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宴の後から見えた透視図

2008年8月25日

 17日間にわたる北京五輪が閉幕した。スポーツの祭典が行われたことは事実だが、単純にスポーツの祭典だったと言い切れない、妙な引っ掛かりが残る。喉に何かが詰まったような気がするのだ。
 それは、大会会期中に抗議活動で逮捕された外国人が報道されただけで少なくとも40人以上に上り、国外退去処分を受けたという事実が明らかにしてくれる。「鳥の巣」と呼ばれる国家体育場の周辺は数万人の公安、私服警官に厳重に警備され、逮捕された外国人たちはただ、スローガンを叫んだり、チベットの国旗を広げようとしただけで強圧的な拘束、処罰を受けていたのだ。

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 開幕後1週間たった8月15日早朝、クライマー2人がCCTV新社屋そばの巨大な五輪看板に登り、「FREE TIBET」の垂れ幕を吊り下げるのに成功したが、30分後に公安に拘束される。8月18日深夜には、鳥の巣前で「Free Tibet」の電飾文字が入った横断幕が掲げられた。また19日早朝には、レーザー光線を使った抗議を計画していたニューヨークの芸術家、ジェームス・パウダリー氏が拘束された。さらに、8月21日未明には、 ドイツ在住のチベット難民2世を含む男性4人が鳥の巣近くで雪山獅子旗を広げ「フリー・チベット」と叫び始めた直後に拘束された。彼らは全員、私服の公安に検挙されている。

 実は北京五輪組織委は、7月下旬に北京市内3カ所に「デモ専用区域」を設置し、言論の自由や人権が守られた上での五輪開催をアピールした。ところが、五輪期間中に北京市当局はデモの申請77件に対し、許可されたものは1件もなかったと発表した。不許可の理由は「すでに問題が解決したから」だと記者会見で述べている。

 ところが実際は、8月初めに蘇州出身の元医師が申請しようとしただけで拘束、逮捕され、8月17日には抗議女性が当局に拉致される場面を共同通信が伝えてくれた。さらに8月20日には79歳と77歳の高齢女性2人に対し、「労働による再教育」として懲役1年が言い渡されたことをAFPが伝えている。
 何とこの高齢女性たちは北京の自宅から強制退去させられたことに対し賠償金を求め抗議していたが、当局に五輪開催中の行動許可を5回申請したことで拘束されたという。

 IOCは北京が開催地に決まったとき、人権問題は五輪開催までに解決されるとしていたが、これが現実なのだ。しかも内外のメディアで報道された内容をあらためてを整理しただけでもこのような惨状が見えてくる。にもかかわらず、連日の五輪報道からこれらの情報が抜け落ちていたように感じるのはなぜだろうか?

 北京五輪のもう1つの真実の姿を、印象に残るように日本で報道されなかったことが非常に残念だ。いや、残念で不満どころか、日本の報道がまるで中国共産党の支配下にあるのでは、と恐怖さえ感じるのは私だけではないだろう。

 これだけ開催前から批判にさらされた五輪は珍しかったが、会期中はなるべくスポーツ以外の話題を避けようと思った。しかし、最後にどうしても触れておかなければならないことがある。
 
 高名なスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が書いたダイヤモンド社の情報サイトでの論説(8月11日付)についてだ。ご覧になった方も多いだろうが、一言で言えば「選手たちは日の丸や君が代のためにとナショナリズムに凝り固まっているが、戦争でアジア諸国にどれだけ迷惑をかけたかを考えもしない。国際主義によってナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせるという考えは、日本の選手に望むべくもない」といった主旨だ。

 論説中、谷口氏は選手たちが「日の丸を」「君が代を」という五輪でのモチベーションを「日の丸を誇ったり、日の丸のために頑張る、というような単純で薄っぺらな発想がいかに愚かで誤ったことか」と一蹴している。「実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段としてメダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている」といった表現をしている。

 谷口氏の言うように日の丸が戦争の旗なら、チベット、東トルキスタン、南モンゴルを侵略・併合し、ベトナムに一方的に攻め入って、台湾総統選で威嚇のミサイル発射をし、東京五輪の開催に合わせて核実験を行った中国の五星紅旗は、戦争の旗ではないのだろうか? 英国人はインド人や旧植民地の数十に及ぶ国の選手に、オランダ人はインドネシア人に謝罪してからプレーしなければいけないのだろうか?

 子供じみた論争はする気がないし、谷口氏の事実誤認や歴史観には言及しない。また、日の丸を氏がどう思おうと自由であり、それをこの場では論難しない。ナショナリズムをスポーツに持ち込むなと主張するのも、それはそれで個人の考えであって主張する自由は日本国では憲法で保障されている。だが、スポーツジャーナリストを称する人間が「政治をスポーツに優先させろ」という主旨の主張は、スポーツを愛する者として、どうしても看過することができない。

 ナチスドイツの時代から五輪が政治の道具として利用されているのは事実である。だが、それは五輪が非常に高いステータスを持つことによる宿命であり、結果としてそれが五輪の価値を高めてきたのも、また事実である。だが、それと、五輪内部に政治を持ち込む行為とは厳密に分けて考えなければいけない。五輪はスポーツの祭典であり、アスリートが目指す最高の舞台なのである。そうした世界的に注目される場を利用してスポーツに政治を持ち込むことは、五輪、さらに言えばスポーツそのものを愚弄する行為ではないのか。

 北島康介も上野由岐子も、己の全てを賭けて限界に挑み、自分を超えるもののために戦った。これが崇高なスポーツの真実だ。失敗した星野監督率いる野球チームも、サッカー男子五輪代表も考えうる最低の結果に終わったが、彼らとてそんな崇高なスポーツのためにスポーツを戦っていたのだ。そんな彼らに、「日の丸や君が代と言う前に過去の謝罪をせよ」と主張することは、選手と選手の努力に対する軽視につながりかねない。

 代表選手が「日の丸や君が代のために頑張る」と言ったことを批判することで、スポーツが政治の道具にされている。ただ、谷口氏に一言お礼を言いたいのは、北京五輪のそんな本質がこの文章からシンプルに透視できたことだ。その文章の中に北京五輪の透視図が見えたのは、僥倖と言えるのかもしれない。
※写真は聖火の消された国家体育場(共同)

西村幸祐(にしむら・こうゆう)

 作家・ジャーナリスト・戦略情報研究所客員研究員。
 1952年(昭27)東京生まれ。慶応義塾大文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題、メディア批評などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。「撃論ムック」編集長、文芸オピニオン誌「表現者」編集委員。著書は『ホンダ・イン・ザ・レース』(93年・講談社)、『反日の構造』、『反日の超克』(PHP研究所)など多数。ホームページは900万PVを突破した。
http://nishimura-voice.seesaa.net/




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