倉敷チボリ公園(倉敷市寿町)を運営する第三セクターのチボリ・ジャパン社が二十六日、臨時株主総会を開く。今月上旬の取締役会で決議された今年いっぱいでの公園閉園、会社解散について採決する。可決されれば公園は開園から十一年余りで幕を閉じることになる。
歴史と伝統を誇るデンマーク・チボリ公園のデザインやノウハウを導入する公園は、岡山市の市制百周年記念事業として構想がスタートした。誘致企画会社の経理問題などをめぐる曲折を経て岡山県が事業の推進に乗りだし、建設地は倉敷市へ。ジャパン社と県による公設民営方式で事業が進められた。
花と緑と水があふれる新感覚の都市型公園、夢空間として、一九九七年の夏休み前、開園した。楽しい遊具や大道芸、昔のコペンハーゲンを模した建物などが人気を集め、年度途中の開園にもかかわらず初年度は三百万人近くが入園した。
しかし、入園者は四年目に年間目標としていた二百万人を、二〇〇五年度には百万人を割り込んだ。さらに〇七年度は七十五万人に落ち込んだ。
徹底した経費節減など経営再建に向けた努力も実らず、県は〇六年、指定管理者制度導入による再建策を発表した。だが、前提とした倉敷市の土地代負担を市が拒否し、デンマークのチボリ・インターナショナル社との契約更新交渉も大型遊具などへの投資をめぐって対立し、県は昨年春、更新を断念した。
県から倉敷市への運営移管も市に断られ、アウトレットモールを導入する案などが次々浮上した。肝心の県に再建に対する熱意が見えなかったことで、ここまできてしまった。
地域の活性化に期待が膨らんだ開園時を思い出しつつ歴史を振り返ると、悔やまれることはある。公園は、瀬戸内三橋時代の到来を前に誕生した広域観光の拠点施設であり、実際、開園当初の調査では県外客が八割を占めた。その後の広域PRは十分だったのか。
JR倉敷駅の目の前に位置するという恵まれた立地条件と、岡山、倉敷両市の巨大な人口集積をともに生かし切ることができなかった。
閉園が決まれば、岡山県民は大きな財産を失うことになる。寂しい限りだ。公園周辺の宿泊施設や駐車場への影響も懸念され、ホテル関係者らの間には県外客をつなぎ止める策を求める声もある。チボリ公園が消え去ることは、岡山県と県民にとって何を意味するのか。あらためて考えてみる必要があろう。
原子力技術や関連機器の輸出管理を行う原子力供給国グループ(NSG)の臨時総会がウィーンで開かれ、米国とインドの原子力協力協定を例外として認めるかどうかを協議したが、慎重論が相次ぎ、結論は九月以降の次回総会に先送りされた。
インドは核拡散防止条約(NPT)未加盟の核保有国である。NSGの指針は、NPT非加盟国への核燃料などの輸出を禁止している。協定を認めることはNPT体制の形骸(けいがい)化につながるだけに、見過ごすわけにはいかない。
米印原子力協力協定は二〇〇七年七月に締結された。NPTに加盟して核兵器を放棄しなければ受けられない核技術の提供を、「特例」として認めるものだ。国際原子力機関(IAEA)は今月初め、協定発効の前提条件である、インドの核施設への査察協定案を承認した。日本を含む四十五カ国が参加するNSGによる承認は、発効に向けた最大の関門となっている。
臨時総会では、インドが新たな核実験を行った場合に例外扱いを見直すなどの条件や修正を求める声が相次ぎ、例外扱いはNPT体制強化の流れに逆行するとの懸念が出たという。
核実験禁止条約にも背を向けてきたインドを特別扱いすれば、NPT非加盟の核保有国パキスタンや北朝鮮へも悪影響を及ぼしかねまい。
しかし、日本政府は協定を事実上容認する方針を固めたという。IAEAとの協定でインドへの査察が担保されると判断した。核廃絶を目指す日本の立場とは矛盾するもので、許されることではあるまい。被爆者団体なども強く反発している。全会一致が原則のNSGの次回総会では、日本は唯一の被爆国としてインドの特別扱いに明確に反対の姿勢を貫くべきである。
(2008年8月26日掲載)