東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 放送芸能 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【放送芸能】

“北のひめゆり”樺太・真岡事件 『語り継ぐ大切さ』伝えたい 日テレがドラマ化 25日「霧の火」

2008年8月20日 朝刊

 「みなさん これが最後です さようなら さようなら」−。終戦直後の昭和二十(1945)年八月二十日、旧ソ連軍の侵攻を受けた樺太で、真岡郵便局の電話交換手の女性九人が、悲痛な通信メッセージを最後に自らの手で命を絶った。この“真岡事件”を描くドラマ「霧の火」が二十五日午後九時から日本テレビで放送される。孫に語り継ぐ元女性交換手の激動の人生から浮かび上がる戦争の悲劇とは…。 (安食美智子)

 終戦後、旧ソ連の侵攻で、十万人余りの生命が奪われた樺太。真岡郵便局は南樺太の西海岸の街・真岡(現在のロシア・サハリン州ホルムスク)にあった。旧ソ連軍が局付近に到達した八月二十日、当番の電話交換手の女性らは兵士による陵辱を恐れて青酸カリなどで自決を図り、十−二十代の九人が死亡、三人が生き残った。

 ドラマは今年三月放送の「東京大空襲」から始まった同局の戦争スペシャルドラマシリーズの最終作。演出を担当する雨宮望監督は「ドラマ化を狙いつつも、外交上の理由から実現できずにいた。少しでも若い人に知ってもらいたい」と語る。

 生き残りの元交換手で、老人ホームで晩年を過ごす中村瑞枝(市原悦子)。孫娘の愛子(香里奈)に少女時代(福田麻由子)の戦時体験を語り継ぐ。父親が戦死した瑞枝は、戦時中母や妹と樺太に移住、電話交換手となる。淡い初恋も芽生えるが、運命の時は刻々と迫っていた−。

 脚本は映画「ホタル」など戦争関連の作品を多数手掛けた竹山洋さん。「まさに“北のひめゆり”。沖縄の散華とも似た娘たちの悲劇を書いてみたかった。若者は平気で『戦争をやればいい』と口にするが、肉親が死に、散り散りになる戦争の悲劇は何代にも続く」と力を込める。

 竹山さんらは樺太や札幌を訪れ、旧ソ連軍が押し寄せた二十日に非番だった元交換手の女性六人や、戦後樺太に残りロシア人となった人々に会い当時の現場の状況、日常生活の様子を尋ねた。女性たちは「私たちが語り継ぐのが供養」と涙ながらに語ったという。

 ドラマの登場人物は史実や取材を背景に構成されたフィクション。瑞枝役は「戦争体験の演技にリアリティーがあり、かつエンターテインメントになるまれな存在」と、当初から市原を想定した。竹山さんは「語り継ぐとは魂の遺産を引き継ぐこと。語り継ぐ大切さ、難しさを描きたかった」と語る。

 市原自身も、戦災で自宅が焼失し、戦後の食糧難も味わった。「(戦争ドラマは)私たちの年代の役者にとって大切な仕事。事実から悲惨さ、残虐さを知ることが大切。『勝てば官軍』などと言われるが、勝ってもいいことはない」と語る。

 老人ホームで寂しく暮らす瑞枝は戦争体験の語り部だけでなく、戦争の傷を抱えながらも、孤独に生涯を終える現代の老人の姿をも映し出す。「脚本が複合的にできていて、演じるのが本当に重かったが、役者としてやらなければという思いが上回った。たった四日間(の撮影)でも大仕事のように疲れた」と振り返る市原。「自分が仲間を殺したと自責の念で悶々(もんもん)としながら一生を終えるのではなく、唯一血のつながった孫がいて、胸の内を開いたのは幸せなこと。伝えるという義務を果たせてよかった」と自らの実体験のように語る。

 「この話も戦争が生んだ悲劇の一つにすぎず、悲劇は果てしない。説教調や重たいドラマではだめ。役者の一人として、悲惨な現実を前にした人々が生きることの美しさ、輝きを伝えたい」

 

この記事を印刷する