2007年 03月

意外に落ち着いた気持ちで、この日を迎えて [2007-03-24 12:11 by shigeshogi]
二人の幸せな誕生日パーティ [2007-03-24 10:00 by shigeshogi]
苦しい(付記 ライブドア事件、判決の感想など) [2007-03-16 11:56 by shigeshogi]
天使が降りてきた夜 後編 [2007-03-10 06:49 by shigeshogi]
天使が降りてきた夜 中編 [2007-03-09 07:41 by shigeshogi]
天使が降りてきた夜 前編 [2007-03-08 16:21 by shigeshogi]
春暁 [2007-03-06 13:49 by shigeshogi]
3月に入った [2007-03-06 08:11 by shigeshogi]
結婚話をした日 [2007-03-03 07:20 by shigeshogi]
けがれなき真琴さん [2007-03-02 00:25 by shigeshogi]
公美のことが好きなわけ [2007-03-01 04:47 by shigeshogi]

意外に落ち着いた気持ちで、この日を迎えて

今日、これから公美に会いに行こうと思う。

このところずっと将棋の調子が悪いとか
昨日も明け方5時近くに寝たのに
結局朝9時くらいに公美に会えないという夢を見て
目が覚めてしまったということはあるけど
今は意外に落ち着いた気分でいる。

近づくまではずっと悩み続けて苦しい日々だったけど
1、2日くらい前から少し気持ちが落ち着いてきた。
少しでもと思って、毎日10時間くらい将棋をやっていた。
いざとなるといろいろ思っていたことはできなくて
結局将棋ばかりやってしまう自分がいる。
世俗のあらゆることがわずらわしくて
ひたすら将棋に没頭しているときが幸せだ。

この日記も中途半端で終わってしまったし
将棋も明日は大事な大会があるし
図書館で借りた本も読みきれなかったとか、
部屋がぐちゃぐちゃだったり
娘にも元嫁にも会いに行くことができなかったり
公美への誕生日プレゼントも買ってないし
(本当は一緒に指環を買いに行きたかった)
遣り残したことはいっぱいあるのだけど、
それもまた運命かなと思ったりする。

それでも昨日、研究会で先生にもあいさつできたし
夜はネットでマイミーオと将棋がたくさん指せてよかった。
10番勝負をして、8勝2敗。
1局駒がぶつかってすぐ時間切れをしたのが痛かったけど
毎局違う戦形をを指して楽しかった。
チャットで今の気持ちを話したかったけど、やめた。

公美との誕生日の話をさっき書き終えて
今、公美への愛がとっても高まっている。
やさしい公美をとっても愛している。
もしせめて話す手段でもあれば、と思うけど
何もないし、何一つ、誰一人助けがない状況では
自分で彼女を訪ねていくしか方法がない。
経済的な事情からも、もう状況の好転を待つ余裕もない。
自分の体やエネルギーも限界が近いように思う。

ただ公美を愛している。
それだけ。

どうやらもう行かなくちゃならない時間がきたみたいだ。
さようなら。

# by shigeshogi | 2007-03-24 12:11 | 公美 | Trackback | Comments(0)

二人の幸せな誕生日パーティ

今までに何度も書いたと思うけど、
2005年の誕生日はぼくにとって最高の誕生日となった。
誕生日の2月27日には都合が悪くて会えなかったけど
翌28日にすてきな一日をプレゼントしてくれたのだった。

前回の夢のような一夜のあと公美とは会えなかったけど
メールはときどきしていた。
そして公美は「しげさんのこと好きにならないかもしれないけど・・・
友達からもう一度ってことだったら・・・」
といいながらも誕生日にはちゃんと時間をとってくれたのだった。

電話でいろいろ誕生日プレゼントの話とかもしてくれて
「どんなものがいい??」って聞かれたから
「なんでもうれしいから、気持ちだけでいいよ~」とは
言ってみたもののやっぱりちょっとしたものでも
心のこもったものをもらえたらうれしいなどと
内心は期待が膨らむのであった。
公美とはそれで話が膨らみ、公美のお部屋にあった
anasuiの香水とかが海外に行ったお友達
(公美の友達には留学などで行く人が多い)
からのプレゼントだとかそういう話を聞いたり、
ぼくの部屋に置くもので二人で一緒に座れる大きなクッション
みたいなものはどうか?みたいな話をしたりしたのであった。
そんな話ができるだけでもぼくの心は幸せで満たされて行くのだった。

いよいよ当日、28日に公美は高校生のときから知っているという
大塚にある美容院まで行って髪の毛を切ってから、ぼくに会いにきてくれたのだった。
もっとも公美自身はそのきっと感じがイマイチでちょっと残念がっていたのだけど。

公美は夕方、船堀駅まできてくれた。
なんか、女の人を訪ねていくことが多かったぼくだから
こうして公美が来てくれるっていうだけでもたまらなくうれしいのだ。
電車からおりて、駅の改札から姿を見せてくれる瞬間の喜び!

公美にわざわざきてもらったのは、
うちの近くのレストランに予約を入れていたからだけど
公美とはおうちの距離が近かったから、
行くのもきてもらうのもそんなに負担がなくて
今までそんなに近くの人とつきあうことが少なかったけど
近いって本当にいいなって思う。

会うと公美は「私ね、プレゼントを忘れたんじゃなくて
一緒に見ながらショッピングしたり選んだりしたくて
わざと買ってこなかったの。お店に行こうよ」と言ってくれた。
ぼくは一応、遠慮したんだけど公美は
「大丈夫^^今日、昼間パチスロで勝ったしね!」と言ってくれ
それでプレゼントをしてもらって
かわりにごはんをご馳走すればいいかあと思って、
それならということで
自分は自分のお気に入りのスポットである
市川のコルトンプラザまで一緒に行くことにした。

車での道々、友達の彼氏が行徳に住んでいて
このあたりに来たことあるとかそういう話をしてくれた。
公美は演奏の活動をしているということもあって
いろいろな場所に行ったことがあるのだった。

道はちょっと混んでいたけどコルトンについてお店を見てまわった。
二人で楽器屋さんをみて、クラリネットや楽譜を眺めたり
そんなこともしながら、プレゼントを探したいった。
自分は公美が何を買ってくれるのか、
どの程度の予算を考えているのかわからなかったし
せいぜい2~3千円で収まるものがいいかなあなんて
漠然と思ったりしていたのだった。
公美は洋服屋さんを中心に見て回ってくれて
「しげさんにちゃんとした服を選んであげたいな」って
言ってくれたのだった。
自分はいつも貧乏臭いものしかきてないことを
公美はちゃんと見抜いて考えてくれていたんだなあって
恥ずかしいやらうれしいやらで
公美と結婚したら、きっと素敵なセンスのものを選んで
ぼくに着せてくれるのかなあなんて、将来を願ったのだった。

公美はぼくが今までまるで行ったことのないような
ちょっと高めのお店を何軒も見て回ってくれた。
気になるのがあると「こんなのどうかな?」ってとって
試着を勧めてくれるのだった。
革ジャンをいくつか試着するときには、
次々と着替えるのを手伝って袖を通してくれたりして
今まで女の子にこんなふうにやさしくされたことがなかったので
「ああ、こんなにやさしい人が世の中にいるんだ」と
またも感動するのだった。
いくつもいくつもお店を見て回って幸せな気持ちだった。
女の子と一緒のショッピングは退屈なものだと思っていたけど
公美と一緒ならこんなにも楽しいのだと思った。
3月24日の公美のお誕生日には、今度は公美のプレゼントの
お洋服やアクセサリーなんかを一緒に買いにいけたら
どんなに楽しいだろうと思った。
公美が一番気に入った一番すてきなものを買ってあげたいと思った。

自分は専門店は高いからと思って
ダイエーのほうにある安いものをみたりもしたのだけど
公美はやっぱり高いお店のもののほうがいいと思ったらしく
結局1万5千円もする革ジャンを選んでくれたのだった。
「それに一緒に合うシャツも買おうよ」と言ってくれて
麻の繊維で織られたしっかりした仕立ての美しい白のシャツを
選んでくれたのだった。

こんなにいいものを買ってこらったことなんてなくて(しかも一緒に楽しく選びながら)
本当にいいのかと半信半疑だった。
でも公美の高級そうなお財布から1万円札が2枚でて
何事もなくお買い上げ、となった。
こんなかわいくて大好きな人に買ってもらって
お店の人とかにもなんか誇らしい気持ちだったのだ。

「こんなすてきなもの、本当にありがとう」とお礼をいって
「でも本当にいいの?ぼくも出そうか?」というと
公美は全然上機嫌で「喜んでくれて、うれしいよ^^。
その代わりばんごはんはゴチしてもらうからね^^」って言ってくれて
ぼくは「もちろんだよ^^」と答えたのだった。

帰りの道すがら公美は鼻歌まで歌っていてくれて
公美が一緒の楽しんでくれていることがわかってうれしかった。
ぼくが何の曲だろう?!と思った耳をそばだてるとそれに気がついて
「そんなに聞かれたら恥ずかしいじゃない!」
って言うのもまたかわいいのだった。
公美は当時流行のミーシャの曲を歌っていたのだった。
普通といえば普通なんだけど、
ぼくはクラシックの曲なのかな?!なんて思っていたので
なんとなくおかしく(funny)思ったのだった。

コルトンから車で15分ほどレッドロブスターという
シーフードのファミレスに行った。
このお店はファミレスと行ってもちょっと高級な感じだし
それに誕生日にはささやかなイベントをしてくれるのだった。
誕生日のケーキを出してくれて、キャンドルサービス、そして記念撮影をしてくれる。

ベタといえばベタなんだけど、大好きな彼女とそんなベタな
誕生日を一度すごしてみたいと思っていたのだ。
ささやかな夢だけど、かなってとてもうれしかった。
ケーキにはチョコレートで名前を入れてくれるのだけど
自分の名前をいれてもらっても仕方ないので
公美の誕生日も近いので公美の名前をいれてもらって
その前で店員さんが二人の記念写真を撮ってくれた。

お料理も二人だから二人のコースで頼んで取り分けたのだった。
とってもおいしい上に公美がパエリアを取り分けてくれて、それがまたうれしいのだった。

こうして二人の幸せな夜は更けていって
お店をでたのはそろそろ10時になろうかという時間だった。
そしてぼくは公美をおうちまで送っていった。

ぼくは公美の好意が冷めてないことを実感できたし
本当はうちに上がりたかったり、キスしたい気持ちがあったけど
前回までのことを考えてその日はみんな我慢した。
公美に感謝の気持ちをたくさん伝えて、
公美のおうちの近くの駐車場できれいに別れたのだった。

帰り道、ぼくは幸せでいっぱいだった。
さっき撮ってくれた写真をあらためて眺めてみた。
記念のケースに店員さんが手書きで「おめでとう」を入れて
二人が仲よさそうに並んでいた。
公美が居てくれるだけでこんな幸せがあるのだと思って
うれしくてたまらないのだった。
本当に公美、様、様、だと思った。
一生かけて愛していきたいぼくの大切な姫君だと改めて思ったのであった。

二人の素敵な誕生日の日の大切な記憶と記録を
公美の誕生日である3月24日に残す。

# by shigeshogi | 2007-03-24 10:00 | 公美 | Trackback | Comments(0)

苦しい(付記 ライブドア事件、判決の感想など)

どうしようもない精神的な圧迫感を感じる。

少し風邪っぽくて体調がイマイチなことも理由のひとつだろうけど
なんかだるくて、疲れていて、このままでいいのか、という思いや
どうしようもない、という絶望感や無力感、
誰も相談できる人がいない苦しさが胸をしめつける。

苦しい、と書いたが、すごい耐え難い直接的な苦しみというより
じりじりせまってきて、押しつぶされるような圧迫感というか
強迫感というか、息苦しいような、おなかの中がもぞもぞするような
体が熱をもって熱いような、それでいて寒いような、ぞわぞわするような
とにかく言葉にするのは難しいが不快な感じなのだ。

何かを食べてみたり、お風呂に入ってみたり
ミントティーを入れてみたりするがダメで気分がすっきりしない。

公美のこと、なんとかならないだろうか?
何か解決方法はないのだろうか?
何とか話し合って折り合えないのだろうか?
誰か、助けてください。
本当に本当に苦しいんです。
公美とのこと解決してもう一回羽ばたきたい。
がんばって生きていきたい。
毎日、毎日、こんなに苦しんで耐えているのに
どうして公美に思いが通じないんだろう。

公美・・・ぼくをもう許してよ。
そんなにぼくをいじめないで・・・痛めつけないで。
ただ、公美が好きなだけなんだ。
愛しているだけなんだ。
苦しめないで。
公美に会いたい。


近況を少し。
土曜日(10日)は地元の道場のトーナメントで優勝できた。
2枚落ちの下手相手に必死の粘りを出すことができた。
どんな小さい大会と言っても優勝するのは簡単ではない。
そういう意味でうれしかった。

週刊将棋を見たら、マンガに自分の将棋が載っていた。
以前所司先生に頼まれて、マンガ中にでてくる将棋の題材に
ぴったりの棋譜はないかと頼まれて送ったものだった。
矢倉の将棋で、最初後手が有利になるが、熱戦の末
最後は香車が決め手になって先手が勝つというもので
該当しそうな将棋を探して数局棋譜を送ったうちの1局だ。
送ったまま音沙汰なかったのでどうなったのかと思っていたが
ちゃんと使われていてうれしかった。


日曜日は公美の友達、栗本純子さんのサックスのコンサートに行った。
ドイツに行った際電話などでいろいろ話したし
また主催している楽器会社のセルマージャパンの方にも栗本さんの
連絡先を教えてもらうなど親切にしてもらったので恩返しを兼ねて。
もちろん、公美がもしかしてくるかもしれない、
という淡い期待があったのこともある。

昼間は御徒町で2ヶ月ぶりくらいに将棋を指し夕方から渋谷に移動。
渋谷は去年の東急将棋祭り以来。
セルマーの店舗のビルの5Fにある小さなホール。
お客さんは20人ちょっと。

栗本さんとは電話やメールではけっこうやり取りがあって
写真も数枚見ていたけど、実際会うのははじめて。
上品なのに親しみやすく、暖かい感じ。
ちょっとぽっちゃりした丸い顔で、かわいらしいと思った。
どうしてクラシック音楽をやっている女の子は
みんな魅力的なんだろう?

演奏もすばらしく、また伴奏のピアノの方の腕前はすごいと思った。
また、お客さんに栗本さん自身が曲紹介や、
エピソード紹介をしてアットホームで暖かい感じだった。
テレマン、メンデルスゾーン、ブラームス、シューマンなど5曲。
初めての曲が多かったが、楽しかった。

演奏後、お会いしてお話することができた。
名乗ったら覚えていてくれて
「くみちゃんがきていなくて、残念でしたね」と言ってくれた。
公美のもうひとりの友達、白子さんもいた。
奔放な公美のことだから、彼とも関係あったのかな?と
思ったりもするけど、考えても仕方ないとも思う。
さすがに突っ込んだ話もできないから、早々に立ち去った。


月曜日は朝、日曜日に録画されたNHK杯将棋の準決勝を観ていたら
すばらしい好局で感動した。
窪田六段は人間的には難しいところもあるが
将棋は確かに強いし魅せるものがあると思った。
彼は自分の思いを将棋を通して表現できて素晴らしいと思った。
思わず、窪田六段のブログにコメントまでつけてしまった。
テンションが上がったので御徒町に出陣。

将棋をやっているうちに知花君がきて
食事をして一緒に帰り、彼はそのままうちに泊まっていった。
夜たくさんの将棋を並べて検討。
特に奨励会の知花君の将棋は終盤がおもしろかった。
若い知花君の相手をずっと続けるのは
精神的に肉体的にボロボロな今の自分にはしんどかった。
火曜も知花君は居続け、夜には福元君もきたりしたが、
二人が帰った後は疲れ果ててそのまま寝てしまった。

水曜は蒲田まで足を伸ばした。蒲田将棋クラブの水曜研。
3勝2敗で奨励会2級も倒したので表面的にはまあまあなのかも
しれないけど、さほどでもない相手にやられたりもして
内容的にはあまりいい将棋がさせなかった。
まあまあの出だしでも疲れた気持ちでぽっきり折れてしまう。
将棋は気力も充実していないと勝ちきれない。

木曜は疲れて、昼寝した上に夜は早く寝てしまった。
いつも疲れていて、だるくて、精神的圧迫感があって本当に苦しい。


今、これを書いているときにライブドアのホリエモンこと
堀江貴文被告の事件の判決が出るニュースがあった。
懲役2年6月の実刑判決。

自分は有罪は予想していたが、実刑になるとは思わなかった。
彼の罪は刑法犯ではないし、それに虚偽記載があったとして
お金を儲けようと思ってウソを書いたというだけのことが
刑務所に2年ほども入らないといけない罪なのか?
汚職の政治家とかでさえ、たいてい執行猶予がつくのに
ありえない重さといわざるを得ない。
堀江被告にはぜひ控訴して戦ってほしい。

最近の裁判所は世間の厳罰化の世論に流されて
世間で嫌われ者になった人間には、不当に長い刑罰を出しすぎる。
口で言えば2年なんてあっという間だけど
実際はどれくらい長い年月か考えたことあるのだろうか?
拘束されてすごすと1週間ですら果てしなく長い。

警察や検察はじめ、弁護士、司法の関係者には
体験学習で数日~1週間くらいの拘束生活をやるべきだと思う。
そうすれば自分たちが行っている
逮捕とか拘留とか懲役とかの重さが多少はわかるだろう。
そうすれば、むやみに長く被疑者を拘束しようという考えは
あまり起きなくなるだろう。
偉そうに高い場所にいるつもりで、下のものを捕まえたり、
裁いたりする気持ちでいるものがいるから
冤罪だの不祥事だの、隠蔽などががしばしば起こる。

今の世の中の厳罰化の風潮は目に余る。
最近の人はちょっと何かあれば「すぐ死ね!」とか
「死んでも償いきれないこと」という。
実際裁判でも死刑判決、死刑囚の数は増える一方だ。

犯罪被害者の権利が擁護されるのも悪いことではないだろうが
人間というのはそもそも思いもよらないリスクを
常にもっているものなのだ。
常に病気で急死する可能性をもってるし、事故にあう可能性もある
そして犯罪に巻き込まれる可能性もあるのだ。
生きるということはそもそもそういうものなので
何かに責任を押し付けたい気持ちはわかるが
10の被害に対して、10の罪とはならないはずだ。
目には目を、歯に歯を、は太古の話なのだ。

加害者がどんなに重い罪を受けたり、どんな償いをしたところで
被害者の許せない気持ちはかわらないだろうし
そんなこととは別の観点から裁判は行われなくてはならないはずだ。
また加害者側にもなんらかの事情があることを考えれば
人一人殺した罪は1人の死刑よりは
必ず軽くなるはずのものであるべきと私は思っている。

今の厳罰化の傾向は、単に何かに責任をなすりつけたい、
個人、あるいは社会全体がうまくいかないイライラを
何かのせいにしたいという人間の原始的な衝動が世論を形成し
(特にネットなどではそれが顕著だが無知で短絡的)
その世論に、マスコミも裁判所も流されているのは明らかだ。

警官はどんどん増員され、
冤罪天国(既に痴漢事件などでは顕著らしい)
おいこら巡査のいばり散らす戦前に逆戻りを皆は望んでるのだろうか?

この傾向は社会全体の保守化、右傾化の傾向の一環で
あらゆる面でそれがみられる。
 教育基本法改正問題、防衛庁の省への格上げなど軍事力強化、
北朝鮮、中国問題への対応のあり方
日の丸君が代の強制化、憲法改正に向けた動き
他にも山ほどあるはずだ。
だいたい今の首相、安倍晋三なんかはコテコテのタカ派で
こういう人物が総理になることに危うさを禁じえない。

歴史は繰り返す。
将来日本がまた戦争への道を歩むかもしれない。
それは前回の大戦がやはり国民全体の責任であったように
全ての国民の責任だと思う。

# by shigeshogi | 2007-03-16 11:56 | 近況 | Trackback | Comments(0)

天使が降りてきた夜 後編

天使が降りてきた夜の、翌朝の物語。
このシリーズの最終話になる。


翌朝、ぼくが目を覚ましたとき
時計を見るともう10時くらいだったように思う。
公美はいろいろ言いたいこともあったのだろうけど
そのときはあまり言わず「お風呂に入ろうよ」と言ってお湯を沸かしてくれた。
公美のお部屋のお風呂場は初めてだったけど、
とってもきれいで一人暮らし用の部屋としてはわりと広めなのだった。
お風呂場のそばには洗濯機と乾燥機までちゃんと用意されていて
公美の裕福な感じがつたわってきた。

公美はまたとてもやさしくて、背中を流してくれるのだった。
ぼくも公美の髪を洗ってあげたかったけど
朝から髪の毛を濡らしてしまうと乾くまでが大変とのことだった。
でも公美が体を洗っているのを眺めて、幸せな気持ちだった。

お風呂から上がって、服を着て待っていると
公美もやってきて、出かける支度を始めるのだった。
新しい服を着て、髪の毛を整え、
ちょっとだけお化粧をして、最後にめがねをかける。
それまでお布団の中で一緒だった女の子の公美の顔から
あっという間にきりっとしたレディの表情になって
そのあまりの変身ぶりにとても驚かされたのだった。
ぼくは見違えてしまって、あらためて公美の多面的な魅力に
引き込まれてしまったのだった。
女の子にはそういう魔力があるんだと思った。

どこか近くでお食事しましょうよ、
と公美は言ってくれて二人で部屋をでた。
ちょうど部屋をでたときに、偶然、2つ隣の部屋の
やはり芸大の女の子(もちろん互いに知っている)がでてきたところに
鉢合わせしてしまい公美はちょっと気まずそうな顔をした。

外は少し雨が残っていた。
マンションから出ると公美は上野までタクシーで行こうよ
といってさっと手を上げてタクシーを呼ぶのだった。
ぼくはタクシーに乗るなんて滅多にないことだったし
上野駅までの距離でタクシーにのるとか考えもしなかったので、
(もちろん雨で、ぼくが傘をもってないということも
あったからだとは思うけど)
公美はやっぱりお嬢様なんだとびっくりしまった。
それに公美は今日は私が払うからね、って言ってくれた。
びっくりしたけど、せっかくの好意に甘えて
かわりにごはんはぼくがごちそうさせてもらうことにした。

結局上野広小路から御徒町方面に歩き、お店を探した。
公美が持っている傘を相合傘して歩いて、とてもうれしかった。
歩きなれたこの街を、最愛の人とひとつの傘の下で
歩ける幸せをかみ締めていた。
この街を歩いているどの女性よりも
かわいい人を連れて歩いているというとても誇らしい気持ちになれた。
知り合いにばったりあったらいいのにと思うほどだった。
上野の街が自分たちだけの街になった気さえした。

大戸屋という定食屋さんに行った。
定食屋さんだけど、わりとこぎれいで、女性むけのメニューという
感じがするお店で、公美には珍しい印象のようだった。
公美はしょうが焼き定食が食べきれなくて
前と同じようにぼくにわけてくれるのだった。

食べ終わって、ほうじ茶をいただいていると
「ねえ、しげさん。こういうのはどう?」と公美が切り出した。

「私は音楽関係の仕事だから、土日が忙しいし
今はけっこう大事な時期だから、あまり時間がとれないの」
「しげさんもお仕事があるし、それに将棋もがんばっているんでしょう?」
「少しお互いのことをがんばることにしない?」
「しげさんが、将棋で日本一(アマチュア)になったら
またお付き合いして一緒にデートしようよ。」

ぼくは離婚をしてからはずっとずっと一人ぼっちだったし
ずーーーっと探し続けた公美と少しでも離れているのは嫌だったけど
公美の話を聞いて、その話もわからないでもなかったし
ぼくに対する好意が消えたわけではないと思った。

別に公美は絶交を言い渡しているわけでもないし、
ぼくは足りない頭で考え、
公美の言い分もちゃんと聞かないといけないと思い、
素直にうなずくしかなかった。

食事のあと、大江戸線の上野御徒町駅のところでお別れになった。
ぼくは道場に行こうかどうか迷ったけど、疲れも残っていて
とてもいい将棋がさせるようにも思えなかったので
まだ昼くらいだったけど帰ることにしたのだ。

公美と別れて、地下鉄の階段の入り口のところから
去りゆく公美の傘をさした後ろ姿を見ていると
急にさびしさがこみ上げてきて、とても切ない気持ちになった。
しばらく動けなかったけど、別れるのが嫌で
公美が歩いていった方向に、思わず小走りで向かったのだけど
人通りの多い道のこと、もう公美の姿は見つからないのだった。
切なさと愛しさで胸が張り裂けそうだった。

好きで好きでたまらない気持ちを胸に
一夜の夢のような時間を思い出しながら
電車に揺られ家路についたのだった。

# by shigeshogi | 2007-03-10 06:49 | 公美 | Trackback | Comments(0)

天使が降りてきた夜 中編

公美のコンサートがあった日の晩の物語の続き。

公美のうちの近くのコンビニで公美と会ってとってもうれしかったが、
「泊めてくれない?」という一番言いたかったことは
なかなか言い出せずにいた。
前回、一度別れた?という形になったこともあるので
おつきあいが再会しているのかどうかよくわからなかったし
そのことで関係がダメになるのがこわかったからだ。

でも雨は降りしきり、傘はなく、駅までは少し歩かないといけない。
公美の顔色を見ながらおそるおそる
「もしだめだったらいいんで、怒らないで聞いてほしいんだけど・・・」
と前置きしてから
「もしよかったら、今日、泊めてもらえないかなあ・・・」と
小さな声で聞いたみたのだった。
公美はちょっと考えて、まだ電車のある時間だったにもかかわらず
「それじゃあ、部屋ちょっと片付けてくるから10分くらいしたら来て」
と言ってくれたのだった。
ぼくはたまらなくうれしかったのだけど
あまり大げさに喜んではいけないと思って
「わかった、じゃあ、何か買い物していくけどほしいものある?」
と言って、公美が先に帰るのを見送った。
コンビニでたくさん、公美が気に入りそうなものを選んで
10分ほどしてから行くと、公美は暖かく迎えてくれたのだった。

天使はぼくの前に舞い降りてくれて、天国への扉は開かれた。


二人はとりあえずビールをあけて乾杯した。
ぼくが買っていったものは公美の好みにあっていたみたいで
「わぁ、私の好きなものばかり買ってきてくれた^^」と言ってくれた。
特に生ハムはうれしかったみたいだ。
おつまみのチーズやお菓子、ケーキなどを一緒に食べた。

公美はタンスをごそごそ探して
とっても大きなトレーナーのようなものを出してくれた。
「これに着替えたらいいよ」
公美はそばにいられるだけで幸せなのに
次々やさしくしてくれて、夢のようだった。
今日の演奏のことをはじめとしていろいろな話をした。
公美はアルバムを出してきて昔の写真を見せてくれるのだった。
小学生のころの集合写真を見せられて
「どれがわたしか、当てて!」と公美は言うのだけど
難しくて、なかなか当たらないのだった。
でも高校のときの写真はさすがにわかって
なかでもメールで話したこともあった沖縄の写真はすてきだった。
波打ち際でスカートのすそをまくりながら遊んでいる
公美の写真で、ホテルの建物がきっちりバックに入っていて
すばらしくいい写真だった。
公美の無邪気なはじけるような笑顔の一瞬が切り取られているのだった。
あまりにもすてきなので「ねえ、ねえ、この写真、ぼくもほしい」
と言ったのだけど公美には一笑に付されてしまった。
ぼくと公美が東京ドームシティで撮った、
大事な記念写真も一緒に大切にされているのだった。

やがて、そろそろ寝ようかということになって
ぼくは前のこともあるから、
一緒に寝てくれることはないんじゃないかと思って
じゅうたんの上で横になろうとしたら、
公美は「下で寝るの?」というのだった。
ぼくが「一応、遠慮して・・・」といったら
公美は「下で寝るのがよければそれでもいいけど・・・」
それで「いいの?上で一緒に寝て」
公美は「うん」

ベッドの中でいろいろな話をした。
寝物語、昔話全般。

公美は中学までがとても楽しかったらしくて
中学に戻りたいということを何度も行っていた。
勉強もできたしスポーツもかなり好きだったらしい。
外で遊ぶのが好きで釣りなんかもしたらしい。
特に中学時代パスケ部にスカウトされた話はちょっと自慢らしかった。

音楽は中学から始めてうちにおじいさんの残してくれた
楽器がいろいろな種類あったので、
ひとつはじめてみたのがきっかけということだった。
ピアノやヴァイオリンなどはもっと小さいころからはじめないと
一流になるのはけっこう厳しいのだが、
クラリネットは比較的年齢がいってからはじめても大丈夫で
公美は中学のうちに吹奏楽の県の大会で早くも金賞などをとって
芸大の付属高校に進むことになったのだ。

高校は上野の芸大付属高校だったので、15歳の若さで実家を出て
大塚にある寮に入っての高校生活だったのだ。
公美はそこで初恋をして、初体験をしたことを語った。
公美の過去の恋愛を聞くと、ぼくの胸はきゅんと痛んだけど
ぼくにも傷だらけの過去があるからお互いさまだし
これから一緒になって幸せになっていけばいいと思えた。

高校から大学に入るとき、公美は付属高校からだったのに
1年浪人することになってしまったらしい。
これは公美にとってかなりショックなことだったようだ。
実家に帰って毎日10時間も練習したのだと言っていた。
苦労のかいがあって、東京芸大に無事入ることができて
最初の2年間は実家の茨城県笠間市から通ったのだそうだ。
家から友部駅まで両親が車で送ってくれて、
そこから上野までフレッシュひたち号に乗る日々が続いた。

その一方で大学時代にはまた彼氏ができパチスロを教わって
公美もけっこうやるようになったりしたとのこと。
2軒ほど行きつけのスロット屋さんのことを教えてもらった。

そしてその彼と毎日のように学校帰りに日暮里界隈の
ラブホテルに行ったのであの辺りにあるたくさんのホテルの
けっこう多くを知っているという話もしていた。
(おかげで実家に帰るのは深夜12時近いこともあったけど
そんなとき、2時くらいまで練習して、さらに翌朝5時おきして
登校したこともあったという。公美はがんばりやさんでもあるのだ)

ぼくはちょっと意外だったけど、公美のまた知らなかった一面を知って
(公美自身はそれらのことにちょっと引け目を感じてるようだったけど)
ぼくからみるとそれも公美の個性だと思えた。
公美は決して遊びで恋愛するのじゃなくて
そのときどきに真剣にまじめにおつきあいしてきたのだと思ったから。
また厳しい修行生活の中それぐらい遊びの部分もないと
きっと息が詰まってしまうんだろうなあって思えた。
一緒にホテルにもパチスロにもいけたらいいな、って思った。

そんな寝物語をしているうちに次第にHな話にもなってきた。
ぼくが「Hなおもちゃとか使ったことある?」と聞いたら
「1回だけあるけど、私はあまり気持ちよくなかった。
私は人間がしてくれるほうがいいみたい」と答えた。
以前に書いた「毎日自分でHなことをしてる」というのも
このとき聞いた話だ。
ぼくは公美に「けっこうやりなれてる気がする」とか
「しげさんのは大きいから体にけっこう負担」とかいわれて
けっこう複雑な気分だったのだった。
でもまた結婚の話をしてくれて
「結婚したあともちゃんと体でスキンシップもしていくような
夫婦生活がいいな」なんて話をして、うれしがらせてくれるのだった。

「寝るときはブラはつけるの?」と聞いたら
「さっき見てないときにはずした」っていうから
「ほんと?!いつのまに・・・」とかいいながら
胸元を服の上からなでてみると、たしかにしてなさそうで
「ほんとだ!すばやいなあ」とかいいつつ
そのまま、布団の中に手を差し入れて
服の上からさするように胸をなでながら
公美のバストの感触を確かめてみた。

「サイズ、何カップとかってどうなの?」ときくと
「Eカップだよ」という答えだった。
さすった手のひらが乳首のところを通るたびに
公美の体がぴくっと反応するのには気がついていたけど
そしらぬ顔をして、
「そっかあEなんだ~。そういうのって男の人が
服の上からみても意外にわからないものなんだよねえ」
なんて話をずっとしていた。

ぼくはたまらなくなって「ねえ、公美、しようよ」
といったけど公美は「うん」と言ってくれなかった。
「そうやって、Hな話したり、さわったりしてれば
あたしがその気になると思ってるんでしょ?」公美は言った。

ぼくはその通りの下心だったけど、
公美は別にいやそうなそぶりをみせるわけでもないし
今更自分の気持ちのおさまりもつくわけなくて
胸の感触を楽しみ続けた。
ぴくっ、ぴくっと公美は反応した。

そうこうしていると公美はちょっと悩ましげな声で
「下着がよごれちゃうじゃない」といってくるのだった。
ぼくは「え?濡れてるの??」
といいながら、公美のパンティに手を差し入れてみると
そこはもう十分に潤っているのだった。

でも中まで指はいれないで、くみの下の形や
われめの存在をたしかめるように指を這わせているようにした。
公美のあえぎ声は次第に大きくなってきて、
ときに腰をよじるように反応するのだった。

「ねえ、公美、やっぱりしようよ?」というと
公美は悲しそうな声で「うん」と言うのだった。
ぼくは気が変わらないうちにとあわてて下着を脱がせて、
コンドームを取り出した。

でもコンドームをつける手間が惜しかったので挿入はしないで、
公美のボタンをはずし胸にむしゃぶりついた。
舌で乳首を転がし、乳首が舌で押されるたびに、
ぴくっ、ぴくっと公美は反応するのだった。
下は入れないで、先で公美の膣口やクリのあたりを
押すようにするのだった。

刺激を与えるたびに少しづつ反応は大きくなっていき
やがて公美は感極まって「ああっ」っと声を上げて
腰をえびぞりにのけぞり動くのだった。
ぼくは公美がイッたんだな、ってわかった。

くみは震えるように腰を動かし続けながら
声を絞るように「しげさん、入れて」と言った。
ぼくは装着してから、ゆっくり公美の中に入っていった。
公美との一体感を心から楽しんだ。
このぴったりな感じ、いるべき場所にいる感じ。
ステージの上で天使だった公美が今ぼくとひとつになっている!

公美の声にあわせて腰を動かしていると
自分もどんどん気持ちよくなっていき、最後には果てた。
公美とずっと抱き合って、余韻を楽しんでいた。


どれぐらい時間がたっただろう。
二人の体は冷めてきて、公美は腕枕の中にいた。
そのときぼくは公美が悲しそうな顔をしていることに気がついた。
ぼくは嫌な予感がした。

「あたし、しげさんのこと、そんなに好きじゃないかも」
公美は言った。
「待ってよ。その話は今はやめよう」って言ったけど
公美はやめなかった。

「女ってどんなにHに夢中になっているようでも
心の中に醒めている部分があるのよ」と公美は続けた。
「たしかに、しようって言われたとき、うんっていったし、
実際して、体は感じていたかもしれないけど、
心はもうちょっと待ってほしかったのよ」

公美の情けない気持ちはなんとなくわかる気がした。
きっと欲望に流されてしまった、と後悔しているのだろうと思った。
その気持ちもわかるけど、わけるけど・・・
でもだからって嫌いといわれるのは悲しかった。

女の子が本当にセックスを求めていないときに
男性が求めてしまうと女の子は「体目当てなの?」
って気持ちになってしまうことは頭ではわかってはいたけど
だからってしちゃってからそう言われるのは悲しかった。

ぼくは「公美。今はきっと疲れているんだよ。寝ようよ。」
というのが精一杯で公美を腕枕して、
もう片方の手で公美の髪をなでてそうしているうち
二人とも素っ裸のまま眠りに落ちていったのだった。

夜中、一度ぼくがトイレにいこうと起きたとき
公美は眠っているようだったけど、
ぼくが布団からでると気がついたみたいで「どこに行くの?」っていった。
公美は眠りが浅いみたいだった。
ぼくがベッドに戻ってくると公美は言った
「わたしも下着つけていい??」

朝、目を覚ましてみると公美はやはりおきているのだった。
少しは眠っていたはずだと思うけど、あまり眠れなかったのだと思った。

翌日の物語は後編に続く。

# by shigeshogi | 2007-03-09 07:41 | 公美 | Trackback | Comments(0)

天使が降りてきた夜 前編

2005年2月18日(土)は天使が降りてきた夜だ。

この日は東京芸大のチェンバーオーケストラの公演があった。
そう、公美のステージがあったのだ。
メールで本番ということを聞いていて、
ネットで芸大のホームページを見ていたら
この公演があることを知って、聞きにいきたいと思った。
土曜日は仕事だったけど、夜からなので聞きにいけるのだった。
もしかして、聞きにいくと嫌がられるかも・・・
とちょっと心配したけれども、でも聞きたい誘惑には勝てなかった。
公美のピアノは聞いたことあったけど、
クラリネットはまだだったのだ。

仕事が終わってバスと電車を乗り継ぎ、鶯谷からは歩きだ。
駅から、意外に遠い。
時間ギリギリ、なんとか間に合うことができた。

受付の学生さんに1500円払ったらパンフレットをくれた。
演目は「スイス」という曲とバッハの数曲、
そしてメンデルスゾーンの「イタリア」だった。

奏楽堂はとても新しく立派なホールで
着席で500人は余裕で入れそうだと思った。
奥のパイプオルガンが立派で高そうなのと、
いすがとてもいいやつだと思った。
あとで公美に聞いたらイタリアから取り寄せた
とても高価な椅子なのだという。

1曲目になんとか間に合ってステージの上を探してみたが
どうみても公美はいないのだった。
というかクラリネットのない編成。
でもパンフレットに公美の名前がでていたので
いずれ登場すると思って、音楽を楽しむことにした。
指揮者はボッセさんといってかなりのベテランの方で
実績十分という感じでよかった。

バッハの曲のときに古楽器のチェンバロがでてきて
だからチェンバーオーケストラっていうのか、と思った。
チェンバロはバッハの時代の楽器でピアノの前身ということは
知っていたが、実物を見るのははじめてだった。
予想外に大きくてびっくりした。
音もピアノよりも力強い響きでいいなあと思った。
聞きなれたバッハの曲もより厳かに聞こえるのだった。

3曲目の「イタリア」になって、ようやく公美は登場したのだった。
どんな衣装を着るのかと楽しみにしていたら、
ちょっとおとなしめでフォーマルなパンツルックだった。
公美はボーイッシュな服装も似合うので素敵だと思った。

ステージの上の公美と何度か目が合ったような気がした。
オレンジの目立つセーターをきて、
前方のど真ん中に陣取ったこともあって
公美は気がついたのかも?と思った。
あとで聞いたら、やっぱり気がついていて
それでちょっと動揺させてしまったようだ。

「イタリア」はけっこう有名な曲だと思うが、
ちゃんと聞くのはこのときがはじめてだった。
とても明るくて楽しい曲だった。
でもあとで聞いたらとっても難しい曲で
その日の公美の演奏は不本意ということなのだった。

公美の出番はそんなには多くないのだけど
クラリネットの出番になるとぼくはやっぱりうれしいのだった。
こんな立派なステージですてきな演奏をする公美と仲良くなれて
愛してると言ってもらえて、
抱き合うことができた自分がとっても誇らしく思えた。
公美のことを公美の上にいる天使さまのように思えた。

演奏は見事に終わって、拍手が鳴り響く中
みんなで足を踏み鳴らして指揮者をたたえるのがおもしろかった。
公美も指揮者の人に握手をしてもらっていた。
夢のようなすばらしいステージだと思った。
大勢の拍手を受けている公美はぼくだけのかわいい女の子なんだから
どれくらい幸せかわからないくらいだった。

演奏が終わり、でとりあえず会場からは出たけど
まっすぐ帰る気持ちにはなかなかなれなかった。
でも公美にはこのあと打ち上げとか反省会みたいなのが
あるのかもしれないと思って、どうしようかと思った。
とりあえず公美のうちの近くのデニーズに行って
お茶を飲みながら様子を見てみようと思った。
演奏が終わって1時間くらいしてからメールを入れてみると
しばらく時間をおいて公美が返事をくれた。
「きてました?」

お茶でもしませんか?といったら、少し小雨が降っていたけど
公美はデニーズの下のセブンイレブンまできてくれたのだった。

ステージの上で輝いていた天使がぼくの前に降りてきてくれたのだった。

店の前の屋根のあるところで少し話をしていて
ぼくは公美に「泊まっていってもいい??」
といいたかったけど怖くてなかなか言い出せなかった。

果たしてその後どうなったのかは、中編に続く。

# by shigeshogi | 2007-03-08 16:21 | 公美 | Trackback | Comments(0)

春暁

昨夜は春の嵐で、風雨激しく、ときには雷鳴も聞こえた。
寒く、陰鬱な一日だった。

今日は一転嵐は去って、柔らかい春の陽射しが訪れている。
昨夜から一睡もしていないけど、うちをでて
近くの商店まで買い物に行ってきた。

ベランダの扉を開けると風が入ってくるがちっとも寒くない。
もうすぐ桜もさくだろう。

ベランダに出てみると、近くには西蓮寺のお墓や
少し離れて中川の河川敷や船堀の景色がゆったり広がる。
公美も眺めたこの景色がぼくは大好きで
都内なのにとってものんびりした空気をもっている。

ぼくはこんなのんびりした穏やかな一日が大好きだ。
特別なものなんてひとつもいらない。
お金も地位も名誉も、そんなに興味がない。
こんな穏やかな一日と、おいしいごはんと
愛する人がそばにいてくれたら、
それだけで人間は幸せなんだと思う。

きっといつかぼくにも小さな幸せがきてくれるって信じている。
大好きな人と一緒にのんびりとした一日をすごそう。
ささやかでも、確かな幸せ。
公美がきっと運んできてくれると、信じている。

# by shigeshogi | 2007-03-06 13:49 | 近況 | Trackback | Comments(0)

3月に入った

このところ、やはり体調がよくなく
ずっと微熱が続いているような感じ。
気分が沈んで、昼夜逆転生活が甚だしい。
昨日など、昼の10時に寝て、夜の8時前に起きた。
しかも食事をして、風邪薬を飲んで
少し将棋の勉強をしたりしていたら
また眠くなって夜の11時くらいまでうとうとしてしまった。
まあ薬のせいもあるのかもしれないけど、
最近へんな眠り方をするときが多い。
うとうとしているときに、公美の夢を見た。
公美が今は実家をでていて、水戸市内で一人暮らしをしてるという夢。
そんなわけはないと思うのだけど、
なんでこんな夢を見てしまったのだろう。


近況を少し。
28日は憂鬱でうごけなかったこともあってうちから一歩もでなかった。
ピザを頼んで、誕生日プレゼントの申し込みをしたら
とくながさんというメガネのかわいい女の子がきて、プレゼントをくれて
お誕生日おめでとうございます、を言ってくれた。
こんなかわいい彼女がいてくれたらどんなに幸せかと思った。
2年前には公美と一緒に夢のような誕生日をすごしたのに今はひとりぼっちだ。

1日はばあちゃんと会う。
誕生日のケーキをもらい、うちに帰って一人そのローソクに火をつけたら
むしょうに何かに火をつけたくなって、紙袋を燃やす。
最初は見ていたら、そのうち火が大きくなってきて我に返って火を消した。
幸い、少し灰が飛んだくらいで大事に至らなかった。

2日金曜日は「将棋界の一番長い日」。
夕方のBSを見てから研究会に行った。
溝上3級を倒すも中学生のこどもにやられ、2勝1敗。
パッとしない。
夜から知花君、溝部さんらがうちにきて、テレビを見てそれから将棋。
マイミーオが記録係でテレビに映りまくり。
スーツを着ていることもあって、いつもと全然感じが違う。
彼女ががんばっていることはもちろん知っているが
女というだけで将棋の世界では仕事がもらえてうらやましい。

テレビのあと徹夜で朝10時近くまで将棋をやって、
さらに仮眠をとって道場の土曜夕方トーナメントにでる。
五段と香落ち3連発で3つめでついにつかまる。調子が悪い。

その日の夜は、前日ほとんど寝ていないからすぐ眠れそうなものなのに
ちっとも眠れずひどい。
ようやく寝たのが明け方で起きたら夕方だった。
大切な日曜日をムダにしてしまった。

日曜日、夜からはこっちゃんと横浜中華街でお食事。
その後、中華街を少しぶらぶらしたり、お茶しておしゃべり。

公美を探しにドイツまで行ったことをこっちゃんは
「小説みたいで、ロマンチックだね」って言ってくれた。
ぼくは「現実はそんなにきれいなものじゃないよ」と言ったけど
心の中では少しうれしかった。

本当は彼女につきあってほしいといいたかったけど
彼女が少し風邪気味だったのと、
ドイツの話をしているうちにいいそびれてしまった。
彼女への気持ちは複雑で、尊敬と、友情と、
女性としてすてきだと思う気持ちが混ざっている感じ。
好きだけど、愛してるとまでは言えないと思っている。

でもすごく魅力的な女性だし、そのへんも含めて複雑な気持ちを
メールに書いて送ってみた。
こんなことをしても仕方ないことはわかっているのだけど。

どうしたら、ぼくは希望をもって毎日をすごせるんだろう。
公美と話がしたい。
公美の顔をみて、公美の声をきいて、
今まであったこと感じたこと、思ったことを話したい。
公美の気持ち、公美のこと、なんでも聞いてみたい。

希望をもって、もう一度人生をがんばってみたい。
公美と仲直りして、仕事をがんばって、将棋もがんばって
きっと一緒に幸せになりたい。
助けてほしい、公美。
君の力で、やさしさで、絶望の縁にいるぼくに光を与えてほしい。
公美がいてくれるだけで、ぼくは救われる。

3月24日は公美の誕生日。
この日には、会いに行こうと思う。

最後に公美の写真を3枚。
栗本さんのレポートに使われていたもの。
小さくて残念だけど、公美らしい表情をしているなあって思った。

# by shigeshogi | 2007-03-06 08:11 | 近況 | Trackback | Comments(0)

結婚話をした日

一度は公美に別れを告げられてしまったけれども復活した日の話。

別れてしまって辛い日々を迎えてしまった自分だけど
きっと公美は自分のことが好きなはずと信じていたし
辛抱していれば必ず復活できると思っていた。
そして、その日はやってきた。

初めて別れてから10日ほど過ぎたのち、
携帯を新しく変えたことにかこつけて
公美にメールしてみたのだった。

公美はごきげんで返事をくれた。

(^-^)お疲れさま 元気そうでよかった(^^)
携帯変えたんですね メールしてくれてありがとうございます
私も頑張ってますよ(^^ヾ 今月は休みもなく頑張り時です
しげさんも体を壊さないように


こんなやさしい言葉をかけてくれて
夢のようにうれしかったことを覚えている。
よかった、うれしかった、信じていてよかった。

最近のこととかいろいろ話しているうちに
電話で話そうということになって、
さらに電話で話しているうちに、
会おうという話になって結局会うことができたのだった。

夜からのデートだったので道はすいていたし
ちょっとドライブして隅田川を越えて、
亀戸の辺りを通り南砂のほうまでいき、
自分がちょっと気に入っているイタリアンのファミレスにした。
途中、亀戸の近くにある、
すごくおいしいステーキ屋さんの前を通ったときに
「一度だけ行ったことあるけど、最低5千円からなんだよ」
と言ったら
「一度本物を味わっちゃうと、ニセモノはダメでしょう?」
と公美が答えた。
ぼくは公美は本物に囲まれて生きているからな~って思ったけど
「安いものには安いものの良さがあるさ」
って話をしたのをよく覚えている。


禁煙席がいっぱいで喫煙席に回ってしまったけど
話は弾んでとっても楽しい時間だった。
このときは将来のこととか結婚のことを話したのだった。

ぼくが公美に「演奏家になりたいんでしょう?」というと
「うーん、けっこう微妙かも・・・」という返事なのだった。
「音楽は好きだけど、クラシックを聞くと仕事の頭になって」
とかそんなことも言っていた。
教育実習に行くというから、「それじゃあ、先生になるの?」
と聞いたら「そうでもない」という返事だった。
公美がいろいろ迷っているんだなあという感じが伝わってきた。

「結婚とかは?」と聞くと
「自分はすごく結婚願望ある!」と公美は即答した。
「理想とかは?」って聞くと
「自分はすごい現実的に考えているの」という答えだった。
ものすごく熱い恋愛をして、唯一の人と結ばれるのじゃなくても
自分のことをちゃんと愛して大切にしてくれる人ならそれでいい
というのだった。
「じゃあ、ぼくでもいいの?」と冗談っぽくきいたら
笑顔で「考えておきます~」って言ってくれるのだった。
ぼくはとってもうれしくなって
「じゃあ、こどもができたら、ぼくと公美の名前を1字づつとって
男の子だったら公樹、女の子だったら美樹、っていうのはどう?」
って言ったら、けっこううけて笑ってくれるのだった。
とってもうれしかった。

その後、雪の降る日に仕事で雪かきをして、かじかむ手を見つめながら
公美と結婚したときのことを思ったりしたことがあった。
こうやって、一生懸命仕事して、
うちに帰ったら公美がピアノを弾く音が聞こえてきて、
のんびり聞きながら休んでいたら
公美が気がついて笑顔で迎えてくれて、ごはんを作ってくれる。

早くそんな日がきたらいいなと思った。
特別なものやぜいたくなものはなにもなくても
二人で一緒に誰にも邪魔されず、のんびりささやかに楽しく暮らして
きっと幸せになれると思ったものだった。
公美となら、きっとかなうと思った。


その日のデートは、キスもHもなかったけど、
とっても楽しい幸せなデートだった。
公美のかわいさを実感して、愛をたくさん感じた一日だった。

# by shigeshogi | 2007-03-03 07:20 | 公美 | Trackback | Comments(0)

けがれなき真琴さん

今回は公美とのことをちょっと離れて
公美とある意味対照的な一人の女の子のことを書こうと思う。

真琴さんに出会ったのは公美よりもっと前の3年半前。
ネットの出会いの掲示板に彼女が書き込みをしていて
それを公美のときと同じ自動メール送信サービスが縁をつないだ。
自分が送ったプロフィールのうちの「沖縄」というのに
真琴さんが興味をもって沖縄のサンゴについて書いてくれて
それでぼくがサンゴがどんな特殊な環境でないと生育しないのかとか
沖縄のサンゴが今まずい状態にあるということなどを書いたのが
きっかけだったと思う。

その最初のメールを交換したとき、
真琴さんは長野県に住む、まだ15歳の中学3年生だった。
彼女はとてもまじめな女の子で、メールは知的で話ははずんだ。
高校受験を控えた、まだまだこどもっぽいところを残す
あどけない、田舎の女の子。そんなイメージだった。
実際中学の制服をきた写真を送ってくれたけど
まっかなほっぺたで、ちょっとぽちゃとして
自宅のタンスの前でピースをして
失礼ながら「ああ、田舎娘!」と思ったのだった。

彼女は絵や写真が好きで(メールで)しばしば送りあった。
彼女の描く絵(油絵)を写真で送ってくれて
すごくすばらしい絵を描く女の子だと思った。
まじめで、親孝行、庶民的でちょっと昔風の普通の女の子という感じで
とっても好感と安心感をもつことができた。

飼っているうさぎのこととか、かわりゆく街への感傷とか
受験のこととか、妹とケンカしてしまったこととか、
あるアイドルが気になっているとか、
逆に自分からは出会いがなかなか見つからないとか
そんな日常的なお話がずーっと続いていった。
まっすぐな心根や、瑞々しい感性がまばゆかった。

そのうち年賀状も交換するようになって
誕生日プレゼントにケーキを贈ったこともあった。

彼女は将来、○○になりたい!と言うのだけどそれが毎回違う。
でもそんなところが彼女の成長や、夢の大きさ
そして若さをかえって感じさせて心地よかった。

そして彼女は高校に合格して(県でも有数の進学校らしい)
そのころから英語への興味が高まっていって、
英会話をはじめるようになった。
次第に彼女の夢が、外国文化や国際交流などにかたまっていき
TOEFLのような英語の試験を受けるようになったり
イギリスにホームステイしたり(イギリスから手紙をくれた!)
そして、留学したいと思うようになって、
その費用を稼ぐためにバイトを始めたりもした。
今や英語でメールで書いたり、海外でも生活するくらいはなんでもなくなって、
そしてついにこの春からのカナダの大学への留学を決めたのだった。
真琴さんは成長という言葉をぼくの目に見える形にしてくれた。

自分の夢を次第に形にして、できる努力を常に続けて
そのうえ実家の両親(中華料理屋をやっている)を常に考え
おごらずたゆまない彼女に
「ああ、自分は完全に追い越された」と感じた。
彼女はまだ18歳の小娘?なのに、
次第に尊敬の気持ちを抱くようになってしまった。

彼女はいつも向こうから会いませんか?と言ってくれた。
何かの用事で東京にでて、時間がありそうなとき声をかけてくれた。
最初に会おうと言ってくれたときは
まさに公美とこれから一番いいときを迎える直前で
気持ちは公美だけに向いている上に
仕事に将棋にと燃えているときで、
大会に重なったこともあって断ってしまった。

2回目の会う機会は、公美とわかれて半年くらいした夏の暑い日だった。
そのときは会わない理由はなくて、喜んで会うことにした。
自分は、中学校のときの制服の写真に写っている
15歳のあどけない女の子のイメージでいたのだけど
実際に現れた17歳の彼女は全然違うのだった。

麦藁帽子にさわやかなタンクトップ。
すっかりスリムになって、少し日にやけていた。
健康的なしみひとつないうつくしい首筋や腕に、
ほんのり膨らんだ胸。
曇りひとつないまっすぐな瞳と笑顔。
美しくかわいらしく成長した、実物の彼女が目の前にいたのだった。
ぼくは彼女に「女」を感じてドキドキしてしまった。

彼女はちょっと緊張したようだったけど
サンシャインシティに行って一緒にメキシコ料理を食べて、
いろいろお話をして、イギリスの写真を見せてくれたりした。
そして、帰りの高速バスの時間ぎりぎりまで粘ってしまったので
二人でバス停まで走ったのだった。
間に合った。

そして今も彼女とのメールは続く。
ドイツにいるあいだもメールを交換した(日本語入力ができないのに!)し、
絵はがきも送った。
遠い異国の地で彼女のメールはとってもはげみになったし
今のように楽しいことがほとんどない毎日の中で
彼女からのメールがどれだけうれしいことかと思う。


自分にとって真琴さんはなんかまぶしく感じる存在だ。
もちろん好きかと聞かれれば、好きだし、
限りなくかわいいと感じるし、色気も感じる。
会いたい、って思うときもある。
こんな彼女がいてくれたら、すげ~、いい!!とか思う。

でもなんていうか、彼女は汚してはいけないちょっと神聖な人
みたいな感じも自分はもってしまっている。
自分みたいな汚れた人間が、汚れた手で触ろうなんて失礼だし、
ちょっと違うんじゃないかなって感じたりする。
彼女みたいな素敵な人が間違ってもぼくを愛してくれるわけない
というふうに思ったりもする。
そこが公美とは全然違う感じがする。

公美は、自分と同じ、あるいは自分と近い人だ、って感じさせてくれた。
もちろんひとつひとつを見れば公美にも尊敬すべき
すばらしいところがたくさんあるし
また演奏家としての実力だってかなりのものなんだけど
それでも人間の本質的なところで近しいものを感じる。

真琴さんはもちろんすばらしい女の子。
こんな人に、もし愛してもらえるならそれこそ男子一生の誉れと思う。

だけど実際に自分が愛してしまう、惹かれてしまう。
離れがたい、近づきたいって感じさせてくれる人は、やっぱり公美なのだ。
ぼくがこんなふうに感じているってことが
公美はわかってくれているのだろうか?

公美はぼくにとっては特別な離れがたい、必要な女の子。
彼女がドイツでがんばるというなら、ぼくもドイツに住みたい。
どんな場所でも何か仕事を見つけてそばにいたい。
忙しくてたまにしかあえなくても、心がいつもそばにいればいい。
ぼくだけのかわいい公美、愛してる!

# by shigeshogi | 2007-03-02 00:25 | 出会い | Trackback | Comments(0)

公美のことが好きなわけ

今回は二人が再び付き合い始める話を書く予定だったがいったん中断。
公美への思いを書いてみたいと思う。


いったい、自分は公美のどこに、そんなにも心ひかれるのか
好きなのか、こんなにも別れがたいと思うのか、いろいろ思うことがある。

もちろん、一般的な部分からいえば
クラシック音楽の好きな自分にとって公美のすばらしい演奏や、
音楽への愛や情熱は音楽の天使のように思える。
もちろん、芸大卒の経歴や、留学の実績はぼくにも誇らしい。
彼女のご両親がお金持ちで、彼女が限りなく愛されていることも
すばらしいことだと思う。
上野に住んでいたことも、ケルンに行ったことも
茨城、そして笠間出身なことも、彼女にまつわることは全て好きだ。
華やかなステージでドレスを着ているのもすてきだし
二人が出会ったころ、限りないやさしさを示してくれて
自分が人生で感じたことのないような幸福感を与えてくれたことも
もちろん好きな理由のひとつだ。

それからその容姿も好きだ。限りなく、かわいいなあって思う。
身長も体重も理想的で、大きな胸や感じやすい体も大好きだ。
ちょっと天然のウェーブが入った髪の毛もとってもかわいいと思う。
めがねもとっても似合うし、はずしているときがあるのも
また素敵だなあって思う。


でもここまで離れがたく感じる最大の理由は、
公美は自分とかなり似たもの同士だからいうことじゃないかと思う。
こういうと、彼女は嫌な顔するのかもしれないけど
ぼくはつきあいはじめたときから、そのことを感じていた。

ひとつはその心の弱さ。
人前では強がっていても、自分と公美の心はとても弱い。
いつも何かに依存しようとしている。
主には、異性。そして、親(家族)。
満たされない心の空白を、いつもそれらで埋めようとしている。
(自分もそうだけど)
公美も、ぼくに出会うまでも何人もの男性と交際をしてきた。
大学の1、2年のころには毎日、みたいに学校帰りにホテルに行った
というふうに言っていた。
大学の女友達にネットで「意外とやり手」などと書かれる始末。

そして、そうとは思わずに相手を傷つけるような
付き合い方をして(もちろんわざとではないのだけど)
実際傷つけてきた。
公美が高校生のときつきあった男性の一人は自殺未遂までしたそうだ。
自分もそのつもりはなかったけど、
結果的にゆかりやまりこなどを傷つけたと思っている。

そして、高いプライドとそれを支える実力の不足。
自分にとっては将棋が、公美にとってはクラリネットの演奏が
その数少ないプライドのよりどころだ。
自分には将棋の才能が、公美にはたしかに演奏の才能があることは
たぶん間違いないと思う。
その反面、自分のプライドを満たせるほどの実力を身につけることや
実績が残せないこともまた事実なんだと思う。
普通の人とは違う、けど、特別な選ばれた天才かといわれると
そうではなさそうだ。
まして、将棋や演奏で食っていくことは難しそうだ。

努力ももちろん普通の意味では十分しているにしても
本当にその道に人生全てをかけているといえるほどは
(将棋でいえば一部のトッププロや奨励会員がしてるほどに
毎日10時間もやってるかと言われれば)
打ち込んでいない。

自信のないままに、でもほかによりどころもないので
自分は将棋を、公美は演奏を続けざるを得ない。
「公美は早く結婚してやめたい」と言うときもあったけど
これは逃げのひとつだし、
自分が愛する彼女ややさしい奥さんがほしい最大の理由も
やっぱり時には将棋のことを忘れたいからだ。

そして、独立自尊の気持ちはあるが、
経済的には親に依存している部分がある。
(自分の場合は間接的にではあるが)
でありながらも、お互いけっこうわがままだし、
干渉されるのが嫌で、遠ざかろうとする。

常に中途半端な弱い2人。

(とはいえ、公美は全体としては
ぼくよりずっとマシな人間だとは思っている。
何しろ彼女はぼくよりも、ほぼ10歳若いのだ。)



そして、なんだかんだいって、やさしい、ところ。
やさしい、が思い上がった言い方なのだとすれば
坊ちゃん、嬢ちゃん育ちなんだといってもいい。
世間の厳しさをそんなにしらないから、全てに甘くて
物事を楽観的に考えたり、
困っている人をみればついついかわいそうと思い
できることなら、たいした力もないくせに、手を差し伸べたいと思い、
できもしないくせに、親孝行したいとか
本当はわがままなくせに、友達にいい顔をしたり、親切ぶったりする。


たいして頭もよくないくせに、
世の中のいろいろなことを知ろうと思ったり、
知っていると思ったり、
芸術的なこと全般に興味をもったり、わかろうとしたり
実際の自分よりも立派な人間であろうとしたり
自分を誠実に見せようとしたり、
いい格好をしようとしすぎるところ。


いつも不安定な心を抱えていて、眠れない昼夜逆転生活。
そして満たされない心を性的な欲求不満にぶつけるところも似てる。
公美は女の子なのに、毎日のようにオナニーをする、と言っていた。
そうすると体が疲れて、眠れる、と。
自分も同じような感じで、寝る前にはすることが多い。
性的な欲求に弱くて、公美は自分の体は感じやすくて
痴漢に触られても感じちゃう、と言っていた。
演奏家になれなければ、風俗嬢をやるとも言っていた。
自分は肉体的な快感はそれほど感じないほうだと思うけど
女性を抱くことによる、安心感、充足感をいつも求めている。
2人とも欲望に流されて、セックスをしてしまったこともしばしば・・・
性的なことにいやらしく、汚らしいところがある、自分と公美。


ぼくは彼女にそういう欠点がたくさんあることを知りながら
(もっとも自分もそうなんだから、偉そうには言えないが)
そういうところのひとつひとつが限りなくいとおしく感じる。
公美のそういう弱さ、悲しさ、危うさ、不安、そういうことを
ほんの少しかもしれないけど、わかってあげたいって感じるし
その悩みも、ほんの少しかもしれないけど、わかる気がするのだ。
この広い世界で豆粒のように小さく、
ぼろきれのように汚いけど、
その全てが大切で、受け入れられると思う。

たぶん、公美もぼくを好きだったとき
きっとそういう似たところを感じたのだと思う。

なんだか、公美の悪いところ、マイナスのところばかり
書いてしまったような気がするが、
もちろん公美にはそれを補うすばらしいところが山ほどある。
ぼくなんかにはない立派なところをたくさんもっている。
上で書いたところともだいぶ重なるが忍耐強く地道であること、
本質的な部分でとてもやさしいこと、
手先が器用で細かいことを大事にすること
感受性が豊かなこと
派手じゃないのにおしゃれのセンスがとてもよいこと
料理が上手なこと、掃除洗濯ほか生活能力に長けていること
などなど。

公美なら、プラスの部分も、マイナスの部分も
全てをかわいらしく思って深く愛することができる。
彼女が仮に病気で倒れても、どんな悪いことをしても
ぼくをどんなふうに汚く裏切っても、
歳をとってどんな容姿が醜くなってもたぶんずっとかわいいと思えるし
味方でいられるし、そして一生かけて愛していけると思う。

これからも彼女の全てを受け入れて、愛していきたい。

(3月16日追記
いくつか、書き落としたことがあった。

公美の魅力の大切なところに、人を外見で判断しないということがあった。
口で「外見だけじゃない」とか簡単に言う人もいるし
私自身も人を外見だけで見てはいけないと気をつけてはいるが
それでもやはり人間は人の外見=容姿が気になるものだ。
特に恋愛対象として異性を見るとき、やはり気になるほうが普通だ。
自分も一般的な美人とかかわいいとかとは違う基準だけど
それでも自分なりにこういう女の子がかわいい、と思ったりする。
公美はその基準にぴったり当てはまった。

もちろん公美もまったく人を外見で見ないわけではないと思うけど
それでもぼくが一緒にいた限り外見を気にしたそぶりはなかった。
公美のようなかわいい女の子が、こんなふうに自分の全てを愛してくれるということが
自分にとってどれぐらい励みになったか知れない。

それから「約束を大事にする」という美徳があった。
異性間の約束は時に簡単に破られがちだ。
ぼくも何度女の人に約束を破られて泣いたかわからないほどだ。
女ってどうしてこんなに約束を守らないのだろう、と思うが
女も男に対して同じことを思っているようで
恋愛では好きになった側の約束への期待がどうしても大きく
そうでもない側の約束への思いは軽いから
そのギャップで裏切りということがどうしても起こるようだ。
でも公美はいつも「約束」を大切にしてくれた。
遅れるときもちゃんと連絡をくれたり、いつも尊重してくれたから
結果的に約束が守られなくてもいつも安心できた。
公美のそのまじめさは心から尊敬できると思う。

ぼくも公美を一生かけて愛する、という約束を守りたい。
公美を愛している。早く会いたい。一緒になりたい)

# by shigeshogi | 2007-03-01 04:47 | 公美 | Trackback | Comments(0)

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