Print this Post Article Lists Back

ハングル学会が100周年

国失ってもハングル失わず

1926年「ハングルの日」制定、33年にはハングル正書法の統一案

創立100周年に合わせ展示会・追慕展・国際学術大会も

 1908年(隆煕2年)8月31日、ソウル西大門付近の奉元寺に青年らが集まった。普段から「言葉と文字を失ったら民族も滅亡する」と教えていた国語学者の白泉・周時経(1876‐1914)が運営していた夏季国語講習所の卒業生と、国語の研究に関心を持つ人々だった。この夏期講習所(1907‐17)は、崔鉉培(チェ・ヒョンベ)、李秉岐(イ・ビョンギ)、玄相允(ヒョン・サンユン)、キム・ドゥボンら数多くの人材を輩出した。この日奉元寺に集まった人々は、金廷鎮(キム・ジョンジン)を会長とする「国語研究学会」を創立した。これが以後100年続くことになるハングル学会の母体となった。

 国語研究学会は1911年9月3日に「倍達ことばの芽」、13年3月23日に「ハングルの苗」と改称、さらに21年12月3月には「朝鮮語研究会」、31年1月10日には「朝鮮語学会」となり、そして49年9月25日に「ハングル学会」へと変わった。

 ハングル学会は、日帝統治下の厳しい状況にあっても韓国の言葉と文字を守り、「言葉と文字を失わない限り民族は滅亡しない」ということを示してくれた歴史の象徴でもある。彼らは26年に「ハングルの日」を制定し、翌27年には学術誌『ハングル』を創刊、33年には現在でもハングル表記の基準となっている「ハングル正書法統一案」を作り出した。42年には、崔鉉培、李熙昇(イ・ヒスン)、李克魯(イ・グクロ)、李允宰(イ・ユンジェ)ら33人が日帝により検挙される「朝鮮語学会事件」が起こり、極めて大きな苦難に直面した。

 この事件により、29年に始まった『朝鮮語大辞典』の編纂事業が一時中断したが、光復(日本の植民地支配からの解放)直後、ソウル駅の倉庫から日帝に奪われた辞典の原稿が劇的に発見された。発見された原稿は、原稿用紙2万6500枚分にもなった。そうして57年、ついに全6巻の『大辞典』が刊行された。その後もハングル学会は『韓国地名大辞典』(91年)、『韓国語辞典』(2005年)を編纂するとともに、機関誌『ハングル』(季刊)を発行し教育事業を展開するなど、活発に活動している。

 ハングル学会(金昇坤〈キム・スンゴン〉会長)は、「創立100周年」に合わせ多彩な記念行事を用意している。今月25日から10月5日まで、ソウル市東大門区淸凉里洞の世宗大王記念館で開かれる「100周年記念展示会」では、学会の歴史を一目で見ることができる文献や図書、書道の作品が展示される。22日午後5時には、ソウル市鍾路区新門路1街のハングル会館で「ハングル学会を導いた師の追慕展」が始まる。

 また、29日と30日の二日間にわたり建国大(ソウル広津区)の新千年館で国際学術大会が開催され、イギリス・ロンドン大のステファン・クノップ、高麗大のホン・ジョンソン、春川教育大の李義道(リ・イド)といった学者が発表者として登場する。30日午後5時には、同じく建国大新千年館で100周年記念式が開かれ、31日午後2時には奉元寺で石碑の除幕式が行われる。29日には郵政事業本部が記念切手を発行する予定だ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
このページのトップに戻る