さっき帰宅してこのスレッドを読ませて頂きました。
まずワシの感想やけど、たやん氏が個人として東トルキスタンのデモに参加することは問題はないと思います。
これは個人の思想・信条の部分なので、他人がとやかく言う筋合いのものではないですしね。
ただ、このスレの始めの方で書かれている『公人』として考えた場合、少なくとも別ハンドルで参加表明をするなりの
配慮は必要やったと思いますわ。
何故なら、すでに『フリチベ関西』の『顔』(代表者)として認知されている『たやん』というハンドルネームで参加することは、
フリチベ関西の総意と見る人も居るからですわ。
若しくは、参加表明される際に、一言『フリチベ関西』の『たやん』としてでなく、個人の『たやん』として参加すると明言しておけば
ある種の『逃げ』を作れるんで、何も問題はないねんわ。
こういう部分、悪い意味じゃないけどもっと『ずる賢く』立ち回らんとあかんわさ。
もちろんワシ自身、チベット関連の運動はOKで、東トルキスタンはNGなどとは思いません。可能であるならば、どちらも同じく
人権弾圧の事案として考えねばならんことですからね。
ワシ自身、kinaさんって方がどういう方かはよく存じ上げてないですけど、kinaさんご本人の主張に『反中』っぽいものが多く
含まれていることは、たやん氏の7/31 PM7:19の発言の
>kinaさんの今までの日記には極めて反中的な記載があり
ここで記されてますね?
第三者が恣意的に見た場合、『フリチベ関西=反中』と受け取られかねない危惧が出てくるのは判りますわな?
以前2chのスレでも言うたし、7/6・の懇親会でも言った覚えがあるけど、この運動はシンプルにやらんといかんのよと。
そしてこの運動は、俗に言う『右』の方も『左』の方も参加できるように、政治的な主張は出しちゃあならんのよとも言いました。
団体の代表が政治的な主張を出したが最後、その団体に参加する人は、その主張にシンパシーを感じる人のみになるわな?
そして、この問題は1年2年でケリがつく問題ではないとも懇親会で言わせてもらいました。
実際ね、中国が50年掛けて作り上げたチベット・東トルキスタン・モンゴルへの支配が短期間で無くなったとすれば、その後に
待っているのは内部での民族対立に焦点が移るのは旧ユーゴetcの歴史を見れば明らかなんですわ。
悲しいかな人間は歴史を繰り返すバカな生き物やからね。
それを如何に軟着陸させられるのか、そしてチベット亡命政府が望んでいることをどう我々がサポートして行くかが、この運動の
一番のキモとちゃうん?
チベット亡命政府の求めることと、ワシらのやってる活動の方向性が明後日の方向を向いてたら、この問題に関心の薄い世間の
人にどうキャッチアップしていくのんよ?。問われた時にどう説明出来るんよ?
こんなんやったら、フリチベ関西はホンマに空中分解してしまうで。思惑を持った政治団体に背乗りされてまうで?
最後に2chの前スレ・フリーチベットin関西のスレでワシが書いた言葉を下記にコピっときます。
574 名前: 前頭13枚目 ◆nBdqFCx21w [sage] 投稿日: 2008/06/24(火) 21:26:36
ID:p7bwfP95
>>571
>でも本来、「チベット人の人権を守る」という政治的要求自体には、右も左も無い筈ですよ。
私が奈良、京都で言葉を交わした人や、長野やその他各地で政治的思想を抜きにして
運動を行った人々に関してはそう思いますし、そう信じたいです。
しかし、>>569でも書いたように、政治的な側面を運動に取り入れることによってFreeTibetの
運動自体が「政治利用」を考える者によって、変質されられてしまう危惧があるじゃないですか。
FreeTibetの問題とは少々背景が異なりますが、「街宣右翼」を見て頂ければ判るように、彼らの
主張は「天皇制擁護」ではあれど、第三者から見れば、イメージダウンにしかなっていない訳で。
それと同じ現象を、私はFreeTibetの運動では起こしたくないですし、起こして欲しくないんですよ。
もし、そんな動きが有ったならば、私はこのFreeTibetの運動をスパっと辞めます。
これは利用しようとする政治勢力が右であれ左であれ同じです。
>自然発生したフリーチベット運動を今後にどう繋げていくか、そろそろ考える時なのかもしれません
この点については同意します。
聖火リレーが中国に入る前は、ニュースバリューもあった影響で、関心を持たれた方も多かった
訳ですが、リレーが中国国内に入り、マスメディアでのチベット関連の露出が少なくなったことを
考えると、日本人の悪い意味での国民性『冷め易い』が如実に出ていると思います。
この問題に関して先日ある方と話していたのですが、この問題は半年や1年で片の付く問題ではなく、
ある意味根比べの側面もあります。
それ故に、運動に参加している我々も、ある意味腹を括って長丁場の闘いになることを考えておかねば
ならんと思います。