おつるさん
>前頭さんが フリーチベット関西の代表を 「政治運動家」というのはなんだかなー。
この部分ですが、たやん氏とこれまで何度も電話でお話させて頂いている中で、フリーチベットの活動にも
関連する部分で、『日本の政治を動かさねば』とご本人が幾度となく発言されているんですね。
(これは北朝鮮関連デモや、東トルキスタン、ウィグル関連のデモも含めての発言と私は解釈しています)
『日本の政治を動かさねば』の部分ですが、これは明らかに『政治活動を意識した発言』だと思うんですが。
私は2chのスレでも、7/6デモの後の懇親会でも何度も言ってきたつもりです。
フリチベの運動に政治的対立軸を絡めるべきではないと。
これをやったが最後、思想的に右派・左派のどちらかがフリチベ関西の運動に熱が入らなくなる危惧が必ず出ます。
元々フリチベ関西は、政治的に右派・左派の区別なく参加できる数少ないデモの1つです。
だからこそ私はあえて名古屋のデモ隊には合流せずに、関西まで足を伸ばしてきたんですね。
思想・信条を超えて結集する力こそ、真の力だと信じていましたので。
しかし、前段や以前のコメントに書いた通り、客観的には公人として認知しているであろう代表者のたやん氏が、あまりにも感情的に反中を唱えている
kina氏のデモに「たやん」としてデモ参加されるとの話になった訳ですよ。
こうなることで、フリチベ関西に結集していた右派・左派のバランスが崩れるのは明らかですし、何より第三者
から見て、『フリチベ関西の代表者のたやん氏』が、ある意味常軌を逸した思考をお持ちのkina氏デモに参加
することで、「フリチベ関西はkina氏のデモをバックアップすることを表明した」と受け取られる可能性がとてつもなく
高まりました。
私の過去の発言にも書いていますが、フリチベ関西の看板も何もない状態で、名無しとして参加、若しくは先にフリチベ関西とは関係ない「たやん」と断りを
入れた上で参加表明をされたなら何の問題もないんです。
しかし現実には、第三者から誤解をされかねない形でのデモ参加表明です。
この問題が表面化するまで、フリチベ関西がやらねばならなかったことは、組織としての体力作りと草の根的な
活動を通しての動員力作りなんです。これは私は何度も公の場、私的な面でも言っています。
我々がやるべきことは、チベット亡命政府の主張をバックアップし、彼らの意思が通るように世論を動かして行くことのはずです。
しかし、あのような過激な発言を臆面もなくネット上に公開しているkina氏のデモに参加することは、せっかく終結していた参加者の離反を招く惧れが大
きいだけでなく、ある意味チベット亡命政府の意思を無視した行為にも繋がりかねません。
たやん氏の今回の行動は、フリチベ関西の今後を見据えた行動とはどうしても思えないので、あえて苦言を呈しているんですよ。
たやん氏がこの苦言をただ単に悪口の類と解釈されたのならば、今後私は何の意見も言いません。
たとえ、その結果フリチベ関西の運動が割れようと、以前から政治運動化するならば、この活動をスパっと辞めるとまで言い切っていますしね。
苦言なんてものは、相手を心配するからこそ出るものであり、心配でない相手なら誹謗をします。
この違い、たやん氏ならきちんと理解出来ると思うからこそ、みんなツッコミを入れてるんですよ。
彼の今後のことがどうでもいいのなら、誹謗もしくは完全スルーしますから。
>公人でも 幹事長になった 麻生太郎が 休日のカトリックのミサに行っても自由だよー
では問います。麻生氏がカトリックのミサではなく、オウム真理教の集会に私人として参加した場合はいかがですか?
カトリックでの司教の違いでのミサの内容が違うことは、一般人には判りません。
私自身、この辺の事情はおつるさんのブログで初めて知ったくらいですから。
危険な思想を掲げていたオウム真理教は、今や誰しも危険な団体として認知していますね。
地下鉄サリン事件以前からも、社会問題になっていましたから、事件が起きてから「危険団体」として認知されたのではありませんよ。
そのような場所に麻生氏が私人としてでも行けば、社会的に糾弾されてしまいます。
確実に政治生命は絶たれるでしょう。
知名度の規模の違いはあれど、中国に対してあれだけの常人ならば心の中で押しとどめておくべき事柄を
ネット上で平気で語っているkina氏のデモに、フリチベ関西の代表者と認知されている人が、名前を出した状態で
参加することは、「麻生氏がオウムの集会に」と構図としては違いはないですよ。
On 8月2日, 午後4:07, ジャンヌダルク@F.Tおつる <joan_of_...@jttk.zaq.ne.jp> wrote:
> ここの話題と ぜんぜん関係ないけど 質問されたので 答えておきます。
> >おつるさんの家の近くに、カトリックの教会がひとつもなくて、唯一あるのか六甲教会のマシア師だけだったとき、どうするかという質問です。
> >1.ミサにはかわりないので参加する。
> >2.神に祈りたい気持ちはあるが遠慮する。
> >ここで2を選ぶとエゴと言われてしまうわけですが・・・
> kinaさんを マシア師にたとえるのかわかんないけど それだったら ほんと飛躍してる気がするけど・・・
> マシア師は 解放の神学として極サヨク的で 私とは ぜんぜん違う考え方で マリアレイプ説も 下賤だと思うけれど
> ミサは行きますよ。 ミサは関係ないです。
> だって めるたんさんの比叡山のイベントでも カトリックを世俗化した、左傾化したと言われる 白柳枢機卿がメインのイベントですが
> 行きますもん。 関係ぷーです。
> 私が フリーチベットのデモが 主催者がどうこうじゃなくて 目的は 「チベットのひとを助けたい」で行くのと少し似てるけど
> ミサの目的は もっと崇高なものなんで 司教様や神父様がどんな人だとか 関係ぷーです。
> 私は 戦いつづけている 大嫌いな 松浦悟郎司教のミサにも行くし
> 私と同じように埼玉で 谷司教と 戦っている人は 毎回 谷司教のミサに行ってます。
> もし そのミサで 明らかに「左翼の話や 政治的言動 マリアレイプ説」などが行われたら 途中で黙って 退席して ミサのあとで抗議すると思います
> が。
> たとえば フリーチベットや 東トルキスタンデモで 「シナ人 しね」とか が 行われたら 黙って 抜けて あとで 抗議するかも。
> でも 主催者や 司教がどうとかでは なく 目的を大切にしたいですね。
> そして 私以外のひとが 私の戦っている左翼司教のミサに行ったとしても それを止めたり、批判したり 電話で抗議したりしません。
> 人は 考え方がいろいろなんですから。
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> それと 前頭さんの
> >日本国内の政治を動かしたいと言っていた人なんやから、上記の「政治運動家等」の範疇に含まれると解釈するのが一般的やと思うけどね。
> 政治団体に利用されるのが いやだという 前頭さんが フリーチベット関西の代表を 「政治運動家」というのは
> なんだかなー。 では 公人だという人は フリーチベット関西が 「政治運動」だと思ってるの??
> それこそ 会の趣旨と違うんではないですかー
> それに 公人でも 幹事長になった 麻生太郎が 休日のカトリックのミサに行っても自由だよー
> それが マシア師であろうと 自由なんだよー。