2007年 02月

さよなら33歳 [2007-02-28 06:27 by shigeshogi]
なんとか、日本に帰ってきました [2007-02-27 05:38 by shigeshogi]
最後の更新かもしれません [2007-02-14 02:53 by shigeshogi]
公美が我が家に来た日~最初のお別れ [2007-02-11 04:42 by shigeshogi]
逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり [2007-02-10 07:19 by shigeshogi]
おつきあいのはじまり~2回目のデート [2007-02-04 06:10 by shigeshogi]
おつきあい直前のメール [2007-02-03 05:11 by shigeshogi]
将棋を続けられたらいいのに・・・ [2007-02-02 01:34 by shigeshogi]
ジェンカの終わり [2007-02-01 05:59 by shigeshogi]

さよなら33歳

今日(もう昨日)は34歳の誕生日だった。

ぼくの地獄のような33歳は終わった。
2年前の2月28日には公美は、ぼくの人生で1度しかなかった
夢のようなすばらしい誕生日を用意してくれたのだけど
それはまた近く書くだろう。

メールをくれたのは、セイで知り合ったれぶんさんだけだった。
あとはみんなソフトが自動で送ったり表示する「おめでとう」のメッセージ。
不幸な日々をすごしているものにとってはむかつく以外の何ものでもない。

祝福のメールのかわりに以前首がいたくてかかったときの接骨院から
実は保険が期限切れなので払ってほしいと電話があった。
そんなこと言われてもないも、どうしようもない。
家賃と駐車場代を払ったら、お金はちょっとしか残らず
もう今度のカードの決済で支払うお金もないのだ。
ドイツのお金が来るのでとても払いきれない。

1年2ヶ月ぶりに両親と母方の祖母に会った。
何もいえなかった。
もしかすると、もう会えないのかもしれない。

夜、セイのチャットで知り合った人とすぐに会うことになった。
たぶんムダであることはわかっているけど
もしかして、何か運命がかわる切っ掛けになるかもしれない。
川口だから車で行けば1時間はかからない。
夜の1時に川口のコンビニで待ち合わせた。
29歳、バツイチ、小学生のこどもがいる。
精神科にかかっていて、リストカット常習。
睡眠薬を5錠も飲んで会いにきた。
ぼくに会ってくれるのはそんな人くらいなのかもしれない。
ファミレスで1時間ほどお茶をして、帰った。
儚い希望だった。



公美とのこと。
前回、最初のお別れのところまで書いた。
でもそのあとも少しメールの交換をした。
そのうちのいくつかが以下。



昼休みにかいています
To: "kumi iitsuka"
こんにちは、公美さん。
昨日はどうもありがとうございました。

帰り道はまだけっこう動揺していたと思うのですが
うちに帰ったらなんだかどっと疲れて
公美さんにメールを書いたあとはすぐ寝てしまいました。
11時間以上寝たんじゃないでしょうか?
そのまま朝まで寝続けたみたいです。
きっと疲れていたんですね。
ぼくがこれだけ疲れていたということは
公美さんもきっとかなりお疲れだったことでしょう。
体調が悪化されてないことを願っています。

思うにこの一週間熱くなりすぎましたね。
ぼくも熱くなっていたし
公美さんもそうだったのではないかと推測します。
1日おきぐらいに会って、いろいろして
テンションが上がりすぎて無理を無理と感じない
おつきあいの仕方をしてしまった感じがします。
こんなに、長くて忙しい一週間は
このところしばらくなかったように思います。
こんな付き合い方をしていては
体も壊してしまいますし遅かれ早かれ、
破綻してしまうのも今思えば当然の成り行きです。

ぼくに関していえば公美さんが言われたように
「恋に恋する」であまりにもひさしぶりに彼女ができ、
しかも生まれて初めて心から好きな人とセックスできた喜びで
浮かれあがって冷静さを失っていたのでしょうね。
失礼なこともしたり、傷つけてしまったことを
次々思い出しました。
本当にまだまだ若い、というか子どもというか
ダメだなあと反省するしだいです。

「恋に恋する」ところがあったのは事実ですけど
その一方で公美さんだからこそというのも
間違いないと思っています。
知れば知るほど好きになっていって
仮にこのままダメになってしまったとしても
当分他の人を好きになることはできないなと
思ったりしています。


今日はまともに仕事なんてできないんじゃないか?
って危惧していたのですけど、
意外にそうでもなく、いつも通り明るく話をして
たまった仕事をこなせています。

新しい仕事にも手をつけられました。
公美さんとのことは大切で今はまだ
あきらめようという気持ちにはなれないのですけど
公美さんの気持ちと体が一番大切だし、
自分には反省して、冷静さを取り戻したり
ひとりで自分のことをがんばって
毎日の行いを慎む時間が必要かと思ったりします。

自分は失敗しないと覚えられないダメな人間です。
たぶんこれからも失敗を繰り返すのでしょう。
しかし今回の失敗を肝に銘じて
もう少しでもましな人間になりたいと願っています。

昼休みにつれづれに書きましたが
時間オーバーしてしまいましたね。
返事は結構です。ご迷惑かけています。
公美さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

公美さんの今日が素敵なものでありますように。
では。


ps公美さんにお願いです。
東京ドームシティで撮った写真。
捨てるのだけは勘弁してもらえませんか?
もし公美さんがこの恋は捨てる、と決めて
写真を捨てるのなら、どうかぼくに下さい。
これだけはせめてものお願いですので
どうぞよろしくお願いします。




お疲れ様でした
Date: Wed, 9 Feb 2005 00:20:23 +0900
しげさん。

昨日もありがとうございました。
楽しかった。
デートと言うデートもしたことのなかった私にとって、
しげさんとお付き合いできたのはとても大切な思い出になりました。
悲しいこともあったけれど、それ以上に楽しいこともたくさんありました。
お付き合いに至るまで、よく考えて出した答えだったけれど、
浅はかだったのかもとも思います。
お互いがもっとお互いを知るべきだったと。

後悔はしていません。
幸せだったり楽しかったりという思いでもあるのですから。
ただ、限られた時間の中で、もっと言葉を、心を通わせることは、
どんな人間関係においても必要なんだと思いました。
こうなってしまったことに自分を責めないでくださいね。
私から言い出したことですが、私にも至らないところはたくさんあって。
体を無理してしまったのは事実です。あなたの喜ぶ顔が見たかった。
でもまた無理をしてしまいました。あなたに言えなかった。

またあなたとやり直すという気持ちは正直今はまだありません。
あなたの考え方が少しずつ分かってきて、
私にはその考え方について行けるほどの余裕も力も自信もありません。
あなたが例え「くみだけ」と言ってくれても信じられないんです。
疑ってしまうんです。怖いんです。
抱きしめてくれていても心はどこか違う場所に行ってしまう可能性を
あなたの中に見ずにはいられませんでした。
今こんな気持ちでお付き合いしていても心には暗い影が見え隠れして、
また同じことになる。
だから時間をおきます。
おいたところで何もかわらないかもしれない。でも時間が必要ですね。

これから忙しい日々が続きます。
一瞬一瞬を大切に過ごして行こうと思います。
だからしげさんも頑張って!
私たちの未来に何が待っているのか分からないけれど
怖がらずに進んでいきましょう。

そしてお願いですからあなたのあの優しい笑顔を忘れないでくださいね。
私はその笑顔が好きでした。
ありがとうございました。

しげさんに幸せが舞い降りますように。

公美




今、メール読みました。
本当にいろいろありがとう。
公美さんの真心が伝わりました。

一言だけ付け加えておくならば、
ぼくは最初にお会いしたときに少し話したように
かつて、それほど思っていない女性とつきあい
傷つけあうようなお付き合いの仕方をしてしまいました。
公美さんに見透かされたように、
卑劣な部分もたくさんもっています。
その反省がひとりの本当に好きになった人だけと
付き合おうと思ったことです。
そのため、何年も女性とお付き合いすることは
ありませんでしたが、でもそれも仕方ないことと思いました。

今度付き合うことになって
決してウソや浮気だけはやめようと思っていました。
ぼくがウソをついたと思ったことありましたか?

・・・でも、たしかにぼくは約束、破ったですね。
信じられないのも無理はないな。

今度は愛する人のために、
欲望に負けない強い心ということについて
考えてみたいと思っています。

とりあえず、会社の裏庭の桜が咲いて誕生日がくるまでは
まず自分のことをがんばってがみようと思います。
たったこれぐらいのことががまんできないようでは
きっとこの先も同じことを繰り返してしまうでしょう。
ましてや、留学したり、遠く離れる時期を乗り越えることも
できないに違いないです。
もしふたりの縁が本物なら
これぐらいでダメになったりはしないはず。

公美さんもがんばってください。
きっとすばらしいクラリネットの演奏をされるのでしょうね。
展覧会の絵、公開される演奏ならぜひ聴きたいです。

公美さんには本当に感謝しています。
では、しばらく。さようなら。




そうやって
Date: Wed, 9 Feb 2005 01:30:04 +0900
自分を見返しながら進んでいこうとするあなたを尊敬します。

うそをつかれたと思ったことはありません。
ただ未来に自信が持てませんでした。
それはあなたのせいではなく、私自身の問題なんです。
人を信じることが怖くて逃げ出してしまうのは私。
あたと正面からぶつかるのが怖かった。人を信じるのに人から
の愛情で信じようとする臆病で卑怯な私。
あなたに思ってもらえるほど良い人間ではありません。
それは少なからずあなたも気づいていたことでしょう。
人を愛する努力をしてきました。
愛されるためには自分から愛そうとすることが大切だと。

幸せだった。
あなたに好きって言ってもらえた事で頑張れた。
生きていることを感じられた。
自分がここにいることを実感できた。
とても言葉に出来ないくらい感謝しています。
本当にありがとうございました。

どうか私たち二人がどんな形でも幸せになる道が開けますように。

さようなら。



このメールから先は、しばらくメールを出さないでがまんした。
しばらく・・・といってもたった10日くらいなのだけども・・・
自分にとってはどうしようもなく長く感じる時間だった。
会わないでいると、連絡も取れないと思うと
公美のいない心の寂しさがよりいっそう強く感じられた。
「大丈夫、信じていれば、きっとまた元に戻れる」
という気持ちだけが自分を支えて、がまんと仕事の日々をすごした。



いったい、愛する人を失う苦しさというのは
どうしてこんなに辛い、受け入れがたいことなんだろうか?
自分のそれまでの生活が恵まれすぎていて
世の中の本当の苦しみをまだ知らないからなんだろうか?
わがままなだけなんだろうか?

まあ、いわゆる世間の常識からみれば、
ぼくのこの感情は単なるわがままにすぎないのだろう。
多くの人がこう言う「失恋の痛みはみんなが経験していることなんだよ」と。
たしかにそうなんだろう。
だから、ぼくが公美を失う痛みを受け入れられないとして、
それは単なるわがままにすぎない、と決め付けられてしまう。
病気や貧困や、その他もろもろの苦しみを受けている人が
世の中にはたくさんいることも知識ではわかっている。
もちろん、他人のことに限らず、自分自身だって
病気になり苦しくなれば、何もいらないから
公美のことももういいから、この苦しみから逃れさせてくれ、
と泣き叫ぶかもしれないし、
ぼくの思いなんて、しょせんその程度のものかもしれない、と思うときもある。

しかし、自分の実感としては、やはりそういうふうには感じられないのだ。
自分にとっては公美のいなくなる痛みは、世界で唯一無二、
この世の全てと引き換えにしてもつりあわないほどの苦しみに感じた。
今は苦しみもあるけど、結局どんなにがんばっても
公美とはうまくいかないということで、
生きること全般へのあきらめが自分を覆ってしまっている。
これも、人から見れば単なるわがままにすぎないんだろう。

でも、公美がただ、ぼくのことを好きじゃなくなった、会いたくない
というたったひとつのことで
どうして、人にこれほどの苦しみを与えることが正当化できるのか
自分としてはどうしても理解できないでいる。
まして、公美は一度はぼくのことを愛して、好きと言ってくれた。
ぼくと抱き合って、特別な女性になってくれた。
それがぼくにいくらかの失敗や、欠点があったからって
どうしてこんなにも苦しめることが許されるの?

毎日が地獄の炎で焼かれているようだった。
この2年間、ぼくは心から笑うことができなくなった。
そしては今は心のあらゆる部分を
悲しみと絶望とあきらめと無力感と自暴自棄な気持ちと、
そして怒りと憎しみが覆ってる。
今、公美をあきらめたところで、いったい自分に何ができるだろう?
2年間、ずっと公美だけを思ってきた。
公美を信じて、すべてをささげてきた。

ぼくは公美が好きなだけ。
愛しているだけ。
だから、会いたいだけ、話したいだけ、抱きしめたいだけ。
それの何がいけないの??
それだけじゃない。
公美が「うん」って言って受け入れてくれれば、何の問題もない。
何でそんなに頑なに拒否するの?
たしかにぼくはわがままなのかもしれないけど
だけど、どうして、ぼくを拒否する彼女のわがままだけが正当化されるの?
この世界のすべてが間違ってる。



さて、話を戻して、公美との再会の日はすぐにやってきた。
携帯をかえたことにかこつけてメールを出したら
公美はすぐに返事をくれたのだった。
しかもとってもいい感じで。
そしてまたデートに応じてくれた。

ぼくはこのころ公美は本当はぼくのことが好きだと信じていたし
いつかはわかってくれる人だと少しも疑ってなかった。
実際、きっとそうだったのだと思う。
そして公美とのすばらしい思い出はまだまだ続くけど
それは、また次の回に。

# by shigeshogi | 2007-02-28 06:27 | 公美 | Trackback | Comments(0)

なんとか、日本に帰ってきました

無事、日本に帰ってくることができた。
もう帰れないかもしれない、とも思っていたので
ある意味では幸運だったのかも、とも思う。

今回は旅行のことを書こうと思う。


旅は公美の友達で、ケルンの音大に通いサックスを勉強している
栗本純子さんという方のレポートを見たのがきっかけだった。
そのレポートの中では公美がドイツのケルンという街で
元気でがんばっているさまがいろいろ描かれていた。
公美の写真も小さかったが久しぶりに見ることができた。

人生にあらゆる意味で行き詰る中で、
ずっと会いたかった公美がケルンにいるということがわかって
とってもうれしかった。
いてもたってもいられなかった。
すぐケルンをたずねていくことを決めた。

数日中には日取りを決めて、飛行機を取った。
また先ほどのレポートを書いた会社に連絡を取ってみたら
レポートの執筆者、栗本さんに連絡を取ることもできた。
またネットで公美の学校の場所などを調べて、
その近くのホテルを手配した。

飛行機はオランダのアムステルダム経由の便になった。
ケルンまでは直行便はないので、
フランクフルトとかウィーンなどを経由していくのだけど
いろいろ調べているうちにKLMという航空会社のホームページが
とてもよくできていて、格安運賃でチケットを取ることができた。
HISなどの旅行会社を通すより、
正規チケットで便や席が確定するメリットがあるうえに
空港利用税などが安いので総額では安かった。
ビザも何もいらないので、パスポートだけあれば何の届けもいらない。
うちにいながらに海外旅行の準備ができる。

それから荷物を整え、ガイドブックなどを購入。
だけど、この旅行のために新しく買ったのはガイドブック1冊。
そして有り金全部もって、
公美に会うまでは日本には帰らない覚悟で旅に出る日を迎えた。

14日(水)
日本からアムステルダムまでは約11時間。
時差の関係で行きは昼ばかり。帰りは夜ばかりという感じだ。
日本をちょうど昼12時ごろに離陸して、アムステルダム経由で
ケルンに到着したのは夜の10時くらいだった。

初めてドイツの鉄道に乗って、空港駅からケルン中央駅まで移動。
ライトアップした大聖堂がぼくを迎えてくれた。
駅からホテルまでは歩いて5分ほど。
ホテルではたどたどしい英語でなんとかチェックイン。
毛布を借りたり、朝食の案内を聞いたり、なんとか落ち着けた。
ホテルはシンプルでこじんまりしているけど
家族経営でフレンドリーな感じ、きれいだし、悪くなかった。

15日(木)
事実上ドイツでの初日。
でも街はカーニバル一色で、中心街は人、人、また人。
店も博物館もみんな閉まってる。
カーニバルがすごいとは聞いてはいたが、
街全体がこんな一色になるとは思ってもいなかった。
これではケルンの街の観光は無理だと思った。
まず地図をゲットして、日本で調べていた情報をもとに公美の学校を探索。
なんとか見つけるもここもカーニバル休暇。
しかたなく、すぐそばのライン川を散策したり、

(川底に黄金が眠っているという伝説のあるライン川)

見つけたネットカフェでメールを見る。
日本語の入力はできないが読むことはできるし、ローマ字でメールの返事を書いた。
キーボードがドイツ語用なのがおもしろかった。
アルファベットの配列が違い、ドイツ語専用の文字のキーがある。

日本の友達からのメールは不安な海外で励みになった。
その後はすることもなく、公美の友達でもある純子さんにも電話が通じず
食べ物などを仕入れて早くホテルに戻って休む。
このまま、何もできないでドイツでの日々が続くのでは、と不安だった。

16日(金)
この日はカーニバル期間中ではあったけど、比較的平常に近い日で
公美の学校も開いていて初めて中を探索したけど
公美の情報は手に入らなかった。
受付で尋ねるのはまだちょっとこわかったし、学生もほとんどいなかった。
はじめて公美の友達、純子さんと電話が通じるもこわくて公美のことはきけず。
ドイツについてのいろいろな情報を聞くにとどまった。
午後からはボンの町を訪ねる。
ボンに向かう鉄道の中で日本の女性に出会っていろいろ教えてもらう。
デュッセルドルフには日本人がたくさんいるという話などを聞く。
ボンではベートーベンハウス(ベートーベンの生家)などを見たり
ミュンスター大寺院、ボン大学、ライン歴史博物館などを見学。

(写真はミュンスター大寺院)

広場ではくだもの、花の市場などが開かれ
屋台でくだものの食べ物をいただいたりもした。


真琴さん(未出だと思うが、自分の長いメールフレンド、高校生)や
こっちゃんなどに絵はがきを書く。

17日(土)
この日は公美の学校に行くも案の定休みだった。
街はカーニバルで相変わらず騒々しいし、今までの情報を総合して
日本人が多いというデュッセルドルフの街に向かうことにした。
ガイドブックによるとイマーマン通りというところに
日本人街があるということで歩いていくとさっそく日本語の看板が。
日本の本を取り寄せている書店で、店員さんに聞くと
とりあえず日本人会館に行ってみると良いとのこと。

会館の中は日本と変わらない雰囲気、
とりあえず中の日本食レストランでごはんをいただく。
安くて、日本茶がとてもおいしかった。
掲示板には日本人むけの情報が書かれ、音楽教えますなどの文字も。
受付で話をしていると、ちょうど囲碁将棋の会がこれから開かれるとのこと。
会館の上に特別に上げてもらって、会に参加した。
最初は囲碁しかできる人がいなかったので囲碁をやったが
あとから将棋ヨーロッパ選手権3位になった人なども訪れ、将棋も始まった。
ドイツの方に詰め将棋なども出してもらい、結局日が暮れるまで将棋をした。

帰りにいろいろ迷って、いったんは駅まで帰ったがやはりと思いなおして、
日本人会館に戻って受付で公美のことをいろいろ訪ねてみる。
留学生は日本人会には入らないことが多いのでまったくわからないとのこと。
囲碁将棋会の人が大変楽しかったということで
困ったことがあったらなんでも相談にのってくれるということで
とっても気持ちがありがたかった。

デュッセルドルフの駅のレストランで初めてドイツのソーセージをいただく。
ソーセージとジャガイモの炒め物と、サラダの一皿。
それにケルンとは違うデュッセルドルフの黒いアルトビール。
値段も高くなく、とてもおいしかった。いい店でおいしかった。

帰りのケルン行きの快速電車は本当の満員電車。
ケルンのカーニバルに向かう連中なので、仮装に放歌。
電車は遅れに遅れ、時間がかかり、途中停車もするし
まあ、どうなることかと思ったが、何ごともなく、ようやくケルンに着く。

18日(日)
この日はバイロイトに行くと決めた。
前の日の晩にいろいろ考えて、日曜はどうせ学校も休みに決まっているし
小さいころから行ってみたいと思っていたバイロイトに行くのは
一生のうちにこの機会しかないと思ったのだった。

中学のころ、初めて買ったCDが「展覧会の絵/禿山の一夜」で
2枚目がたぶん「カルメン/アルルの女」
そして3枚目に買ったのが「ニーベルングの指環」(ハイライト盤)だった。
ショルティ指揮、ウィーンフィルの名盤中の名盤と言われたCDだった。
ヴォルフガングヴィントガッセン、ハンスホッター、ビルギットニルソンなど、
往年の名歌手が勢ぞろいのすごいCDだったのだ。

深遠なストーリーに、壮大な音楽に歌。
このCDを毎日、早起きして聞いていた。
このCDだけではあきたらず、ハイライト版を中心に何種類も
「指環」CDを買って聞いた。
もちろんほかのワーグナー作品も聞くようになっていった。
さらには当時大枚10万円ほども払って、全曲の
LD(レーザーディスク、今はないディスクの規格)を買ったのだった。
バイロイト祝祭劇場で収録されたブーレーズ指揮、シェロー演出の「指環」。
ワーグナーを聴きながら、こども心には指揮者になりたかったとか、
バイロイトの音楽祭に一生のうちにいければと思ったりもしたのだった。

ケルンからバイロイトまではガイドブックによれば
片道5時間ほどで日帰りでいけるギリギリの距離だった。
朝6時半に起きて、7時には朝食をいただき
(ホテルの食事はいつも同じでパンのバスケットに、
チーズのお皿と、ハム、サラミ、ベーコンの皿、ゆで卵1個にヨーグルト)
そのまままっすぐ駅に向かったのだった。

直近のミュンヘン行きのICE(Inter City Express =超特急)
に乗りニュルンベルクまで行き、そこで乗り換えになる。
ICEが街を出ると郊外は農園なども広がり、
日本の北海道に似た景色だと思った。
長い移動のあいだじゅう、頭の中ではニーベルングの指環の
壮大な音楽が鳴り響いていた。
禁断の恋に生きて、神の裏切りに倒れる悲劇の英雄
ジークムントとジークリンデの運命に涙を流した。

ニュルンベルクでは乗り換えの待ち時間が50分近くあったので、
行き帰りに少し街を見ることができた。
ヒトラーが愛したこの街は本当にドイツらしい街で
昔の城砦がそのまま残っている感じだった。
日曜日なので閉まっている店が多く、これがヨーロッパなんだと思った。

バイロイトへのローカル線は電線がなくてディーゼル。
4両編成が途中車両が別れて2両づつ別方面に向かうのを
ドイツ人青年の車掌が親切に教えに来てくれて、無事にたどり着けた。

バイロイトの駅についたのは13:51分。
天気は晴れ渡り最高。
すでに昔映像で見たとおりの祝祭劇場(フェスティバルハウス)が見える。
息をはずませながら、駅から祝祭劇場までの坂道を登っていく。
そして14:10分ほどにはたどり着いた。

しかし受付を訪ねると、すでに入り口の扉がしまっており、
しかも案内の表示によると劇場内を案内してくれるガイドツアーは14時が最後。
中に人がいるのが見えるのだけどどうしても入れてはくれない。
しばらく粘ったが、扉が開かれることはなく結局あきらめることになった。
はるばる訪ねてきたのに、とても残念だった。
祝祭劇場のステージや客席、建物の中をじかに見て
地下に潜っていくような特殊な仕組みになっているという
オケピットを自ら見てみたかったのに。

不満を抱えたままタクシーで、
ヴァーントフリート荘(ワーグナー博物館=住んでいた家)を訪ねる。
中でバイロイト音楽祭の貴重な資料などを見る。
実際に音楽祭で使われた資料などもあったし、
音楽祭の記念絵はがきがタダでたくさんもらえたので、まあ機嫌を直す。
ついですぐ隣の作曲家フランツリストの家を訪ねた後、
歩いて駅まで戻ることにした。

ところが道に迷う。
道を尋ねようにもドイツの中でも田舎なので、英語もほとんど通じない。
身振り手振りで聞きつつ、駅を探すが、時間は迫ってくるしあせった。
列車に乗り遅れると、その日のうちにケルンに帰れない。
迷っているうちにラマダホテルがあるのを発見。
この一流ホテルならよもや英語が通じないことはないと思い。
「I'm ・・・・Lost」というと受付の人は大笑い。
でもタクシーを呼んでくれて、列車発車の2分前、なんとか間に合った。

帰りのICEは混んでいて指定が取れないほどだった。
ニュルンベルクでソーセージをいただき、
夜の10時半過ぎなんとかケルンに帰り着くことができた。
長くてハプニングの多い一日だった。

19日(月)
この日は「バラの月曜日」と呼ばれる、カーニバルの最後を飾る大盛り上がり。
昼間から音楽が鳴り響き、人々の8割は仮装という感じ。
半分は酔っ払いでケルシュビールのビンを持ち、
地面には割れたビール瓶の破片があちこちに散らばっている。
立ちションしているドイツ人まで見かけた。

ケルンの中心街はパレード行進のための交通規制がひかれていた。
することもないのだけど、何もしないで一日をすごすのはもったいないし
帰りのチケットが取ってある21日が近づいているのであせりもあった。
それで、ついに考えていた作戦のひとつを決行した。
スケッチブックに
飯塚公美さんを探しています。
 I find KUMI IITSUKA”.
She is student of Koln music university.
 I'm from JAPAN.Please Help me
.」

と日本語と英語でマジックペンで大書して、それを持って回る作戦だ。

原始的な作戦だけど、何もしないよりもマシだと思った。
何人かの人が反応してくれた。
黒人の少女がケルン音大までの道を案内してくれた。
ぼくが探していたのは音大そのものじゃなかったけど、
彼女の親切はうれしかった。

その後何かできることは何かあるかと考えたら
日本人が立ち寄りそうな市内の日本食レストランを回って
情報を集めることくらいしか思いつかず
スケッチブックを掲げながら、仮装の群集が集まる中心街を歩き回った。
すざましい人ごみだった。一度だけ酔っ払いのドイツ人に
「こんにちは」と日本語で話しかけられた。
わかる限りの4軒の日本料理店を回ったが、カーニバルで全部閉まっていた。
何キロも歩いて疲れ果てて、何も得られなかった。
地下鉄を使ってなんとか中央駅まで戻った。
日も暮れたので、駅でチキンの丸焼きを食べて、ホテルに帰って、
あとはひたすら詰め将棋を解いたりポケット将棋盤で棋譜を並べた。

カーニバル明けになる火曜日に勝負をかけるよりないと思った。

20日(火)
この日は盛りだくさんだった。
音大はカーニバル休暇も明けて開かれていた。
例のスケッチブックを掲げながら、受付で尋ねてみたら
受付のおじさんは公美のことを知っているとのことだった。
電話番号や住所を尋ねたが、教えられないということだけど
でも受付の人は親切でかわりに日本の留学生が
練習しているホールを教えてくれた。
そこで日本人留学生の佐藤さんに会って、
公美の別の友達の電話番号を教えてもらってかけたり探索を続けた。
特に福田さんという方が親切で、
彼女がほかの日本人留学生に引き合わせてくれたおかげで
たくさんの話が聞くことができた。

公美が半年間のドイツ語語学コースにいたこと、
その卒業試験に受かったこと、
そして4月の新学期が始まるまでのあいだ
日本に帰ったのではないかということ。
さらに4月からはアーヘン校に移るかもしれないこと、
そのため引越しする可能性もあるということ、
そんなことがわかった。

また佐藤さんが公美に
「いつも一緒にいるけど、白子くんという人とつきあっているの?」
と聞いたら「違う」と答えた、という話もしていた。

公美がドイツで実際にこっちでがんばっていることがわかったし
ついに公美の電話番号もゲットすることができた。
もちろんかけてみたが、通じなかった。
誰がかけても通じなかったので、おそらく日本に帰ったことは
間違いないことだと確信を得られた。

このことはぼくに少し安心を与えた。
ずっとドイツにいて探し続けないといけなくなるかもと心配していたからだ。
実家に帰っているとわかっただけでもケルンにきたかいはあったという気もした。
日本に帰る口実が見つかったということもあったのかもしれない。

留学生たちといろいろ話をして、
その日の晩クラシックのコンサートがあることを知った。
佐藤君という留学生と聞きに行くことにした。
ほっとして、学校からすぐの場所にあるホテルにもどっていると
休んでいるのは時間がもったいないと思った。

行ってみたかった「テルメ」という施設に行くことにした。
ここはプールと温泉、サウナを一体にした日本でいうところの
クアハウスみたい感じのところらしい。
もう夕方5時すぎていたが、
8時からのコンサートに間に合うように急いでタクシーで向かった。

テルメは大きくて豪華な施設だった。
料金も2時間12ユーロと高く、また別途タオルや水着を借りた。
でもプールは快適だったし
(海からは遠いはずなのに少し塩分を含んだ水だった)
露天部分からは夕暮れになずんだライン川や街並みも見られた。
温泉は暖かかったが日本人の感覚ではちょっとぬるかった。
休憩室はお香がたかれ、マッサージもある。
(受けたかったが時間がなくてできなかった)
そして、問題はサウナ。
ドイツのサウナは男女ともに素っ裸で入ることになっているからだ。
昼には日本人留学生の女の子がドイツ人の彼氏とその友達に
うまく乗せられて脱いだという話をしていた。

サウナゾーンは原則、裸。
でも実際はタオルやガウンなどで体を隠していた。
しかし、サウナの中だけは本当の裸だった。
老若男女、たくさんの人がいた。
金髪のドイツ人の女の子でも下の毛は黒かった。
サウナのプールは裸で泳げ、気持ちよかった。

夫婦やカップルも多かった。
公美と一緒にこんなところに行けたらどんなにすてきかと思った。
気持ちのよい水を浴びて、魚のように泳いで、
そして公美の美しい体を心ゆくまで眺めてみたかった。

テルメからタクシーでコンサートに向かった。
ライン川にかかる、ドイツ橋を渡ると大聖堂が美しくみえる。
コンサート会場は大聖堂のすぐそばのホールと聞いた。
清掃の人々がカーニバルの後片づけをそこかしこでしていた。

道に迷ってコンサートには少し遅れてしまった。
自分の服装があまりフォーマルでなかったせいか
(公美が誕生日に贈ってくれた革ジャンとシャツだった)
受付で戸惑われたがなんとか入れてもらえた。

ケルンフォルハーモニーホール。
すばらしいホールだった。
自分が今まで見た中でもっともすばらしいホール。
ソロのピアノやバイオリンがこれほどまでに美しく響くものかと
おどろかざるを得なかった。
ホールの力なのか、演奏者の実力なのか、それとも楽器がすばらしいのか。
知っているチャイコフスキーのピアノコンチェルトが演奏されて
ドイツまで来て知っている曲を聞けるとは思わなかった。
2曲目の「皇帝」は初めて聞いたが、すごい迫力だった。
指揮者もハゲ頭のオヤジだが、すごく魅力的だと思った。

帰り道、駅前のスタンドで、残っていたソーセージを食べて
ケルンでの最後の晩は更けていった。
ホテルに戻るともう会わないだろうご主人(夜番)が
キャンディーをたくさんくれた。
挨拶だったのだろう。

21日(水)
ドイツ最後の日。
ケルン空港を10:55発の飛行機なので、朝は急ぎだった。
毎日同じホテルでの朝食も最後となった。
ホテルの奥さんにチェックアウトを告げると、
奥さんは手を取って握手してくれた。
ケルンにまたきたら、ぜひうちにきてくれと。
自分はだんなさんによろしくと伝えてもらってホテルを後にした。


KLMの「CITY HOPPER」というプロペラ機で(写真は行きのときのもの)
ケルンを飛び立つと(高度が低いので)ドイツの街並みがよく見えた。
公美に会いにこんな遠くまできた運命を思い、
旅のできごとを思い涙が止まらなかった。
アムステルダムに着いてからは、待ち時間があったので空港ですごした。

行きのときは全てに余裕がなくて、ひたすら時間をつぶしたが
帰りは一応の目的を果たしたので少し気持ちに余裕ができた。
空港内の「オランダ無敵艦隊展」を見学してきたり
カジノで遊ぶ余裕もできた。
最新式のスロットマシーンがいろいろな仕掛けがあって
とってもおもしろかった。
2時間ほど遊んで、20ユーロくらい負けた。

帰りの飛行機の中はずっと夜だったが、あまり寝られなかった。
日本が見えてくると新潟の海岸線がくっきり見えた。
ドイツではついに一度も見ることのなかった雪が積もっていた。
(ドイツのほうが暖かかったし、天気も旅行中ずっと晴れだった)
茨城上空も飛んで、鹿島灘の海岸線も見えた。
きっとこの視界の中のどこかに公美がいるはずだと思った。
飛行機は無事に成田に到着した。


ぼくにとっては最後かもしれない大きな旅だった。
ちょっとした冒険の旅だったとも思う。
帰ってこれないかもしれないと思って旅に出た。
ドイツで死ぬこともあるかと思っていた。
公美の情報もほとんどなく、会えるかどうかもわからないまま
言葉も通じないし、不安だらけだったけど
公美に会えることだけを願って、勇気をもって出発した。
がんばれば、きっと道は開けると信じた。
公美に会えなかったことは限りなく残念だったけど
そのときそのときでできることをがんばってやってきた。

公美のおかげで、こんな遠くまで旅にでることができた。
あこがれのバイロイトやドイツを旅してくることもできた。
いつもぼくに勇気や励ましを与えてくれる公美。
心から愛している、という思いを深めることができた。

このたびでお金も本当に使い果たし、
来月のカードの支払いにも困るほどだけど
今日はぼくの誕生日だし、来月には公美の誕生日になる。
二人がつきあっていた、運命の季節。
きっと来月には公美に会うつもりだ。必ず会う。

人生の大きな決着をつけたいと思っている。

# by shigeshogi | 2007-02-27 05:38 | 公美 | Trackback | Comments(0)

最後の更新かもしれません

このところ将棋をできるのもあと少しだと思うと将棋ばかりやっている。
他のこともやろうと思うのだけど、憂鬱に包まれてなかなかできない。
将棋をしているときは憂鬱を忘れられる。

土曜日にはネットで@Xというプロを倒すことができた。
棋力と棋風から考えて中井女流なのではないかと思う。
序盤、手順を間違えて苦しくしてしまったが
秒読みで向こうも決め切れなくて逆転することができた。
800人のギャラリーの見ている中で勝つことができてよかった。
終わったあと友達が見ていて直通チャットでお祝い&感想戦をしてくれた。

昨日は支部名人戦の千葉県大会だった。
調子は決して悪くなく、内容はみんなまずまずなのだが
どうも決め手にかけて、優勢の将棋を長引かせてばかりだった。
準々決勝で必勝になったのだがついに間違ってつかまってしまった。
やっぱり勝つということは難しいことだと思った。

予戦でマイミーオの友達という熊倉女流と対戦した。
ネットでは対戦したことがあるが実戦は初めてだった。
今度女流プロになるくらいということだから
実力はだいたいわかっているし、
まあ負けることはないとは思っていたが秒読みで危なくした。
いかにも24で鍛えた将棋で本筋の手よりも
実戦的に勝ちやすい手を選んでくるタイプで
秒読み将棋ならぼくとも指しわけるくらいの力があるように思えた。
今はこんな感じの将棋を指す人が多くなったように思う。

大会で敗退したあと福元くんと将棋の検討をしながら
溝部さんの結果を待っていた。
溝部さんは相良君、矢橋さんなどの強豪を自ら倒し
粘り強い指しまわしでついに優勝した。
はじめての県代表の座を射止めた。

終わったあと地元に帰り、ファミレスで深夜まで将棋を検討した。
知花君も駆けつけてくれて溝部さんのお祝いになった。


明日はついにドイツに出発する日になる。

たいして出発の準備もできなかったし
親に挨拶していこうとも思ったが、
思い悩むうちについにできなかった。
前日についに連絡をしてみたが、
何か所要かついに連絡がつかなかった。

ここでも公美のことや将棋のこと、
もっといろいろ書いていきたかったが
将棋の大会や勉強や生活のことがいろいろあったり
そうでないときもいろいろ思い悩んだり、憂鬱にとらわれて
なかなか思うようにできなかった。

人生とはこんなふうに何もできないでいるうちに
すぎていくものかもしれないと思う。


思いつく何人かに言葉を残していく。
どの人にもとてもお世話になった。迷惑をかけた。



千夏へ

もう何年もあっていないけれども、
きっと大きくなったんだろうね。
お母さんと元気でやっていることと思います。
体を大切にして、幸せになってください。
力不足なお父さんで、遊んであげられなくて、ごめんね。


たーじゅへ

もう小学校3年生になるのかな?
学校へは楽しく通っていますか?
辛いこともあると思うけど、笑顔を大切にしてね。
お父さんは自分のことが苦しくて
何もしてあげられなくてごめんね。


小松川のおばあちゃんへ

近くに住んでいるのに会ってあげられなくてごめんなさい。
自分は自分自身が毎日が苦しい上に
またおばあちゃんを悲しませることになると思うと
申し訳なくて会えませんでした。
小さいころから一番かわいがってもらったのに
期待にこたえられなくてごめんなさい。


久が原のおばあちゃんへ

おばあちゃんとももう何年も会えなくてごめんなさい。
おばあちゃんのお料理はとってもおいしくて会いに行きたかったけど
いい出会いをみつけて、幸せをつかんでからじゃないのに
心苦しくて会いにいかれませんでした。
一人暮らしでさびしいことも多いでしょうに
力になれなくてごめんなさい。


父へ

倒れたときいて心配していますが
自分自身とても苦しい状況で
何の助けにもならず申し訳なく思っています。
早く仕事を整理して、ゆっくりすごされることと願っています。


母へ

何年もお会いできなくて申し訳なく思っています。
早く幸せをつかんで、また会える日がくればいいと思っていましたが
努力のかいもなく何もかもうまくいきませんでした。
もう力尽きてしまいました。


ゆかりへ

君はぼくのことをたくさん愛してくれたのに
それに応えてあげられなくてごめんなさい。
なんとかもっとよくしてあげたいという気持ちはずっとあったのだけど
結局は君を傷つけてしまっただけだったね。
本当にごめんなさい。
どうか千夏をよろしくお願いしますね。


まりこへ

君は今どこにいるのだろう。もう5年以上も会ってないね。
君もぼくのことを深く愛してくれたのに
応えてあげられなくてごめんなさい。
体の丈夫な君だけど、もう若くはないので無理はしないでね。
君は君の道をみつけて、幸せになっていると願っています。
たーじゅをよろしくお願いします。


所司先生へ

至らない自分であったのに、
長く親切丁寧に指導してくださってありがとうございました。
いつもご恩を感じております。
地域に密着したプロとして今後とも活躍されることを願っています。


川上さんへ

君はいつもぼくに敬意を示してくれたのに
自分は君への敬意が足りなかった。申し訳なく思っています。
その実力はもう十分あるので力を発揮して
県代表になられることを祈っています。


溝部さんへ

初めての県代表、おめでとうございます。
長い間の努力が実りましたね。
全国大会での活躍を願っています。
お父さんにもどうぞよろしく


知花君へ

入品おめでとう。君の将棋はスケールが大きく才能を感じます。
生活をしっかりして、集中したいい将棋を指して下さい。
奨励会員としては晩学と地方出身の不利がありますが
それを跳ね除け必ずプロになって沖縄に凱旋することを願っています。


ほかにも将棋の仲間のみなさんやみーお、
こっちゃんやななこさん、えりかやななさんなど
思いを伝えたい人はいるけどきりがないのでこのあたりで。
どの人にもみんなそれぞれに感謝しています。
ありがとうございました。

ドイツから更新はできないだろうと思うので
もしかすると最後の更新になるかもしれない。
それでは、行ってまいります。

# by shigeshogi | 2007-02-14 02:53 | 近況 | Trackback | Comments(0)

公美が我が家に来た日~最初のお別れ

4回目のデートは前回の記事から4日後、2月7日だったと思う。
この日は公美がうちに来てくれることになっていたのだ。
仕事は休みで、しかも翌日までの連休をとった。

その日はもう朝からごきげんだった。
公美がきてくれるのは夕方からだったので
昼間は部屋を掃除したり、準備をしながらすごした。
うれしくてBGMのバッハが鳴り響いていた。
主よ、人の望みの喜びよ!
天気はすばらしく晴れていて、
この晴れがましい日を祝福してくれるかのようだった。

うれしい、うれしい、公美がきてくれる!
って声に出しながら、掃除に励んだ。
隅から隅までぴかぴかにした。
布団を干しながら掃除機をかけた後
クイックルワイパーをころころ転がした。
普段はやらないテレビや棚の後ろ、シンクやコンロの汚れまで。
トイレはもちろん、お風呂も使うことになると思って
浴室もぴかぴかにした。
それから買い物に行って、ちょっとおいしいシフォンケーキやコーヒーやら
そういうものを仕入れてきた。
ちょっとしたものなら作れるような材料も買ってきておいた。

公美は・・・もちろん約束もしたしきてくれるはずだったけど
昼にちょっと気分が悪いというメールを送ってきたので
ちょっと心配していた。
「無理にこなくてもいいんだよ」とは言ったものの
公美に会いたくて、絶対来てほしかった。

でも心配は杞憂で午後にはなんとかいけそう、ってメールくれて
でもちょっと体調が悪いから「今日はキスはダメね」とのこと。
そう、公美は約束をとっても大事にしてくれる女の子なのだ。
いい加減な約束ばかりでウソばっかりつく人が多い中
公美はいつもできうる限り約束を守ってくれた。
本当に誠実な女の子だと思う。

夕方公美を船堀の駅まで迎えに行く。
駅で階段を降りて改札を公美の姿が見えたときはうれしくて
人がたくさんいることも忘れて、大きく手を振って
「公美、公美、こっちだよ」って声をかけた。
見た感じは公美はいつもとかわらなかった。
目が合うとやさしい笑顔を返してくれた。

近くの和風のファミレスに行ってご飯を食べた。
自分は和膳のセットを、公美は雑炊のセットだった。
「あまり食欲がなかったんだけど、こういう和風のお店でよかったわ」
って公美はやさしくいってくれたのだった。
食べきれなくて、3分の1くらい残った雑炊を
「しげさん、食べてくれたらうれしいな」って取り分けてくれた。
公美と一緒のものが食べられてうれしかった。

それからうちの会社に寄って、店を見せてあげた。
店の様子や自分がした仕事などを説明してあげた。
公美は「こんな大きなお店がいくつもあったら商売はあんしんだね」
なんてお世辞とも本気ともわからないけど、ほめてくれた。

そのあと二人でうちに行った。
駐車場からうちに向かってエレベータに乗ると
隣に公美みたいなかわいい子を連れていることが
誇らしくて、幸せを実感した。

公美を部屋に案内したら、入り口のところにあった
人感センサー付きのライトに気がついてくれて
「これがメールで話していたやつなんだね」って言ってくれた。
秋葉原で部品を探してセットしたものなのだった。

「男の人らしい、すっきりしたお部屋だね」って言ってくれた。
部屋に物が少ないのでびっくりしたみたいだった。
当時のぼくは今よりももっとシンプルライフを意識していて
ものの少ない生活をしたいと常々思っていたのだ。

自分が手を洗って、部屋に戻ってみると、
公美がいなくなっていてびっくりした。
もちろん消えるはずもなく、公美はベランダにでていたのだった。

うちの部屋からの夜景はけっこうきれいで
船堀の街並みや中川と、その中洲を通るオレンジ色の光の帯の高速道路。
遠くにはマンションがたくさんの光を放っていて
6階でそんなに高いわけでもないのに
周りに高い建物がないのでとっても開放感がある。
しばらく、公美の様子を眺めていたのだけど
公美はいつまでも眺めるのをやめないから
「あまり外に居ると体によくないよ」と言って
公美の肩に手をかけると、公美はそのまま寄り添ってくれた。
そのまま、ベランダから部屋に戻った。

部屋で二人でプラネテスを見た。
もどかしい主役の二人がやっと結ばれる最終回。
見ながら、コーヒーを入れて、ケーキを出した。
公美を抱き寄せたかったけど、
キスはダメって言われていることもあってためらっていた。
他にも将棋の道具を見せたり、将棋の番組を見せたり
そんなことをしながらすごしたと思ったが
結局夜も更けていって、そろそろ寝ようかということになった。
特に泊まるって話をしていたわけじゃないのに
暗黙の了解みたいな感じで公美は泊まっていってくれるみたいだった。

布団を敷いて、自分は着替えたけど、公美は着替えがなかった。
それで洗ったばかりの自分のもっている
一番暖かいパジャマをだしてあげた。
とっても生地が厚くて、しかも大きいやつで
真冬じゃないと着ていて熱いくらいポカポカする。
うちはベッドってものがなくて
フローリングにマットレスを敷いて(冬場だけ)
その上に布団を敷いたので、暖かいベッドで寝ている公美には
ちょっと寒いかもしれないって思ったのだ。
公美は素直に喜んでくれて、着替えてくれた。
普段はぼくの着ているパジャマは公美にはぶかぶかで
下は押さえていないと落ちてしまいそうなくらいだった。
でもその格好がとってもかわいらしくて
「きゃー、かわいい、写真撮らせてよ~^^」と甘えてみたけど
公美は恥ずかしがって撮らせてくれないのだった。

そのあと公美は膝枕で耳かきをしてくれたのだった。
公美は痛くならないように気を使って、すごく弱い力でしてくれた。
なんだかこそばゆくって、でも幸せだった。
公美のひざはけっこう高くて、最後はひざにほおをうずめた。

そして寝ることにした。
「公美は寝るときはいつもは電気つけてるの?」
と聞いたら小さくつけているみたいだったので
少し明かりをつけて一緒に布団に入った。

自分は今まで女の人に腕枕をしてあげて、寝るのは重くて苦痛だと思っていたけど
公美とだとそれがちっとも気にならなかった。
もちろん、もっとずっと付き合いが長くなっていけば
どうなるのかわからないけど、とにかくそのときは
一緒にいられることが幸せで腕枕に公美がいてくれてうれしかった。

何もしないでそのまま寝ようと思っていたけど
案の定というか、公美のやわらかい髪の毛や肌の感触
そして体温が伝わってくると、眠れないのだった。
公美の体をパジャマの上から撫で回していると
公美が「ヘンな気持ちになってきちゃうからダメよ。
今日は生理だから、それで気分悪いとかいったのよ」と言った。
ぼくはにぶかったので、そのときようやく気がついたのだった。

「じゃあ、お口でしてくれる?」と言ったら公美はだまって
体を起こして自分の下のパジャマを下ろして
そしてぼくのものを手でやさしく包んでくれたのだった。
そしてすっかり大きくなってくると口を近づけて含むのだった。
そして口で先を含んだまま舌を転がしてくれた。
とってもおとなしいフェラだった。
体の気持ちよさよりも、心のうれしさでいっぱいだった。
自分はマグロのようにころがっているだけで
なんか、このままでいいのかなって気持ちにもなった。

自分はもうすっかりしたくなっていたので、以前の経験から考えて
「大きなタオルケットがあって、これは汚れても大丈夫だから安心して」
でも、この判断はちょっと強引だったのだと思う。
今はちょっと後悔している。

タオルケットをひいて、公美の体を直接触り始めた。
公美はとっても感じやすい女の子なのでたちまち反応が大きくなった。
血がついている下のほうにも手をさしいれた。
血と体液が交じり合ってぐしょぐしょになっている中
公美の割れ目の中を探っていると
中に2センチくらいはあると思う突起がそそりたっていたのだった。
今までの経験にないことなので、すごくびっくりした。
公美のクリがとっても勃起して大きくなっていたのだった。
それが生理のせいだったのか、感じていたからなのかはわからなかった。
あまりにもびっくりしたので、
思わず「こんな大きいの初めて」とバカなことを言ってしまった。
公美は嫌そうに「そんな恥ずかしいこと言わないで」といった。
後悔しても遅いことだった。

前回と違ってすごくスムーズな挿入だった。
深く、ふかーく、入っている感じだった。
血のせいもあるのか、ぬめりが濃い感じだった。
抜き差しすると音がするのだけど、
それがまた公美を羞恥させたのかもと思う。
しばらく結ばれあって、そして外で出して行為は終わった。

無言で抱き合って、そして腕枕。
ぼくはいつしか眠ってしまったのだった。
目が覚めると、もう日が昇っていた。
公美はやはり腕の上にいたけど、でも目を覚ましていた。
そしてお目覚めのキス。
なんか幸せを絵に描いたみたいだと思った。
また求め合って抱き合った。

そして行為が終わったあと、公美が思いつめたような顔で
「しげさん、もう別れたい」と言った。

ぼくは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
そしてだんだん言葉の意味がわかってきたが
公美がそんなことを言うわけがない、と思いなおして
「え、え、冗談で言ってるんだよね?ぼくを困らせようと思って。
冗談だって言って。ね?」となるべくやさしく言った。

公美は「ううん、冗談じゃないの。本当に別れたいの」と言った。

ぼくは公美が本気であることがわかった。
なんども「冗談なんだよね?」「取り消して」といったけど
公美はやさしいけど、はっきりした口調で「ううん」というのだった。

いつの間にか、涙が次々あふれてくるのだった。
とめどなくあふれてくる涙に公美はびっくりしたのかあわてたように
「しげさん、泣かないで。ね、泣かないで。」と言ってくれた。
演技でもなんでもない涙が、自然にでてきてなかなか止まらないのだった。

「本当に、本当に、好きなんだよ?」
「うん、わかってる、それはわかってるの」公美はいった。

ぼくは別れの理由を聞いた。
公美は「抱き合ってみるとわかってくることがあるの」
「あなたは私に求めすぎているわ」
「するときにコンドームをしてくれなかったでしょう?」
「生理でキスもしないはずだったのに、結局求めた。
私は知り合って間もないのに生理を見られることや
そのほかのこと、とっても恥ずかしかった」
言われてみたら、もっともかもしれない、って思った。
たしかに思いやりにかけていたのかもしれない。

「今度から気をつけるから、今回は許して」といったけど
公美は「人間、そんなに簡単に変われるものじゃないわ」って言った。

ぼくは必死で考えた。
ぼくの運命の人である公美がぼくを捨てるわけがない。
きっとこれは試練なんだ。がまんのときなんだ。
今はこれ以上食い下がってはダメだ。
いったんは公美の言葉を受け入れるしかない、と思った。
ぼくが「わかったよ」と受け入れると
公美は「じゃあ、涙を拭いて、一緒にお風呂に入ろう?」って言ってくれるのだった。

公美は相変わらずやさしくて
ぼくの髪の毛を洗ってくれるのだった。
公美がしてくれることはみんなやり方が丁寧でやさしくて
本当に気持ちよかった。

お風呂から上がって公美に「またしたくなっちゃった・・・」
って言ったら、「バカっ」って笑われて、
それから公美を送って帰すことにした。

公美と別れるのは本当に嫌だったけど、
ぐっと下腹に力を入れて、今がまんすれば公美はきっと戻ってきてくれる、
なんたって世界に二人といないぼくの特別な女の子なんだから、
と自分に言い聞かせた。

帰り道はちょっとしたドライブだったのでCDをもっていくことにして
部屋でCDを見せて公美にいろいろ話を聞いた。
公美が今度「展覧会の絵」という曲をやるというのでびっくりした。
実はこの「展覧会の絵」はぼくは生まれて初めて買ったCDなのだった。
マゼール指揮、フィラデルフィア響の演奏の外国盤で
「禿山の一夜」がカップリングされている。
他にもショルティ、シカゴ響のものもあって、これもいいのだけど
何しろ自分にとっては初めて買ったCDのほうは思い出の一枚なのだった。
それでこれを公美にプレゼントすることにしてもっていった。
自分の大切なCDを公美が聴いて、それで演奏してくれると思うと
なんだか公美の役に立てるみたいでうれしかったのだ。

部屋をでて、エレベータの中で公美はしみじみ
「本当に落ち着いていて、いいお部屋だったね」
って言ってくれたからうれしかった。
「また来てね」ってぼくは言った。

帰りの車の中で一緒にCDを聞いた。
クラリネットの演奏部分がくると、公美は「ほら、ここ」って
教えてくれたりするのだけど、ぼくの耳ではクラリネットが
聞き分けられないのだった。
音大でやるソルフェージュの話とかきかせてくれて
今聞いている曲をそのまま楽譜にすることもできるのよ
という話を聴いてびっくりするのだった。
自分たちが目隠しで将棋を指したり、
一局の将棋を並べ替えすと驚かれることがたまにあるが
それと同じような感じなのだろうか?

またぼくは素人考えでクラシック音楽の楽譜のこととか
いろいろ聞いたのだった。
「どうして、音楽ってあの五線譜を使うんだろうね。
もっと合理的な記述の仕方ができそうに思うんだけど」とか
「著作権の切れた音楽の楽譜はみんなネット上で見て
印刷できるようにしておけばいいのにね」とか
素人考えに公美は苦笑するしかなかったのかもしれない。

でもぼくが曲のお気に入りの部分を鼻歌で歌っていると
「すごくよく聴きこんでいるんだね。
今のところは転調って言ってとっても難しい部分なんだよ」ってとっても
やさしくほめてくれるのだった。
公美はいつもぼくのことをよく見てくれる。
だからぼくも公美のことをなんでもよく見て上げられるのだった。

途中、東陽町のあたりで前にプジョーの車が止まると
プジョーのブルーライオンマークを見ながら
「マエストロ!」と指揮者のまねをしてくれるなど
(ブルーライオンは立っているので指揮者に似てる)
とってもお茶目なところも見せてくれたのだった。

築地の天竹で一緒にランチを食べることにした。
公美も江戸前の雰囲気を楽しんでくれたみたいだった。
それから聖路加タワーに立ち寄った。
このタワーはとっても見晴らしがよくて
東京の湾岸の景色が一望にできる。
喫茶室があいていたら一緒にお茶したかったけど、閉まっていた。
タワーの上から目の前の聖路加病院に入院していてなくなり
そして今は谷中墓地に眠る祖父の話などをしたのだった。
公美は公美のお父さんの話をしてくれた。

そんな話をしているうちに、今は別れてもきっと一緒になれる
って強い思いが起こってきて、それを信じられるようになってきた。

最後に谷中まできて、谷中墓地で
「あそこにじいちゃんのお墓があるんだ」と言ったら
公美も一緒にきてくれたのだった。
二人で一緒に、じいちゃんのお墓に手を合わせた。
かがんで手を合わせてくれている公美の姿を見て
ぼくはじいちゃんに「ほかのことは全部自分でなんとかするから
どうか、ぼくと公美のことだけ守ってください。
二人をどうか、一緒にさせてください」とお願いした。
こうしてそばにいてくれる公美がぼくを捨てるなんて絶対ないはず
って信じることにした。

公美は谷中墓地からは歩いて帰ることにした。
お別れになった。
忘れそうになったCDをあわてて車のプレイヤーから取り出して渡したけど、
それで本当にお別れした。

公美との最初の別れ。
でもこのときは、絶対に元に戻れるって気持ちがぼくを支えた。
今はガマン、今はガマンと言い聞かせ、一人うちに帰ったのだった。

この公美を信じる気持ちが、今もぼくを支えている。

# by shigeshogi | 2007-02-11 04:42 | 公美 | Trackback | Comments(0)

逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり

3回目のデート~初めて抱き合って

前回の記事から数日後、公美との3回目のデート。
その日ははじめて公美のお部屋で一緒にすごしたのだった。

その日は普通に仕事をして、車の中に着替えを積んでおいて
仕事が終わって一直線に公美のおうちのほうに向かったのだった。
待ち合わせは公美のおうちのすぐそばのデニーズで
食事をしてそのあとお部屋にいく段取りだった。

デニーズはファミレスの中ではちょっと高級でサービスがいい。
そこでペアセットを注文できたのがとてもうれしかったのだった。
二人で好きなサラダやパスタやデザートを選んで取り分けるのが
とっても幸せな気分だった。
しかも食事のあと公美は
「いつもしげさんが払ってくれているから、今日は払わせて」
と言ってくれたのだった。
ああ、大切に思われていると思うと心からうれしかった。
「気持ちだけで十分なんだよ」と言ったけど
くみはついに支払いをしてくれたのだった。
そして二人で一緒にお部屋に向かった。

公美のお部屋は谷中という都心ながらわりと閑静なところ。
上野公園や芸大まで歩いて5分の本当の一等地だ。
うちのじいちゃんのお墓が谷中墓地にあるのだが
その法事のときに、親戚の一人が谷中の辺りを通ったとき
「こんなところに一度住んでみたいものだわ」といったような
本当にすてきなところなのだった。
とくに公美のお部屋のあるマンションは、芸大専門のおしゃれなところ。
「のだめカンタービレ」にでてくる「SWEET HOUSE」
じゃないけど、ほんと何かすてきなことが起こりそうなところだ。
建物の中に入るとそこかしこから、楽器の音が聞こえてくるのだった。

公美のお部屋にいれてもらうとお部屋はとっても暖かくしてあり
こんなふうに歓迎して迎えてもらえるのがうれしかった。
お部屋はとってもきれいに整頓されていて、
きっとぼくがくるので掃除していたんだろうなあって思った。
メールででてきたかわいいピンク色の葉の植物
(ついに名前がわからなかったが)もとてもかわいくて
また窓からぼくの祖父の通っていた上野高校などが見えるのだった。
公美はお茶を入れてくれていろいろなおしゃべりをしたのだった。

部屋に置いてあるもの全てが高級な感じで
ピアノはもちろん家電や家具もみんなおしゃれで高級そうだった。
棚には友達が海外に行くたびに買ってきてくれるという
ブランド物もいくつも置いてあった。
でもぼくはanasuiの香水などの後ろに並んでいる本に目がいった。
公美が読書家で難しい本を読んでいるのにはびっくりした。
トルストイや、ドストエフスキーなど何冊もあった。
公美は大学の1,2年の時、笠間から上野まで毎日通学したので
その車内で読んでいたのであろう。
あらためて情感豊かな女の子なんだなあって思った。

その本の並んでいる中でも一番目を引いたのは
サンテグジュペリの「夜間飛行」だった。
自分はサンテグジュペリが好きなので、とてもうれしかった。
「星の王子さま」でもすてきだけど、「夜間飛行」とは!
ぼくはとても感心した。
箱根の「星の王子さまミュージアム」の話とか
数奇だったサンテグジュペリの人生の話とか、
とにかくいろいろな話をしたように思う。
そして話しながら、自然に寄りそう感じになっていったけど
公美は全然こばむ感じをみせなかった。
公美を抱き寄せ、うなじの香りに酔いしれて幸せだった。

「ねえ、ちょっと早いかもしれないけど、いい?」
ぼくがいうと
公美は無言でベッドにいざなった。
二人で服のままベッドにもぐりこんだ。
ベッドは値段で全然寝心地が違うものだけど
公美のベッドはかなりいいものだったと思う。

すごくゆっくりゆっくり公美のことを脱がせていった。
二人とも下着はつけたままいろいろなところを触った。
公美は服の上から見た感じよりもずっと胸が大きかった。
あとできいたらEカップだといわれたけど、びっくりだった。
後ろのホックをはずすとはちきれるように飛び出すのだった。

緊張して、自分の手や腕が震えているのがわかった。
公美の体のいろいろな部分を触り始めると
二人ともすぐに息が荒くなっていくのだった。
震える手でついに公美の大切な部分に手を差し入れると、
もう十分ぬれていて、これならスムーズに入れるはず、と思った。
パンティを脱がせて、そして自分も脱いだ。
公美の上に多いかぶさって、
もう入れるような体勢になったけど、そこで違和感を感じた。

なんていうか、全然立たないのではないけど
びんびんの状態になっていないのだった。

心の中であせりを感じたけど、うろたえてはいけないと思った。
公美の体をいろいろ愛撫しながら
「すごく久しぶりのことだから、なんか緊張してるみたい」
というようなことを言った。
公美は「私もすごく久しぶりだよ。あせらないでね」

自分は今までこういうふうになったことがなかった。
こんなふうになった自分にびっくりした。
本当に好きな人の前では緊張して思うようにできないものなんだ
と思ったりした。
初めて経験するときみたいだ、と思ったりもした。
ひざも震えていた。

「すごく緊張しちゃってる。うまくできなかったら、ごめんね」
公美にいった。
「大丈夫だよ。するばかりじゃないんだから」
公美はやさしく言ってくれた。

少し安心して公美の胸の中にほおをうずめて
公美に愛してる気持ち、好きな気持ちを伝え続けた。
公美の前では本当に正直でいられる。
本当の自分でいられる。
まっすぐ目を見て、心から思ったことをそのまま伝えられるのだった。
ほんのかけらの曇りもなく、心から愛していると思えるから。

そして公美もその言葉に応えてくれているうちに
今なら一緒になれる、貫けるって思えるときがきた。
「公美!」って声にならない声を上げると
腰をぐっと突き上げたらそのまま公美の中に入っていけた。
公美から「ああっ!」って声がもれた。
二人でゆっくりゆっくり結ばれている一体感を感じた。
すごくすごく安心できて、いるべき場所にいるんだ、って思えた。
興奮も快感も、もちろんあったのだけど
それと同時に一体感、居るべき場所にいる、っていう安心感、
そういう気持ちも大きかった。

それでもすこしづつ快感は昇っていき、腰の動きも大きくなった。
もうがまんできない、と思ったとき
公美の中からでて、公美をだきしめたまま、おなかの上に射精した。

出した後も、公美のことがいとおしい気持ちがやまず
ずっとずっと抱きしめていた。
どれくらいの時間がたったのだろう。
胸の中にいた公美が「しげさん、ピアノ弾いてあげようか?」と言った。
「うん」。

公美はベッドの中で下着をつけて、そして服をささっと着てピアノに向かった。
自分も服を着てベッドに腰掛けた。
「この曲わかるよね?」と言って公美が弾いてくれたのは
イタリアのカンツォーネ、「Nina」という曲だった。
公美と以前の会話の中で、原語で歌えると言った曲。
公美の伴奏に合わせて、うろおぼえのイタリア語で歌っていくと
くみも一緒に歌ってくれて、公美のかわいい声がきけた。
聞きたくて、思わず声を止めると、
公美は「もう一緒に歌ってくれなきゃダメ。恥ずかしいじゃない」

「Nina」に続いて「オーソレミオ」「カーロミオベン」を歌った。
二人の声が交じり合うのがとってもうれしかった。
音楽の世界のエリートでもある公美が、
自分だけのためにピアノを弾いてくれてうれしかった。
その指先は魔法みたいだな、って思った。

それから二人でCDを聞いた。
とっても不思議な音楽のCDでクラシックではなかった。
公美はとっても好きな曲なのよ、って言った。
きっとぼくなんかの何倍もたくさんの曲を聞いた公美が
すてきだと感じるものを一緒にわかりたくて音を感じた。

そんなことをしているうちに、時間はとっくに12時をすぎた。
楽しい時間はあっという間にたっていくのだった。
このまま泊まれたらいいのになあと思ったけど
またきっとこられるんだから、帰らなくちゃと思った。
翌日もまた仕事があるのだし、公美にも用事があるだろう。
公美は駐車場まで送ってくれた。

夢のような楽しい時間は終わった。
ついに公美と抱き合うことができた。
セックスはもちろん気持ちいいことだけど
心から好きな、大好きな人とのそれは全然違うんだ、って思い知った。
自分は今まで何も知らなかったと思った。
今回はここまでにしたいと思う。

逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり

抱き合って、公美のことがもっともっと好きになったぼくだった。
この人と一生添い遂げたいと心に深く深く誓った。

# by shigeshogi | 2007-02-10 07:19 | 公美 | Trackback | Comments(0)

おつきあいのはじまり~2回目のデート

公美とのパソコンでのメール交換は前回までで一段落。
その後もいくらかあるのだけど、
メインは携帯メールと電話になっていく。
その直接のきっかけは公美が3日間の予定で茨城笠間の実家に帰ったことだ。
親に顔を見せて、その他教習所に通うという理由があって
上野から茨城まで特急「フレッシュひたち」号で帰ってしまったのだ。

茨城といってもいざとなれば車で2時間ほどでいけるわけで
そんなに遠く行ってしまったわけではないのだけど
心理的に遠くなってしまった気がして、さびしくなったことを覚えている。
公美も同じ気持ちだったみたいで
二人で一日10通くらいづつ携帯メールを交換してる。
また電話も1時間以上のを何回かしていて
二人の気持ちはすごく近づいているのを感じた。
ぼくも「好きでたまらない」という気持ちが日々、強まっていった。

その間のメールで、寝る直前のいわゆる「おやすみメール」で
「ぼくは夢の中では公美さんにけっこう大胆になっちゃうかも?!」
と書いたら、公美もメールで「私も大胆かも!?」って返してくれたこと。
このときには、すごくまじめなお嬢様という一面から公美のことを
みていたのだけど、案外それだけじゃないことがあとからわかってくる。

3日のはずの帰省だったが、公美はもともと
体がすごく丈夫というわけでもない上に、
ぼくとのことでテンションが上がりすぎていたりとか
そういうこともあって、風邪をひいてしまい、
帰省は結局6日間くらいに長引いたのだった。
そのあいだ二人はひっきりなしにメールを交換していた。

公美帰ってくる日、仕事を終えた自分は落ち着かない気持ちでいた。
用事があって行った家電量販店で買い物のあとマッサージチェアを
使わせてもらいながら「会えたらいいのにな・・・」って思っていた。
でもその翌々日には会える約束だったし、
あせってはいけないという気持ちもあったのだけど
どうしても会いたい気持ちがまさって「食事でも・・・」と言ったのだった。
公美のほうも会いたかったみたいで「遅いのにいいの?」という感じで
言ってくれて、会うことになったのでした。
きれいとはいえない仕事着のままだったけど、
公美に会いたくて上野の谷中まで車を飛ばした。
公美は待っていてくれた。服装は・・・ちょっと覚えていない。

公美は地元で食事していると友達に見つかるので
ちょっと離れたところに行きたいということで車を走らせた。
ぼくも公美がそばにいてくれることでうれしさいっぱいのうわの空で
どっちに車を走らせたらいいのかよくわからないまま
言問通りを東向きに走らせるが、どこまで行ってもファミレスはない。
15分ほども走って隅田川を超えて、道なりにまがったところで
ようやくジョナサン(業平橋店)があったのでそこで食事にすることにした。

公美はたしか、オムライスを食べたような気がする。
自分は何を頼んだか・・・思い出せないが
自分はドリンクバーを頼んだのに、公美は「いいです」って言ったこと、
それから「きびなごサラダ」が食べてみたくて頼んだことは覚えている。
いろいろお話をしているうちに公美が切り出した。

公美「このあいだの
   『おつきあいすることを考えてほしい』ってことなんですけど・・・」

ぼくはそんなすぐにいい返事をもらえるとは思ってなかったので
今言われたらきっと断られてしまうと思って

自分「あ、まだいいの。ゆっくり考えてくれればいいことだから」
と答えた。

公美「私、来年、卒業したら、海外に留学に行くかもしれないんです。
   だからもしおつきあいしても離れ離れになっちゃうかもしれないんですよ。
   だから考えてしまうんです」


自分はこのときスターウォーズ・エピソード1の
クワイガンのセリフ(自分も好きな言葉)を引用して答えた。

自分「未来を考えることも大事だけど、
   その瞬間瞬間に感じていること(フォース)も大事だと思うよ」


自分はテーブルの上に組んであった公美の手に
軽く自分の手を覆いかぶせた。

このとき、自分では意識していなかったのだけど
公美にあとで聞いた話によると「手が震えていた」そうだ。
それに心を動かされた、と公美は言っていた。

公美「それなら、おつきあいしましょう^^ お願いします」

そのあと自分がなんていったのか覚えていない。
「夢みたい」というようなことを言ったような気はする。


2人がお店を出て駐車場の車に乗り込んだとき
ぼくが隣に座っている公美の手を握ったとき、彼女は握り返してくれた。
そのまま彼女の手を引いて、自分の口元に近寄せると、キスをした。
彼女は拒まなかった。
そのまま、自分の体を彼女に近づけて、抱きしめた。
「今日はこれ以上はしてはいけない」と思いながら
公美をぎゅっと抱きしめた。
冬でコートを着込んでいたので、
体の感触はそんなに感じられなかったけど
それでも公美の手や首筋から感じられる体温で幸せいっぱいだった。
ずっとずっとほしかった、
10年間探し続けた
大好きな彼女がようやくできたその日だった。

いったい何分くらい駐車場にいて触れ合っていたのか
これ以上いても自分が抑えられなくなりそうで車を出すことにした。
帰り道の車の中、言問橋を渡り車を走らせる中
ついつい「自分の人生もけっこう捨てたものじゃないかも。
こんなすてきな彼女ができたんだもの。」みたいなことを
言ったことを覚えている。
公美はリアクションに困ったのか、苦笑していた気がする。

公美をうちに送って、帰り道。
今きた道を、また引き返して家路へ。
その道すがら気分は最高だった。
うれしさが次から次へとこみ上げてきて
運転しながら「やったーやったーやったー」って声の出る限り叫んだ。
神様、運命、すべてに素直に感謝できた。

この日のことはそれ以上覚えていない。

公美とのお付き合いがはじまったので
当時メールを交換して、会ったことのあった人も
2人くらいいたのだけど連絡もやめた。
公美だけにしたいって心から思った。

結婚も今までしたいと思った人は
高校生のときの1人しかいなかったけど
仕事を一生懸命して、結婚したいと思った。
ずっと一緒になって、きっと幸せになりたいと思った。
かわいい、かわいい、かわいい、ぼくだけの彼女、公美。
今もこの気持ちはずっとかわってないよ。
愛してる!

# by shigeshogi | 2007-02-04 06:10 | 公美 | Trackback | Comments(0)

おつきあい直前のメール

前回で、パソコンメールは一段落かと思ったらもう1往復あった。
今回はとりあえず、これだけ。

プラネテス To: "kumi iitsuka"

おはようございます、公美さん。
ぼくも将棋を続けているからよくわかるんですけど
その世界の人のたいへんなところはその世界にいないと
なかなかわからないっていうのがありますよね。
だから、公美さんがお友達の方の相談にのって
あげられるのっていいことだと思います。
例え答えがわからなくても、
一緒に考えてあげることがとても励みになることだし、よかったですね。
男の友達とあっていてもぼくは気にしませんので!
でも言ってくれたのはうれしいです。

市川の映画館は前はヴァージンシネマズって
名前だったのが、TOHOシネマズにかわったのですが
いわゆるシネコンという映画館がいくつもあるタイプです。
シートも音響もいいし、駐車場もあってのんびりできます。
コルトンプラザというショッピングモールにあるんですが、
トイザラスに、ダイエー、専門店外、スポーツクラブ
カラオケ、その隣には東山魁夷の美術館があったりユニークで
す。
日曜日はすごい人手で近づくのもたいへんですが。

ご実家には明日から帰るんですね。
携帯でメールするのも楽しみです。
ぼくも仕事中とかすぐに返信できない場合も
あるかもしれませんけど、余裕ができたときに
必ず返信しますので。
電話も楽しみ(^^)

このあいだのお返事ですが、もちろんゆっくり考えて下さい。
むしろぼくのほうが年甲斐もなく(笑)
あせっちゃったかなあという感じです。
今までで一番ゆっくり好きになって、
一番長く好きでいるようなお付き合いが願いなんですが
しかし、つい気持ちがあせるときがあるので
そのときはたしなめてもらえればと思います。

昨日、思わず夜更かししてみてしまったのですが
ぼくがこのところ気に入っていた「プラネテス」という
アニメの最終回がありました。
近未来SFで、人類が月に行くようになった50年ぐらい
未来の世界という設定のお話です。
そのころ地球の衛星軌道上には使われなくなった
人工衛星などの残骸(デプリ)があって、事故などの
原因になるので、それを回収、駆除などする仕事に
携わる人々の物語なんですけど、
その中に、平和や宇宙開発、環境問題、先進国と発展途上国の
格差の問題などのテーマがスマートに織り込まれ、
しかもメインは今の人たちと変わらない人間の物語で、
主人公の2人が最終回でついに結ばれて
(ずっともどかしい二人だったんです)感動しました。
宇宙空間でのプロポーズがすてきでした。
わかりやすくまとまった特集版と含めて
ビデオにとってあるので、いつかみたいね。

それでは、これから銀行に行ってきますので。
では!


プラネテスは以前にもちょっと書いたが
実は全部の回を見ていない。
でもとっても感動したドラマ。ぜひ通してみてみたい。
ストーリーがとってもしっかりしていて
絵もすごくセンスがいいと思う。
近い未来に本当にありそう・・・と思わせてくれる。
SFアニメなのにとってもリアルで、
実際昨日、中国が地球の衛星軌道上のデプリを問題視
というニュースが流れていた。
すごくいい作品だと思うのだけど
意外にあまり評判にはなっていないみたいなのが不思議だ。

メールではあせらないように、と言っている自分だけど
当時の自分は不安や早く付き合いたい気持ちや
いろいろな思いが交錯してあまり冷静ではいられなかったような気がする。

プラネテス
Date: Thu, 27 Jan 2005 13:15:35 +0900
しばらく見ていませんでしたが、私も好きでしたね。
なかなか見られませんでしたが。そっかぁ。終わってしまったんですね。
残念。
あのもどかしい二人がとても仲むつまじくていいなぁって思ってたんですけどね。
私もそんな関係の恋人同士になれたらなぁなんて考えたりしてました^^

明日と言うのは今日のことでした。
すみません。言い方が悪くて。
今から帰ります。ので、次からは携帯にお願いしますね。
時間があるときでいいので。お待ちしていますね。

それでは。時間があまりないので、この辺で。
お仕事頑張ってくださいね。
くみ

# by shigeshogi | 2007-02-03 05:11 | 公美 | Trackback | Comments(0)

将棋を続けられたらいいのに・・・

火曜日に、奨励会で初段に昇段したばかりの知花君と
石井健太郎1級がうちを訪ねてくれた。
それから時間差で夜から福元君も訪ねてきてくれて
久しぶりにうちで将棋を指すことができた。
来週の火曜日にもみんな集まってくれることになって
ちょっと真剣な研究会をやろうと思っている。
これだけのメンバーでまじめに将棋を指せたら
かなりいい環境だと思う。

知花君とは先週ブログに書いた件で
もう会えないかもしれないと思っていたのだけれども、
向こうから連絡をくれて本当にありがたいと思った。
自分は人との付き合いが苦手で、
こっちから下手にでても結局ダメになってしまうかもしれないと危惧したりして
人と和解することができない。

逆に向こうが下手にでてくれると、たいていのことは許せてしまうのだけど・・・
ぼくは今までの人生で心から憎んでいる人はいないと思う。
怒りが持続しないのだ。


将棋というのは因果なゲームだと思う。
経験の生きる割合が低いので、年齢とともに不利になっていく。
特に秒読みの将棋は圧倒的に若い方が有利だ。

またまじめに仕事をしているとそれがハンデになって勝てなくなるので
仕事と両立することが大変に難しい。

お金はあまりかからないが
とにかく膨大な時間の消費を要求するゲームだし、
また勝ち負けがはっきりしているので
負けるとおもしろさよりもずっと多くのストレスを残す。


そんな将棋だけれどもすばらしいところがいくつかあって
世の中のいろいろなことと違って
純粋に自分の考えを盤上に表現できる。
人がそれに口を出してくることはない。
そして身分や地位やお金やそんなことと関係なく
自分が相手より良い手を指すことさえできれば必ず勝つことができる。
美しい形、力強い形、すばらしい手を盤上に現せる。

誰にでも自信をもって将棋をやっているといえる
それだけの技術や知識を身につけたと思っているし、努力もしてきた。
小さいころからやっていれば、絶対にプロになれたと思うし
アマチュアならトップクラスになれたと思う。
自分にとって将棋は自己表現なのだ。
画家が絵を描き、作家が文章を書くように、将棋を指している。

自分はもうプロは目指せないが、アマチュアで全国優勝したい。
そしてその後も楽しみながら将棋を続け
所司先生はじめ、地元の将棋界のみなさんに
運営や普及などで少しでも恩返ししていけたらと思う。

今のように友達が将棋を指しにくることに理解のある
奥さん、または同居してくれる彼女を見つけて
ささやかでも楽しい暮らしをしていけたらと思う。


仕事は終わり!

こんばんは、公美さん。
今仕事が終わりました。今日は仕事が多くてちょっと疲れました。
でもお客さんも多かったのでうれしかったかな?

公美さんも今日は午前と午後のレッスンたいへんでしたね。
雪で寒くて指がかじかむようでしたけど、うまくピアノは弾けましたか?

公美さんは感動ものの映画が好きなんですか?
ぼくは去年は映画を映画館だけで15本ぐらい見ましたよ。
感動ものでは「ビッグフィッシュ」というのが良かったですね。
古きよき時代のアメリカを舞台にひとりの男の人生と
でたらめにも思える彼が語った物語とかが不思議な融合を見せて
人生の不可思議さを感じさせてくれます。
ぼくが今まで見た感動ものの中でも
指折りのおもしろい作品と思いました。

公美さんはどんな映画みましたか?

ぼくのお気に入りの映画館があるので、
公美さんを案内できたらいいなあ。
市川にあるんだけど、ぼくはたいていそこで映画をみています。
ショッピングエリアなんだけど、食べ物屋さんとかもいろいろあって
ちょっとお気に入りのスポットなんです。
上野にもたくさん映画館はあるけど、どこも古い映画館だよね。

髪、洗ってくれるんですか?!
わぁうれしいなあ!
信じて待っていていいですか?
そんなふうにやさしい言葉をかけてくれるから
また公美さんに会いたくなります。
今も、そんな気持ちですよ。

明日からはご実家に帰るんですね。
たった3日だし、茨城だからそんなに遠くないということはわかっていても
やっぱりちょっとさびしいような気がするから不思議です。
もしかしたら、携帯に電話しちゃうかもしれないけど構わないかな?
もちろん、かけるにしてもメール先に入れるので
都合が悪ければ断ってくれて構わないですけどね。
公美さんは若いんだし、お父さんお母さんに甘えるのもいいかも?!
運転もがんばらないとね。

それでは、またね。


公美とのパソコンでのメールはここで一応の一段落になる。
というのは公美が実家に帰るために携帯でのメールをはじめて
この後は次第に携帯中心になっていくからだ。
公美が茨城の実家に帰ったのはたったの3日間だったけれども
すぐ行くことのできる上野から、茨城に行ってしまったことは
心理的にすごく遠くなってしまった感じがした。
でもそのおかげで公美を求める気持ちが強くなって
初めて電話をかけて、1時間以上も話をしたりした。
本当に楽しい電話だった。
公美もぼくへの親近感を深めてくれたみたいでそれは
茨城から帰ってくる日に結実した。
そのことは、また書くだろう。


こんばんは
Date: Thu, 27 Jan 2005 03:49:09 +0900
一日お疲れ様でした。
今日は大変疲れた一日だったようですね。
お身体大丈夫ですか?
私は今日はレッスンが22時まであって、
それから仲の良い男友達と二人で近くの
ファミレスで長いことお話してました。
私にしか言えない事だったらしく、随分
落ち込んでいました。楽器の事ですが。共に悩んできました。笑

映画館で見たのは何が最後だったかなあ。
先日は親友の部屋でムーランルージュなど見て、号泣しましたね。
市川の映画館。是非連れて行ってくださいな。
楽しみにしていますね。^^

明日午後から実家に帰りますね。
こちらに戻るのは一日かな。
しばらくの間、携帯でのやり取りになりますがいいですか?
もちろんお電話。嬉しいです。^^
先日のお返事。前向きには考えていますが、
もう少しお時間を頂いてもいいですか?

明日も寒そうですね。
風邪ひかないように!
おやすみなさいね。
     くみ

# by shigeshogi | 2007-02-02 01:34 | 公美 | Trackback | Comments(0)

ジェンカの終わり

ジェンカが3月末日をもってサービス停止とのお知らせがでた。
ジェンカにはさまざまな思い出があるので
終わりになってしまうのはとっても残念だ。
ここではいろいろな人と出会うことができた。
特に以前にこのブログでも書いた
えりこさんと、えりかとの出会いは深く心に残っている。
どちらも本当にすてきだと思える女の子だった。
暖かい雰囲気でかわいらしかった。
深い感動を与えてくれた。
こんな彼女がいてくれたら、また1からがんばっていけるのに・・・

実際に会ったことのない人でもエストさんやマセ子ちゃん
それにnanaさん、りなさん、きゃらさんなど
ずいぶん励ましてくれる人に出会うことができた。
とくにマセ子ちゃん、nanaさんにはぜひ会いたかった・・・

ジェンカのブログもずいぶんがんばって書いてきたのだが
ある時期から人がどんどん少なくなって
書いてもコメントがさっぱりつかなくなった。
チャットでも新しい人がいなくて常連ばかりになった。
こういうサービスはダメになるときは本当にあっという間だ。
せっかく登録したフレンドさんたちも
瞬く間にいなくなっていって、やる気をなくしていった。
濃い常連さんが多くなって普通の人がいなくなった。
ジェンカは自分にすごくあっていたので
ここがダメになっていったのは痛かった。

mixiやセイクラブもやってはいるのだが
どうも自分には合わない感じがする。
またエキサイトフレンズなど普通の出会い系も業者ばかりで
普通の人はほとんどいない感じ。
苦労して苦労してメールを出して、つながることはほとんどない。

本当、せめて、何か出会いのつてでもあればと思う。
何か希望があれば、もう一度何か仕事を探して
がんばってみようとも思う。
今のままでは本当に八方ふさがりでもう首を吊るしかないという感じだ。

ケルンの公美の友達とメールがつながったので
なんとか向こうで会うことができればと思う。
彼女に会えれば、きっと公美にもあえることだろう。
前途は多難だけど、目標があって挑戦できることはありがたい。

雪見コーヒー

こんにちは、公美さん。
今朝は朝から雪が降っていて、
自転車は無理ということで車で出勤しました。
ただ昼からはやむということで、雪かきはまぬがれそうです。

コーヒーを入れて窓の外の雪をみていたら
とてもきれいなのでしたが、外で働いている
社員やアルバイトにとってはたいへんなことです。

こどものころは雪が降ると楽しくなったものですけどね。

「新雪を 惜しみてそろり そろりかな」

公美さんは韓国ドラマ好きなんですね。
ぼくはドラマは見たことありませんが、
映画の「猟奇的な彼女」というのをみて
とてもおもしろいと思いました。
主人公の女の子がとても魅力的だったので。
その続編の「ぼくの彼女を紹介します」が
現在公開中みたいなんですけどね。
「シュリ」と「JSA」を見てみたいです。

強引、ですか。
強引にするには男のほうも自信が必要ですよね。
そのぶんの責任が生じると思いますから。
でもきっと本当に好きになったら
ぼくも少し強引になってしまうのかもしれません。
でもいかにも年頃の女の子同士の会話で
ほほえましいですね。

わぁ、本当に二人でお風呂入ったんですね。
やっぱり背中の流しっことかするのでしょうか?

おもわず想像(妄想?!)しちゃってもいいですか?!(笑)
公美さんの背中を流してあげたいです。
せっかくの公美さんのやわらかいお肌に傷がつかないように
泡立ちの滑らかなせっけんを使って
丁寧に流してあげたりしたいな・・・
ぼくは髪の毛洗ってもらうの、すごく好きなんですよね。
理髪店で洗ってもらうとうっとりしちゃいます。
公美さん、流してくれますか??

おっと、妄想モードはこの辺で・・・
男って、こんなことばかり考えてしまったりしてね(^^;
まだ日は高いというのに!

それでは、またね。


公美とは少し踏み込んだ会話をしている。
公美はこういうメールのいろいろなことを覚えていてくれて
実際にあったときに次々実現してくれた。
自分は言うほどにはしてあげられなかった気がする。
でも公美がうちにきてくれた日、
一生懸命お風呂をきれいにしたことはよく覚えている。
普段は掃除しない壁や天井。
洗剤を使ってピカピカに磨いた。
あの晴れがましい日。あの日に帰りたい。

このころぼくは韓国ドラマをほとんどみていなかったが
最近は「チャングムの誓い」をいつも見ている。
壮大でよく練りこまれたストーリーに、安心できる古い価値観。
チャングムのけなげさには心から同情できる。
それに日本とも中国とも微妙に違う韓国の王朝時代の情景が
とっても新鮮で本当におもしろいと思った。
自分はきっと根が古臭い人間で昔のことや
古臭いものにいつも心惹かれているところがある。
進取の気性もいつももっていたいと思っているのだが・・・

ただいま
Date: Wed, 26 Jan 2005 12:17:06 +0900

早くに起きて練習して朝九時からレッスン行ってきました。
歌った。ピアノ弾いたぁ。。
また午後もクラリネットのレッスンがあるんですけどね。

ほんと雪降っててびっくりしました。
寒かったぁ  きれいでしたね^^
しんしんと。。。  

ドラマ・・・見る方ではないんですけど、友達がすきなんです。
映画見たいですね。
泣きたい。笑

確かに髪を洗ってもらうのって気持ちいいですよね。
私も好きです。寝ちゃいます。
洗ってあげますよ。喜んでくれたら嬉しいですね。
やっぱり相手の笑顔が見れるのが幸せです。

今日は一段と寒さが厳しいので、風邪ひかないように気をつけてくださいね。
公美

# by shigeshogi | 2007-02-01 05:59 | 公美 | Trackback | Comments(0)

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