ファミコン登場前夜…あなたの知らない、70年代ゲームコンソールの世界
世界初の家庭用ゲーム機、オデッセイ(1972)の貴重な付属品一式
今も世界中で一際ユニークな注目を集めるビデオゲームの文化が、その多くを80年代半ばのファミコンから始まっている日本では、一方でなかなか正しく知られているとは言えないTVゲームの歴史。おなじみWikipediaなど海外の分類によれば、あのファミコン/NESも世界では家庭用ゲーム機の第三世代。
そんな名前は聞いたことがあるけれど、国内ではなかなかお目にかかることのできない、70年代ゲームコンソールの世界。本日は、主にゲーム機の誕生から現代にまで続くGamesRaderの大型特集より。今から宿題に追われている学生さんも、夏休みなんてとっくに終わってしまった元ゲーム少年も、今年の自由研究にはTVゲーム機の歴史なんていかが?
家庭用初のゲームコンソール、Odysseyは電池式で、音を出すことさえできません。当時そのゲームはカートリッジ式でこそないものの、モードを変更するスイッチの代わりに、単純で取り外し可能な配線カードの形で切り替えられるようになっていました。
Odysseyが独立した電子回路で構成される一方で、Atari Pongはその当時、最も複雑なワンチップのICが使われました。家庭用向けのPongとして、本体から鳴るBeep音のサウンド、画面上に表示されるスコア、そしてアーケードと同じように当った位置で変化するボールの動きを実現して大流行、無数のバリエーションを生み出していくことになります。
Intelを創業した人物によって生まれた高度なチップを用い、Atariより先にVideo Entertainment Systemの名前で発売されたChannel Fは、世界初のカートリッジベースによるゲーム機でした。単純な色つきグラフィックで、ソフトは26種類しかリリースされませんでしたが、当時のどんなPongクローンよりずっと先を進んでいました。
やはり流行の木目調パネルを装備して発売された、Coleco Telstarシリーズ。こちらの最初の一台は、単純なテニスゲームしか遊べないにもかかわらず、$50というファミリー向けの低価格によって、この年だけで実に100万台以上を売り上げることになります。
Pongが家庭用で注目の的になっている頃、デジタルなピンボールはアーケードの新しい流行でした。この人気を生かして、Atariはまた専用のゲーム機をリリースすることになります。三つのゲームバリエーションは、ピンボールとバスケットボール、そしてブレイクアウト(ブロック崩し)。こちらも初期には木目調のデザインが採用されていました。
専用ソフトが4本しか発売されなかったとしても、Pongクローン時代の終わりにTelstar Arcadeにはカートリッジ機能がありました。まるでフランケンシュタインのような、その外見から窺い知ることしかできませんが、レースゲームやシューティングゲームまで遊べたようです。
これがお店に並ぶ頃には、既に時代遅れのものでした。Studio IIのゲームはモノクロで、単純なBeep音しか鳴りません。5つのゲームが組み込まれ、表面のキーパッドをコントローラとして使いましたが、Atari VCSのリリースと共に完全に過去のものになりました。
80年代には2600と分類されることになる、大きな成功を収めたAtari VCSによって、あらかじめすべてが組み込まれたゲーム機から、マイクロプロセッサを使ったハードウェアと、カートリッジベースのゲームシステムは一般化されます。最終的にはおよそ3,000万台を売り上げたといい、後のNintendoやPlayStationのように、多くの一般メディアにおいてAtariはビデオゲームの代名詞として使われました。
同じロジック構成で二種類発売された、任天堂によるゲームコンソールへの第一歩。ケーブルで取り外しできるコントローラーによって、本体の前で押し合わなくて良くなったTVゲーム15は、当時約100万台を売り上げます。パッケージに内蔵されたゲームはテニスの他、ホッケーやバレーなど全部で15バージョンのPongでした。
オランダPhilipsの子会社として、Magnavoxの新型ゲーム機はようやくカートリッジを扱えるようになりました。Odyssey 2では、大きな赤いボタンがひとつ付いたジョイスティックと共に、学習ゲームのためのキーボードも内蔵しています。当時、Odyssey 2は比較的良く売れ、80年代までに100万台以上を売りました。
この頃Bally社の一部門だったMidwayによって開発され、後にAstrocadeとして別の会社から発売された家庭用コンソールは、そのグラフィック能力で特に知られています。アーケードから家庭用まで使えるビデオチップを求めたMidwayは、この当時非常にパワフルで、そして扱い易くはなかった8bitシステムを作り上げました。
大型のハンドルとギアノブまで搭載された、任天堂による二番目の試み。トップビューで敵の車を避ける、全部で112通りの(微妙に違う)レースゲームがプレイできました。二人で遊ぶ際には、背面につながれた普通のパドルコントローラーで動かすことになります。
ボードゲームで有名なMilton Bradley(後のHasbro社)によって開発されたMicrovisionは、携帯型のゲーム機で、その上カートリッジベースのシステムを持ちます。ですが、簡単に壊れるキーパッドや、勝手に漏れ出してしまう液晶画面といった問題が起きやすく、非常に限られたゲームしか発売されないまま長く生産されることはありませんでした。
Atari VCSにとって、最初に大きな脅威となったことで知られるIntellivisionは、ライバル相手に比較広告で積極的な宣伝キャンペーンを仕掛け、80年代には300万台以上を売ることになります。本体のCPUクロックは当時、僅か1MHzにすら達していませんでしたが、家庭用で最初の16ビットシステムでもあるのです。
一方のAtariはその頃、Apple IIやCommodore PETといったホームコンピュータと戦うため、最初のシリーズを発売します。機種名は当初、4KBと8KBのメインメモリを意味していましたが、実際に発売を迎える頃には、どちらの機種も8KBを内蔵するまでにチップの価格は下がっていました。Atariは、この後毎年のように新しいホームコンピュータをリリースしていくことになります。
初代のTVゲーム6と良く似たデザインを特徴として、直付けされた一つのパドルコントローラが6種類のブロック崩しに使われます。このTVゲーム機には、当時2年前に入社したばかりの宮本茂氏が、最初に関わったビデオゲームのプロジェクトという名誉があります。言うまでもなく、彼の登場は任天堂にとって大きなことでした。しかし、それはまた後の時代の物語……。
(ソース: GamesRader: “Consoles of the ’70s ”, Wikipedia)
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