期待されるラノベ第2世代のブレイクスルー
笠原 そういった多様なラノベを読み、PCやケータイが当たり前の中で育ってきた人たちが、これからどんなものをおもしろいと思って読んだり、あるいは書いたりしてくるのか、期待でもあり不安でもあり、というところですね。
榊 ホビージャパンの選考委員(ノベルジャパン大賞)を何年かやっていましたけど、年々上がってはきていますよ、受賞者の基礎力は。
笠原 全体のレベルはたしかに上がってますね。それは、思います。
榊 ただその一方で、びっくりするような特殊なネタとか「やられた!」という作品は見なくなったような気もする。それは応募者の質が下がっているということではなく、大勢が大量に発信してるので、本人は新しいつもりでも実はすでにどこかにあるものだったりするんです。その中で新しいものを出すというのは、かなりハードルが高いんじゃないかと思いますね。
古橋 今、突然変異的に見たことがないようなものを作っちゃう人は、ライトノベルには来ないでニコニコ動画とかで動画を作っていると思うんですよ。ライトノベルも、初期は打撃で勝負する奴あり、蹴り技あり、投げ技、絞め技ありで好き勝手にやっていたのが、だんだん「萌えキャラで掴んで、投げる」みたいな型ができてきた(笑)。それがいけないわけではないんだけれども、型からはみ出す奴はラノベには来ないで、まだ始まったばかりの、なんだかよくわからないジャンルに行っていると思うんですよね。
榊 あるいは、それはケータイ小説なのかもしれませんしね。さっき言ったように新人賞の応募作でも、すぐそのまま使えそうな作品がかなり増えているんですよ。改稿もいらないんじゃないかというくらいの。自分の応募作とかを考えると、すごくレベルが上がっている印象があるんですよね。ところが「この人の色なの?」と言われたら、そこまでの絶対性は、なかなかないんですね。前に同じようなことを言って笠原さんに怒られた記憶がありますけど、「これだったら俺も書ける」と思っちゃう。細かい思いつきでは勝てないと思うんですけど、同じレベルの魅力を持ったものなら俺にも書けると、そういうことを思っちゃうんですよね。古橋さんがいる場で言うのもなんなんだけど、初めて古橋秀之という人の本を読んで、パタッて閉じたような感覚はないんですよ。どこかでまたブレイクスルーの人が出てきてくれないかなと思っているんですけど。
古橋 それは多分、今の応募作がラノベを読んで育った人が書いたラノベなので、なんか統一化されてしまっているんですよ。20歳になるまでラノベを読んだことがなかった人とか、外国に住んでいたとか、親が厳しくてオタク関係にいっさい触らせてもらえなかったとか、そういう人がいきなり変なものを読んでラノベを書いたときに、ブレイクスルーが起こるんじゃないかと思うんですよ。
笠原 今度はそういう世代が出てくるんだと思うんですよね。それが、小説に来るのか、何か別のものに来るのか。今はエンターテイメントのメディアが増えている分、わからなかったりしますけれど。古橋先生や榊先生の時代は「漫画はダメだけど、文字書くほうが簡単じゃん」みたいに、選択の幅はある程度狭かったかもしれないけれど、今はもっといろいろありそうですから。
榊 ただ、古橋さんのおっしゃるようなものが爆発的に定着するためには「これでこういうふうにやったら仕事にして食っていけます」という実例が出るようなシステムができてこないと。
古橋 とりあえず「ニコ動」では食えないですからね(笑)。
榊 あとね、オタク文化に全然触れてない人が新しいものを書く可能性がある、という話とは逆にね、知らなかったために新しいつもりですでにあるものを書いてくることがある。どうみても『ロードス島戦記』なんだけど、書いた本人は読んでないから、真似したつもりもないとかね。
古橋 見て書いたというのでなければ、一応、黄金律に沿って落とすというセンスはあるんだけれども、情報量がないせいで、車輪を再発明してしまうんですね(笑)。
榊 サッカーが好きで、サッカーのライトノベルを書きたいっていう子がいるんだけど、「どんな話?」って聞いたら、「ダメなサッカーチームが、新しい監督がやってきて成功する話を書きたいと思います」って。多分そのプロットは通らない(笑)。どこにでもある話だしね。
古橋 そこにもうひと味、宇宙サッカーだったらなんとか……。
榊 異なる文化圏のふたりがコンビを組んで。異世界とつながって、親善試合をしなきゃなんなくて。でも相手はサッカーを知らない、『それ旨いのか?』っていうエルフとかドワーフとかにサッカーを教える、引退したサッカー青年の話。
古橋 異世界が全部トカゲ人間でですね、卵を守る文化があるんですよ。「このサッカーボールは」……いや、どっちかというとアメフトですね、「このフットボールはおまえの卵だと思え」って言われて、トカゲ人間は「俺の守りきれなかった卵は……、そうだ、それを今守るんだ!」って。そうやって、トカゲの相方がトラウマを克服する(笑)。
榊 で、最後のゴールキックのときに、どうしても蹴れない。卵だから(笑)。そこまでひねればいいじゃん、と思うんですけどね。
古橋 お約束にプラスアルファしたら、それは新しくなるし、おもしろくなるんですけど、お約束から一歩もはみ出せないというのがちょっとハンディキャップですよね。なんですかね、宇宙人とかトカゲとか嫌いなんですかね?
榊 そうじゃなくて、発想がそういかないみたいなんですよ、単純に。その子は文章力はあるんですよ。それはだいぶ前に完成されているので、あとはほんとうに何か目新しいネタを突っ込むだけなんだけどねえ。
古橋 じゃあ、たとえば榊さんとか編集さんが「こういうネタで書いてみて」ってネタを渡せば、スムースに書けそうですかね。
笠原 いやでも、自分から思考の飛躍なり遊びができないと、やっぱりおもしろいものは書けないですよ。たとえば最初に話していたようなね、子どものころの「あのミサイルがどうして……」という自分設定での遊びとかができていないと。
古橋 たしかに。演繹とか帰納とかでネタを捏ねて変なものにしていく、形作っていくものがないと難しいかなあ。
笠原 自分設定にしてもネタにしても、原点を探ると、自分がまずおもしろいわけじゃないですか。おもしろいから考える、という部分がどこかにないとね、書くにしてもちょっとツライかな。
小説は自転車をこぐように書くべし?
榊 ところで、せっかくの機会だから聞きたいんだけど、私、古橋さんがどうやって書いているかいつも気になるんですけれど。
古橋 わりとね、天然でいっちゃっているところがあるんですよ。思いついた端から書いて、思いつかないと止まるっていうので、いつも遅くなったり、出なかったりで困っているんです。もう少しシステマティックに書いていこうというのが、ここ数年のテーマで。かっこいい言葉で言うと、センスだけで渡っていこうというのは危険なことで、技術力の土台がある上に、何かちょっと乗っているというのが理想だろうと。なんか最近、そういう創作論の話が好きなんです(笑)。
榊 mixiを見ていると、すごい創作論とかを考えておられるんですよ。本人を前にして言うのもなんなんですけど、私に言わせると、この人はどう考えても天才なので、天才がそんなこと言い出したらこっちの立つ瀬がないんだよっていうのは、見ていて思うんですけど(笑)。
古橋 いやいや、それはですね、天才っていうとかっこよすぎるので「天然」と言い換えていただければ(笑)。
榊 ははは(笑)。
古橋 「閃いた!」って書いて、当たったりはずれたり。そういうのだけで10年やってきちゃったんですけど、閃いた瞬間しか進まないというのは、やっぱり間違っていると思うんですよ(笑)。生涯、毎秒何回も閃き続けていればいいんでしょうけど、そういうわけにもいかないので、ふだんは自転車をこぐように。榊さんはものすごい勢いで自転車をこいでいるという印象が強いんですけども、それも別の意味で効率はよくないなあと思うんですけど(笑)。
榊 全然よくないですよ(笑)。
古橋 自転車のどこがいいかっていうと、休んでいても惰性で進むところじゃないですか。なのに榊さんはずうっと立ちこぎで、走るのと同じくらい疲れている(笑)。
榊 横に水野(良)号とかあかほり(さとる)号が走っているから、「あれ? ついていかないとダメ?」みたいな気分が(笑)。
古橋 僕は、別にそんなに人と張り合わなくていいのにって思う(笑)。
榊 いや、別に張り合ってるわけじゃないんですけど……多分、ついていけなかった瞬間に、もう終わりなんじゃないかという恐怖感があるので(笑)。
古橋 僕は、もうちょっと楽にこいでもスイスイ〜って進んでいける方法はないだろうかというのがここ数年のテーマですよ(笑)。
榊 私の場合はね、天然性というものがないから突きぬけてない印象があるんですよ、自分でも。すごく傲慢な言い方をしますけど、技術として「榊一郎」は作れる。だけど私よりはるかに売れている人たちを見ると、どこか天然なところが――天然キャラの「天然」ではなくてね――ある。そこまでは、なかなか行けないんですよ。だから、昨今のテーマとしては、多分に運とか不運はあるんですけど、理論的には中ヒット程度までなら多分作れるはずなので、打ち切りをくらわない程度の小ヒットから中ヒットくらいをめざしているんです。
笠原 そんなことはないでしょう(笑)。でもライトノベルのなかで仕事をしていくことを、榊先生は非常に意識的に考えていますよね。
榊 そういうことを考える人が、自然発生的に出てきているとは思うんですよ。実際、弟子をとるライトノベル作家って、ちょこちょこ出てきましたし。いちばん極端な例で言えば、私と冲方丁さんがアシスタントを使うとか言い出したじゃないですか。そこから新しいブレイクスルーが出たらいいなと思っているんですけどねえ。
笠原 そのへんは榊先生と昔から論議していますけど、僕は「ファクトリー制」には否定派なんですよね、基本的には。
榊 実際問題、8割がた笠原さんの言うとおりなんですよ。できる人はできるし、できない人はできない。そして、共同でできる人って、大体ひとりでもできる人なんですよ(笑)。
笠原 結局、榊一郎は「榊一郎」っていう唯一の才能なんですよ。ファクトリー制というのはお弟子さんとか若い人が同じレベルまで上がってくるというのが前提ですけど、そんな人はあんまりいないんですよ。
古橋 僕もどっちかというと、才能主義的な方向に寄っているので、笠原さんのほうに近い考えになると思います。お弟子さんを鍛えれば確実に師匠と同レベルにまで伸びるかというと、それは必ずしもそうはならないですよね。これはすごく失礼な言い方なんですけど、榊さんはどうもいつも弟子に逃げられているような印象があって(笑)。
榊・笠原 ははは(笑)。
榊 なかなか難しいんですよね。なにかプレッシャーがあったりとか、納期に間に合わせられなかったりとか(笑)。
古橋 榊さんは多分、なぜお弟子さんが言われたとおりにできないのか理解できないんだと思うんですけど、僕はできないことに関しては人よりわかるつもりですよ(笑)。書けないときには1週間待ってもらっても1行も書けない。フィジカルに止まっちゃうみたいな感じなんですね、ピタッて。
榊 そういうものみたいですねえ。
古橋 それは、はっきり言えばラノベ作家に向いてないんですけれども(笑)。ハンディキャップを抱えているようなものですよ。片手が動かない人間がボクシングでいかに15ラウンド負けずに立っていられるかというのが、僕のテーマなんですけど。「いいじゃん、左パンチ出せよ」って言われても、「いえ、こっちの手は動かないんです」という。その人はその人で、がんばるしかないんですけれども、ただ「できないんだなあ」ということで納得してください(笑)。
笠原 なんとなく、今のライトノベルの業界に生きる作家の姿が見えてきたような気がします(笑)。最後に、おふたりは創作のアプローチの仕方も違うし書いている作品のタイプも違いますが、ともにライトノベルレーベルからデビューしてライトノベルを書いて今に至るわけです。おふたりにとってライトノベルとは、何なのでしょう。
榊 これは昔からずっと言っていることなんですけど、ライトノベルは、昔SFが果たしていた「ここには使えない、ここにはハマらない、でもなんかいいんじゃない?」というものを放り込んでおくための混沌とした部分がある。実はこの「混沌」そのものがライトノベルの価値だろうと思うんですよ。だから「これがライトノベルだ」と言った瞬間に死んでしまう(笑)。
古橋 道教の話に「混沌」に顔を描いたら死んじゃったというのがあるんです。山奥に「混沌」というものが住んでいて、のっぺらぼうなんですよ。それで仙人がノミで顔を彫ってやったら、目、鼻、口から血を吐いて死んでしまったというんですね。要するに「混沌とは名付けざるもの」で、形を持たされた瞬間にその本質は死んでしまう。ライトノベルも、そういうちょっと鵺的な部分があるんですよね。だから、ラノベらしくとか考えないほうがいいんじゃないかなあと思いますね。
笠原 今日はいろいろ刺激的な話をうかがえて楽しかったです。長時間ありがとうございました。
榊・古橋 ありがとうございました。