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まずはSF映画から始まった

笠原 おふたりはほぼ同年代ですね。榊先生は1969年生まれで、古橋先生は1971年生まれ。
おふたりが高校生くらいのころに、ドラゴンマガジン(富士見書房)ですとか、スニーカー文庫(角川書店)とかが創刊されていますが、こういう小説を含めてエンターテイメントのジャンルには何歳くらいから馴染んでいらっしゃったのでしょう。
 私、SF映画がけっこう好きで親父と見にいっていたんですけど、「スターログ」(「STARLOG 日本版」ツルモトルーム発行 1978年)という雑誌を小学生のころに買うようになって。「ハリーハウゼン(レイ・ハリーハウゼン SF特撮監督)はよ……」とか「『プリズナーNo.6』(イギリスTVシリーズ)が……」とか言っている嫌なガキだったんですけど(笑)。
笠原 榊先生は、映像のほうから入ったんですか? お父さんが好きだったので、連れていってもらううちに、という感じでしょうか。
 どちらかといえば、そうですね。だから、『スター・ウォーズ』(1978年日本公開)も『未知との遭遇』(1978年日本公開)も劇場で見てますものね。まだ10歳になってないはずなんですけど。それどころか『未来惑星ザルドス』とか劇場で見てますよ。ショーン・コネリーがまだ髪の毛ふさふさだったころの(笑)。多分、私が5、6歳のころだと思うんですけど。
笠原 小説を読むようになったのは、どういうきっかけで?
 小学生のころに漫画を読み始めたんですよ。『カゲマン』(『名たんていカゲマン』著:山根青鬼 小学館「コロコロコミック」連載)とか『ミクロマン』(著:藤森よしひろ 講談社「テレビマガジン」連載)とかですね。でもまだ漫画が市民権を得ていなかった時代なので、母親が「漫画を読むと頭が悪くなる」と言ってね、1回読んだら捨てるべきものだって、2日後には捨ててしまうんです。本人は「捨ててない」って言うんだけど、ゴミ箱をあさると出てくる(笑)。そういうことを何回か繰り返した挙げ句に、お金がもったいないから、小説に換えようということになったという(笑)。そこからしばらく文章にハマってましたね。多分、親の影響なんでしょうけど、漫画とアニメを見ているのはかっこ悪い、小説を読んだり外国のSF映画を見にいくほうが大人だという意識がどこかにあったわけですよ。それが中学に入った時点で、アニメをすごく見ている友人たちと知り合い、その友人たちが菊地秀行の『トレジャー・ハンター』シリーズ(ソノラマ文庫 1983年〜)とか夢枕獏の『キマイラ』シリーズ(ソノラマ文庫 1982年〜)とかを読んでたんですね。うちは、漫画は自分のお小遣いで買わなければならなかったんですけど、夢枕獏、菊地秀行の小説は親父も読むということで「何冊買ってきても俺が金を出してやるから」と親父が失言しましたので、全部買ってきてやりました(笑)。あのころの菊地秀行さんは、ベラボウな出し方をしていましたね。
笠原 じゃあ中学校に入ったあたりでは、そういった小説にハマっていらした。
 ずっぽりハマって、同時にアニメです。私は『ガンダム』(『機動戦士ガンダム』1978〜1980年)とか『ヤマト』(『宇宙戦艦ヤマト』1974年〜1975年)はそんなにハマらなかったんですけど、なぜか『ザブングル』(『戦闘メカ ザブングル』1982年〜1983年)にハマって(笑)。
古橋 渋いところに……(笑)。
 そこから、鬼のように見はじめて。当時、関西は金曜日が魔の時間帯だったんですよ。学校から帰るじゃないですか。そうすると5時から『エルガイム』(『重戦機エルガイム』)とか『ザブングル』とかをやっていて、5時半から『モスピーダ』(『機甲創世記モスピーダ』)、6時から『ボトムズ』(『装甲騎兵ボトムズ』)、6時半から『ドルバック』(『特装機兵ドルバック』)、7時から『バイファム』(『銀河漂流バイファム)、7時半から『宇宙刑事』(『宇宙刑事ギャバン』)……(笑)。ずっと見て、8時から『太陽に吠えろ!』、9時から『ザ・ハングマン』、10時から『必殺仕事人』を見て寝るっていう(笑)。一回これをコンタクトレンズをしたまま見たら、次の日、目が開かなくなって学校に行けなくなりましたよ。バカだなって思いますけれど(笑)。

原体験は兄に教えられたSFの「あらすじ」

笠原 古橋先生は子どものころはどんなものに触れていました?
古橋 僕の4つ上の兄がSF読みで、多分60年代にいっぱい出たSFの文庫の古本を山ほど買って、片っ端から読んでいたんですよ。僕は今でもそんなに文字を読まないんですけど(笑)、当時は今よりもっと読まなかったので、「おまえも読むか?」と聞かれて「やだやだ」って答えたら、「じゃあ、あらすじを教えてやるから」って。兄に片っ端からあらすじを教えられたのが、僕のオタク関係の原体験なんです。
笠原 創元(東京創元社)のSFですね、きっと。ハヤカワはまだ「銀背」(ハヤカワSFシリーズ 早川書房)って言ってましたけど、ペーパーバックスタイルでしたから。
古橋 僕は漫画担当で、漫画ばっかり買ってましたけど(笑)。
笠原 どんな漫画を読んでいたんですか?
古橋 「少年ジャンプ」でしたね。『Dr.スランプ』(著:鳥山明 1980年〜1984年)から始まって『奇面組』(著:新沢基栄『3年奇面組』1980年〜1982年 『ハイスクール!奇面組』1982年〜1987年)とか読んでました。
笠原 映画やアニメは見てらしたんですか?
古橋 『ガンダム』『スター・ウォーズ』は兄が「これはいいものだ」と言っているんだけれども、全然ピンときてなくて。たとえば『スター・ウォーズ』の、ボコボコの構造物がそのまま飛んでいるみたいな宇宙船のあり方がいいんだ、新しいんだと言われていたけれども、僕はその当時はロケットはツルツルして流線型をしているほうがかっこいいと思っていましたし。『ガンダム』は小学校中学年くらいなんですけど、やっぱりあれは子どもには難しいと思うんですよ。ちょっと経ってからガンプラブームが起きたんですけど、微妙によくわかってなくって……『イデオン』(『伝説巨神イデオン』1980年〜1981年)と『ガンダム』の区別がずいぶん長いことつかなかったので(笑)。ガンプラも、みんながザクとか買っていたのを横目に、中学生くらいになってから、なぜか夢中で重機動メカのプラモを買って……ドグマックとかガルボジックとかを作っていたんですよ。今『イデオン』の重機動メカの話をしてもネタ的にあまり広がらないので(笑)、『ガンダム』を押さえておくべきだったなって思うんですけど。
笠原 やっぱり興味を持ったところが……。
古橋 ちょっとズレてましたね。小説とか文字関係は、児童文学から入っていって、『ホビットの冒険』(著:J.R.R.トールキン/訳:瀬田貞二 岩波書店)という『指輪物語』の前日譚とか『ナルニア国物語』(著:C.S.ルイス/訳:瀬田貞二 岩波書店)、あと『プリデイン物語』(著:ロイド・アリグザンダー/訳:神宮輝夫 評論社)』という、いまいちメジャーじゃないシリーズとかを読んでました。「剣と魔法」というような話がけっこう好きでしたね。そのあと中学くらいで、『エルリック』のシリーズ(『メルニボネの皇子』他 著:マイケル・ムアコック/訳:安田均・井辻朱美 ハヤカワ文庫SF 1984年)とかを読んで。当時は外国の小説でダークでかっこいいと思っていたんですけど、今見ると、けっこうオタクっぽいダークファンタジーですね。あと、日本のSFがらみでは、『クラッシャージョウ』(著:高千穂遙 絵:安彦良和 ソノラマ文庫)とか。
笠原 『クラッシャージョウ』は発売後、かなり経ってからですね?
古橋 そうですね。『クラッシャージョウ』を大好きな友だちが貸してくれたのを、片っ端から読んでましたね。ほぼ同時期に、アニメの『マクロス』(『超時空要塞マクロス』1982年〜1983年)を――僕にとってはリアルタイムで毎週楽しみに見ていた最初のアニメですね。
笠原 ちょうど中学校に入ったくらいですか?
古橋 小学生のときに『マクロス』を見て、小学生を卒業する年に『ナウシカ』(『風の谷のナウシカ』1984年公開)の映画を見に行きましたね。中学時代には『エルガイム』とか、特撮系の戦隊ものを……。僕は、特撮をあんまり見せてもらえなかった子どもだったんですよ。母の教育方針で、変な怪獣みたいなのがギャーッて出てくるような番組をあまり見せると、子どもが変になってしまうという(笑)。
 でも、それは逆効果ですよね。そういう方針の結果が、ふたりいるんですから、ここに(笑)。
古橋 はい(笑)。なので中学生になってもまだ戦隊ものを見て、高校生になっても『メタルダー』(『超人機メタルダー』1987年〜1988年)とか、毎週見てました。
 見てた、見てた(笑)。
古橋 母は「子どものときに見せておかなきゃいけなかったんだね」なんて、しみじみ言ってましたけど(笑)。
 ヘタに隔離してるとね。大人になってからかかる麻疹はヤバイっていうから。
笠原 卒業できなくなっちゃう(笑)。
 私、古橋さんはてっきり早川のSFあたりから入られたのかと思ってました。
古橋 それは兄が担当していたので(笑)。あらすじとか核になるネタみたいなのは聞いて知っていたりするんですけど、読んだことは実はなかったりします。
 そういうの、けっこうありますよね。
古橋 中学に上がったか上がらないかの兄が『銀河帝国興亡史』(著:アイザック・アシモフ)を読んで、小学校中学年の僕と砂場でドロ遊びをしているときにいきなりタワーを作って「これはファウンデーション。これを守らねばならん」って言うんですよ。離れたところにこっそりもう1個作ってあって「これが第二ファウンデーション」って、小学生の弟に説明するんので、僕もよくわからないまま「はあぁ」って(笑)。
 この座談会、お兄さんを呼んだほうがよかったかもしれない(笑)。
古橋 僕のそこらへんのオタクのベースは、兄のそれからきてますね。高校くらいからはジャンプ黄金期の格闘漫画。『北斗の拳』(原作:武論尊/作画:原哲夫)とか『ジョジョの奇妙な冒険』(著:荒木飛呂彦)、『ドラゴンボール』(著:鳥山明)、あとは、『ダイの大冒険』(『DRAGON QUEST -ダイの大冒険』原作:三条陸/作画:稲田浩司)とか、そこらへんですね。
笠原 小説、文字のほうに来たのは、そのへんからですか?
古橋 児童ファンタジーを読んで、自分もいずれは「剣と魔法」みたいなものを書きたいと思っていたけど、それが『ドラクエ』でバーッと流行ったときに、「しまった、先にやられた」みたいに思った覚えがありますね。「まだ誰も目をつけていないと思ったのに」と。その後は、一時期、漫画のほうに一生懸命だったんですけど、文字は、そんなにハマったジャンルはないですね。
笠原 比重的には漫画のほうが高い感じだった?
古橋 漫画と、あと特撮ですね。高校のときに自主制作映画で特撮ものっぽい感じのものを撮ったりしていました。雨宮慶太監督作品とか、あんまり子ども向けじゃない、オタクがオタクのために作った特撮ものみたいなのがクローズアップされていた時代だと思うんですけれど。
 『未来忍者(『未来忍者 慶雲機忍外伝』1988年)』とか衝撃でしたよね。
古橋 そうですよね。「あんなのが作りてーよ」っていう、そういう感じでしたね。

自分設定で遊ぶ楽しみ

笠原 当時、漫画やアニメ、あるいは映画を見ているときに、ジャンル意識はあったんですか?
古橋 取りあえず一通りカバーしておいて、さらに個人のなかで「特にここらへん重点的に見ておこう」という感じじゃないですかね。

 私もそんな感じですね。ただ、アイドルが出ているものを見ないとか、そういう変なこだわりはありました。「アイドルが出ているのは、どうせ中身は適当なんだ」とか言って(笑)。必ずしもそんなことはないんですけど。アニメでも、たとえば『モスピーダ』がけっこう私のなかでは大きいんですけれど、友人たちと「たしか先週『ミサイル全弾発射』って言ってたよな。補給ないって言ってたよな。なんで今週ミサイル撃っているんだ?」と話をしていて(笑)。でも、そうやってバカにしているうちは、まだいいんです。さらに深くハマると「レギオス(戦闘機に変形の可変メカ)は実は生体兵器なんだよ。水と光を与えていればミサイルが生えてくる」「それだ!」って話になって、自分設定がどんどん増えていく(笑)。東映の『宇宙刑事』ものも、なんでしたっけ「ふしぎくうかん」と「まどう……」?
古橋 「魔空空間」(『宇宙刑事ギャバン』)と「幻夢界」(『宇宙刑事シャリバン』)と「不思議時空」(『宇宙刑事シャイダー』)ですね。
 そうそう(笑)。どれだったか忘れたんですけど、「大量投入すればいいのに、なぜ1体ずつ送り込んでくるような非効率な戦略をとるんだ」って仲間内で言っていて、「きっと宗教上の理由だ」って(笑)。
古橋 魔空空間ではモンスターは3倍の強さになるんですよね。それなのに、現実の空間で互角なギャバンになぜ魔空空間で負けるのか。それは「ギャバンは4倍強くなるから」って(笑)。だったらモンスターのパワーが3分の1になる空間を作れば、ギャバンは4分の1になるはずだから、モンスターが勝てる、という話があったんですけどね(笑)。
 そういう「こう考えたらスジが通る」みたいな強引な遊びを、よくやってましたね。
古橋 長谷川裕一さんの『すごい科学で守ります!』(NHK出版 1998年)みたいな、ああいうアプローチですよね。
 長谷川裕一さんは漫画の『クロノアイズ』(「月刊マガジンZ」連載 1998年〜2002年 講談社)でも「わざわざヒーローがジャンプして変身するのはなぜか」というのを描いていて「ああ、なるほど」と思いました(笑)。
古橋 なぜでしたっけ?
 変身スーツは空気中の分子から合成するんだけど、ヘタすると靴底と地面が融合しちゃうから空中じゃないとまずいんだというんですよ。それを逆にして、「とおーっ」って跳躍した瞬間に天井と融合して降りられなくなるっていう話で(笑)。うまいなあと思いましたね。こういうネタで私がずっと考えていた「なぜヒーローは変身ポーズをとるのか」というのがあって、それを麻生俊平さんが「使っていい?」って言うから「どうぞ」って。『VS―ヴァーサス』っていう作品で使ってます。
笠原 なぜポーズとるんですか?
 「変身」と言っただけでいちいち変身していたら大変なことになるから、セーフティーロックとしてポーズをとらないと変身機能が働かない。なので、必ずあのポーズをとらないと変身しないようになっている、という設定を考えていたんです。他にもいろいろ設定を作って遊んでました。多分、そういう遊びが原体験になっているんでしょうね、この仕事の。
古橋 そういう遊びを楽しめるというのは、ヒーローものとかSFっぽいものとかを作る側の、適性のひとつではある感じですよね。
 「泳ぎ方を覚える魚はいない」というのといっしょで、遊びでやっているから訓練になっているという面はあると思います。
笠原 榊先生も最初は小説というよりは漫画を描きたいお気持ちはあったんですか?
 ああ、ありました、もちろん。ですけど、どうも絵がヘタで。私、すごいせっかちでプラモデルも作れないんです。接着剤が乾く前に動かして潰しちゃう(笑)。だから、下書きして、ペン入れて、トーン貼って……っていう漫画はちょっと無理(笑)。小説だったら、少なくとも文字で書いた分は完成するじゃないですか、その瞬間(笑)。
笠原 SF以外だと、どんなものを読んでいたんですか?
 創元のハードボイルドシリーズをすごく読んでいましたね。有名どころで言うと、マック・ボランの『死刑執行人』シリーズとか、『プリンス・マルコ』(著:ジェラール・ドヴィリエ『SAS プリンス・マルコ』シリーズ)、あと『サイレンサー/沈黙部隊』(著:ドナルド・ハミルトン)のシリーズとか。私が暗い話を書くと、そのへんの影響がポロッと出てくるんでしょうね、多分。あと、大藪春彦とかもむちゃくちゃ読んでました。
笠原 それは何か出会いがあって読むようになったんですか。
 ものすごく仲のよかった友人の、兄貴がハマってたんですよ。それが弟経由で私に下がってきて。多分『野獣死すべし』が何回目かに映画化されたときに見ていたんだと思うんですけど、ちょうど銃関係に興味があったから、そういう物語系を読んでみようと思って。その前後で平井和正さんの『死霊狩り(ゾンビ・ハンター)』も読んでますね。『死霊狩り』を読みながら、「オートマグはこんなふうに滑らかに作動しない」とか、また嫌なことを言ってるわけです(笑)。
古橋 あははは(笑)。
笠原 その性格は一生治らない(笑)。
 いやでも逆に言うと、そういうケチをつけているところからひっくり返して話ができるわけなので。私のデビュー作(『ドラゴンズ・ウィル』富士見ファンタジア文庫 1998年)だってそうですから。「ドラゴンっていっても、たかが火を吐くだけのトカゲじゃねえかよ、空飛んで。ミサイル一発あったら落とせるよ」って。
古橋 ははは(笑)。
 じゃあ、そういう時代のドラゴンの話を書きましょう、となった。ところが書いてみたら『ドラゴンハート』(1996年日本公開)が出てきて、真っ青になったという。同じコンセプトじゃないかよって(笑)。

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