『ブラックロッド』の衝撃
笠原 作家デビューは古橋先生が1995年?
古橋 そうですね。正確には1996年の1月に最初の本(『ブラックロッド』上製本 メディアワークス)が出たんですかね。95年に新人賞(第2回電撃ゲーム小説大賞)をいただいて……。
笠原 榊先生は?
榊 私は、平成9年(1997年)の9月9日に受賞告知をもらったので、いやでも覚えています(笑)。デビューは翌年の1月ですかね。前に古橋さんに言ったことがありますけど、何回か小説家になりたくては諦めて、という山谷があって、多分デビュー前、いちばん最後に諦めたときに古橋さんの本がでた。電撃の新しいレーベルがなんかやっているらしい、新人を見てみようと思ってハードカバーの『ブラックロッド』を、最初だけ読んでパタッて閉じて。装甲車がマーチ調にアレンジした般若心経で走ってくるっていうシーンで、「ダメだ、俺には書けない」と(笑)。買わなかったのかよ! というツッコミはさておき――あ、文庫では買いました。
古橋 はい(笑)。
笠原 あれは、たしかに衝撃でしたよね。
榊 ああいう、大量の情報を加工して別のものにする手法って、けっこうSFに多かったじゃないですか。なので古橋さんはSFの人なのかと思いました。
古橋 作り的には、多分サイバーパンクのパロディですよね。サイバーパンクの方法論にファンタジーのタームを入れて化学変化を起こしたら、ホイって出すという。
榊 「ここまでできないと小説家になっちゃいけないんだ、地道に生きよう」と、しばらくはそういう意識でしたよ(笑)。
笠原 榊一郎の作家デビューを数年遅らせたのは、古橋秀之のデビュー作であったという驚愕の事実(笑)。
古橋 でも、ここにこうしているんだから、諦めといっても瞬間的にそんな気がしたってだけですよね(笑)。
榊 本気で筆を折ったとかいう話じゃないんですけど、すごい刺激になりました。
笠原 古橋先生は『ブラックロッド』を書くとき、SFとかライトノベルとかいうジャンルをかなり意識してました?
古橋 いや、僕はけっこうその時々で自分なりのブームがあって、当時の前後何年かが、自分内部のサイバーパンクっぽいもののブームだったんです。何年かしたらもう飽きたんですけどね(笑)。なのでタイミングがずれていたら、あれは多分自分でもお蔵にしちゃってそれっきりだったろうし、ひょっとすると書いてなかったかもしれない。
笠原 電撃というレーベルで『ブラックロッド』というのは、二通りの見方ができると思っていたんです。ひとつは榊先生がおっしゃったように「すごいSFの人だ」という見方。もうひとつは、あえてライトノベルというジャンルにこういう形のもので応募したのは、目立って受賞してデビューできるという戦略もあったのかな、ということ。今のお話だと非常にナチュラルに、その時いちばんかっこいいと思ったものを書いて応募したという感じなんですね。
古橋 そうですね。そんなに戦略眼とかはなかったです。強いて言えば、こういうオタクっぽいコンテンツはまだそんなに出ていないから、これくらい濃いやつは出せば通るんじゃないの的な気持ちはありましたけど、でもファンタジアでもソノラマでもなく、あえて電撃なんだというような区別はしてませんでした。当時、電撃文庫はまだ小さいレーベルだったので、応募数も多分少なくて、出してから3カ月かそのくらいで結果が出ていたんですよ。今は半年くらいかけてやっていますけど。その当時、僕は会社勤めに煮詰まっていたので、早く結果が出るところがいいと思って、いちばん締め切りが早くて、結果が早く出るところに「ハイ」って出したんです。そしたらたまたま受賞して。半年ズレていたら、ファンタジアに出してました(笑)。
榊 応募の結果発表が1年後とかだと、忘れるんですよ、出しているのを。実際、学校で教えるときに生徒にも言うんですけど、「1本書いた。ふーっ、俺は大きなことしたぜ」って1年待っていたら、もうダメだよって(笑)。1本書き上げたら次のを書こうよ、と。当然、私もそうしていたので、投稿作の3本目くらいを書いている時点で受賞の連絡が来て「そういえば、そんなの書いたっけ」という感じでした(笑)。
古橋 僕は悪いほうの例の人で、1本1本に執着しちゃって「ふーっ、本が出るまで待つか」みたいな(笑)。
榊・笠原 ははは(笑)。
古橋 それはよくない。常に、書き終わったら次を書き始めるというのは、やらなくてはいけない。それは最近思ってます(笑)。
笠原 プロへの入り口として、いわゆるライトノベルのレーベルを選んだというのは、何か理由があったのですか?
古橋 さすがにハヤカワ文庫じゃないだろうという気がしていたし、ちょうど当時、電撃さんも新人賞ができていたので。
榊 そもそも当時、早川書房って受け付けを公にはしていなかったはずなんですよ。だから原稿を送りつけるなり、東京に行って編集部に持ち込みするなりしかない。そうとう根性がないとできない時代でした。そういう意味では、富士見、電撃、あと、スーパーダッシュ――当時はまだスーパーダッシュではなくて、フィクション・ノンフィクション小説大賞かなにかをやっていたと思うんですけど、それくらいしかなかったんですよ、たしか。
笠原 早川には「Hi!」というのがありましたけれど(「小説ハヤカワHi!」1989年4月増刊)、すぐになくなっちゃったんですよね。
古橋 もう何年か後だったら、「早川発のラノベ雑誌です」という売り方をしていたと思うんですけど、当時はターゲットがよくわからなかった。
榊 けっこうこの時代、出てきては消えるというのがありましたよ。ガンマ文庫(竹書房)とか、あえて言いますけど、ログアウト文庫(アスペクト)とかね。あとAX文庫(ソニー・マガジンズ)というのもありました。一度見て驚いたんだけど4ページに1回挿絵が入っていて、頭で考えると効果的に思えるけど実際に見たらウザいだけだとよくわかった(笑)。挿絵の枚数が多ければいいってもんじゃないですね。
ライトノベルの自然淘汰
古橋 同じ失敗を、僕は『蟲忍―ムシニン―』(イラスト:前嶋重機 徳間デュアル文庫 2004年)でやってます。絵は多ければ多いほどいいというコンセプトでやった結果、りっぱなラノベじゃなくてしょぼい漫画に見えてくるという(笑)。
笠原 絵が多ければ多いほどいいっていうわけではないんですよね。
古橋 200ページに挿絵が50枚くらい入ったんですよ。だから4ページに1枚くらいの勘定になるんですけど、わりと漫然と入っちゃったというのが反省点。小説のページがずっと続いて、口絵とかアクションシーンになるといきなり漫画が16ページ入るみたいにメリハリをつけるとかね、ほかにやり方があったなって思うんです。
榊 あれ、そんなに挿絵ありましたか?
古橋 疲れたわりに印象が薄い(笑)。それはパワーの突っ込みようがうまくなかったということです。
笠原 もうずいぶん前ですけど、絵をたくさん入れたハードカバーの単行本をどこかで出してたんですけれど、やっぱり編集者もときどき間違ってそういう本を企画したりするんですよね。
古橋 漫画絵を小説につけてみようとか、なかにも入れてみようとかって最初に考えた人、今のラノベの形式を最初に考えた人も、多分同じタイプの人だと思うんですよ。
榊 多分そうでしょうね。
古橋 そういう試みがいっぱいあって、突然変異がいっぱい出て、そのなかで適応しているものが残っていくという自然淘汰が行われている。
笠原 作品にしてもレーベルにしても、そういう試みの積み重ねがあって今があるんでしょうね。
榊 5年後10年後には、音が入ってなきゃ、動画がついてなきゃラノベとは言えないような時代になってるかもしれない。
古橋 いい匂いしなきゃダメだよとか。こするとヒロインのいい匂いがする(笑)。
榊 けっこうローテクでしょ、それは(笑)。
笠原 それはやっぱり、作家が原稿の時点で、どういう感じの匂いって指定してあるわけですよね。
榊 イラストレーターのほかにパフュームコーディネーターが出てきたり(笑)。でも、以前『まかでみ』(『まじしゃんず・あかでみい』シリーズ イラスト:BLADE)のプロモーションビデオ、30秒くらいのを作ってもらったことがあるじゃないですか。ああいうことをやるところが増えてきている。新刊のプロモーションビデオを作るとかね。私自身『ストレイト・ジャケット』(イラスト:藤城陽 富士見ファンタジア文庫)でやったことがありますけれど、ああいうのって、実はずいぶん楽になってきているんですよ、PCの発達で。
笠原 それはそうですね。ものすごく楽になりましたね。
古橋 携帯で見られるような何かを配信すれば、今、だれでも見られますしね。
榊 そうすると、その次は何かという話になったとき、古橋さんも興味を示しておられましたけど「キネティック」(「KineticNovel」)とかPCで読む小説、常にBGMと絵が目の前に貼ってある小説というのも、ひとつの方法なんだろうね。
古橋 多分ケータイ小説とかも地続きのものですよね。
榊 そうですね。「ライトノベルはセリフばかりで安っぽい」と言う人がいるんですけど、結果的には安定してきたじゃないですか。ケータイ小説だって「あんなぶつ切りばっかりの文章は」と言う人もいるけれど、それはぶつ切りでしか読めないから当たり前なんだよ(笑)。
笠原 でも「ライトノベルはこうだから」と言われていても、実際には非常に幅が出てきましたね。最初、スニーカー文庫の立ち上げのときは、対象読者は「小説や文章を読んだことがない人」という感じで、そういう人でも読める小説というイメージでしたけれど、今はもう、そんなことはありませんから。当時のような文体で書く書き手もいれば、びっしり書き込むタイプの作家だって受け入れられる。非常にバリエーションが出てきています。
古橋 内容とかターゲットの読者層とかでくくられているだけで「ラノベ文体」と言うほど1種類の文体しかないわけじゃないですよね。ただ昔は一般小説との差別化をする必要があったから、あえてライトなほうにみんなで寄せていった。その結果が、一昔前のライトな文体なわけでしょう。今は「ここで書きたいんだ」という人が、自分なりにいろいろな文体で書いていますよね。