「天一号作戦」(沖縄水上特攻)では戦艦「大和」、軽巡「矢矧」、駆逐艦「朝霜」・「磯風」・「浜風」・「朝霜」・「霞」沈没、駆逐艦「涼月」大破、残存駆逐艦は「冬月」・「雪風」・「初霜」の三隻のみ。生存者救助はこれら駆逐艦々載の短艇で行われた。
救助艇には「カッター」が使用される。「初霜」では「内火艇」X1、「カッター」X1〜2が救助艇となった。
昭和16年6月10日付け海軍の「短艇教範」では、「救助艇ハ両弦ニ一隻宛準備シカッターヲ以テ之ニ充ツルヲ例トス」と記載されている。
緊急時に揚収に手間取る内火艇は不向きな為であろう。
ほぼ同じ全長の7mカッターと鈍重な7.5m内火艇では排水量で各々0.8t、と
2.775t という3倍以上の違いがあり、スクリュウを持つ内火艇は漂流者を損傷させる危険性が大きい為に、救助艇は「カッター」と規定されていた。
然し、残存三隻の駆逐艦搭載カッターでは数が足りない為に、短艇は全て動員したようである。
救助艇に使われた上掲載の「内火艇」と「カッター」の構造と状況を見て戴きたい。これは平時の写真である。
どちらもボートを大きくしたものと想像されると理解が早い。カッターは櫂(オール)を漕ぐ水兵がそのまま救援者でもある。
「初霜」は指令に依り軽巡「矢矧」の救助に向かい、「大和」の漂流者救出には「冬月」と「雪風」が当たった。
「雪風」は「内火艇」・「カッター」各1艇搭載※。「冬月」も同様と思われる※。
従って、前記砲術士が内火艇かカッターのどちらに救助されたかは不明。
沈没した艦艇の周辺海域は一面が重油の海であり、漂流者は「重油汚れの真っ黒の状態」であった※。
その漂流者を拾い上げた救助艇内が重油で汚れている事は当然である。
内火艇々指揮※の松井一彦さんは「救助艇は狭くてバランスが悪い上、重油で滑りやすく、軍刀などは扱えない。救助艇は手こぎボートが数回り大きくなった程度のもので、重油で滑る船ばたに立って軍刀を振り回したら、バランスを崩して自分の足を切りかねないし、転落の怖れもある」と証言をされている。それが「カッター」であれば尚更の事である。 ※短艇の指揮官を「艇指揮」という
漂流者を拾い上げる時、或いは漂流者が「船べり」に手を掛けたりして船縁(べり)も当然重油まみれになっている。
短艇は極めて不安定な船体構造である。短艇と立ち上がった人の大きさを想像して対比して頂きたい。
短艇の船縁(べり)の巾が一体何pあるというのか?
幅の狭い重油にまみれた船縁を、軍刀を持って走り回るという記述は、短艇の構造と艇の揺れ、人の大きさを勘案すれば余りにも現実離れし過ぎている。物理的にも到底説明出来ない。
言葉では誤魔化せても、映像で解る短艇の構造と漂流者積載状況の現実は、動かし難い事実を物語っている。
再度、上掲写真の短艇が、救助された将兵で溢れている状況を想像して件(くだん)の記述にある「・・・剣ヲ揮(ふる)フ身モ、顔面蒼白、脂汗滴リ、喘(あえ)ギツツ船ベリヲ走リ廻ル・・・・」を対比させて貰いたい。
仮に救助の下士官が軍刀を持っていた(実際はあり得ない)としても、記述の信憑性は物理的に無いと言わざるを得ない。
今回の産経新聞の努力は一応多とするものの、不満が残る結果であった。真相の解明に対して詰めが甘過ぎる。
手首斬りの信憑性検証には、海軍刀の実態(軍刀の意味・佩用階級)、救助艇の構造や救助艇配置要員の階級等をより具体的に聞き、可能な限りの論理的・物理的証言を求めるべきだった。
現在の新聞読者の大半は軍や軍刀も救助艇も知らない。記述内容を無条件に信じて仕舞う。だからこそ誰もが納得する内容を、より具体的に説明すべきであった。その一つの試みが上記救助艇の検証である。
海軍では「士官」が常用するのは短剣で(陸戦隊は別)、士官短剣・軍刀は全て士官の「私物」である。
艦艇沈没時の軍刀所持が如何に危険であるかは、戦争末期、戦訓として士官に広く知られていた(回天特攻隊は別)。 松井中尉は「いざ沖縄に上陸したら必要になるから」と軍刀を艦内に持ち込まれたが、一般的には生還期し難い出撃に際して「私物」は殆ど「形見」として整理された可能性が高い。
軍刀の意味は陸軍とは大きく違う。記者は、海軍に於ける「軍刀の意義」、海軍下士官が軍刀を佩用出来ない事(陸軍は下士官でも軍刀を佩用する)や士官と下士官の区別すら知らなかったのではなかろうか。
「用意ノ日本刀ノ鞘ヲ払ヒ・・・」とは? 艦艇が装備する「日本刀」などある筈がない。海軍刀を日本刀と呼称する事も無い。
「用意ノ日本刀」は何処から降って湧いて来たのだろうか? 救助艇が如何なる物かも解らず、海軍刀の実態も知らなくて、救助された砲術士の手首斬り目撃談と称する記述への有効な検証や反論が導き出せる筈が無い。記者の資質が問われても仕方が無いと言えよう。
然し・・・残虐性の証しに「軍刀」が何故何時も利用されるのであろうか。軍刀の本質も知らない人達に依って・・・・。