4月7日付朝日新聞「天声人語」が前記軍刀による残虐行為を史実として採り上げた事が、長く沈黙を守ってきたサイレントネービー (必要以外は喋らない=不言実行の海軍)の士官に真実の証言をさせる切っ掛けになった。
無責任な情報を垂れ流した朝日新聞が「藪を突いて蛇を出す」結果になった。
戦中、大本営発表(戦後は嘘の代名詞となった)に勝るとも劣らない軍部の提灯記事や捏造記事を、販売部数拡大の為に平然と書き、国民への戦意昂揚を煽った代表的A新聞社は、戦後一変して全ゆる反日報道を全力で流し続けている。
日本の過去を「全て悪」と言い募り、その糾弾を生き甲斐としているようだが、その「悪」と称するお先棒を担ぎ、積極的に煽ったのは何処の新聞社だったのだろうか。
自社が行った戦前の軍部への迎合提灯記事や大本営発表も顔負けする戦意昂揚の煽り記事の責任を総括して国民に詫び、本来の報道機関に立ち戻るのが先決ではないのか。
社会の公器と自惚れるからには記事に責任を取るというのは不可欠の条件である。
真偽の検証もせず、責任も取らず、都合の良い一方的偏向情報を垂れ流す体質は報道機関とは云えない。
平然と日本に難癖をつけ、自国民やチベット民衆を大量に粛正殺害している近隣軍事大国の事実などはどうして報道しないのか?
その国が行う事は全て「正義」と思っているのか? それとも彼の国の出先機関なのか?
日本の終戦間近、日ソ不可侵条約を一方的に破り、満洲に侵攻して日本民間人に暴虐の限りを尽くし、60万人の日本軍将兵をシベリアに強制連行して虐待し、6万人を虐殺したソ連は「正義」なのか?
焼夷弾の無差別爆撃や原爆で市民数十万人を大量殺戮した米軍の行為も「正義」と云うのか。
全てそれらを「日本の旧悪を言い募る」事で相殺しょうとでも言うのであろうか。
是非聞かせて貰いたいところである。「報道の自由や知る権利」を声高に主張する資格など全く無い。
ましてや報道機関を自負する等は笑止の限りと言わざるを得ない。プロパガンダの単なる発信基地に過ぎない。
朝日新聞の「天声人語」の記述に関し、百歩譲って軍刀の手首斬りがあったと仮定しょう。
その部分の引用では「危険状態ニ陥ル、更ニ拾収セバ転覆避ケ難ク、全員空シク海ノ藻屑トナラン・・・・セメテ、スデニ救助艇ニアル者ヲ救ワントノ苦肉ノ策ナルモ、・・・」という重要な記述を意図的に削除し、軍刀に依る「手首斬り」だけを抽出して「残虐性」のみを読者に印象づけようとした事は明らかである。
これがプロパガンダ(煽動)でなくて何であろうか。
省略された記述が有るか無いかに依って「手首斬り」は単なる残虐行為では無く全く違った解釈を生じる事になる。
組織や人は「極限の状況」に陥って、ある「非情の決断」を迫られる事は充分に有り得る話しである。
「戦争」が持つ悲惨・非情・不条理は誰しもが解っている。
その戦争の是非を云わんが為に、国を信じ、国に殉じた将兵を冒涜する事で議論をすり替えようと云うのか。この新聞社には戦前・戦中の教訓や反省が何一つ生かされていない。マスコミ報道の本質は、戦前・戦中も現在も何一つ変わっていない。
こうした姿勢の新聞社やマスコミが今日の日本の社会の荒廃、教育の荒廃に大きく寄与した事だけは確かである。
長い沈黙を破って、今日の偏向報道に立ち向かわれた松井一彦さんの勇気ある発言に声援を送りたい。本来、当たり前の事なのだが、発言を躊躇せざるを得ない異常な世相の雰囲気が戦後の現実であった。
自分たちの意に反する人達に、言いたい事さえも言い難い世論を作り上げ、世論操作をしたのはマスコミである。
「道徳」と言えばすぐに「反動」と云い、「国の自立や国防」を言えば直ぐに「右翼」のレッテルを貼り、軍国主義・戦争に直結するとヒステリックに大騒ぎする。
この短絡的で何の議論の介在も許さ無い硬直した考え方は戦前の「暗黒の思想統制」と同質のものである。
軍や政治を少しでも批判したり、良識の発言をしたら無条件に「赤」の烙印を押されて迫害された戦前の状況と、戦後から今日に至る迄の世相の状況の何処に相違があると言えようか。単に針が右から左に振れているだけである。
憲法問題や国の安全問題に触れるだけで罷免された政治家・閣僚の話はつい昨日の出来事である。
幸いにしてここ最近、国民の意識変革の兆候が急激に且つ鮮明に現れ始めている。
終戦前、現在死語となっている「国賊・売国奴」という言葉が在った。国民が自虐史観の呪縛から解き放され、心と魂の敗北を了(お)わらせた秋(とき)、この言葉は現実味を帯びて蘇生するのではあるまいか。
「国益」という言葉が使われ始めたのは極めて最近である。今までは口にも出せない世相の雰囲気と言葉であった。
「国賊・売国奴」とは国家及び国民の利益に反する組織又は個人を指す。「国益」と密接不可分の言葉である。
国民はそれほど愚かでは無いという事に彼の新聞社はそろそろ気が付くべきであろう。