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寺脇研氏 「いま問題は一人ひとりがどう生きるか、その集積として国がある」

黒井孝明2007/07/28

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インタビュー企画
寺脇研氏








《プロフィール》


 寺脇研。1952年、福岡県生まれ。京都造形芸術大学教授。東京大学法学部卒業後、1975年に当時の文部省へ入り、広島県教育長、大臣官房審議官をつとめ、初等中等教育の政策にかかわる。いわゆる「ゆとり教育」のスポークスマンを任じ、教育改革をすすめてきた。2006年、文部科学省を退職。一方で、キネマ旬報に寄稿しつづけ映画評論をてがける。





Q.いま有権者が教育に求めていることはなんでしょうか?

 安心できる、信頼できる学校を求めているのではないだろうか。少なくとも参議院の選挙でというよりは、むしろ市町村レベルの首長選挙で「うちの町の教育をなんとかしてもらおう」ということが争点になりうると思う。

 国政選挙では教育で票がとれるとは考えにくい、教育予算を劇的に増やす公約を掲げるということならあるかもしれないが。そもそも「教育再生会議(の考え方)がどうなのか」という点について本当に国民は関心をもっているのだろうか。

 国政レベルの政治で教育について決めることはほとんどないのではないかと思う。政治の力で教育が変わるというようなことは今まで経験したことがない。

 ゆとり教育は、中曽根内閣のときに臨時教育審議会をつくって、審議会が答申をしたわけだから、臨時教育審議会をつくったこと自体は政治の力かもしれないが、中身は政治家ではない人たちが集まって議論をし、決めたものだ。


Q.参院選で注目している点は?

 教育以外ではきわめて重要なことがある。それは、いままでやってきた小泉(純一郎)さんから安倍さんにかける路線というものを、国民がどう評価するか、ということだ。その問題点に多くの国民が気づいたと思うので、厳しい不信任の声というよりは、「いままでのこの路線はよくないんじゃないか」という声があがってくるだろう。

 具体的には、いわゆる競争原理とか、市場主義で動くことへの疑問。それによって現実に地方ではいろんなひずみが出てきている。まず地方の人たちは今までの政治に対する不満を抱えていると思うので、それが表に出てくるだろう。

 地方の人にとっては、教育はうまく行っているので、さほど問題ではない。むしろ教育について騒いでいる人たちは、都市部(主に東京)に住む市場主義の人たちで、「勝ち組・負け組」でいえば「勝ち組」の人たちが騒いでいる。大多数の国民は教育に対して、そんなに不安をもっているわけではない。むしろ、「勝ち組・負け組」にわかれていく社会に対してのほうが不満は強いと思う。(小学校で学力テストの不正があったが)東京の足立区の人たちは愚かな選択をして、競争主義に身をゆだねた結果、ああいうことになった。地方では(教育現場に競争主義を東京のようには取り入れていないので)ああいう問題は起こらない。


Q.ゆとり教育がいろいろな意味で変わりつつあります。

 「あれはいいもんだった」とみんな思い始めていると思う。1977年から「脱・詰め込み教育」が始まった。(それまで)みんな横並びで、個別教育をしなかった。個別教育を変えるというやり方で進めてきた。算数が得意な人には算数をたっぷり勉強してもらって、苦手な人にはたいがいでいい、それを1992年くらいから準備していた。いま争点となっている2002年からの教育がいいかわるいかというのは、1995年生まれくらいの人を見ないとわからない。


Q.ゆとり教育は当時の民意がもとめた結果なのでしょうか。

 臨時教育審議会で出した報告について、特段の反対もないのでやってきた。ゆとり教育というよりも、それまでの画一主義教育をやめるのが大テーマだった。そのことには、国民も賛成、政治家も賛成、というものだった。


Q.教育現場の反応は?

 嫌がるに決まっている。(現在の)社会保険庁と同じで、ぬくぬくと守られている公務員は、いままでのやり方を変えようが変えまいが自分の身分は安泰なのだから、変えないほうが楽だろう。公務員とはそういうもの。小・中学校、高校・大学でも反応は変わらない。もちろん一部の(やる気のある)先生たちは「これで子どもたちがよくなる」と目を輝かせて取り組むわけだが、大半の人は変えたくない。特に大学。高校、中学、小学の順。上に行くほどやる気がない。

 2013年ごろにはゆとり教育を受けた子どもたちが大学に行くわけだが、大学は大淘汰時代に入ってくるので、むかしのように漫然とやってられなくなる。


Q.教育行政にかかわる上で、ご自分が受けた教育の影響はありましたか。

 (影響は)受けていない。詰め込み教育の時代だったが、(文科省でゆとり教育を)すすめているときは言いにくかったが、私は教育の恩恵は受けていない。自分の力で育ってきたと思っている。自分で必要なことを勉強し、力をつけてきた。

 学習は個人が主体だ。自分が知りたいことを自分で調べた。今ならインターネットがあるが、本を読んだ。

 大学へ行くための受験勉強は身につくものではない。受験のための勉強だから、受験が終わればおしまい。受験勉強は自宅でやっていた。学校の授業には、ほとんど出ていない。

 そういって大学に入っていながらも、あまり行かなかったが、ゼミなどがあるから、少しは教育の恩恵を受けた。


Q.教育に関しては、JanJan紙上では例えば「日の丸・君が代」などについては議論が活発ですが、こうしたことは教育全般から言えばむしろ特殊で、(九九のような)基礎的知識や、共通の道徳などといった教育とはまた別なもののような印象があります。

 保守派も左翼も時代遅れだから、未だにそんなことを言っている。今はインターネットが普及して、多様な意見を発信・受信しやすい環境が整っているのに、国が押しつけて「日本を愛せよ」とか「軍隊に行け」などといっても、誰もついていくわけがない。「国を愛せよ」と言って(押しつけることができると思っている)保守派もダメだが、「戦前にもどるのか」と言っている左翼もダメ。どちらも現実に即していない。

 (現実は)今の日本では、ほとんどの人が高校を出て、半分くらいの人は大学教育を受けている上に、みんながインターネットメディアで発言したり情報を得たりすることができる社会になっている。そのなかで本当に今やらなくてはいけないのは、国全体でどうこうというより、一人ひとりがどう生きるか、という問題。その集積として国がある。

 古い保守派や古い左翼の発想は、もう全然世の中では通用しないのに、まだそういう人たちが紙媒体の新聞や雑誌などで偉そうなことを言っているが、それは多くの人の感覚からは、ずれていると思う。


Q.これから教育はどうなりますか。また国は教育にどこまでかかわっていったらいいのでしょう?

 教育とは、教える側の論理としては「マス」でやるものだが、学習は基本的に「パーソナル」なもの。これからは皆がパーソナルに学習していくことが中心になると思う。

 国がやることはそれほどないと思う。予算を確保して自由にやってもらって、自治体のために情報提供や相談にのったりする。カンファレンス機能のようなものになっていくのではないだろうか。国が一律に「こうしろ」という時代ではない。


Q.インターネットは教育にどんな役割をはたしていくでしょうか。

 大きな役割をはたしていくだろう。学習手段としては便利。豊かな人でもまずしい人でもアクセスできる。個別に学習できる。私も、ものを調べるときはお世話になっている。ただし、学校ではメディアリテラシーを教えていくべきだ。インターネットにかぎらず、新聞やテレビでも同様だ。どういう場面でどう役にたつのか、子どもに経験させていかなければいけない。


Q.文化庁にもいらっしゃいましたが、先日亡くなった元文化庁長官の河合隼雄さんの思い出は?

 河合先生は小泉以降の路線について非常に危ないと感じていたし、小渕(恵三)内閣のブレーンだったときは、小渕総理が河合先生を頼りにしていた。小渕総理のころは、時代の変化にみんながうまく対応できるように、ソフトランディングさせていこうと考えていたわけだが、小泉総理の時代にはハードランディングさせようという時代になってきていた。河合先生もいろいろな問題があると思っていただろう。

 なんでも経済ではかる考え方を変えていかなければならない、経済力と文化力の両方がなければいけないと河合先生は考えていた。もちろん、マルクスの唯物論は信じていなかったし、右も左も唯物論的社会で、「金がもうかればいい」あるいは「まずしいのは不幸だ」というのではなくて、本当に不幸なのは、文化を楽しめない社会である、本当に幸福なのは、金があるないにかかわらず文化的に生きられる社会である、と考えていたと思う。ゆとり教育もその方法のひとつだった。


Q.河合隼雄さんが編集にかかわったという道徳教科書「こころのノート」が以前「国定教科書ではないか」と問題になりましたが。

 教科書をつくればいいという輩がいっぱいいた。河合先生はしたくなかったけれどもやらされていた。河合先生もあれでよいとは考えていなかっただろう。ないよりはあったほうがいいという話はあったが。

 道徳的価値観は、あらゆる価値観を認めるにしても、共通する価値観がある。弱い人を助けたほうがいいということに文句のある人はいないだろうし、人の命をうばってはいけないといったことを、きちんと打ち出すべき、というのが河合先生の考え方だった。「こころのノート」には余計なことがいっぱい書いてあるが、河合先生がつくったというよりは、全体の監修というのが適切だ。

 教科書で人間が左右される社会なのかどうか、ということを考えてみたらいいと思う。情報がいろいろなところから入ってくる時代に、教科書に書いてあったからといってそれを信じて一生すごすなんてありえない。


Q. 映画評論の分野でもご活躍ですね。

 映画にのめりこんだのは高校1年だった。それまで本を読む生活をしていた。本は知識を得て、そこからインスパイアされるから、「映画もそうなんだ」と気づいた。本で人生を学べるが、映画でもできる。


Q.想田和弘監督の政治の素人が選挙に出馬するドキュメンタリー映画「選挙」はご覧になったでしょうか。感想は?

 見た。選挙というテーマ自体は面白い。ドキュメンタリーとしてはあまりいいものとは思わないが。ドキュメンタリーはそれを通してなにを語るかが問題であって、選挙という風俗の面白さは伝わってくるが、それ以上のものではないと思っている。政治的意味は感じない。

(字幕やナレーターを入れない技術面は)そういう手法もあると思うし、いいものが語られれば成功だろう。「選挙」は成功しているとはいえない。

 選挙を知らない人が見れば「ああこうなっているのか」とは思うのだろうけども、自分たちの生き方や社会のあり方を考え直してみようというようなメッセージは伝わってこなかった。


Q.外国映画は韓国のものしか観ないとお聞きしました。

 それは近年、韓国と日本が切っても切りはなせない社会になってきたからだ。私がこれまで日本映画しか観なかったのは、映画は社会の反映だと捉えていて、娯楽としてではなく、自分が生きている社会がつくった映画が観たいと思っていたから。

 韓国は、今の私にとっては日本の社会に準じるくらい自分の生活と結びついている社会だと思う。だから韓国映画も観る。アメリカだとかイギリスの社会は私とはあまり結びついているものではないから、それほど観たいとは思わない。
◇ ◇ ◇
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