実務法曹においては、依頼人等を擁護したいあまりに、依頼人等の「言っていること」を、自分の倫理観等にあわせて「善解」しすぎないことが重要
また、矢部先生から、意味不明の批判を受けています。
NATROMさんという方から、「相変わらずわら人形。「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるのなら有効な主張だけど。小倉氏の脳内にはいるんだろうな。」とのはてなブックマークコメントをいただきましたので、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張している人がどこかにいるかを見てみたわけです。
その過程で私は、特に技巧的なテクニックを用いることなく、記載されている文章を最も素直に解釈しています。私が紹介したエントリーを見て、そこで主張されている「刑事免責」という言葉を「医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除」の意味に留まるものと理解することは困難です。
しかも、矢部先生が、これは誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではな
く、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもできます
としている根拠は、医療側から刑事免責という主張が出てきた経緯
、すなわち、青戸病院事件で検察の起訴判断に疑問を投げかける意見が散見され(この件では医療側の大勢も起訴を不当とは見ていないと思いますが)、割り箸事件では検察の起訴判断に対する批判の声が大きくなり(地裁では無罪になっています)、大野病院事件において検察批判は決定的な検察不信にまで高ま
い、また、近時のいくつかの医療過誤民事訴訟の裁判例によって裁判所不信も生じていることも窺われ
るという流れで医療側からの刑事免責の主張が出ているとの点のみで、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもでき
るとされています。それだけの根拠からそのような技巧的な解釈をすることが「できる」のかも問題だと思いますが、そのような技巧的な解釈をせずに日本語の通常の理解に沿って解釈することを平然と脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がない
だの印象操作をしている
だの言ってしまうのはいかがなものかと思うのです。
私はさらに一部の医師が、「医師に重過失がある場合であっても、刑事手続に移行すべきではない」との意思を表明している例や、医療ミスにより患者が死亡した疑いがある場合に警察が詳しい死因を調べることすら医学も医療もわかっていない警察がこういった事件に介入すべきではありません
として非難している例を紹介しています。また、一部の医療系コメンテーター等は「医療ミスに刑事罰を科すのは先進国では日本だけ」等と称して我が国において医療ミスに刑事罰が科されていること自体を非難しています。
さらにいえば、一部の医師や医療系コメンテーター等は、「医療事故調査委員会」を設立して医療事故の原因調査等を医師等を交えて行うこととしようという厚労省の計画について、医師の刑事免責が得られない限り反対だといっています。「医療事故調査委員会」による報告書というのは必ずしも医師の医療行為に問題があったと報告するものとは限らず、むしろ専門の医師が原因調査に早期の段階で相当程度関与することにより医師の医療行為に問題がなければそのことがその報告書を通じて早い段階で検察等に伝わるわけですから、同業者から見ても医師または看護師の過失だというような事例に対して刑事免責を主張しないというのであれば、積極的に賛同されても良さそうなものです。これらの諸事情を勘案するならば、むしろ、一部の医師等は、「すべての医療ミスを免責せよ」と主張していると解する方が素直かと存じます。
矢部先生からは
特に、実務法曹は、依頼人や相手方の「言っていること」だけを考えればいいのではなく、「言わんとすること」または「言いたいこと」を汲み取るということがとても重要であると考えています。
とのお言葉をいただいておりますが、むしろ、実務法曹においては、依頼人等を擁護したいあまりに、依頼人等の「言っていること」を、自分の倫理観等にあわせて「善解」しすぎないことが重要です。
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