今に至る

結局、広島から逃げ帰ってはみたものの、
苦しい状況にかわりはないのだ。

仕事だけは負荷が比較的少ない仕事だったので
なんとか大過なくやることができた。
いい仕事だから、自分なりに誠実に勤めさせてもらった。
こどもたちには癒されるときも多い。

チャムのことをあきらめて出会いを探そうと思って
ネットで出会いを探してみたりもした。
2人ほど会ってみたけど
・・・やっぱり愛せるとは思えなかった。
それに向こうもその気ではなさそうだった。

でも一人の人、まさみさんという人とは友達になった。
32歳の歩いていけるほどのご近所にいる女性。
きれいな人だった。
すごく悲しい過去をもっていて、
現在もとっても苦しい状況みたいで
ご飯を食べない?というとときどき会ってくれた。
いつもさびしかったから、すごくありがたかった。
お互いの過去や現在の苦しいところを、
かなり深いところまで話すことができた。
チャムを裏切るようで後ろめたい気持ちもあったけど
さびしさと性的欲求に負けて彼女と抱き合った。
抱き合っているときは、少し忘れられる。
でも彼女とは決して恋人にはなれないと思うし
彼女もそう意思表示をしている。
でも、癒された。心から感謝しています。ありがとう。


経済的にも7月にチャムのところにいったつけが
一気にのしかかってきて、また家賃の更新もあって
完全にどん詰まりになってしまった。
家賃の督促を何度もされて今週末までには
なんとかしないといけないし、駐車場代も払っていない。
10日の支払いができないからカードもとめられるし
来週からは食っていくのも困難になる。

そんな中おばあちゃんは悪性腫瘍が見つかり昨日から入院。
母親も、自分があまりに心配をかけたから
ノイローゼ気味になって、病院にかかっている。
どうして、どうして、何もかもうまくいかないんだろう。
父親だって持病を抱えている。



今までの人生でなんども苦しいときはあった。
初恋に敗れたときは、まだ若かったし(18歳!)
将棋に出会ってとりあえずこれにかけてみよう、と思った。
そのうちに大学にもいったり、
ネットでの出会いを中心に、
そのときどきで心を支えてくれる女性にめぐりあえた。

2度目の公美のときには、もう将棋はダメだったし
(とても将棋で食っていけるレベルにはなれそうもない)
希望はほとんどなかったけど、
当時仕事をしていて貯金がそこそこあったから
仕事をやめて当分好きなことをして、将棋を楽しんで
貯金を使い果たしてから、考えればいいだろうと思って仕事を辞めた。
(ちょうどこのブログをはじめたころだ)
そうしているうちにチャムにめぐり合えて
もう一度がんばってみよう!って気持ちになれた。

だけど、こんどは何もない。
チャムのところに行くも地獄。
だけど、あきらめても何の希望もなく、やはり地獄。
借金して急場をしのいでも、
今度は借金地獄が待っているだけだろう。
もう親もギリギリだし、これ以上頼りたくない。

どうして、こんなことになってしまったんだろう。
チャムとのことは少なくとも、ずっとまじめにやってきたのに。
ずっと信じて、希望をもってがんばってきたのに。
チャムとのためなら、なんとか未来を切り開いていく覚悟もあったのに。

なんで何も相談しないで、いきなり捨てたりしたの?
あなたのことを必要としていたのに。

いったいぼくが何をした?
あなたが苦しかったとき、毎日相談にのって、助けたじゃないか。
ぼくができることはたかがしれてるけど、
それでも誠意を尽くしてがんばってきたんだよ。
何も他の男に心変わりしなくたっていいじゃないか。
その前にもうちょっと相談してくれれば
ぼくだってやれることをもっと考えたのに。
チャムのほうこそ、自分のことばっかりじゃない。


「二人の一番幸せだった日の一こま」


ぼくの人生が苦しいのは、根本的には自分が原因だと思う。
弱い心や、精神力。
仕事を続ける根気のなさや努力不足。
総合的な生きていく能力が足りなかったんだろう。

世の中はたしかに厳しく、苦しいものだけど
それは誰でも同じことだし、昔から変わってない。
だから全てを世の中のせいにするつもりはない。
自分よりもっと苦しい状況で
がんばっている人がいることもわかっている。

もちろん、家族や周りの人のせいでもない。

心の中で、世の中や周りの人を恨んでしまう気持ちに
なることはもちろんあるけれども、
それだけじゃないことも決してわかっているつもりだ。

今回の恋愛の顛末についても
もちろんチャムだけが悪いなんて思わない。
チャムもチャムなりに悩んで一生懸命ぼくに接して
くれていることもまったくわからないわけじゃない。
ぼくのほうが悪いところも多かったのかもしれない。
チャムが別の人に行くときの決断も、考えた末ということは想像している。

だけど、それでも、
ぼくには本当に君しかいないんだよ。
ぼくのこの今までの人生で一番苦しいときに出会って
そのことを全部わかった上で付き合い始めた君じゃないか?
本気で愛し合って、愛を誓い合ったんだよ?

チャム自身も苦しくて、似たような状況で、
お互い励ましあって助け合ったぼくたちじゃないか。
いくら、君がいい仕事を得て、環境もかわって
苦しいところから抜け出したからと言って
ぼくをお荷物に考えて、捨てようとしないでよ。
ぼくのいうことわかるでしょ?チャム。

なんとか、もう一度、話し合いだけでもしてもらえませんか?
お互い譲り合おうよ。
きっと何か妥協点がみつかるよ。
自分もがんばるし、チャムの立場も考えるし
きっときっとなんとかなると思うよ。
あなたの心もきっと楽になると思う。
憎んだり、うらんだり、苦しめあったりするより
なんとか穏やかで平和な形にしようよ。

頼みます、連絡ください。
ぼくのメールアドレスや、電話番号、わかるよね?
至急、お願いします。

あなたのことを、今でもいっぱい、いっぱい愛しています。

                  あなたの「シゲ/山田茂樹」より

# by shigeshogi | 2008-08-07 08:25 | チャム | Trackback | Comments(30)

ギリギリで弱気を出し、逃げ帰る

8度目にチャムに会ったときのこと。

2007年7月2日、深夜。自分は東京を車で出発した。
今度はお金を残しても仕方がないからと思って
首都高、東名高速もバンバン利用した。
静岡に入ると大雨がふってきて危ない感じになったし
またあとで書く目的のためにはちょっと早く中京方面に
着きすぎてしまいそうだったから
高速を降りて国道1号をひたすら行くことにした。

その目的というのは三重県の白子という場所に立ち寄ること。
ここは昔、付き合いがあったまりこという女性の実家がある。
音信不通だけど、もしかしているかもしれない、
あるいはいなくても実家に家族がいて
何かわかるかもしれない、という思いがあった。

7月3日早朝、まりこの実家にはついた。
10年以上前のうっすらとした思い出を頼りだったけど
場所はわりとすぐわかった。
家はそのまま残っていて、人が住んでいそうだった。
しかしなにぶん朝の6時だったから
自分は仮眠をとって、昼過ぎに出直した。

まりこの年老いたお母さんが応対してくれた。
自分はどんなふうに応対されるだろうか?と不安だったが
お母さんは淡々と話してくれた。
まりこは沖縄で暮らしているとのこと。
白子には2年位前に一度きたとのこと。
結婚して、その人とのあいだにもう一人こどもがいるとのこと。
それを聞いて、これでよかったのだろう、と感じた。
これ以上、例えば連絡先を聞いてもムダだろうし
今の彼女たちの幸せを邪魔することになりそうだ、と思った。
それ以上何もきかず、まりこの実家をあとにした。

それから名阪を通って大阪に入り、今回は下りないで
阪神高速を使って、神戸方面に抜けていった。
お金のこととかは考えても仕方ない、と思った。
高速と、それに続いてきたバイパスが終わると
国道2号をひたすら西へ。長く、長く、苦しいドライブ。
岡山あたりで渋滞に巻き込まれたりもした。
途中、きゃらさんというけっこう長く続いている
広島在住のメールフレンドがいて
その人とのメールにだいぶ励まされた。
その人と会いたいという話もしたけど(ただの友達として)
その人は現在だんなさまと微妙な情勢で今回は会えない
ということになっていた。

道を間違えそうなときとかもあったが、なんとか広島入りして
三原からは海沿いの呉線と平行して走る国道へ。
ここまでくればあと少しとは思うが、
それでもけっこうな距離があってしんどい旅だった。
夜の8時半くらい、やっと神田造船の大きなクレーンなどが
見えて、川尻に入ってきた。
そしてとりあえずチャムの家に。
明かりがついていて、中からチャムの電話の話し声。
「ああ、いるんだ!」って思った。

どうしようか?と思ったけど、今チャイムを押して
チャムに声をかけたらきっと断られて
そのまま会えなくなってしまう、と思った。
それで最初車中泊して、翌日を待とうかと思ったけど
あまりにも暑かった。
で、ネットにつなぎたいということもあって
広のマンガ喫茶に行ってみたけどそこはマンガ喫茶をやめていた。

それで呉のステーションホテルにいったけど
そこはネットが使えない上に値段もけっこうした。
だけど、呉にネット喫茶があると聞いたので
呉まで車を飛ばして、そこで夜明かしをした。
たとえ眠れなくても、翌日チャムのうちで寝られる。
ネット喫茶に朝までいて翌朝、6時過ぎ
大渋滞にもまれながら再びチャムのうちに行った。
渋滞中にチャムはもう出勤していなかった。

合鍵で入って部屋で待たせてもらうことにした。
チャムの部屋の雰囲気はあまりかわっていなかった。
ぼくのあげた薬や、お茶とかがそのまま残っていた。
ぼくがあげた洗濯洗剤は使い切っているようだった。
パソコンの中もいろいろ見せてもらった。
彼とのいろいろな関係のこととかもわかった。
ぼくが一生懸命書いたり送ったメールは
速攻でゴミ箱に捨てられていることもわかった。
そんなに大量に送ってないのに・・・
気持ちはわからないでもないけど、ひどいなって思った。

ほとんど寝ていなかったから、今までに何度も眠った
別府から運んできたチャムの布団で眠れるかと思ったけど
やっぱり不安でまったく眠れなかった。
といって、チャムが帰ってくるのを待つには
おきているのは時間がながすぎて苦しかった。
昼くらいに、一度広の街にでて、
もしかして一緒に食べられるかもしれないお寿司やくだもの
そして、ビール、お茶などの飲み物をかってきた。
それでも時間が大量にあまっているので、
一度渡ってみたかった海越えの有料橋を渡って
蒲刈島というところに行ってみた。
ビーチは波穏やかでとても美しかった。
車が転落しそうな危ない道に迷い込んでしまって難儀した。
なんとか、抜け出して、また有料橋を渡って帰った。

そのあと野呂山に車で登った。
思った以上に高い山だった。
山頂からは瀬戸内海の景色がパノラマのように見えた。
美しかった。
眼下に神田造船の工場も見えて、あの中にチャムがいる、と思った。

それからチャムの部屋に戻って、
ようやく、夕方になったのだった。

母親に電話した。
すぐに帰りなさい、と言われた。
帰れば相談に乗るから、と。
でも今更帰れなかった。

チャムはいつもと同じ6時ちょっとすぎ帰ってきた。
部屋に入ってくる。
チャムが完全に部屋に入りきったのを確認。
声をかける。
逃げられたり、大声をだされないように
「落ち着いて、落ち着いて、静かに」と言う。
チャムはなんとか冷静に対処してくれて騒がないでくれた。

チャムの部屋の包丁をぼくが別の場所に移しておいたのを
目ざとく見つけて、どこかにチャムはどこかに隠した。
いろいろ話した。
ぼくは手をついて、お願いだから・・・と話した。
チャムも私こそお願い・・・となった。

チャムの彼氏から電話がかかってきた。
電話は許したけど、そのあと携帯の電源を切った。

話は難しかった。
途中チャムが逃げようとしたりした。
自分は押さえつけてもってきたロープを出した。
チャムは「しばりなさいよ」と言った。
「私をモノみたいに東京にもってかえればいい。
モノみたいな意思のない私でもいいの?」といった。
そして、自分で足にロープをまいたりした。
チャムを縛ろうとしたけど、苦しそうな顔をみて
どうしても縛りきれず、形だけまくような感じになった。

チャムのことを殴りたい、あるいは電気ショックでも
と頭ではいろいろ考えていたけど
実際目の前にいるチャムはやっぱりかわいいし
愛しているから、とてもそうすることはできないのだった。

長期戦の様相になってきた。
チャムは体操ならときどきしてあげるから、
今すぐは無理だけど、ちょっとたったらまた会ってあげるから
みたいな話をしてくれて、もうやめよう、と言ったけど
その場を逃れたくて言っているだけだと思った。
チャムを押さえ込み抱きしめつづけた。
ほしい、と思った。

夜の11時くらいだったか、事態がかわった。
チャムの部屋の呼び鈴を鳴らす音がする。
チャムは「車を勝手に止めているから注意にきたのよ」と言った。
それで動かせば解決するだろうと思って、外にでて応対した。
きたのはチャムの彼氏だった。

チャムの彼氏は一見して、自分とすごく似た感じの人だった。
やっぱりこういうタイプの男が好きなのか、と思った。

難しい状態になった。
男はとりあえずチャムと話したい、という。
でもある意味、ぼくは助かった、という感じがした。
ここで引き下がれば、事件にならないで終われるかも。。。

今、思えば、なんて気が弱いとも思うけど
やっぱり怖いし、不安だし、誰かを傷つけたくないし
もちろん自分も傷つきたくないし、
警察沙汰とかになるのも嫌だったから
何か退くきっかけを探していた気持ちもあった。

結局、引き下がってしまった。
チャムを彼に譲り渡し、おめおめと帰ってしまった。
わざわざ東京からでてきて、なんて弱いんだろう。

帰りの道はずっと高速道路を走り続けた。
何度も日の当たるパーキングで仮眠をとった。
苦しい、苦しいドライブで永遠に続くかと思った。

でもなんとか死ぬことはなく、家にたどり着いた。
もううちには帰れないと思っていたから、不思議だった。
机の上には、行く前においていった書置きがそのまま残っていた。

自分は疲れて何も考えられない状態だった。
ぐっすり眠れるかと思ったけど、意外に眠ることもできず
やたらのどが渇くばかりだった。
だけど、睡眠導入剤を使ったら、ようやく少しだけ眠れた。
ようやく生きている感じがしてきた。

案の定チャムとはまったく連絡がとれなくなった。

チャムの中では彼が助けてくれたヒーローということに
なったようだった。
ひどい話だと思った。
そしていい気になったように、彼との写真などを
ブログなどに載せるようになった。
悔しかった。なんで、ぼくはいつも決断力がないのか。
なんでこんなに思い切れないのか。

そして、今にいたる。

いい気になるなよ。ただ、そこにきただけのくせに。
お前がいったい何をしたっていうんだ。
オレは何倍も悩み、チャムのことも考え、
ずっとずっと長い時間がんばってきた。
ゴミのようにすてられるようなこと、何もしていないんだ。
チャムもいい気になるな。何がヒーローだ!
オレが許してやったんだ。
人を傷つけて、苦しめて、自分たちだけ楽しければよければいいの?
相手の気持ちは考えないの?

謝ってよ。心から謝ってよ。
謝って、心からの誠意を見せれば、考えるよ。
偉そうに上からの態度で応じるつもりなら、絶対許さない!

# by shigeshogi | 2008-08-07 07:36 | チャム | Trackback | Comments(1)

のたうち回る日々 ~どうしてもうまくいかない

カウンセリングをうけたり、仕事をはじめたことと
同時期のチャムとのこと。

仕事とかがんばっているにもかかわらず
チャムとの状況は悪化する一方だった。
ぼくが仕事をはじめた初日に、チャムが突然
「今日からスカイプと体操をやめます」と言ってきた。
正直言って、なんでこんなときに、という気持ちだった。
こっちがようやく新しく仕事をはじめて
これからというときになんでそんなことを言うのか
はらわたが煮えくり返るような思いだったけど
チャムを愛しているし、メールはいつでもどうぞ、
というので辛抱した。

メールも工夫してなるべく明るく、前向きに書いた。
ところが返信はいつもすごく短くてやる気のない内容。
本当にむかついたけど、今はガマン、とまた辛抱。

少し時間をおいたほうがいいのかな・・・と思って
1週間ほど連絡をガマンして、そのあとハガキを送ったり
仕事を続けつつ、なんやかんやと考えて努力した。

「一生懸命仕事した」と言えば
「じゃあもうチャムがいなくても大丈夫だね」と言われ
「新しい職場でこどもたちがかわいい」という話をすれば
「新しい方向でがんばっているみたいで安心しました」
って感じで、自分のことをあきらめさせることしか
考えてないという感じで、
人をバカにするのもいい加減にしろって感じだった。
許せば、許すほどつけあがられる感じだった。

最後には電話はもうしないでくれ、とか言われたり
携帯メールにも返事がこなくなったり
何をしてももうダメなのか、という気持ちになっていった。
毎日がんばっているのがバカみたいだ。

このころになってくると生活のほうも行き詰ってきてしまった。
5月の最後から6月のはじめにチャムのところに行ったり
就職活動のために高いスーツを買ったり
それに追い込まれてしまって、将棋もあまり勝てなくなったし
まして勉強したりするのも辛くなった。
それに自動車保険の更新とか住んでいる部屋の契約更新とかが
それぞれ、7月、8月にせまっていて
たくわえを使ってしまった自分は破綻必至の状態になってしまった。

そんな中、チャムとの情勢は悪化の一途、もはやいじめられ放題
という感じになってきてしまったし
そんな中でも毎日仕事を続けないといけないし
仕事のあととか将棋をすれば、疲れていて粘り倒されて
ますます勝てなくてストレスがたまるしという感じで
やればやるほどすべてが悪くなる悪循環状態になってしまった。

死にたい、と何度も思ったけど、死ぬこととかを具体的に
考えたりすると、やはり怖くて、死ねない、と思うのだった。
それに自分が死んでも、チャムは「これ幸い」とばかりに
新しい彼氏とやらとラブラブラブラブするのかと思えば
死ぬのも負けて逃げるみたいで悔しいと思った。
それで、なんとか直接会いに行って、会って話をしたい。
しっかりと自分の思いや、苦しい状況を説明してなんとか理解してもらい
関係を改善したい、あるいは新しい彼氏とのこと考え直してほしい、
あるいは一緒に住める算段を考えてほしいと思った。
どうしても説得に応じてもらえなければ
力づくでもきてもらう、わかってもらう、どうしようもなければ
そのときはそのときで。。。と思った。

そう考えて、チャムのところに行くことを決めた。
7度目の出会い。
車がなければ、チャムを連れてくることもできない、と思って
車で行くことを決めた。

そのときのとても苦しい思い出は、次回。

わりと最近の写真。ぼくと一緒だったころのチャムとは
いろいろ雰囲気が違うなあと思ったりする。
少し大人っぽくなったともいえるかもしれないけど
ぼくはぼくと一緒のころのチャムのほうがずっとかわいかったと思う。
時は戻せない。
だけど、チャムとはずっとずっとやっていけるって堅く信じていた。
ぼくもたくさん、悪かった。
だけどチャムもあまりに一方的だ。
この広い世界で、ただ会って話すだけでも、すごく縁のあること、
とチャムは言った。
もしそうであるなら、ぼくたちがあれだけ愛し合って一緒にやってきたなら
その関係は決して簡単に切り捨てることのできるような縁ではないはずでしょう?
ねえ、チャム、ぼくを助けてよ。
自分も助かるための努力をするから。
まずは連絡、ちょうだい。お願いです。

# by shigeshogi | 2008-08-07 06:27 | チャム | Trackback | Comments(2)

のたうち回る日々 ~すくすくスクールの先生へ

すくすくスクールの先生の仕事のことを少し書く。

ぼくはとりあえず仕事が決まって少しうれしかったけど
週5日、毎日基本4時間、月20日までの勤務だから
はっきりいってそれだけでは生活は困難だし
自分にあった仕事なのかどうかもよくわからなかった。
精神的にも厳しい状況だったし
もし合わなければ、すぐにやめるかもしれない、
とも思いつつ仕事の準備をはじめるのだった。

新しく仕事用のスニーカーとジーンズを買った。
スニーカーは980円だったけど、とてもはきやすくてよかった。
ジーンズもダイエーで買ったけど、すごくいいのであった。

仕事の初日、何をやったらいいのかわけがわからなかったけど、
他の職員の方や、こどもたちが好意的でちょっと安心した。
行った初日にいきなり初めて会った先生に
「今度の飲み会に来てください」のお誘いを受けて
いきなり飲み会かよ!って笑えるところもあって
なんとか仕事は滑り出した。

責任者の先生はとても温和ながら、
しっかりした実力をもっていてさすがと思わせてくれたし、
2番目の責任者の先生も、こどもの扱い方に
たしかな実力をもっていてともに尊敬できる人だった。

自分と同じ立場の非常勤の先生方も
とても好意的な人ばかりで、嫌な思いをすることは
ほとんどなかった。
年齢がかなり上の女性の方が多かったけれども
そのぶんかえって気楽な面もあったし、
男性が少なかったので力仕事とかで役に立てる場面もあって
そのへんはありがたかった。
職場での飲み会とか、ランチ会などにもお誘いいただき
参加させてもらったりした。
みなさん主婦の方がほとんどなのに、12時過ぎまで
がんばられたのはびっくりしたが、
その話がほとんどこどもたちのことで
皆さんの熱意は本当にすごいんだなあと思った。

民間の仕事と違って(また教育という分野の性質上)
ノルマ的なものはないし、人手も常に余裕ある感じ。
コスト感覚なんかも極めてゆるくて、物品の扱いや
シフトの組み方ひとつとっても民間の感覚からは
考えられないほどゆったりしていた。
半年勤めれば有給がもらえるとか、時間少し前退勤も
けっこう当たり前という感じもあった。
こんなにゆったりした世界があるのは本当にびっくりした。

こどもと接するのは楽しかったし
こどもたちも男の先生が珍しいみたいで
遊びたがるこどもが多かった。
ただ、自分はおそらく、自分がそうだからだと思うけど
基本的に人にとけこむのがさほどうまくなく
大勢の遊び仲間に溶け込むのが苦手なタイプ、
世の中で生きていくのが大変そうなタイプの子に
好かれるという感じはした。
自分もそういうこどもだったけれども、
そういうのは生まれながらもった性格によるところが
大きいのだなあと、こどもたちをみてつくづく感じた。

周りの人にも恵まれ、何とか休みもせず
大きな失敗もせず今日までやってくることができた。
初めてこの仕事なら続けてみたいと思えるのだったが
残念ながら、チャムとのことは険しさを増していくのであった。

アヒルと戯れる、チャム。一生一緒だよ!
湯布院にて。かわいい!!

# by shigeshogi | 2008-08-06 22:47 | チャム | Trackback | Comments(0)

のたうち回る日々 ~意味なかった健康サポートセンター

呉での就職活動に失敗して東京に撤退してからは
苦悩と孤独感ばかりが深まる毎日だった。
その時期になんとか状況の打開をめざして
いろいろ悪戦苦闘したことを2つほど紹介。
ひとつが健康サポートセンターのサポートで
もうひとつがすくすくスクールでの仕事をはじめたことだ。

そのことは今も続いているのだけど
家にひとりでいるのがこわく感じるようになってきていた。
一人だと孤独感や無力感がおそってきて、苦しかった。
それで毎日のように、実家や、2人のばあちゃんのところ
将棋関係の友達、などに会ったりして気を紛らわせた。
喘息もたびたびでるようになってしまったので
市販薬だけではとてもダメだということで
健康保険料を一部はらって半年だけ有効の保険証をもらった。

そしてそのとき役所で健康サポートセンターというところで
無料の精神科医師の巡回が受けられる話などを聞いた。
またそれとは別に役所内の求人コーナーで、
教育委員会がすくすくスクールという
昔で言う学童保育の先生のパートを探しているのをみつけた。
それでそこで面接を申し込んだら、即日面接が決まった。

役所の帰りに病院に行って、喘息の薬をもらい
そしてうちに帰ってさっそく健康サポートセンターに電話したりした。
そして、数日後、地区担当の方による事前カウンセリングを
受けることになった。
午後からはすくすくスクールの面接を受けてきた。
即採用になって、週明けから勤務になった。

一方、健康サポートセンターの対応。
最初に電話で対応したときに30分くらい話を聞いてくれた
地区担当の職員の方が精神科の先生の巡回を受ける前の
事前カウンセリングをした。
これも30分くらい。
自分もなるべく率直に語って、精神科の先生に
いいアドバイスがもらえることを少し期待した。

その巡回の予定日までは2週間以上待ちがあって
正直待っているのもしんどかったが
まあタダなので仕方ないと思って我慢した。
そして、その日が近くなると、相談したい内容を文書にまとめ
当日もっていったのであった。

しかし、しかし、精神科医の診断の結果は予想通り。
「あなたの症状は専門的には嗜癖(しへき)といいます・・・」
専門の先生のカウンセリングを受けていくのがいいでしょう、
という返答だった。
恋愛依存ということを専門用語を使って解説した。
すると、地区担当職員が、待ってましたと
「クリニックを紹介しますね」とクリニックの紹介が書いた本の
コピーを渡してくれた。
どれも最低1回4,5千円。中には健康保険がきかず
1回につき1万以上もあった。
こうなるとまあ、もう笑うしかないなって感じだった。

まあ精神科医といっても所詮は普通の人だし、たった1回みるだけで
何をすることもできないというのはわからないでもないけど
こんなアドバイスなら、素人の自分でもできるくらいだ、と思った。

まあ、タダだし、役所仕事だし、そんなものだろう、
と予想はしていたが、まさしく予想通りだった。
こっちは来月の家賃も払えるかどうかなのに、
どうしてカウンセリングに通えるというのか。
それに恋愛に依存する原因は他の問題からの逃避の側面も
大きいんじゃないのか?とかそういうことも思った。

自分は昔から役所のサービスと
精神科医の両方をあまり信用してなかったけど
どちらもやっぱり思ったとおりあまり意味なかったな、
という結末だった。

最近のチャムの写真はあまりかわいくない。
もちろん、ちょっとはかわいいけど、前のほうがよかった。

# by shigeshogi | 2008-08-06 21:13 | チャム | Trackback | Comments(0)

就職活動と最後の交わり

チャムから突然「彼氏ができた」という話をきかされて
1,2日は苦しくて動くこともできないありさまだった。
泣いて、わめいて、自分を責めて
もう眠れず、食事もできなかった。
家族に相談したりすると、お決まりで
女の子と末永く仲良くするには
まず仕事がないの悪いとのこと。
仕事を見つけて経済力をもつのが良い、とのことだった。

正直、またそんな話かとは思ったが
今までのやり方がいけなかったからこうなったわけで
まずは四の五の言わず仕事をみつけよう、と思った。

翌日、どうせ眠れないのだから、だらだらしても仕方ない
ということで週明けの月曜日
早速錦糸町のハローワークを訪ねて
たくさんの求人案内を見た。
ぜいたくいえる立場ではないし、
何でもいいから早くはじめたかったから
近くてできそうな仕事はなんでも見てみた。
目いっぱい印刷して担当の人にもっていくと
とても親切な人で片っ端から電話をかけて
運送会社と広告代理店の面接を即日決めてくれた。
その日のうちに、足立区の運送会社と
銀座の広告代理店を訪ねた。
しかし・・・当然不採用。
当たり前のことではあったけど、がっかりした。

それに東京で仕事を見つけたところで
チャムとの関係改善に役立つのか
あまりよくわからなかった。

それで水曜日、決意した。
呉での仕事をみつけよう、と。

さっそく呉の職安のデータベースにアクセスして
電話をかけまくり、金曜日に2件の面接を確保した。
両方とも損害保険関係の会社。
損害保険の仕事は以前資格をとっていたこともあって
可能性がちょっとはあるかと思った。

そしてそのために8万円くらいも出してスーツを新調したり
(わらをもすがる気持ちだった)
履歴書を丁寧に作ったりしながら準備をした。
履歴書にはとりあえず住所をチャムのところにした。
仕事が決まれば部屋を借りて、呉に住むこともできる。
(チャムのところに住めれば一番いいけど・・・)

木曜日にはチャムと話をして、金曜日から
泊めてもらうことを認めてもらった。
チャムはしぶしぶだったけど、わかってくれた。

金曜日、朝一番の飛行機で広島に向かい。
呉につくやいなや、その足で駅前のハローワークに向かった。
保険会社以外にも面接をたくさん決めたかったから。
不動産会社、宅配便、チャムのすぐ近くの野呂山観光などなど
たくさんのところのアポイントをとったが
次々電話がかかってきて、面接お断りになった。
10くらいの会社に面接を申し入れたけど
地方はデスクワーク関係の仕事は本当に厳しくて
よほどの実力のある人や地元でコネなどがなかったら
とても仕事がみつけられる感じがしなかった。
暑い中、慣れないスーツで重いかばんをさげながら
街を歩いてどれほど自分が無力で絶望的に感じたか。

そして、思ったとおり・・・損害保険会社2社も轟沈。
特に最初の1社では地元になんの地盤ももってない自分の
立場をしっかり指摘されて、
無理だということを痛感させられてしまった。
2社目のときは向こうに話を合わせているうちに
なんだかちょっとウソをついてしまっているような
感じになってきてしまって、こちらから断らざるを得ない
形になってしまった。

金曜日の面接はそれで終了。
山のような資料と、疲労困憊だけが残った。
呉の街でいろいろチャムにおいしいものをみつくろって
それから安芸川尻のチャムのうちに向かった。
安芸川尻からチャムのうちまでの歩き道は
ほとんど足をひきずりながらで
チャムのところについたときには
全身びっしょり汗をかいていた。

チャムはぼくを休ませてくれた。
そして、買ってきたもので、一緒にばんごはん。
ぼくの話もいろいろ聞いてくれた。
チャムがいてくれれば、落ち着いて、ゆっくり腰をすえて
仕事を探せるのに。。。ぼくはあせっていた。
親に相談しても、とにかく帰ってこいの一点張りだった。

ぼくはもうどうしたら、この苦境から抜け出せるのか
わからなくなった。

夜、チャムは一緒にお風呂に入ってくれなかった。
それに寝る部屋も別々になった。
ぼくはチャムの寝室にいって、いろいろ話をした。
ぼくたちの今までの経緯。
今、ぼくが置かれている苦境。
なんとか仕事をみつけて、チャムのそばにいられるように
努力したいという気持ちなど。

ぼくはチャムの体を求めた。
チャムは「私、もう彼氏がいるの」と言って拒んだ。
でもかまわず、ぼくはチャムに愛撫を続けた。
抵抗は最初あったけど、すぐに受け入れた。
チャムの短パンを脱がせて、
触るとすでに入れる状態になっていて
ぼくたちは、ひとつになった。

肉体的な快感はもちろんあったけど、悲しかった。
ずっと喜び合って、求め合ってきたぼくとチャムに
こんなときがきてしまうなんて。

翌朝、チャムは大阪から友達がくるということで
広島に行ってしまった。
夜からは彼のところにいるから、部屋には戻らない、と。

ぼくは最初うちにいたけれどもすることもないので
同じく広島に行って将棋センターを訪ねた。
レーティングの月例会をしていたので
そこそこの相手もいて、まあまあ楽しかった。
内容はすごく悪かったが、
そこから粘るみたいな感じの将棋ばかりだった。
すごく苦しい精神状態のときだったけど
対局中だけは多少気がまぎれる。

でも将棋をしてるとチャムからメールがあった
やっぱり彼氏のところにいかないから
もううちに帰ったと。
鍵をぼくがもっていたのでチャムは締め出しに
なってしまったのだった。
それで広の駅で待ち合わせて合うことにした。
もう夜の9時過ぎになっていて、
チャムをだいぶ待たせてしまった。
本当は一緒に思い入れのあるお寿司を食べたかったど
いったらもう店はしまっていて
仕方なく長浜ラーメンを食べたのだった。
高くてサービスもイマイチ、あまりおいしくなかった。

チャムと一緒に電車に乗って、川尻に帰った。
一緒にいるときはそれでも楽しかった。
その夜も、ぼくたちは結ばれた。
一番最初に結ばれたときと同じ姿勢。
チャムの両足を伸ばしたまま、自分も足を伸ばして
チャムに覆いかぶさる。
自分の先が、チャムの入り口に当たる形で腰を動かしていく。
最初はあまり元気でなかった自分もだんだん元気になり
最初はぬれていなかったチャムも入る状態になって
はじめてのときと同じ、ある瞬間、ぬるっという感じで
ぼくのものはチャムの中に包まれていった。
ぼくは遠慮なくチャムの中で出した。
できてほしいと思ったが、残念ながらそうはならなかった。

チャムのあとの話によると
「本当に嫌いになってないから、本気では拒めない」
というようなことだった。
「でも好きなわけでもない」というふうに言った。

チャムは「おなかの丸い人をみると、今でも
シゲのこと思い出すけど・・・」というような話もした。

日曜日、家族からも帰れといわれて
またチャムにももう帰ってほしいといわれて
ついに帰る、というふうに言ってしまった。
チャムはメールとか、スカイプ、体操は続けてくれる
と約束してくれたのだ。

今思えば、ここで踏みとどまって、平日1週間
徹底的に仕事探しをしたほうがよかったかも。。。
ここで帰ってしまったら、2度とこられなくなる予感もあった。
でも作っておいた合鍵があったから
どうしてものときはまたこられるか・・・と思って
あきらめることにしたのだ。
精神的にも肉体的にも疲れていた。

帰り際、チャムがテレビの上においていた、
彼が買ってくれたというコンドームがあまりに
憎らしいものだから、ひとつもっていって
チャムに送ってくれ、と怒られた。

夕方の新幹線で帰ることにして、
それまでまた将棋センターで時間をつぶした。
新幹線にのる直前にチャムに電話をかけたら
「東京に帰ってもがんばって」と言われた。
帰りの新幹線ではさびしくて、大勢にメールを出しまくったけど
ほとんど帰ってこないのだった。

ホント、むかつく写真。自分さえよければいいの?

# by shigeshogi | 2008-08-06 19:19 | チャム | Trackback | Comments(0)

急転直下

6度目のデートを終えてからは、
全体に上げ潮という感じの状態になった。
チャムの話し方もちょっとやさしくなって
またぼくの昔のことを聞いてくれたり、
なんかいい方向に向かっているのかなって感じた。

将棋のことをがんばっていたら
結構調子もよくて、
久しぶりに月単位で奨励会員勝ち越したり
賞金トーナメントもかなりの連続優勝をして
続けて勝ちすぎないように注意しないといけなくなったり
いい状態になったと思っていた。

だけど、危機はぼくの見えないところで進んでいたのだった。
5月11日。アマ竜王戦の前日。
緊張からか、虫の知らせなのか、
前日から急に体調が悪くなり喘息の発作がでてしまった。
特効の吸入薬はなくなってしまっていて、市販の飲み薬便り。
しかし、その日は全然きかなくて、ひどい発作で
眠ることもできず息も絶え絶えになってしまった。
しかし年に1度のアマ竜王戦だから、這ってでもと思って
会場に行き、予戦をなんとか通過して
本戦までの待ち時間の2時間ほどをベンチで横になっていることで
なんとか少し回復してきたのであった。
大会の結果はベスト8入りの一番で負けと悪かったけど、
まあ、がんばった結果だったから仕方ない。

ところが、その日呉では、チャムがぼくの知らないところで
こっそり、新しい彼氏、というのを作っていたのであった。
メールなどによると、チャムのほうから、かなり積極的な
アプローチがあったとのこと。
二人で海浜公園だかにいって、付き合いはじめたようだ。
チャムのことだから、進展は早い。
速攻、ラブラブな関係に。
もう1週間もたたないうちには体の関係に進み。
会うたびにするような関係。

あの日突然喘息になったのも、あとから思えば
悪い知らせだったのかなあとも思う。

ただその日以降もぼくとチャムの体操は続いていた。
ところが、土曜日の夜とかに
ときどきチャムが「今日はできない」とメールしてくる
ときがあった。
そんなことはそれまでほとんどなかったことだけど
そういうこともあるだろうと思って
一度目は何もいわないで、わかったと言った。
翌週、2度目のとき、おかしいな、とは思ったけど
もう一度だけ見送ろうと思って
何も言わないで、了解した。
3度目のとき、5月24日にも体操はできない
と言われたとき、ついにチャムに話し合いを申し入れた。

ぼくは心の中で6月には1週間以上の長期で
チャムのところに行こうって心を決めていた。
で、その申し入れを含めて、5月25日
スカイプでチャムとお話をした。
そこで衝撃のセリフ。
「私、新しい、彼氏ができた」

ぼくはとっさに何もいえなくて、ややあって
「そりゃ、ないよ。聞いてない。ダメだよ」
「ウソなんでしょ?」
そんなようなことを言ったような気がする。

しかしどうやら本当とのこと。

ぼくはずっと信じてきたものがガラガラと音を立てて
崩れていくのを感じた。
この1年間の数々の思い出、一緒に毎日続けてきた体操、
それでいいんだ、と思ってがんばってきた将棋
何よりも自分がしっかり愛していれば、
きっとチャムは応えてくれる、というずっと時間をかけて
作り上げてきた信頼。
やっと、運命の人に出会えた、幸せが見えてきた、
そんなときのまさかの転落。
本当に急転直下だと思った。

チャムのこの顔!ひどい表情だと思う。
どうして、裏切ったの?どうしてもうちょっと相談してくれなかったの?
全てを決めてしまう前に。

# by shigeshogi | 2008-08-06 18:34 | チャム | Trackback | Comments(0)

翌朝の奇跡 ~魔法のキス

ぼくとチャムが深く愛し合った夜はふけていき、そして、朝。
またひとつ奇跡が起こった。

まだ寝ていた自分だけどチャムが出勤の準備をしていることはわかった。
まだ布団で横になって目をつぶって夢うつつでいたら
突然、唇に感触。

チャムが唇をまっすぐに重ね合わせ、舌こそ入れないものの
深いキス!
最初は何が起こったのかわからなくて、
そのあと1~2秒してから、キスされている、ってわかった。
甘くやさしいキスで思わず「ああっ」って声がもれてしまって
チャムはちょっとびっくりしたように唇を離すのだった。

キスが大好きな自分だけど、こんな風に女性からサプライズな
キスをもらったことはほとんどなくて衝撃を受けた。
こんなに気持ちのいいキスは生まれて初めてだった。
チャムの愛が深く深く伝わってきて
自分はこの子との愛を再び確信することができた。

チャム、本当に魔法のキスってあるんだ。
心の底から幸せな気持ちにさせてもらった。
ありがとう、チャム、ありがとう。
愛してる!

それから支度を終えたチャムは別れの言葉を告げて
会社に出勤していった。
自分は鍵をポストに入れて帰ればいい。

安芸川尻から電車で広にでて、そこから広交差点まで歩き
そこで空港行きのバスに乗る。
安芸川尻駅には瀬戸内マリンビューという
瀬戸内の海や景色が見やすいように工夫された
ユニークな車両の電車がやってきて明るい気分になった。
広では、チャムと行ったばかりの広公園の桜を
ちょっと眺めてから広交差点へ。

そして、バスで空港に向かった。
ときどきチャムもメールをくれて、うれしかった。
その日は東京の地方の悪天候の影響で
飛行機が運休したり、大幅に遅れたりしたものの
自分はそんなにひどい目にあうことなく
無事に帰り着くことができて
チャムとの6度目のデートは愛を確信するものになった。
チャムは一生懸命誠実に愛を示していれば
絶対にわかってくれる、自分の特別な女の子だと思った。
大好きなチャム。ずっと一緒にいたい。
もうどこにも行かないで!
いや、もう絶対どこにもいかせない。
チャムはぼくのもの!!

# by shigeshogi | 2008-08-06 06:47 | チャム | Trackback | Comments(0)

「本当にやさしい人でよかった」

2007年4月7日月曜日

「本当にやさしい人でよかった」
チャムが言ってくれた、この言葉。
ぼくはこの言葉を聞くために生まれてきたのかなって
思えるくらいうれしい言葉だった。
男子の本懐、一生懸命愛を示してきたかいがあった、
って思えてうれしくてたまらなかった。

さて、この日は月曜日。
チャムは会社に出勤しないといけない。
神田造船所は昔からの会社だけあって、朝は早い。
7時には起き、7時半には家をでて、8時少し前には
席についてパソコンを立ち上げるのがチャムの日課だ。

ぼくは前の日の眠りもうつつのままチャムを見送りまた寝た。
風邪はかなりよくなっていたけど、まだちょっと不本意だったのだ。
それでも昼前には起きて、ネット配信で映画など見て
お昼には近くのお好み焼き屋さんでお好み焼きを食べた。

そして昼からは買出し。
これは月曜日まで泊まっていたことの最大の目的で
チャムにばんごはんを作ってあげたいというのがあったのだ。
歩いて駅の途中にあるローカルのスーパーで値段をみたあと
片道20分ほどのスーパーイズミまで行って、安いほうで
豚肉、キャベツ、もやし、クックドゥ、くだものなどを仕入れる。

そしてお米は東京から持っていったものがあるが計量カップがない。
チャムはだいたいでいいのよ、っていうけど
自分はお米はやっぱりぴったり計らないとまずくなる気がする。

それで川尻近くの雑貨屋さんでかったら480円も取られた。
やっぱり地方の個人経営の小売店はなんでもありえないほど高い。
また風邪薬がなくなってやっぱり小売店で買ったら
10回分で1800円くらいの高いのを売りつけられた。
まあそうしなければやっていけないというのもわかるが
そんな商売では将来はないだろうと思う。

材料を仕入れ、とりあえずお米を計量して、水に漬ける。
少し漬けておいたほうがおいしくなるのだ。
ついで、クックドゥを使ってホイコーローを作る準備。
チャムのお部屋にはほかにも野菜があったから
フライパンに用意して、チャムが帰ったら
すぐに調理できるように準備しておいた。
幸いチャムのうちには、
深い形のフライパンがあって調理しやすかった。
そうしておいて、少し寝たりしながらチャムの帰りを待つ。

チャムが帰ってくるだろう30分くらい前の時間に
炊飯器のスイッチを入れて、炊飯。
だいたい予想通りの時間のチャムが帰ってきたから
もうおなか空いている?って聞くと
空いているっていうので、早速料理。

こうしてチャムの前のホイコーロー定食?が
用意されたのだった。
実はチャムはこれをとっても気に入ってくれた。
というのは別にぼくの料理がうまいわけじゃなくて
まあクックドゥがすごいだけかもしれないが
数日後メールであれはどこで買えばいいかな?
ってわざわざメールで問い合わせてくれたほどなのだ。

チャムも当然のようにおかわりしてくれて
二人で大鍋いっぱいのホイコーローに2合のごはんは完食。
食後にお茶を入れて飲むのだった。
「洗い物は自分が」ってチャムが立とうとしたけど
今日はチャムは仕事してきたんだから、ぼくがやるよ、って
粗いものもして、それからくだものを出したりした。

テレビではちょうど「Qさま」って番組がはじまって
この番組をふたりで楽しんだ。
漢字の問題とかがいっぱいでるのだけど
これを紙に書きながらふたりで競争。
さすがに自分のほうが勝つけれども
それでも自分がわからなかった字とかをときどき
指摘されたりすることもあって
チャムも平均的な日本人には勝つかもしれないって思った。
本当にすごい!
でもこのときの漢字書き取り大会は平凡な幸せを
感じられるもので、本当にうれしかった。
チャムとずっといられたらいいのに!

一緒にくだものやらイカを食べる時間もあって
お風呂に入ったりくつろぎのひとときを二人ですごした。

そして夜。高級な薬を惜しみなく飲んだせいか、
体調もよくなりやる気もけっこう満々。
チャムを積極的に求めると、チャムはいつものように
やさしく求めに応えてくれるのだった。
いつもよりも長い時間をかけて、丁寧にチャムの体を味わった。
そして正常位で挿入。
早くも荒くなるチャムの吐息だけど
今日はなるべく長くしたいと思って
丁寧にゆっくり、腰をうごかしていった。
同じパートナーとの関係が長くなると、ついつい雑になってしまう
ところを初心にかえって丁寧にやったのだ。
特別なことはしないけど、腰をゆっくりゆっくり動かし
長い時間をかけてチャムの体の中を動いていく。
チャムは声がもれはじめる。「ああ、すごい。今日はすごいね」
ぼくは「チャム大好きだよ。ずっと一緒にいようね」っていうけど
するとチャムは何も言わないで、って言うのだった。

次第にチャムの深くまで入って、ぴったり奥まで入る感触を味わうけど
とにかくゆっくりゆっくりを心がけて、長く長く上下運動。
ぼくは何も言わないようにしたけど、
チャムの口からはときどき言葉がもれて
意味不明(ベトナム語)のときもあったりして
チャムがいきそうになっているのかな?って思ったりした。
そして久しぶりにチャムがいっているって感覚を得て
自分も達してしまった。
すごく気持ちのいい射精だった。
満足感があった。

そのあともチャムに体重がかかって重くならないように気配りしながら
ゆっくりチャムもいたわるように髪をなでたり、体をさすったり。
チャムへの想いをこめながら、体を寄せ合っていた。
そしたら自分の下にいたチャムが泣きそうになりながら
「本当にやさしい人でよかった」と一言いってくれたのだった。
ぼくはその言葉に息をのんだ。
想いが通じたことがわかった。
うれしかった。

そして、その夜は寄り添いながら眠った。
自分は寝付けないことも多いのだけど
その日は安らかに眠ることができた。

いつまでも寄り添っていたい。
ねえチャム?思い出して、ぼくたちがいつも一緒だったこと。
もし、自分が悪いことしたと思う気持ちが少しでもあれば
ぜひ連絡をしてほしい。
ぼくは今ならきっとあなたを許せると思う。
あなたの真心を伝えてほしい。
もし今の彼といい気になっているならぼくの胸は張り裂けそうだよ。
もし決していい気になっているとかじゃないなら
誠意をもって連絡してほしい。
あなたの気持ちをきっと尊重するし
きっとお互い実りある話し合いができると思う。
どうか、お願いします。
連絡してください。
この文章を読んでいる、チャムの知り合いの方がいたら
ぜひチャムにこの気持ちを伝えてください!
お願いします!!

# by shigeshogi | 2008-08-05 19:52 | チャム | Trackback | Comments(0)

広公園の美しい桜と、求めなかった一日

4月6日日曜日!
この日はすてきな一日だった。
朝、少しゆっくり目に起きると体調はかなり回復していて
普通に行動する分には何の問題もなさそうだと思った。

お菓子とイカの燻製、ビールの大きいのを1缶もっていって
二人のピクニックは始まった。

明るい日差しの中、二人で歩いて川尻の駅まで。
途中最近のお笑いの話になってチャムが
「ラーメン、つけ麺、ぼくイケメン!」のまねをしてくれた。
駅ではチャムの知り合いなどにあったり
チャムはやっぱり地域に根ざしてきているのだと思った。

電車で広に行き、広公園のほうに歩いていく。
広公園でもだれか知り合いに会うんじゃないかな?
って気にしたりしていた。

おいてあった敷物をもらって、その上に腰掛けて二人花を見る。
花はほぼ満開、かわいらしい花が咲いていた。
春の広公園は光が降り注ぎ、平和そのもの。
チャムはもってきたビール(というか第3のビール)を出して
その商品のCMが気に入ってるみたいで
「のどごしアーップ!!」ってやってくれるのだった。
ひとつのビールを二人で飲む。
幸せな時間だった。

(自分がチャムのカメラで撮影。あまりうまくない)

家族ずれやカップルが、キャッチボールをしたり
サッカーボールを蹴りあったり
転がってきたボールを蹴り返してあげたりした。
かわいいチャムとこうして平和な幸せな時間。
この日がふたりの最後の(まだわからないが)
幸せなデートになるなんてぼくには想像もできないことだった。

チャムはデジカメで桜の写真をたくさん撮った。
チャムは花が大好きなのだ。
ずいぶん場数を踏んだからかもしれないけど
撮影もけっこううまい。
その写真は後にチャムのミクシーのページの載った。

こうして2時間ほどものんびりしただろうか
二人は広公園を離れて、駅前にあるカラオケ屋さんに行った。
ここでも楽しく熱唱。

でもぼくがチャムがトイレに席をたったあいだに
ユーミンの「翳りゆく部屋」を入れて歌っていたら
(この歌は別れる二人のさびしい部屋のことを歌っている)
それを戻ってきて聞いてしまって
「ねえ、シゲ、そんな悲しい歌歌わないで」って
泣きそうな声で言うのだった。
「死なないで!」って。
チャムがそう言ってくれてすごくうれしかった。
ぼくはチャムがずっといてくれるって信じていた。
愛を信じて最後まで行きたいと思っていた。

それからはアップテンポな曲の連続で
最後の「波乗りジョニー」ではチャムはノリノリで
手を叩いてくれたり、明るい気持ちでカラオケを終えた。

時間は夕方、そろそろおなかが空いたということで
二人で「ロッキーベアー」へ。
この数ヶ月のあいだに、チャムはもう併設のボーリング場も
ケーキ屋さんもみんな経験済みとのことだった。
時間は流れているんだなあ。
チャムは前と同じ「タンドリーチキン」を食べて
ぼくは前と違って「ハンバーグ」を食べた。

窓から下の駐車場の車を見ながら
「ここは広島なのに、マツダの車は意外に多くないね。
このあいだ吉田部長もトヨタ車だったしね」
って話をしたら、チャムは
「トヨタの生産管理はすごくて、トイレの時間も
給料が引かれるってきいた。それはやりすぎだと思う。」
って話をした。
チャムの上司がトヨタ嫌いでそんな話をしたらしい。
その上司もトヨタの技術は世界一だけど、その理由で
他社の車を乗っているとのこと。
その上司はチャムの直属らしく、まじめな方で
チャムが自転車で道路を横断するのを見て
「そういうことは誰でもがやっていて、悪いとまでは
いえないことかもしれないけど、自分としては
チャムさんにそういうことをしてほしくない」
という話をしたことがあって
チャムはそれ以来注意しているのだそうだ。
とってもまじめな昔ながらの会社なのだな、って思った。
最後に「あの軽自動車一台がたったの100万円以下でできるって
本当にすごいことだと思う。部品を全部集めて組み立てても
もっとずっとお金がかかるのに」なんて話をぼくがして
車の話題は終わった。
チャムは免許をとる気はしばらくないらしい。

食事のあとはもう日がおちてきていた。
二人で家路に向かう。
そしてお部屋でテレビをみたり、お風呂に入ったり
くつろぎの時間。

そして、その夜、ぼくはチャムと知り合って
はじめて一緒に寝るときチャムを求めなかった。
前の晩のことがあって、自信がなかったのだ。
それに翌日の夜が最後の晩になるから
それまで力を蓄えて、そして体調ももっとよくして
最後の晩に深く感じあいたいって思ったのだ。
チャムから求めてくるかな?ともちょっと思ったけど
気を使ったのか、それもなかった。
体で愛を伝えられないのが残念だったけど
でも明日こそ!と思って眠りについたのだった。

桜の中のチャム。チャムはベトナム人だけど本当に桜を愛する
桜の似合う女の子だと思う。
いつまでもぼくたちの心に桜が咲いていますように!

# by shigeshogi | 2008-08-05 19:02 | チャム | Trackback | Comments(0)

うまくできなかった一日

4月5日の土曜日。

ぼくとチャムは一緒の時間をすごしたはずなのだけど
どうしてもこの日の記憶がない。
実は風邪で熱がでてしまって、
ほとんどずっとチャムのうちで寝ていたのだった。
寝たり起きたりを繰り返して、
そのあいだにチャムはちょっとでかけたり、
たまった家事をこなしたりしていたのだろう。
とにかく寝ている記憶、夜、一緒にテレビをみた記憶
イカくんを二人で食べた記憶、そして、
残っていた冬にぼくが買った入浴剤で一緒にお風呂に入った記憶しかないのだ。

その晩、やっぱりいつものようにチャムを求めた。
「体調が悪いのに、ほしいの?」とチャムは言ったけどやっぱりほしかった。
チャムは求めに応えてくれた。
体調が悪いせいか、なかなか元気にならないぼくの一部を
やさしくいたわるように愛撫してくれた。
チャムがぼくにまたがっていろいろ工夫して
ちょっとだけ入ったのだけど力弱くて
チャムにはちょっと不満だったかもしれない。
でもチャムはやさしく許してくれるのだった。
入れるだけがHじゃないと思って、
チャムのやさしさがうれしくてたまらなかったけど
チャムの内心はどうだったのだろう?
チャムに申し訳ない気持ちでぼくはいっぱいだった。

けっこう緊張していたんだと思う。
チャムには迷惑をかけてしまったかもしれない。
風邪薬をたくさんのんでその日はなんとか眠ったのであった。

足湯につかるチャム。このころのチャムの髪型はけっこうかわいい。
チャムはけっこうおしゃれさんなのでまめに髪型を変える。

# by shigeshogi | 2008-08-05 17:41 | チャム | Trackback | Comments(0)

6度目のデート  ~最後の楽しい日々

4月4日、飛行機は羽田空港から空路、広島に向かう。
花粉症の薬やら、ぼくのおばあちゃんが作ったバッグだとか
いろいろな種類のお茶のティーバッグ詰め合わせとか
チャムが喜びそうなものをいろいろもっていったのだった。

旅は順調。
途中、富士山や足柄平野の扇状地がはっきり見えた。
広島空港ははじめての利用だったけど
こじんまりとしていて山の中だった。
広、経由、呉行きのバスがでているので
それに1時間以上ゆられて、広まで向かう。
広で降りてお買い物。
おいしいお寿司屋さんを探したかったが
見当たらなく、重い荷物を引きずりながらだったので
しんどくなって、やっぱりいつものところか・・・
とチャムと行ったお寿司屋さんで買った。
また隣のスーパーで、例のイカの燻製やら
サラダやら、別のお寿司やら
ビールやら、くだものやら、チャムの好きそうなものを
たくさん買い込んでいく。

そして、広の駅まで戻るのが面倒だったのでバスで安芸川尻まで。
バスは高くて時間もかかるけど、
お寿司屋さんのすぐそばにバス停があったし、
チャムのうちのすぐ前まで行けるのだ。
川尻の駅からだと10分以上歩かないといけないからね。
楽は楽。
途中、友達から、春の高校野球で沖尚が優勝したニュースなどが届く。

チャムにふざけて、「5時半ごろ、お寿司のお届けです」
ってメールをしたら、チャムは6時くらいになる、との返事。
そして、6時10分くらい、チャムは自転車を飛ばして帰ってきてくれた。
「もう~、こないで、って言ったのに」とかブツブツ言いながらも
部屋にあげてくれて、とりあえず休ませてくれたのだった。

最初はいろいろぶつぶつ言っていたけど、そのうち
「なんで、きてくれたの?何も変わらないんだよ」っていったり
でもぼくが今回はマイレージを使ったために
お金はほとんど使っていないという話をしたり
「ちょうどぼくたちが知り合って、1年だし、ちょうど
桜も咲いているからチャムとお花見したかったんだよ」
という話をしたりしたら、チャムはちょっとうれしかったみたいで
気が楽になったみたいだった。

少し話していると気分を取り直してくれて
一緒に買ってきたお寿司を食べた。
だんだんに気分もほぐれてきて
いろいろな話ができるようになってきた。
チャムは日曜日に広の街にお花見に行こう!と言ってくれた。

そうそう、ひとつ思い出した。
この日の晩、いつもの体操を二人ではじめてやったのだった。
スカイプでは毎日体操をしていたけどリアルでは初めて。
で、いつものようにチャムが音楽をかけてくれて
やりはじめる・・・が、2人の動きはてんでバラバラ。
チャムは音楽に合わせてヒップホップのような動きだけど
自分はラジオ体操みたいな感じ。
おかしくて、はずかしくて、二人とも笑うしかなかった。
でも腕立てふせ、腹筋など最後までやりとげると
チャムは「しげは毎日すごく動いてるんだね」って
感心してくれて、ちょっとうれしかった。
ま、実はいつもより、ちょっと張り切ってやったんだけどね(汗

そして、その夜、ぼくたちは再び交わりあった。
ぼくはこのときあまり体調がよくなかったのだけど
数日禁欲していたので、けっこう激しく交わったのだった。

夜に熱がでてきてしまって、すごい汗をかいた。
薬をもってきていたので、バンバン飲んで、
とにかく早くよくなってほしいと思った。

ちょうど桜の咲く頃。これは2007年別府公園の桜。

# by shigeshogi | 2008-08-05 12:27 | チャム | Trackback(1) | Comments(0)

出会い1周年と体操の日々

3月に入ると、チャムが花粉症で調子が悪くなった。
チャムは今までそんなふうになったことがなくて
だんだん日本人っぽくなってきたのかな?なんて言っていた。

それでぼくはネットでいろいろ調べて、
あとで薬を持っていってあげたりした。
逆にぼくが喘息で苦しんでいて、でも健康保険が払えなくて
薬が買えないでいたら、チャムが友達に問い合わせてくれたり
そんなこともあった。
ぼくがチャムにしてあげられることは
すごく少ないから、少しでもチャムの役に立ちたかったけど
なかなかしてあげられることが少なくて残念だった。

スカイプと体操は毎日続き、
できない日は(金曜日以外滅多にないけど)
そのときはメールで連絡しあうのだった。
たまにお酒をいただく機会があって、
飲んでよっていて面倒でも、チャムとの体操の時間
(10:30~11:30のあいだに
チャムはスカイプをかけてくれる。)
だけは絶対にさぼらないようにうちにいるのだった。
ぼくの生活のなかでかなり優先順位を高くして
チャムとの一緒の時間を確保していった。
チャムもまたいつもぼくのために時間を作ってくれるのが
たいへんだったろうけど、いつも一緒にがんばった!
体はどんどん動くようになっていって、とてもよかった。
チャムと一緒に体操をすると心まで明るい気分になれた。

その体操もこの1週間くらいはついにやらなくなってしまった。
チャムと別々になってしまってからも
なんとかがんばってきたけれども、
チャムがなかなか連絡くれなくて、もう力尽きた形だ。
でもぼくたちがまた天国にいったら
ずっと毎日一緒に体操したいと思う。
ずっとずっと愛し合って、仲良く体操しよう。
体操のあとは一緒に抱き合おうね、チャム!^^

体操をつづけていくうちに、二人がセイクラブで知り合って
一年目の記念日が近づいてくるのだった。
チャムに、そろそろ1年たったかな?って聞いたら
チャムはちゃんと覚えてくれていて、もうすぐだよ、って
答えてくれるのだった。
なんとか、そのころにまた会えたらいいな、って思ったら
3月の終わりごろときどき見ているJAL(日本航空)
のホームページにおもしろい告知がのった。

自分はクレジットカードをJALのものを使っていて
そのマイレージ(ポイント)をためていた。
それを集めれば飛行機にタダ乗ることができて
チャムのところにもいけるからだ。
それでちょっとした買い物もいつもカードだし
友達と食事をするときにはいつもまとめて
カードで支払いをさせてもらったりして
一生懸命マイルをためていたのだった。
それが1万1千マイルくらいになっていたけど
1万2千マイルないと国内線に乗れないのだった。
ところが4月からキャンペーン!ということで
千マイル少なく1万1千マイルで国内線に乗れる!
ということになったのだ。
自分はこれだ!って思った。

それで、4月に入ってすぐの週末を予約。
ちょうどであって1年目の記念と、
チャムが大好きな桜のお花見を兼ねて呉に行くことを
決意したのであった。
チャムをびっくりさせようと思って
前の日まで普通に体操をして
そして何気なく、チャムに予定がないことも確認しつつ
会いに行く、サプライズ作戦だった。

そしてチャムと2007年チャムと知り合った日のチャットの話題になった
「千葉将棋祭り」の将棋大会がほぼ同じ3月30日にめぐってきた。
そして、この大会では心強い仲間のサポートにも助けられて
自分は1敗したものの、見事優勝することができたのだった。
チャムもとっても喜んでくれて、こうしてチャムとぼくの
1周年を飾ることができた。

そして、いよいよ4月がやってきた。
またまた素敵な旅となる6回目のデートは次回から書いていこうと思う。

チャムと愉快なゆかた仲間たち。みんな素敵な人たちだけど
やっぱりチャムが一番かわいく見える。ひいき目かな?!
チャムと浴衣で花火大会行きたいよ!!

# by shigeshogi | 2008-08-05 09:58 | チャム | Trackback | Comments(0)

2008年前半戦 ~誕生日の贈り物と体操のはじまり

2008年に入るとスカイプや携帯のメールは続いていたけど
チャムはなんとかぼくたちの関係を友達と規定したがるようになった。

というのはあとで聞いたら、やっぱり土日など休みの日が
とってもさびしいことや、
将来の展望が難しいことなどが原因だった。
チャムは言ってくれないから、
ぼくにはそこまで深刻なことだってなかなかわからなかった。
でも、チャムはぼくが東京で将棋をやっていることを
応援したくて、そんなことは言えないのだった。
やさしい子だから。

ぼくはチャムの応援もあって、とくに2008年の初め頃は
ネット将棋をはじめ、道場通いなどがんばって
賞金トーナメントなどでの勝率はよかったけど
なかなか大きな大会でこれと言った結果を出せないのだった。

ネット将棋では一応一定の成果がでて将棋クラブ24で
3つのHNを全部六段にできたのだった。
2400~2500くらいの人とは実戦の長めの将棋では
自分のほうが強いことは経験的にわかっていたが
実際に点数がそこまでいかなかったのも事実で
ちょっと残念であったが、友達の話を聞いて
点数の下の人の挑戦を受けないようにする、というだけで
一時的には下がることがあっても週ペースとかでみると
点数はおもしろいようにあがっていき、
2ヶ月ほどで3HNで800点以上アップして
全部六段になったのであった。
24には24の戦い方もあるみたいで、
それもたしかに現代将棋の大きな一部であるというのも実感した。


チャムとのことも一進一退という感じだったが、
とくにチャムが携帯をかえて
今まで同じキャリアだったのが、別会社になったり
そういうこともなんとなくさびしかったし、
少しずつ離れていってしまうのか、
あせりを感じるときもあった。
お金もなくなってきて生活が行き詰ってきていて
けっこう苦しい状態だった。

当時はまだ仕事をはじめて、生活を立て直してがんばる
という発想まではいたらなくて
まずは将棋をがんばって、チャムを愛し続けるのが
自分たちにとっていい方法と思ったりしていた。
一時期やめていた外貨取引を再開してみたり、
宝くじやサッカーくじなどに手をだしたり
あまり建設的とはいえない方法に手を出したり
やっぱりあせりがあったんだろうなって思う。

でも毎日のスカイプは続いていたし、
チャムはそんなとき画期的な新しい提案をしてくれたのだった。

それが体操!
以前にも書いたことがあるけど、1日15分程度の体操を
一緒にスカイプでつないで一緒の音楽を流しながらやる!
ちょっとつきあいが長くなってきて、
一緒に話すことに新鮮味のなくなってきたカップルに
こういう一緒にできることをやるというのは
すごくいいアイデアなんだと思った。

もっとも最初はぼくもチャムに言われてしぶしぶやる感じだった。
でもチャムがいつも
「それぞれが自分のために体操するんだけど、
でも2人で一緒だから続けられるんだよ。」
「ずっとずっと一緒にがんばっていこうね!」
って言ってくれて、毎日体を動かしていると
少しずつ体も動くようになってきて
体調もよくなってくるような気がするし
何より気分が明るくなるのだった。


2月27日はぼくの誕生日!
ぼくはチャムに会いに行きたかったけど、
チャムはそれをゆるしてくれなかった。
そのかわり、27日、うちに帰ってきたら
ポストに大きな包みが届いているのだった。
ぼくはうれしくなって、部屋まで上がるのももどかしく
ポストの前からチャムにメールを送った。
そうしたらチャムからは
「包みだけだよ、中身はからっぽだよ」なんて
悪い冗談が送られてきたけどもちろんそんなことはなくて
誕生日プレゼントとメッセージが入っていたのだった。

チャムはわざわざネットで取り寄せた
ブランドの革の財布を、うちで梱包しなおして
メッセージカードと一緒に贈ってくれたのだった。
チャムのやさしい心使いがうれしくてたまらなくて
ぼくは部屋でひとり泣いてしまった。
こんな風にやさしくしてくれる女の子が
世界にたったひとりいてくれるのだから
何ごともあきらめないでいつもいつもがんばって生きていきたい!
そんなふうに思わせてくれるのだった。
チャムは本当にぼくの人生のただひとつの希望だった。

チャムとの財布は普段使うのがもったいないから
チャムと一緒のときだけ使うことにして
普段は大事にとっておくことにした。
いつの日か、いつもチャムと一緒にいて
そのお財布を毎日使うようになれたらいいな^^

チャムの服装が珍しい!
ぼくはこの服は見たことがないけど、ド派手だね!
とってもかわいいよ^^

# by shigeshogi | 2008-08-05 09:24 | チャム | Trackback(1) | Comments(0)

クリスマスと年越しメール

こうして、ずっとぼくとチャムの物語を書き続けている。
自分は、もう遠くなく、人生の終わりを迎えるかもしれないけど
ぼくとチャムが本当に愛し合っていたこと
ぼくたちがこの1年間、毎日話をして
いろいろなことを相談しあって、
心を支えあって、ときには実際に助け合って
そしてほとんどいつも抱き合って、キスをして、セックスして
昔であれば、夫婦にも近いほどの関係でいたってことを
この世界に残しておきたいと思ったから
毎日の開いている時間の少なくない割合をさいて
この記録を書いている。

もちろん、急いで書いたものだから
書き落とし、不正確、あるいは一面的な面も
多いことだろうと思う。
しかし、ぼくとチャムが本当に愛しあっていて
本当にお互い、まじめに、誠実に愛を捧げあっていたことが
読んでいる皆さん、そしてチャムに伝わってくれればと思う。
ぼくたちは確かに一緒だったんだよ!


物語はまもなく2008年に入っていく。
現在、まであと少し。
少ない残り時間、駆け足で書いて行きたいと思う。


その前に2007年のクリスマス。
二人はお互いにメッセージとプレゼントを贈りあった。
本当は一緒にクリスマスをすごせたらどんなにいいかと思ったけど
でもチャムからクリスマスにメッセージが届いたとき
どんなに離れていても、ぼくたちは一緒のクリスマスを
すごしているんだ、って思うことができた。


チャムからのメッセージはかわいいクリスマスカードと
便箋につづられていた。


○いおなかくん、^^
しげはどんどんサンタクロスと似ているね!
ケド、まだまだカワイイ♪よ~~~ エヘへ


Shige君、いつもすねすねするチャムだよ。
今年、Shigeに会って本当にうれしかった。
Shigeはいつも私にやさしくて、甘やかしてくれるからね。
->ありがとうございます。
今までただ6回くらいしか会ってないケド、
Shigeと遊びに行っているとき、
私はいつも気が楽で楽しかった。
本当にたくさんの思い出ができたネ。
日本語はまだまだ下手なので言いたいことが
うまく伝えられなかったけど
誠にありがとうございました。
これからも友達でいこうね。 チャム

ヨロシクお願いします。
ps来年も将棋がんばってネ!!(^^)V


ぼくからは安物のアクセサリーを贈ったけど、
まだそれをつけたチャムを見たことがなくて
今、どうなっているんだろう?


2008年の最初に話をしたのはぼくはチャムだし
チャムもまたぼくだったと思う。
2007年のおおみそか、新宿の将棋センターに行った帰り
終バスを逃して、除夜の鐘をききながら
駅からうちまで歩いていたぼくに
チャムは励ましのメールとともに
自分の今日の写真を送ってくれたのだった。

とってもかわいい笑顔の写真。
暮れのおおみそか、ひとりぼっちでさびしかったぼくの心に
ポッと火が灯ったみたいな暖かいメールだった。
ああ、ぼくにはいつもチャムがいてくれる。
この子を来年も、ずっとずっと大切にしよう!!
そう心に誓った。

そして、ちょうど年がかわるころ、うちについたぼくは
チャムとスカイプをして年越しを祝いあったのだった。

今年も一年よろしくね。
ずっとずっと一緒にいようね!
愛しているよ!
そう誓い合った2008年ももうあと4ヶ月。
一緒に遊びたかった夏も、もう後半戦。

がんばってもがんばっても何もかわらず
苦しさばかりが増す毎日。
でも、ぼくはチャムを愛して、信じてる。
どうか、連絡くださいね!
まだ、間に合うから!!

由布院の朝。カメラを構えるチャムを捉えるカメラ。
まじめそうな顔をしているチャムもまたかわいい^^

# by shigeshogi | 2008-08-05 07:11 | チャム | Trackback | Comments(0)

別れの朝 ~東京への18切符の旅

2007年12月18日火曜日

翌朝、チャムと一緒に起きて家を出て、帰ることになっていた。
その時間の電車に乗らないと、終電までにうちに帰りつけないのだった。

別れの朝、出勤前お化粧中のチャム。

朝、部屋の中でお別れのキス。
そして家の前で、自転車に飛び乗って
会社に向かうチャムをお見送り
そのまま重い荷物を担いで駅まで歩いた。
駅について電車を待っていると
チャムからメールが飛び込んできて
「間に合った?」って聞いてきてくれたから
ああ、まだぼくは愛されている、って感じて
とってもうれしいのだった。

朝の呉線は瀬戸内海の朝の景色が素晴らしく美しかった。
チャムと一緒にこんな風景の中で生きる、
そんな道をこのとき真剣に考えるべきだった。
チャム、愛してるよ。いつまでも、いつまでも一緒にいたい!

こうして、行きと同じく乗換えを重ね、東に向かう。
チャムがときどき応援メールをくれてとっても励みになる。
東京駅についたときには
夜の12時くらいになっていたけど
なんとか地元の新小岩まで着くことができた。
新小岩からタクシーに乗りたかったけど
一緒にがんばって歩いたチャムとの日々を思って
またお金をためて会いに行きたいと思ったから歩くことにした。
1時過ぎうちについた。
今回の旅もまた、幸せに終わった。

チャム、ずっと愛しているから。
いつまでも一緒にいたときの幸せを忘れないでね。
一生ぼくたちは一緒だよ!アヒルンルンルンルン!!

# by shigeshogi | 2008-08-05 05:48 | チャム | Trackback | Comments(0)

一緒にお風呂に入った日

2007年12月17日月曜日

この日、チャムは出勤。
チャムが鍵を置いていってくれたので
ぼくはちょっとおでかけをすることにした。
ところが電車の時間にあわせて家をでるのが難しく
結局バスで広まで出た。
バスは電車よりもずっと高い。

呉にある「大和ミュージアム」に行ってみたかったのと
昨日行った広島将棋センターを訪ねてみた。
平日ということもあって、お客は10人ほど。
強い人もいなかった。

トーナメント戦に出たのだけど、時計を使わないのには閉口した。
時計を使わないトーナメントというのは、どっちかが
永遠に指さなくなったらどうする気なのだろうか?
決勝の相手のおじさんはこちらが詰みを読みきってから
1手につきいちいち数分の長考を重ねてくるので参った。
うんざりして、投げようかと思ったくらいだ。
優勝したら大きな缶ビールをくれた。
決勝のおじさんがもう一番やるかといってきたのだが
時計なしではありえない話だ。

トーナメントでおもわぬ時間をくってしまって
もう7時過ぎになってしまっていたので
チャムももう戻っていることと思い帰り道についた。
珍しいベーグルのお店があったから買ってみた。
それと薬局でいい香りの入浴剤を買った。

結局、チャムの家に帰れたのは9時過ぎ。
でもチャムは笑顔で迎えてくれた。
入浴剤を見せて一緒にお風呂しようか?
と言ったら「えっ、一緒に入っていいの?!」という
すごい反応で、もちろん入っていいに決まっているのに!!
このとき二人が初めて出会った日の明礬温泉でのことを
ちょっと懐かしく思い出した。

ぼくが先に入り、入浴剤を入れる。
するとチャムが美しい体で入ってきてくれて
ふたりで一緒にバラの香りのお風呂を楽しんだ。
チャムの部屋の浴槽はけっこう大きいから
二人でお湯に入ってもぴったり入りきれる感じだ。
かわいいチャムの胸を背中から抱きしめて
おっぱいの感触を楽しむ。
チャムはぼくにお湯をかけてくれたり
ぼくの胸の中に頭をうずめてくるのだった。
お湯で体がほてって熱くなるまで一緒にお風呂を楽しんだ。

お風呂から上がって、そして、そのまま体を拭いて
お布団にきてくれればいいのに、一応、チャムは服を
きて着膨れ状態になってからくるものだから
また儀式みたいな感じで、脱がせて、抱き合うのだった。

こうして二人の今回、最後の夜は更けていった。
幸せな夜だったと思う。

以前載せたアーミーファッションのチャム。
逆光だけど、この写真もチャムのポーズがとてもかわいい!

# by shigeshogi | 2008-08-05 00:13 | チャム | Trackback | Comments(0)

楽しかった、宮島と広島のデート

2007年12月16日日曜日

この日は宮島と広島に行った。
安芸川尻から宮島まではけっこう遠いから18切符を使った。
使っても十分元が取れる距離だし2人いっぺんに使えるし、
チャムが喜んでくれるからとってもうれしかった。
チャムと一緒にいると電車の旅もすぐ着く感じがする。
お茶を1本もって、二人で分け合って飲むのだった。

広、広島、宮島口と乗り換え、宮島口からはJRの船で
この船にも18切符で乗ることができる。
ぼくははじめての宮島だけど、チャムは2度目ということだった。
いつも隣の席にチャムがいてくれて、幸せだった。
日本三景の話などして、のちにチャムがクイズで日本三景を出題されて
・・・でも答えられなかった(^^;なんてメールをくれたことがあって
けっこう楽しかった。

宮島ではお参りをしたあと、高台に上ってみたり、
鹿と戯れたり、いろいろ散策した。
チャムは足腰が丈夫でどこでも一緒に行ってくれるから
とってもうれしいのだった。
途中毛利元就の3本の矢のエピソードを話したら
ベトナムにも似たような話があるって話をしてくれて思い出に残っている。

宮島ではカキが名物だけど、すごく香ばしいにおいがして
おいしそうだったから二人で食べようってことになった。
席があまりなかったから、ぼくが席を確保してチャムが
商品を受け取ってくることになった。
たぶん、チャムがかわいかったからだろうけど
おじさんがおまけしてくれた、って言って
ちょっと多くもらってきてくれて
二人でベンチにすわって、焼きたてのしょうゆの香りがする
カキをほおばって食べたのだった。とってもおいしかった。
すごくのんびりした幸せな時間だった。

それからチャムがラーメンを食べたい、って言い出して
宮島でお店を探したけど、よさそうなお店がなくて
それで船で宮島口に戻り、でもそこでもあまりいいところが
見つけられなくて、結局広島に戻った。
広島駅の駅ビルで尾道ラーメンのお店があったから
そこで一緒にラーメンを食べた。
そんなにおいしいとは思わなかったけど
チャムは喜んでくれるから、幸せな気持ちになれた。

それから市電に乗って、原爆公園に行った。
原爆ドームの前で写真をとって、公園内を散策した。
原爆ドームにはたくさんの鳩がいて、平和そのものに見えて
こんな場所でかつて大勢が亡くなったというのは
なんだか不思議なことのように思えた。
ベトナム人は鳩食べるよね~、なんて冗談を言ったりもしたけど、
二人とも原爆犠牲者への哀悼の気持ちはあったと思う。
千羽鶴が並んでいる慰霊碑のところでは二人で手を合わせた。

チャムが案内所でクリスマスイルミネーションの情報をみつけ
夜から行こう!って言ってくれた。

原爆ドームから広島市民球場の前を通ったり、
地下街を通ったりして、
立町など、広島市中心部の繁華街のほうに戻ってきた。
一度広島将棋センターの場所を見ておきたくて探し回った。
住所しかわからなかったから、けっこううろうろしたけど
本当に中心街に近い雑居ビルにセンターはあった。
チャムと一緒に中に入って様子をみたら、けっこう人もいて
声をかけられたら挨拶くらいしようかと思ったけど
入ってきたことにも全然気がつかない?様子なので
黙って出てきてまた繁華街を散策した。
スターバックスコーヒーがあったのだけど
チャムは有名なスタバに一度も入ったことがないということで
「入りたい!」と珍しく積極的にプッシュしてきたので
さっそく一緒に入ってみた。
二人してけっこう甘い飲み物をもらって、一休み。
1時間ほどもいるうちに当たりも暗くなってきて
イルミネーションの時間になってきた。

イルミネーションは大きな通りの中央分離帯にある
森林歩道公園(木がたくさん植えてある歩道)に設けられ
かなり盛大で1キロ近くにわたって続いているような感じだ。
二人で真ん中あたりから入って、端まで行って、
また端まで歩いたからけっこうな運動だ。
さらに、端のところから市電とかがうまくでてなかったから
広島駅まで歩くことにして、その道のりもやはり1キロ
くらいはあったんじゃないだろうか?
チャムが途中でトイレに行きたいと言い出して、
急いで歩いたりしたような記憶がある。

でもチャムも足が本当に丈夫だから
元気に歩きとおして、広島駅でお好み焼きを食べた。
二人でとっても活気のある広島風お好み焼きのお店に行って
一緒に食べてとってもおいしかった。幸せだった。
帰りの電車の時間までの余った時間、
少し買い物をして、チャムはやっぱりイカの燻製を買ってくれた。

帰りの電車でチャムは少し眠って、ぼくに寄り添ってくれた。
その時間も幸せな気持ちでローカル線の古臭く汚い車両も
なんだか二人だけの小さな住処のような気がして
チャムのおかげでいつもいつも幸せなのだった。

もうあんな幸せな気持ちを返してもらえないのだろうか?
チャムはあの幸せをもう忘れてしまったんだろうか?

広で電車を乗り換えて川尻へ。
うちに帰って、またイカの燻製をいただいて、
また着膨れの布団にくるまって、そして、抱き合って、眠った。

クリスマスイルミネーションのメリーゴーラウンドにまたがるチャム。
チャムはいつもいろいろなことを楽しんでくれて
そのかわいらしい表情で一緒にいる人を幸せにしてくれる。
チャムはぼくといるとき、いつも安心で楽しいって言ってくれたけど
ぼくもチャムといるといつも誇らしくて、幸せな気持ちだった。
ぼくたちはいつまでもずっと一緒だよ!!

# by shigeshogi | 2008-08-04 23:24 | チャム | Trackback | Comments(0)

広の街で遊ぶ ~チャムは堅実な女の子

2007年12月15日

土曜日は朝寝して、一緒に昼ごはんを食べて
それから広の街に遊びに行った。
カラオケをして、そのあと電器屋さんを見た。
前の日みた感じチャムの部屋にはまだ洗濯機がなくて
いつも週末にコインランドリーに行くという話をしていたから
ちょっと洗濯機が見たかったのだ。
2万円以下でも全自動洗濯機が買えるみたいだし
それをクリスマスプレゼント代わりに
チャムに買ってあげられたらいいかなって思った。
それでチャムに聞いてみたら「大丈夫!」とのこと。
インターネットで人から格安で譲ってくれる人がいるんだ
ということで、チャムはさすがにそのへんはしっかりしてる。
クリスマスプレゼントは別のものになった。

洗濯機の前に新しいデジカメを買ってしまったことを
ぜいたくをしてしまった、と後悔してたこともあって
そのあたりも本当に堅実なんだなあって偉いと思う。

チャムは日本に留学するためお兄さんにお金をだしてもらっていて
それを返したいと思っているのだけど
ベトナムでは通貨の信用があまりないので
金でお金を貯めたりすることが多くて
それでチャムは日本で金を買うときはどこで買えばいいのか?
というような質問をされたりすることもあった。
日本では金の現物を買うことは滅多にないので
ちょっとそういう場所があるのかわからなかった。

広の街でちょっとよさそうな回転すしがあったので
二人で食べることにした。
そんなに高いお店ではないけど、けっこうおいしかった。
活気もあってけっこういいお店だと思う。
チャムは「ウニがとろける~」ととても喜んでいた。
そして1皿100円の「たこわさび」が
お気に入りになったみたいだった。
安くていいものを探すのがチャムは大好きなのだ。

そのあとお寿司屋さんのすぐそばにあるスーパーで買い物をした。
けっこう新鮮でいい商品が置いてある感じのお店で
くだものや、お惣菜などが充実していた。
飲み物とかいろいろ買う中で、チャムはいかの燻製を選んだ。
「シゲも好きだし、私も好きだから、あとで一緒に食べようね!」
って言ってくれてとってもうれしかった。
2種類買って、1日ひとつずつ、ビールとかと一緒にいただいた。
とってもおいしくて、幸せな気持ちになれた。
チャムがいつもやさしくしてくれるから
ぼくもいつもいつもうれしくなってしまうのだった。

その夜はチャムと将来のこととかいろいろ話あったりしたけど
なかなか難しくて深刻になってしまった。
体調も思わしくなくて、チャムと抱き合ったけど
最後まではできなかったのだった。
チャムは気にしなくていいよって言ってくれてありがたかったけど、
自分はなんか夜眠れなかった。
ひとりで外にでて、コンビニまで行って、
おでんやら、コーラやらかって隣の部屋で食べたりしていた。
チャムは寝ていると思っていたのだけど
気がついていたみたいで「あのとき悩んでいたよね」って
言われたことがある。

お料理中のチャム。たぶんAPハウスにて。
チャムは特別料理が上手というわけではないけど
毎日たいてい自炊していて、けっこうマメ。
ベトナム風の味付けで、ちょっと感覚が違うけど
でもきっとうまくなる素質があると思う。
食器の洗い方とかはすごく手馴れていて、いいお嫁さんになりそう!

# by shigeshogi | 2008-08-04 17:28 | チャム | Trackback | Comments(0)

広島への各駅停車の旅

2007年12月14日、青春18切符をにぎりしめ旅に出た。

時刻表をいろいろ調べたところ、
うちを朝一番のバスにのってでていけば
あとは普通電車と快速電車を乗り継いで
その日のうちにギリギリ、チャムの住む最寄り駅
「安芸川尻」駅に着くことができることがわかった。
乗換えが多い、沼津、静岡、浜松、大垣、米原、
姫路、相生、岡山、三原という感じで最低8、9回の乗り換え。
最後のほうはとっぷりと日もくれて、周りは何も見えず
けっこう不安な感じになっていく。
でもチャムがしばしばメールをくれて
それが心の不安をやわらげてくれる。

この時期チャムもまだまだいろいろ迷っている時期で
ぼくのことが好きな気持ちとこのままでいいのか?
という気持ちがないまぜだったんだと思う。
このころに、もっとはっきりした愛の意思と行動を示せばよかった。
ただ、抱き合っているだけではダメなんだ。

そして安芸川尻駅に夜の9時26分、ワンマンの呉線の電車がついた。
駅を降りて無人の改札。そして駅舎。
その中でチャムはまっていてくれた。

冬の装い。どてらを着込んだ女の子。ぼくのかわいいチャム!

キスは・・・させてくれたのだろうか?ちょっと記憶にない。

そのままチャムのおうちのほうに歩く。
二人で並んで歩くことが幸せだった。
チャムのお部屋につくとこたつが活躍していた。

最初に引っ越したときは奥の部屋にとりあえずいたけど
その後いろいろ工夫をして、一番道路に面した部屋が
チャムの居室になって、奥の部屋とたたみの部屋は
モノもほとんど置いてない空き部屋みたいになっていた。
広い部屋なんだけど、ほんの一部しか使わない。
どこまでもこじんまりとした生活が好きな女の子なのだ。

お化粧台もみかん箱に布をかけてあげたもので
質素でかわいらしかった。
14インチの小さなテレビだけがおいてあって
部屋の電化製品はこたつ、テレビ、パソコンの3つ
くらいしかなかったんじゃないだろうか?
そんなチャムをとってもいとおしいと思う。

そして、夜、寝るときになるとベトナム人らしさを発揮した。
布団を何枚も重ねるくらいは普通だが
さらに布団がばらばらにならないように洗濯バサミで固定する。
で、人間もセーターやらなにやらで厳重に着こんで
着膨れするような感じで寝るのだ。
普通の日本人だといくら布団は厚くしても
着こんで寝ることはないような気がする。

そのすっごく着込んだ服を苦労して脱がせながら
ぼくたちはまた抱き合うのだった。
最初チャムは迷っているふうもあったけど
すぐに積極的にしてくれるようになった。
自分はチャムとまた結ばれることができたことが
とってもうれしかった。

冬の装いのチャム。別府でお友達と「ねえ、ねえ!機嫌直して!」

# by shigeshogi | 2008-08-04 15:27 | チャム | Trackback | Comments(0)

秋から冬へ ~5回目のデートまで

3週間ほどベトナムにいたチャムは再び日本に戻ってきた。
チャムの新しい生活がはじまっていく。

呉の川尻町は本当の田舎なのでインターネットが何週間も
つながらなくて、ベトナムにいたときよりも
かえって連絡がつきにくくなったりした。
ぼくたちは携帯やチャムの会社からのメールなどで
連絡を取り合ったけど、ほぼ毎日の連絡で
ぼくはそれほどは心配していなかった。
新しい生活になじむために苦労しているチャムの話を
いろいろ聞いてあげるのが日課になった。

ただ別府と違う呉の田舎町や、
チャムの新しい生活はぼくたちの関係に悪影響だった。
平日忙しく土日暇なチャムは、
土日にいっぱいぼくにかまってほしいのに、
ぼくはわりと土日が忙しいものだから
なかなか相手して上げられないのだった。

またチャムはあまり言わなかったけど
ぼくが呉で最後に別れたときのことでちょっと
悩んでしまっていたみたいで、このころから
好き、とも言ってくれるけど、
嫌い、って言われることも多くなった。
チャムはでも前からそのときの複雑な気持ちのときに
「嫌い!」って言ったり「噛み付いたり」そういうことが
あったからぼくとしてはそれもチャムなりの愛情表現のひとつ
なのかなと思って、それほど深刻に考えなかった。
こうして毎日連絡をくれて話しているのだから
大丈夫なんだってずっと思っていた。

チャムはぼくがまだ前の彼女を好きだと思ってる、と言ったり
実はチャムのことを愛していない、って言うこともあった。
こういうのは今思えば危険なシグナルだったのに
ぼくには危機感がうすかった。

また「私たちはずっとこういう関係なのかな?」
って聞かれたときに
「遠く離れていても、こうして毎日話せるし
2,3ヶ月に1回くらいづつは会えるようにするから
それじゃダメなのかな?
ぼくは離れていても心は通じ合っていて
まあまあ幸せなんじゃないかって思うよ」とか答えたことがあった。
この答えかたも将来を感じさせない答えで
チャムをがっかりさせてしまったかもしれない。
自分はチャムがずっといてくれるものと安心しきっていた。


こうして2007年の10月11月と月日は流れていった。
季節は秋から冬へと変わっていく。

チャムはお正月休みを使って、また東京に来たい
と言ってくれていて自分はそれを楽しみにしていた。
でも11月くらいから、やっぱり東京行くのは
どうしようかと迷ってる、とか言い出すようなことがあった。

毎日スカイプで話をしたあと、自分は
「大好きだよ。チュッ、チュッ、チュッ」って言ってから
切るのが多かったけど、チャムはチュッ、チュッはダメ
とか言うようになっていった。
少しづつ隙間風が吹き始めていたのかもしれない。
チャムが「嫌い、嫌い」を連発するから
「嫌い、言わないで!」と言っても
「嫌いだから、嫌いっていうよ!」って言われたりした。

一方でチャムは毎日連絡を欠かさないでくれたし
メールとかではいつもはげましてくれた。
また新しい髪形とかにしたときとか
いつもメールで写真を送ってくれたり
たまにやっぱりしげが好きだよと言ってくれたり
ハートマークを送ってくれたり
ネットでおもしろいゲームをみつけたときは
二人で挑戦してみたり
愛してくれていることを感じさせてくれて
自分はしっかり愛し続けたいなあって気持ちをもっていた。


12月はじめごろ、チャムはついに
「お正月休みに東京に行くのはやめた」と言い出した。
自分はすごく不満だった。
せっかく楽しみにしていたのにすごく悲しかった。
ときどきチャムは「お互いに新しい恋人を見つけよう」
みたいなことを言ったことがあって、そのたびにぼくは
「何言ってるの!」と相手にもしなかったけど
もっと自分たちのおつきあいを真剣に考えないと
いけないはずだったと思う。

おそらくチャムは土日が本当にさびしかったんだろう。
知り合いも誰もいなくて、初めての場所。
どこかで遊ぼうにも1時間に1本の電車にゆられて
広の街にでるくらいしかできないのだ。
チャムはネットオークションにはまっていろいろ買い物したり
ネットゲームなどで遊んだりして気を紛らわせていたけど
もっともっとそういうチャムの寂しさを真剣に考えるべきだった。

今からやり直せるのなら、
この時期から時間をかけて呉で仕事を探し始めればよかった。
なんとしてもチャムのそばにいてあげるように
努力をはじめるべきだった。
当時の自分にはまだその危機感も、行動力もなかった。
本当にいつもいつもダメな自分で、こんなことで一生の愛を
失ってしまったのだとしたら、悔やんでも悔やみきれない。

一度ぼくがチャムに気持ちをしっかり確認したら
「私たちは友達だけど、一生のお友達だよ。
しげは私のことをいつもすごくよく思ってくれているし
一緒にいるといつもとっても楽しいし
ずっとずっと仲良くしていきたいの。
でも自分は結婚とか今は考えられないし
いつかはベトナムに帰ろうと思っているし
だから一生の最高の友達でいいよね?」というのだった。

ぼくは内心ちょっと不満だったけど
ただそれでも自分は完全にチャムのことを信じていた。
だって嫌いなら毎日スカイプをするわけないし
自分が彼女を裏切ったりしないでチャムを愛し続け
毎日の生活をがんばってさえいれば
チャムは必ず愛に応えてくれる、そんな女の子だと
ぼくはずっと思っていた。

そして、やっぱりもっとまめに会ったほうがいいと
思ったぼくは12月にまたチャムのところに行くことを
決断したのだった。

チャムはぼくが行くことをちょっと渋った。
「しげがきてくれても、何もかわらないよ?」

「別府にいた、あのやさしくてかわいかったチャムはもういないの?」
と聞いたらチャムに「もういないよ」といわれて
悲しくてたまらなくて、泣き続けたこともあった。

でもぼくはチャムにたまらなく会いたかったし
チャムは自分が愛を捧げていれば、
決してぼくを裏切ったりしない人だと信じていた。
最終的にはチャムは「いいよ!」って言ってくれた。
ぼくは経費節約のために「青春18切符」を買って
行くことを決めた。

次回からはぼくとチャムの5回目のデートの話。
二人にとってはじめての冬のデートになる。

別府の美しい空を見上げる!日本の冬空の一日も愛してくれたチャム。
もう一度話がしたい。どうか機会を!

# by shigeshogi | 2008-08-04 07:51 | チャム | Trackback | Comments(0)

ベトナムからの便り

ぼくが広島の呉から東京までのロングドライブをしている
まさにそのとき、チャムはベトナムへ帰省する空路にあった。
関西空港からいったん上海にでて、そこからチャムの実家のある
ベトナム南部の町ホーチミンシティ行きの飛行機に乗り換える。
そして自分が東京に帰った翌日の明け方にメールをくれたのだ。

自分はベトナムにいるあいだ、チャムとあまり連絡がつかなくて
さびしいんじゃないかなって思っていたから
こうしてパソコンのメールで連絡がつくのがとってもうれしかった。

一番最初のチャムのメールは、まだ日本語が入力できなくて
ローマ字でのメールだったのだけど
その翌日には日本語を入力できるようにしてくれたし
3時間もかけて遅い回線でスカイプをダウンロードして
チャットもできるようにしてくれたのだった。
そして別府にいたときとかわらないくらい
毎日のようにスカイプでぼくを呼び出してくれて
ちょっと舌ったらずなやさしい声をきかせてくれるのだった。
ぼくはうれしくてたまらなかった。
どんな遠く離れていても、ぼくとチャムの心は
いつもつながっていて心がそばにいてくれる!

チャムはベトナムにいるあいだいつも実家にいるわけではなくて
人を案内してホイアンに行ったりするけど
そういうときもなんとかパソコンを探してくれて
メールをくれるのだった。
そういうところからのメールはローマ字だから
すぐうちにいないってわかるのだった。
そのように外泊して1日スカイプできない日があって
すごくさびしくて泣いちゃったというメールをくれたとき
この子を一生愛し続けたいって強く思うのだった。

ぼくのひとつの夢はチャムと結婚してベトナム全土を
チャムと長期旅行すること。
もし可能なら住んでみたいなあって気持ちもある。
そしてお金がたまったら、目がほとんど見えないという
チャムのお父さんに日本で手術を受けさせて
あげられたらいいなって思う。
目の手術では日本は世界一という話を聞いたから
きっと白内障とかなら治るんじゃないかなって思う。

ぼくの大好きな、世界一かわいいベトナム娘、チャム!
愛してる、愛してる!
好き、好き!!

こんな写真もあるけど、これくらいでやきもちを焼くぼくではないです。
これくらいなら、むしろほほえましいくらい。
チャムの表情がとってもいいね。別府トキハの地下軽食コーナーにて。

# by shigeshogi | 2008-08-03 13:14 | チャム | Trackback(1) | Comments(0)

4度目の旅の終わり

チャムのお部屋で目をさますと、もう午後だった。
チャムは荷物の整理などをしつつのんびりしていた。
翌日からベトナムに帰る準備も進んでいて
お父さんのために梅酒をもっていくのだと言った。

近くのたこ焼き、お好み焼きの店で買って
お昼をすませて、
CDラジカセでチャムの友達が歌う歌とかを聴いたり
いろいろなおしゃべりをしたりまったりした時間が流れる。
二人で歩いて20分ほどのスーパーに買い物に
いったりもする。
途中、近くの小川には魚などがいたり
野呂山という山や、海が見え、自然がたくさんあった。
でも別府と違い、お店などは少ないし
交通機関も不便で車がないと1時間に1,2本の電車が頼りだ。
ずいぶん不便でさびしい生活になるだろうな、と思った。

このことを、もっと早くしっかり考えてあげるべきだったと
今となっては後悔している。

夕方、また二人は抱き合って、そしてまたお昼寝。
夜になって、どこかばんごはんを食べよう
ということになって、車を出したけど
結局広の街まで行かないとお店らしいお店はほとんどないのだった。
もっとも車があれば広と行ってもそんなに遠くないが
電車で行くとなったらけっこう面倒だろうなあと思った。
そして、広の街で「徳川」といういい感じの
広島風お好み焼きのお店があったのでそこでばんごはん。
活気があってなかなか良いお店だった。

チャムの予定は翌朝、1番の電車で広島に出て
税関で手続きをして、新幹線で広島に向かうということだったので
自分がチャムにして上げられることはもうないだろうと思って
「じゃあ、ぼくは東京に帰るよ」と告げた。
チャムはちょっとびっくりしたようだけど
「わかった」としか言わなかった。

それでチャムを呉、川尻町のうちに近くのコンビニまで送って
自分はそのまま車を東に向けて、家路についた。
コンビニで別れるとき、ぼくがお別れのキスをしようとしたら
チャムが「いいよ、いいよ」というから
ちょっと違和感を感じたのだけど、そのときは
チャムのその態度の意味がわからなかった。

あとで、聞いた。
チャムはこのときのぼくの態度にとってもがっかり
したということだった。
というのは、わざわざ米子からまたとんぼ返りで
チャムのところに戻ったのは
翌朝広島~関空と強行軍で、チャムが大変なので、
それを助けるためにやってきてくれたのだ、
とチャムは考えたからなのだった。
翌朝、ベトナムに帰るための重い荷物を引きずって
朝一番に税関を回り、関空まで行くのは本当に大変だったと!

自分は正直言って言われるまで
そのことに気がつくことができなかった。
もう自分のしてあげられることはない、と考えて
帰ってしまっただけなのだった。
今更言っても仕方のないことだけど、
言ってくれれば、翌朝広島の税関までチャムを送って、
もし間に合うようなら高速を飛ばして
もし間に合わないようなら広島駅までチャムを送って
上げられたかもしれない。
気がついてあげられないぼくもぼくだけど
言ってくれないチャムもチャムでこんなちょっとしたことから
二人が仲たがいしてしまうのは本当に残念なことだと思う。

最後の最後でケチがついてしまって
4度目のぼくの旅も満点とはいかないのだった。


自分は深夜強行軍で一般道路を走り続け
大阪あたりで少し高速を使って
日が昇るころには四日市のあたりまで達した。
そしてチャムとメールをしつつ一般道を走り続け、
真昼ころには静岡県の藤枝に達した。
そのあたりで携帯の電池がなくなってきたので
ショップで充電をしてもらったりして仮眠もとった。

そのあともチャムと連絡しつつ国道1号をひたすら
東に走ったがチャムが飛行機にのって
連絡がつかなくなったらなんだかさびしくなって
沼津あたりでまた仮眠をしたのだった。
そして、御殿場から山越えの一般国道を通って
神奈川、東京入り。
夜の8時くらいにはなんとか自宅に帰りつけたのだった。
最後のほうは疲労困憊で、もう何も考えられず
惰性で運転を続けていたし
うちにかえるやいなや、
荷物の整理などもすべてほったらかして
布団で眠りについたのだった。

こうして、ぼくとチャムの4度目のめぐり合いは終わった。
素晴らしい数日間だったけど、最後に失敗もあり
改めて男女の仲って難しいものだなあと思った。
でもお互い思いやる気持ちはあるんだし
なんとかいい形を見出して、許しあって
せっかく見つけた愛を末永く育てていけたらいいのにな、
と今も強く思う。

美しい風景の中のチャムとお友達。
チャムは本当に表情が美しく、かわいらしい。
心からすてきだと思う。

# by shigeshogi | 2008-08-03 09:02 | チャム | Trackback | Comments(0)

限界の眠り

このところ、眠れない日々がずっと続いた。
眠れない、というのは正確な表現ではなくて
風邪薬を飲んだり(この1週間くらい風邪っぽい感じ)
睡眠導入剤をのんだりして、少し眠るのだけど
1,2時間も寝ると目が覚めることが多かった。
夢を見ることが多くて、
たいていはチャムに会いに行って他人や警察に阻止される夢や
チャムをころしてべっとりと血がつく夢だ。
本当にこわい。

自分はチャムをそんなふうにしたくないし
自分も幸せになりたいし、なんとかそういう道がないかと
そう思っているけど
今のような苦しい状態が続くと
そういう状態に追い込まれてしまいそうで怖い。
どうしてチャムは話しをしてくれないんだろう。
自分さえ良ければいいと思っているんだろうか。


このところいつも疲れているような感じだった。
だるくて、熱っぽいときも多かった。
いつもなんとなく無気力で仕事にいくだけが精一杯で
最低限のことしかできなかった。
ずっと続けてきた体操も、さすがにイヤになってきてしまった。
掃除や洗濯もあまりしたくないし、
将棋も形だけやっているが、大会や研究会も最低の成績だし
詰め将棋とかもあまりやらなくなってしまった。
将来のことや生活のことを考えても暗澹とするだけで
いつもさびしくて、最近知り合った女の子に
連絡することが多かった。
人といるとき、特に女の子といるときは
少し気持ちが落ち着く感じがする。
そういうものがかりそめだということは
自分でもわかっているけど甘えてしまう。


ところがずっと眠れなかったのが、昨日の夕方6時くらい
将棋の解説を見ていたら、いつしか急速に眠くなってきて
そのまま吸い込まれるように眠ってしまったのだった。
明かりもテレビもつけっぱなしのまま。
限界がきていたということなんだろうか?

そのあいだ友達から2回電話があって、受け答えしたのは
ちょっと覚えているのだけど夢うつつの感じだった。
すごい寝汗をかいて、ときどき起きて服を脱いだりした記憶もあったが
完全に起きたのは深夜1時過ぎになってからだった。
起きたときは完全に裸だった。
ずっと眠れなかったのが突然こんなふうに眠るとは
すごく不思議な感じがした。

しばらくするとだんだん現実感がもどってきて
寝ている間少し開放されていた苦しい現実も戻ってきて
自分をしめつけてきた。
とても怖く、さびしく、苦しくなった。
深夜なのでみんな携帯は切ってそうだとは思ったけど
とりあえず親や、心当たりの友達などにメールを出した。

チャムとであった場所である、セイクラブで
チャムに出会ったとき同じ名前のチャットルームを開いて、
誰か話し相手がこないか待ってみた。

待ちながら考え事をしたり、
ずっと食事をしてなかったことに気がついて食事をしたりした。
HDDレコーダーが録画していてくれた将棋の番組や
「太王四神記」を見たりした。
チャットルームには一度冷やかしの暇人がきたがそれくらいだった。


今はとにかくチャムに会いたい。
チャムと話がしたい。
もう一度希望をもって、生きてみたい。
チャムはぼくと一緒にいたとき、がんばっていれば
誠実でいれば、愛をしっかりもっていれば
大丈夫だと言ってくれた。
実際、あふれる愛でぼくを励まし、魂を救ってくれた。
たくさんの愛の言葉や誓いや行動で、ぼくを信じさせてくれた。
ずっとずっと信じていた。
それなのに、なんで急にぼくの愛を裏切ったのか。
与えてくれたばかりの生きる希望を奪うのか。

自分は怒りのあまり部屋にあった金属製の扉を蹴り壊し
怒りを爆発させたり、
電話をくれる母親にどなり散らしてしまったり
一人で悲しみにくれてずっと泣き明かしたり
そんなことばかり繰り返している。
早く死んでしまうことができればいい、と思うけど
怖くて、悔しくてそれもできない。

とりあえずチャムのところに行きたい。
きっと行く。必ず行く。
なんで、なんで、穏やかに、静かに幸せに生きたかったのに
そうさせてくれないの、チャム?
何で裏切る?何でだます?
答えてよ!

# by shigeshogi | 2008-08-03 06:23 | 近況 | Trackback | Comments(0)

山陰への強行軍

山陰への道のりはかなり遠く、
山越えで自分の見通しの甘さを知った。
上り下りがある上にヘアピンカーブの続く道で
5時間くらいもかかってしまったと思う。
あとからは正直、ちょっと無理な計画だったと思った。

それでもなんとか米子の街について
場所を確かめると駅前のホテルに数時間だったが泊まった。
ここに泊まることによって車をとめておけるメリットも
確認したうえだった。
数時間でもしっかり眠れたのはわりと大きくて
なんとか最低の将棋を指さないですんだ。

会場は駅前のきれいなホールで
東京からも3人全国優勝経験者が参加していて
その3人は元奨励会三段だった。
自分は当たりもきつく、初戦に地元の元全国優勝経験の方と
当たって力負けして、2発でお帰りの憂き目か!?
と危惧をしたものの、2局目で地元のベテラン強豪相手に
苦しい将棋になったもののなんとか時間切れ勝ちに持ち込むと
少しづつ調子が上がっていき
山内さんという名前の県代表経験ある地元強豪2人を
続けてやぶって、ベスト16まで勝ちあがった。
8入りをかけた一番で元赤旗名人の山口県の強豪に敗れ
悔しくはあったが、まあ今まで知らなかった強豪と
そこそこの内容で指せたわけで仕方がないというところか。

決勝は結局東京組が戦い、東京勢が優勝した。
負けたほうの強豪は、前日にブルートレインで米子入りして
負けてすぐにまたブルートレインに乗って
東京に帰るというほどの強行軍だった。
またこの地域でしばしば代表になっている東京の強豪は
もうすでに他地区で代表権を獲得したのに
見学のためにやってきたということで
その熱意には頭の下がる思いだ。

決勝のあと地元支部の道場での
打ち上げに参加させてもらうことになった。
地元の方と将棋もさせたし、
焼肉パーティで楽しい時間をすごさせてもらった。
夜中12時近くまで宴会は続き、
道場に布団を敷いて寝たが、東京から見学にきた
東大出身で棒銀で有名な強豪は速攻寝たが
こちらは負けた悔しさ、というよりもチャムのこととかの
さびしさがつのって眠ることができなかった。
戦い敗れたあと、どうしても好きな人に会いたくなる。

それで強行軍であるとはしりながら、
チャムの待つ呉に再び出発したのだった。
途中、道を間違えて難儀したり
起きている限界を感じて山の中で車を寄せて仮眠をとったりもしたが
朝、辺りが明るくなったころにはなんとか
呉までたどり着くことができたのであった。

ぼくが帰りつくとぼくはもう来ないと思っていたチャムは
びっくりしたみたいで泣きそうな顔をしてぼくを迎え入れてくれた。
そして抱きしめてくれた。
疲れ果てていたぼくはチャムの顔をみると安心して
そのまま午後まで倒れこむように眠ったのであった。

白いアオザイを着たチャム。とっても上品ですてき。
APU主催のシンポジウムかと思われる。

# by shigeshogi | 2008-08-03 05:31 | チャム | Trackback | Comments(0)

お引越しの日 ~さよなら別府の街

2007年9月15日

この日はついにチャムが別府を離れ、広島、呉に向かう日だ。
重い荷物を積んでいることもあって、
高速を使うのは厳しいということもあって
12時間以上かかると思われた。
それで朝の7時くらいに早出したのだった。

チャムと一緒に別府の光町のアパートを出る。
チャムの友達が2階の窓から手を振ってくれていた。
ずっと一緒に暮らした二人もお別れだけど
留学生のみんなはそういうことになれているのか
それとも別れはきちんと済ませているからなのか
それとも心の中でさびしさを感じていればそれでいいのか
あるいは、自分が感傷的なだけなのか
チャムは手を振り返したけど、
そんなにいつもと違うふうには見えなかった。

そして、別府駅近くのコンビニで少し食べ物と飲み物を仕入れ
そのあと水天の角のところまでまっすぐに進み、
ホテルサンバリーを横目に見ながら、国道10号線に出た。
天気はよく、山の上にはAPUも見える。
さようなら、別府の街。ぼくとチャムの愛の街。
もう2度の行かれないかもしれない、思い出の街。
愛する人のいてくれる、ぼくの夢の街だった。

チャムはあまり感傷的にもならず、別府ともお別れだね
といっても、うなずくくらいだった。


一般道をひたすら進む。
門司のあたりで少し渋滞するもののの、おおむね順調。
とはいえ、距離が遠いから広島までの道のりは大変だ。
二人で関門トンネルを越える。
「下関の関という字と、門司の門とで、関門なんだよ」と
チャムに話をすると、チャムはしっていたみたいで
「さよなら九州だね」と言った。

山口県の道もひたすら続いていく。
途中ジョイフルでご飯を食べたときには、もう午後3時くらい。
途中、携帯でチャムがまっていてくれる
神田造船の吉田部長と連絡をとって遅いことでやきもきさせる。

やっと広島市内が近づくと渋滞もひどくなってきて
日もくれてきた。
それで広島の宇品から高速道路についに乗り、
呉まで飛ばしたのだった。
高速道路はさすがに早く、あっという間に呉に着いた気がする。

呉の町の古臭い雰囲気を感じながら、広方面にトンネルを抜け
国道を東へ。
広の街を通り、川尻に入った辺りのコンビニで、
吉田部長は待っていてくれた。
そのまま車で神田造船の本社へ。
そして、チャムの部屋の鍵を受け取り
チャムの部屋に案内してくれた。

とてもきれいで広い部屋なので、びっくりした。
吉田部長はとても気さくなかたで、
大きな会社の部長さんにもかかわらず、
引越しの荷物運びなど一緒に手伝ってくれて
いかにもいい人だなあと思った。
チャムもこれなら安心だろうと思った。

チャムは別府で積んだ音楽のキーボードがあったけど
それを見て、部長さんは「へえ、こんな趣味もあるんだね」と言った。
3人がかりだったので、荷物はあっという間に運び終わった。

チャムが大分からもってきたかぼすをぼくにくれるといったけど、
ぼくはもっていても仕方ないので部長さんが帰るときに
「どうかチャムをよろしくお願いします」と
差し上げたら、最初遠慮したが、受け取ってくれた。

そのあと、お部屋で一休み。
電気は本当はまだ契約していないのだけど
ブレーカーを入れればつくことはわかっていた。
だからエアコンはなんとか使えた。
それで奥のフローリングの部屋にとりあえず布団を敷いて
そして二人で抱き合った。
お疲れ様、といいながら、何もない部屋で
二人でいたわるように抱き合ったことを今でも思い出す。

そのあと二人で夜食を食べに行った。
広の街まででて「ロッキーベアー」という
ハンバーグ&ステーキハウス。
ファミレス風なんだけど、建物が全部木を使った風に作られていて
二人で一目見て気に入ったのだった。
そこは一緒にボーリング場やケーキ屋さんも併設していて
このあとチャムも機会があると利用したとのこと。
チャムが新しい彼氏、とやらをつれていったりもしたようだが
そのたたりなのか、このお店はつぶれてしまったようで
とても残念に思っている。

チャムはタンドリーチキンを食べて、
ぼくはちょっとぜいたくにステーキを食べた。
とってもおいしかった。
チャムがまたご馳走してくれた。
なんか申し訳なかった。

部屋に戻って、二人ともちょっと疲れていたのか
少ししんみりした感じで話し合い。
というのは、翌日の9月16日にアマ王将戦山陰大会にでるために
早朝の出発を考えていて、それで
チャムが起きたらぼくはもういないかもよ?
というふうに伝えたりしていたからだ。

一方チャムのほうはチャムのほうで、
当初9月17日(月祝)に税関に行って
外国人登録証を学生から就労に切り替える手続きをして
翌日、関空から上海経由ホーチミンシティ行きの飛行機に乗る
という計画だったが、それを聞いてぼくが
17日は祝日だから税関はやっていないんじゃないの?
ということに気がついて、計画の狂ったチャムは
18日早朝に税関に行き、その足で関空にいくことになったのだ。
これは時間的にかなり厳しく、
広島から大阪までは新幹線を使わなくてはならない。

ついでお金の話になって、チャムが引越し代を払うという。
ガソリン代や高速代だけですでに2万円近くかかっていたので
帰りのことも考えて「じゃあ2万円」といったら
チャムにはちょっと高かったのだろう、
びっくりされた感じもあった。
決してふっかけたわけではなかったのだけど1日中の作業で
互いにちょっと意地悪な気持ちになっていたのかもしれない。
ぼくも決してぼったくったわけではないけど
なんとなくもうしわけない気持ちになった。

互いにちょっときまずい感じもあって、
それでもまた抱き合ったと思うのだけど
ぼくは夜中、なかなか眠れなかったので無理に寝ないで
そのまま夜中のうちに山陰に移動をすることにした。
チャムもぼくが起きだしたことに気がついたので
チャムに「行くよ」と告げて、出発した。
チャムはぼくとケンカ別れになったのかと思って
ずいぶん悲しんだようで、申し訳なく思った。

チャムの別の浴衣の写真。いつの写真なんだろうか・・・

# by shigeshogi | 2008-08-02 09:13 | チャム | Trackback | Comments(0)

チャムの卒業式

2007年9月14日

この日は卒業式の一日だった。
ぼくがのんびり寝ていると、
チャムは早くも支度に忙しかったみたいだ。
そして、現れたのは、アオザイを着たチャム!
あの写真で見た金色のアオザイをきてくれたのだった。
すごくすてきだったけど、自分は女の子の服をほめるのが
得意じゃなくて、うまくその気持ちを伝えられたかどうか。

それから、2人で車で出発した。
引越しの荷物が既に満載の車は重そうにガタゴトがんばるのだった。
そして、亀川というところで、前日に引き続き
チャムの銀行の手続きをしたあと亀川方面からAPUへ。
この道はチャムもあまり通ったことがないという
山登りのちょっと細い道の上、
霧でどんどん見通しが悪くなって、
ちょっと不安な冒険ドライブになった。
でも登り続けたら、チャムが「あ、APハウスだ」といって
そこはもうAPUの学生寮なのだった。

チャムはベトナムから別府にやってきて、
最初このAPハウスにしばらく住んでいて
そのときの話とかをきかせてもらったことがある。

一度だけ韓国人の学生にだまされてお酒をたくさんのまされ
やられてしまったことがある、という話を
きかせてくれたことがあって、
チャムは韓国や韓国ドラマとかが嫌いなのであった。
(チャムはだから嫌いなわけではない、と言ってる)

でもチャムはこのときを含めて、
たぶん4人の人としか経験がないんだと思う。
ぼくたちはなんでも話し合う関係だったから、
たぶんこのことは本当なんだと思っている。
ベトナムにいたときは大学まで全然男女交際とかとは
縁がなくて、本当はとてもまじめな女の子なのだ。


卒業式の日ということもあって
APUには学生がいっぱいいて、
しかもそれぞれの国の民族衣装などをきていたりするから
とっても華やかですてきなのだった。
山の上では霧も晴れ、青空が広がって、皆を祝福していた。

チャムは卒業式のための式典用の学帽や、上着を受け取り
それに着替えた。
そして記念撮影大会。
ぼくもチャムやチャムとの友達の写真をいっぱい撮った。


卒業式が始まった。
式はそんなに冗長ではなく、最後までつきあった。
式の最後は帽子投げで「A・P・U」の掛け声とともに
卒業生たちが、式典用の学帽を空になげるのだった。
それをビデオ撮影したりした。

そのあと、卒業証書の授与などの事務的な手続きを待つ間や
友達たちとたくさんの挨拶をかわすあいだ自分は
別府の街を見下ろすグラウンドのところで一休みして待って

(APUのグラウンドより、別府市街、別府湾、高崎山を望む)
そのあとチャムと一緒に、校友会のパーティに出させてもらった。
世界の民族料理がいろいろでていて、
めずらしいものをたべさせてもらった。
みなで寄せ書きを書いたり、演奏会があったり、歌があったりした。
自分はもっぱら撮影役で、チャムやチャムの友達たちとの
写真をたくさんとったのだった。

パーティも終わり、するとチャムがチャムの友達たちと一緒に
お寿司、カラオケに行こうと誘ってくれた。
それで行くことにした。
チャムのお友達6人くらい。
初めて行く回転すしに行った。
みんな卒業生だから、チャムと同じ期間日本にいたのだろうけど
それほど日本語が上手じゃなくて、あまり会話は通じなかった。
やっぱりチャムの日本語がうまいのは特別勉強したからなのだ。
でもチャムの友達たちがチャムのことを指差して
「Anh Yeu Em?」と聞いてきた。

この言葉はぼくがチャットでチャムから最初に習ったベトナム語。
私は、あなたを、愛しています!という意味だ。

チャムは最初「Em yeu Anh」と言って
Em(女性の一人称)はAnh(男性の一人称)をyue(愛してる)
と教えてくれて、そして、ぼくに
「Anh Yeu Em」と言ってとうながしてきたのだった。
そして、ぼくがその言葉を言うと、いろいろ発音を直してくれて
最後にそのしげの言い方「とってもかわいいよ!」
と言ってくれたのだった。
だからとってもうれしくて、いつまでも心に残ったのだった。

それで、チャムの友達たちに、チャムのほうをしっかり見ながら
「Anh Yeu Em!」と答えることができたのだった。
チャムは恥ずかしかったのか、
何もいわないでぼくの肩に手をおいてくれた。
ぼくもみんなの前でぼくがチャムを愛している気持ちを
もっともっと言いたかったけど、はずかしくてそのときは
それ以上いえなかった。
でも今でもAnh Yeu Em、だし、
今なら誰の前でも堂々と心からチャムを愛していて
世界の誰よりも愛していて、
チャムと結婚していつまでも一緒にいたい、ってはっきり言える。

チャム!好きだよ!チャムがいてくれて本当にうれしい。
チャムにめぐり合えて本当によかった。
チャムを好きになって本当によかった。
愛してる!チャム!!

チャムの友達たちとは次にカラオケ屋さんに言った。
外国人留学生たちはお金がないから
みんなでスーパーで大きなペットボトルと紙コップを買って
それをこっそり店内に持ち込むのだった。
まあ、これはルール違反なんだけど、
カバンなどで紙コップを隠しながら飲む。
留学生たちはそんなふうにしながら、
日本の物価高と戦っているのだった。
カラオケで歌うのは日本の曲がわりと多かったけど
英語の曲とかはさすがにうまいなーって思うことが多くて感心した。

フリータイムで入店して、店で徹夜する人もいるようだったけど
ぼくとチャムは12時前くらいにお店をでて
みんなとわかれたのだった。
そして、がたがたゆれる別府の道をチャムの部屋に戻った。

別府での最後の夜が更けていった。
この日は抱き合ったのか、ちょっと覚えていないな。
チャムの人生の大きなイベントを一緒にすごすことができた。

# by shigeshogi | 2008-08-02 04:39 | チャム | Trackback | Comments(0)

Anh Yeu Em!

Tram a, Tram oi!

このメッセージを読んでくれていると思います。

ねえチャム、一度でもとにかく話し合いましょう。
いっぺんに問題解決はできなくても
何か解決の糸口は見つけられるはず。

まだ間に合う。なんとか間に合ううちに。
どんな方法でもかまいません。

私たちは1年以上、なんでも一緒に話し合ってやってきたじゃないですか
知恵を使ってなんとかましな方法をさぐりましょうよ。
私もたくさんあなたの言い分を聞くつもりでいます。

今でもあなたを愛しています。
あなたの繊細で、複雑な心を理解して
尊重しようという気持ちをもっています。

待ってます。もう時間がない。

# by shigeshogi | 2008-08-02 01:24 | チャム | Trackback | Comments(0)

引越し準備の一日

2007年9月13日

朝、1Fに寝ているぼくのところに
2Fからチャムがやってきてくれて一日が始まる。
たぶん、朝から抱き合ったのだと思う。

外にでると突き抜けるような
別府の青い空が広がっていたことを思い出す。

この日は、引越し準備の一日だった。
荷物はチャムが段ボール箱などにまとめてくれていて
それを車に積み込んでいくのだった。
チャムのアパートは車をすぐ横付けできない構造だったので
いったん台車にダンボールを積み、石畳のところを
ごろごろ転がしながら車まで運び、積み込んだのだ。
チャムと二人の共同作業。
たいへんだったと思うけど、とってもいい思い出だ。
チャムがもてないような重いものを、運んで上げられるのが
うれしかった。
車も最初は積みきれるのか、ちょっと自信がなかったけど
うまいぐあいに荷物は収まっていき、
なんとか人間2人と、全ての荷物を
ぴったり運べそうなことが明らかになっていった。
二人で一緒に汗を流して仕事をした一日はぼくの誇りだ。

一番最後、チャムは音楽のキーボードをもってきて
もうしわけなさそうに「これももっていっていいかな?」と言った。
ぼくは別に遠慮することないのにと思って
「もちろん。そりゃ、入らなくて積めないなら仕方ないけど
積めるならなんでももっていこうよ」と言ったら
チャムはうれしそうにキーボードを積み込むのだった。

それからチャムと一緒にお風呂に行く。
チャムがずっと月ぎめで通っていた、末広温泉にいくのも
チャムはこれが最後の一日なのだ。
お風呂屋さんの管理人に鍵を返し、チャムと一緒に挨拶を
させてもらったのだった。
(チャムと最初にこの末広温泉に行ったとき
チャムがグリーンのタオルをくれた。
そのタオルは今でも大切なときに使うタオルになっている)

お昼からは一番館で焼肉を食べて、
午後からチャムのいろいろな手続きのお手伝いをした。
大分の銀行の口座を解約するために車で銀行を回ったり
たぶんダイちゃんでカラオケもしたし、
そのあと、APUにも行って、手続きをして
さらに、チャムのバイト先の風月ホテルにいって
給料の精算とかをしてもらったのだった。
そして、その給料のおかげか夜はちょっとぜいたくをして
「水天」でお寿司を食べたのだと思う。
しかもこのときチャムがごちそうしてくれて、
とってもうれしかったことをよく覚えている。

ぼくとチャムが一緒に食事をするときは
たいていはぼくが払うのだけど
何回かに1回チャムが「たまには・・・」って言ってくれて
その心遣いがとってもうれしいのだった。

その日の夜、チャムは「しげも卒業式にでてくれるの?」と聞いた。
自分はいい服など何ももってきていなかったから
ちょっとはずかしかったけど
「こんな服でもよければ出させてもらってもいいかな?」
と言ったら、チャムは喜んでくれるのだった。
自分はチャムの卒業式に立ち会うことになった。

そして抱き合ってから、チャムは2Fに帰って言った。

# by shigeshogi | 2008-08-02 01:22 | チャム | Trackback | Comments(0)

別府へのドライブ

チャムと4度目のめぐりあいになる、別府へのドライブの物語。

東京と別府は道のりでは約1200キロ。
平均時速50キロと仮定しても、24時間の旅だ。
しかもそのときは節約のために、高速道路は最低限の使用
ということで行くことを決めたのだった。

時は2007年9月10日。
この日の深夜、愛車NAKEDを駆って、
東京を出発したのだった。
深夜に出発したのは混雑を避けるため。
とりあえず一般道を通って、東京を抜けるが用賀からは東名に入る。
これは深夜100キロ以内50%割引のサービスを利用するためで、
これで箱根を越えて富士の裾野インターまで行かれる。
インターを降りた後、少し道を間違えて、富士のふもとの森の道に
迷い込み、不安を感じるが、なんとか海沿いに戻り
それからは国道1号のバイパスをひたすら進んだ。
メールで応援してくれていたチャムもこの辺で寝るとのメール。
夜中1時ごろ、音楽を聴きながら、ひたすら西に向かった。
明け方くらいに名古屋に入る。

翌日はチャムには言わなかったが、
実はセイクラブで知り合った友達と会うことになっていた。
れぶんさんというハンドルで年上の主婦の方。
チャムより前にセイクラブで知り合って、
ただお互いに恋愛感情はなくて、友達として
チャットしたり、時には電話で話したりしたこともあった。
チャムとのことを喜んでくれて、よく相談にのってもらっていた。

ただの友達だから本当はチャムに隠す必要はなかったのだけど
誤解されるのがイヤでついつい隠してしまった。
でも結局バレるのだが・・・

名古屋について、駐車場のあるマンガ喫茶で仮眠。
あまり眠れなかったがそれでも3時間くらいは
仮眠できただろうか?
起きて、れぶんさんと東山動物園前で待ち合わせて
ランチを一緒に食べて、そのあとトヨタ博物館に行った。
前から一度行ってみたかったので、けっこううれしかった。
クラシックカーをはじめ、実車で振り返る日本車の歴史
というような作りになっていて、とてもよかった。

れぶんさんと別れると、再び西へ。
れぶんさんのアドバイスにしたがって、
まずは四日市に向かい、そこから名阪国道を利用することにした。
ここは奈良の天理まで高速国道の無料区間なので
とてもお得だとのことだった。
しかし、三重方面に向かう国道は大渋滞。
しかも雨が降って、次第に強くなり、しんどい時間が続いた。
名阪の入り口のところまできて
力尽きて、車を止めて仮眠をとった。

目が覚めてもまだ強い雨が降り続き
名阪の山越えの道を越えるときに雨風が吹きつけ
たいへんにこわかった。
天理からは地図もなくて道に迷いつつも
コンビニなどで道を調べながら、なんとか堺から大阪湾沿いに。
ちょっと高速を利用したりもしたが、
兵庫に入ってからは国道2号一本になって再び道が
わかりやすくなった。
またこのあたりは国道がバイパス化されていて
スムーズに走れるのだった。
しかし、兵庫から、岡山、広島は本当に広い。
走っても走ってもつかないという感じ。
特に東広島市のあたりなどは永遠に続くかと思うほどだった。
しかし東広島を抜けて、広島に入ったあたりから
夜が明け始めて、明るくなってきた。
なんとか朝の渋滞などにも巻き込まれず、
宮島を通過しながら山口方面に。
山口あたりでは眠くて、限界が近づいていることを感じたので
フリータイムで入れるラブホテルをみつけて
眠ることにした。
3千円くらいかかったけれども、お風呂とベッドはありがたかった。
チャムとキスする前に、ひげをそっておくことができたから!

時間ギリギリまで眠ることができて、
そして再び、西に向かった。
しかし、距離の壁は大きく、下関に入るあたりではもう日が落ち
関門トンネルを抜けたところでは完全に日が暮れた。
最後の追い込みで高速道路を少し使い、別府にたどり着いたのが
2007年9月12日の夜9時くらい。
全部合わせると約48時間の旅か。

チャムはバイトで鉄輪にいたので、
鉄輪のコンビニで待ち合わせることになっていた。
自分が先にコンビニにつき、チャムを待つ。
車を降りて、腰を伸ばすのが気持ちよかった。
コンビニをうろうろしていると・・・・チャムがきた!
コンビニの駐車場でチャムを抱きしめてキスをすると
チャムははずかしそうだったけど、
抱擁とキスを返してくれたのだった。

時間も遅かったので軽めで、ということで、
思い出のラーメン「くーた」でばんごはんを食べたのだった。
そのあとはチャムのアパートに直行。
そして、そのあとは久しぶりの出会いを
体で確かめ合ったのであった。

式典用礼装のチャム。ちょっとおすまししていて、かわいい。

# by shigeshogi | 2008-08-01 14:21 | チャム | Trackback | Comments(0)

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