[2008.04.25] |
第21回 ITの世界に「トリアージ」は有り得ない
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小川 創生 |
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トリアージ(triage)という医療用語がある。多数の傷病者が発生した災害時等において、限られた医療資源をできるだけ有効活用するために、傷病の緊急性や重症度に応じて傷病者を分類し治療の優先順位を付けることを指す言葉である。
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医療用語から転じて、納期に間に合いそうにないソフトウェア開発の善後策、ウィルス感染やバグ等の障害対応、あるいはビジネス戦略における優先順位付けを「トリアージ」と呼ぶ事例がIT業界の一部に見られる。果たしてそうした呼称は妥当だろうか?
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災害医療現場での本来のトリアージでは、4色(黒、赤、黄、緑)のタッグ(手首等に取り付ける紙の札)を用いて傷病者を分類する。重症度の順に、黒…救命不可能、赤…直ちに治療すれば救命可能、黄…重症だが短時間なら生命に危険無し、緑…軽症で救急治療の必要無し、となる。そして、治療の優先順位は、赤、黄、緑、黒(治療しない)、となる。黒と赤の差の大きさは言うまでもないし、赤と黄の間にも、一刻も早い治療を待つ傷病者にとっては重大な差がある。
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そのトリアージには、的確に実施するための留意事項がいくつかある。(傷病者が特に多い場合)数十秒程度の短時間で単純な基準を用いて判定する、変化する状況に応じて繰り返し実施する、といったことのほかに、感情を抑え、泣き声や懇願等に左右されない、実施場所に傷病者以外の者(家族や報道関係者等)を入れない、結果について他の医療従事者は私見をはさまない、結果に納得できない傷病者や家族等には状況を説明して可能な限り理解を得るよう努める、等の留意事項がある。
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さて、ITにおける「トリアージ」という言葉は、ソフトウェア開発方法論の先駆者として高名なエドワード・ヨードン(Edward Yourdon)が1997年に著した「デスマーチ(Death March)」の一節がおそらく初出である。納期に間に合いそうになく失敗確実な上に過酷な残業を強いられるソフトウェア開発プロジェクト(「デスマーチ」)では、要求項目を優先度別に分類することが最重要であると説き、それを「トリアージ」と称している。 |
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ただしヨードンは、辞書における「triage」の定義を引用した上で、「多くの人は、トリアージの医療上の意味はよく知っているだろうが、デスマーチ・プロジェクトに関係するのは、辞書の2番目の定義、つまり、乏しい必需品(最も乏しいのは、時間)を、最大の効果を引き出すやり方で割り当てることである。」(「デスマーチ 第2版」(日経BP社、2006年)より引用)と述べている。 |
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つまり、医療とは関係ないのである。誤認するような用語の使用を、コンサルティングの技法として意図的にやっているわけである。 |
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「トリアージ」という言葉をIT業界の一部で用いている事例として、パソコンのウィルス感染やソフトウェアのバグ等の障害対応にて「トリアージ」を実施する、というのもある。対応にかかる時間や手間を「重症度」とみなし、対応の優先順位や手法を分類するというものである。 |
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だが、そうした「トリアージ」は、本来のトリアージとは大きな差異がある。ITの障害対応の優先順位付けは、なにも「重症度」だけで決まるわけではない。利害関係者の要求を無視したりはしないし、パソコンやソフトウェア自身の重要度等、他の様々な要因を考慮しなければならない。そして何よりも大きな違いは、ITであれば、たとえ「黒」と判定されても代替手段を用意できる。人命の重みと比しても、あまりに違いすぎると言わざるを得ない。
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さらにかけ離れた用例もある。様々な要因から数値計算した優先度を「トリアージ値」と呼んでみたり、単なるビジネス戦略の優先順位付けを「トリアージする」と呼んでみたり、といった具合である。そのようなものは、単に「優先度」「優先順位付け」で充分なはずである。 |
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耳目を引きたいから、大御所が言っているから、といった理由で、「トリアージ」という言葉を安易に使用しているのではないか。ITの世界に、災害医療現場のトリアージのような優先順位付けは、有り得ないのである。 |
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