、長期的な経済効果が、客観的、定量的に検討された形跡はない。
一方、構造改革派も、その帰結(=最終的なしわ寄せ)ともいえる労働市場における不確実性の高まりが、経済成長の基盤をいかに毀損(きそん)しているかを総括していない。「失業より非正規雇用の方がマシ」と述べて、労働市場の流動化を支持した改革論者もいたが、それこそが、貧困問題を悪化させ、スキルの蓄積を阻み生産性の高まりを抑制して、経済成長の基盤を揺るがしているのではないか。
つまり、景気対策論者も構造改革論者も、長期的な国民生活の向上を実現すると言いながら、目先の景気浮揚や利益の確保を、将来世代の負担によって図ろうとしただけではなかったのか。日本の将来に対して無責任な輩(やから)の欺瞞(ぎ・まん)に満ちた言説に、もうだまされてはいけない。(山人)