「船が帰ってくるよ」。夕刻、黄金色に染まる浜に子供の声が弾み、笑顔の女性たちが集まる。体長3メートルを超すカジキやイトマキエイを積んだ船が近づいてくる。次の船にイルカも見え、浜は活気に沸いた。「クジラが揚がればもっとにぎやかだ」と元漁師の老人が笑う。
インドネシア東ヌサトゥンガラ州レンバタ島南岸にある、人口約2000人の村ラマレラ。木造帆船を使い、マッコウクジラやイルカを手銛(てもり)で突く漁法が16世紀から続く。
7月、その村を、英国などを拠点とする環境団体「クジラ・イルカ保護協会」上席研究員のエリック・ホイット氏らが訪れ、村職員らと説明会を開いた。漁民らに「クジラ保護」とホエールウオッチングによる観光振興の受け入れを説き、代替漁業への援助を提示。「国際法・国内法にのっとり、海洋生物の保護計画に従う」などと記された文書に署名を求めた。漁師のブランさん(37)は「この先捕鯨ができなくなると、その時にわかった」と怒りをにじませる。
日本鯨類研究所によると、マッコウクジラは北西太平洋だけで約10万頭が生息、絶滅の危険性はない。しかし、ホイット氏は「生息数は計画に関係ない」とし、「目的は住民の生活水準向上だ」と計画続行を主張する。同氏によると、村での活動は「グリーンピース」関連の基金など国際的NGOの資金提供を受けている。
「クジラと少年の海」などラマレラの捕鯨についての著作を持つ作家、小島曠太郎さんは「村人が築いてきた捕鯨文化を何も理解しない外国人が破壊することは許されない」と、計画意図に疑問を示す。
クジラは、村にとって単なる食料ではない。油は燃料に、干し肉は他の村との物々交換で貨幣代わりに使われ、トウモロコシなど主食を得る糧になってきた。ラマレラ文化を研究するウィディヤマンディラ大講師、マイケル・バタオナさんは言う。「村の伝承では、クジラは祖先の生まれ変わりで、村を支えるために回遊してくる。だから、銛を撃つときには祖先への敬称をつぶやく」
70年代、国連の食糧農業機関は、機械式の銛と魚群探知機を備えた捕鯨船を村に送った。しかし、村は最終的にこの船を返し、従来の漁に戻った。漁師のムリンさん(65)は振り返る。「毎日何頭もクジラが捕れる日が続き、逆に自分たちの欲に際限がないことを悟った。村全体で貴重なクジラを分かち合うしきたりもおかしくなった。結局、昔からの方法が一番と気づいたんだ」
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クジラとともに生きてきた小さな村、ラマレラの伝統の捕鯨文化が揺れている。現地から報告する。【ラマレラ(インドネシア・レンバタ島)で井田純】
毎日新聞 2008年8月26日 東京朝刊