北京五輪を振り返る時、誰もが思い出す名場面がある。その一つがフェンシングの日本初メダルだろう。
「私の方こそ、ありがとう」。男子フルーレ個人で太田雄貴選手(22)が銀メダルを取った時、日本フェンシング協会会長の山本秀雄さん(62)は思った。
山本さんは辛子明太子(からしめんたいこ)の老舗「やまやコミュニケーションズ」創業者。以前協会はスポンサーもなく、有望選手が離脱していた。フェンシング経験のある長男と協会幹部に会長就任を頼まれ、初めは固辞したが「海外遠征も選手が自腹を切らざるを得ない」と何度も訴えられ、引き受けた。
34年前、不況で海産物卸会社の退職を余儀なくされた山本さんは翌年の新幹線博多開通をにらんで起業した。辛子明太子がまだマイナーだった時代。妻と失敗を繰り返しながら味を作り、全国ブランドに育て上げた。
メダル獲得には強化合宿が必要だ。大企業に頭を下げて回るが、マイナースポーツへの関心は薄い。でも地元福岡を中心に50社が資金を出してくれたおかげで、目標の6000万円が集まった。
太田選手の活躍後、やまやのサイトはアクセス数が一時10倍にもなった。感動した人たちから「これからも応援してあげて」との声も届く。
五輪が商業化して久しい。大スポンサーはこぞってメジャー競技を応援する。感動を下支えするのは資金力ではあるが、最後は人の思いだ。
「フェンシングに光が当たった。社員400人の誇りにもなった。それが何よりの財産です」。売り上げは特段増えてはいないという。
毎日新聞 2008年8月27日 0時04分
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