赤旗全国大会は前日までの熱も下がって
まあまあの調子で迎えることができた。
将棋も立ち上がりちょっと不安定だったものの
指しているうちに調子が上がっていき
予選を2連勝で通過し本戦に入ってからも連勝で
当初の目標であった1日目突破(ベスト8入り)を果たすことができた。
2日目は沖縄で昔よく将棋を指した、禰保君と。
彼は将棋推薦で立命大に入り、
ネットでは2800を超えていたこともあるという話だが
長い将棋では普通に勝機があると思っていた。
むしろ自信があった。
しかし、序盤の作戦で研究をはずされ、
また勝負所で大局観を誤って自滅してしまった。完敗。
自分は昔からスロースターターで1局目がちょっと苦手ということもあり
さらに9時半対局開始という早いスタートの中で
コンディションつくりもイマイチで十分な内容の将棋が指せなくて
応援に来てくれた友達にも申し訳なかったと思う。
禰保君とはまた大きいところで戦いたいものだ。
自分は晩学だったのに、よくぞここまでこられたと思う。
若いから勝てるだけの未熟な奨励会のこどもや
弱いくせに女だからという理由でちやほやされる女流をみていると
小さいころから将棋に取り組めていたら・・・と思うことも多いが
それでもここまでこれたのだから、自分的にはがんばったと思う。
自分にはもう少し強くなる余地があると思うが、
それにはいま少しの時間とお金と、
ぼくを助けてくれるすてきな女性の存在が必要だろう。
たぶん、それは手に入らないと思う。
自分はもうダメだと思う。
大会終わった後、友達が6人集まって、打ち上げ。
終バスまで将棋を指したりしていたら
やはり連日の無理がたたったのが、翌日発熱、まったく動けなかった。
今日は少しマシになって、家事などをすることができたがなかなかよくならない。
人生全般、すごく問題が多い状態で、なかなか解決しない。
将棋も今度の朝日の予選で一段落になりそうだ。
前回に引き続き、昔書いたものを紹介して、終わりとしたい。
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「沖縄レーティング」16号 当時沖縄でレーティングを用いた研究会を行って
その会報を発行していましたがそのときのものです)を2,3アップしようかと
思います。
エッセイ「はじめての将棋」
最近は羽生七冠効果、「ふたりっこ」効果ということで将棋ブームと言われて
いるが、私が小学校のころにも実は将棋ブームといわれた時期があった。その立
役者は谷川浩司現名人竜王であった。谷川新名人が誕生したのが私が10歳の時
でそのころはその余波で今のように将棋をやることがちょっとブームになったよ
うだ。私より2、3歳ぐらい年上の人たちがその影響を一番受けた人たちで上は
羽生4冠王、佐藤八段、森内八段などのチャイルドブランドとかつてよばれた昭
和57年奨励会入会組、アマチュアでも菊田裕司さん、桐山隆さん、渡辺健弥さ
んなどそうそうたる人たちがみなこの年齢だ。我が沖縄将棋界を振り返ってみて
も、普久原安さん、吉本健次さん、玉城司さん、具志堅竜大さんなどがいてその
ほかにもこの世代で将棋を指す人たちは多い。
当時はそうと気がつかなかったが、そのような社会全体の将棋ブームに影響さ
れ私の通っていた小学校でも私が2年生ぐらいのころ「回り将棋」を中心に将棋
ブームがおこっていたと思う。そのころの私にとっての「将棋」というのは「回
り将棋」のことで、例の金を4枚振るヤツである。学校で覚えた回り将棋がすっ
かり気に入った私はうちに帰ってさっそく「将棋、うちにあるぅ??」と訪ねた
が、家族は誰も将棋をやらなかったのでうちにはなく、次の日曜日に父親と近く
の文房具屋さんに行って買ってもらったのであった。
盤は折り畳みの板盤でいくらのものかわからないが、安いものではあったはず
だ。駒はプラ駒で今も将棋連盟の売店でプラ駒(上)、千円也となっているもの
である。この駒は将棋会館道場や那覇将棋クラブで使われているものでよくある
普及品だが、当時は500円だったようで値札のシールが貼ってあった。それら
を買ってうちに帰ってさっそく「将棋をやろう」いって金を選び出すと、父親は
「それは本当の将棋じゃない」といって相手をしてくれず、「これが本当の将棋
だ」といって将棋の指し方を駒の並べ方からはじめ、動かし方、そして詰みの概
念・・・といっても頭金ぐらいであったが、などを教えてくれたのであった。
駒のひとつひとつの個性的な動きが新鮮でおもしろかった。すぐに飛車が大好
きになった。(それは今でも続いているが。)駒の裏に崩し字で書かれた「龍王」
「龍馬」などの珍しい字に興味をもった。頭金がどうして「詰み」なのか、3回
説明されてやっと理解できた。それから2枚落ちで2番ぐらい教えてもらったよ
うな気がするがまったく勝てなかったような覚えがある。父は教えながら指して
くれたのだが、父の棋力は2年ぐらい前、2枚落ちでいい勝負ぐらいだったので
初段近くはあるはずだから、覚えたてのころ勝てなかったのは当然だ。
翌日学校に行って一番仲のよかった友達に「オレ、将棋盤を買ってもらったん
だゼ。『本当』の将棋だって知ってるんだゼ。」と自慢をしたら敵もさるもの、
彼も将棋盤と駒を買ってもらっていて将棋のルールを父親から習っていたのであ
った。そして早速その日帰った後、彼のうちに行って将棋で勝負することになっ
たのである。さあ、初めての勝負だ。これは負けられない!!
彼のうちには当時毎日のように遊びに行っていたが、彼の新しい将棋盤は3寸
ぐらいの足付き盤で、駒もちゃんと桐箱に入っていたからツゲ駒だったのだろう、
子供の目にもすばらしい高級品でうらやましかった。盤駒の勝負では出鼻をくじ
かれ、肝心の将棋ではいよいよ負けられなくなった。
超初心者同士の一戦である。棋譜なんてもちろん覚えているはずはない。王手
(注1)は「王手」というのが暗黙のルールで、そしてそのゲームの目的は相手
の駒を取ることだったようだ。すさまじい駒の取り合いが繰り広げられ、局面は
必敗(とその時は思っていた。)になった。なぜなら大好きな飛車が取られてし
まったからだ。持ち駒は角と金と歩だけしかない。もうダメだ。
しかし、その時父の教えてくれた「将棋」を思い出した。そうだ、将棋は駒を
取ればいいんじゃなかった、王様を詰ますんだった、そのためには、ええと、頭
に金を打つんだっけ?!
図はその時の局面である。もちろん先後がどちらだ
ったかなんて適当だし、それ以外の駒の配置なんて
覚えているわけもないから、ここでは省略してある。
しかし、ここで指したこの手だけは私は忘れない。
図で私はさりげないそぶりで「▲8五角」と指した
のだった。当時はもちろんそういう言葉は知らなか
ったが、これは「詰めろ」である。(注1)
友達は角のききを指で7四、6三、5二とたどって
いき、そしてうなずいた。そしてうれしそうに
「王手じゃないよ、これ」という。私は「しまった」と
いう顔で「あっそうか」と言った。
それで相手はなんかの駒を取ったはずだ。
そこで私は「えっと、これは王手じゃないね。」と
か言いながら私の指した次の手はもちろん▲5二金!。そして「やったあ、詰み
だあ」とか言って勝ちを宣言したのであった。友達はこの状態を理解できなかっ
たようでついに書斎で仕事をしていた父親(彼の父親は設計士であった)を呼ん
できて判断してもらうことになった。彼の父親は詰みの概念を彼に教え、もちろ
ん、私の勝ちは認めてくれた。やむなく友達は渋々それを受け入れ、負けを認め
たのであった。
おかげで私は将棋がちょっと好きな少年になった。もちろん、そのあとも彼と
は将棋を指したはずだが、そのあとは勝ったり負けたりであっただろうと思うし、
将棋の内容ももちろん覚えていない。そしてその後1年もたたないうちに小学校
の将棋ブームは終わってしまい、それとともに、私たちは将棋から離れてしまっ
たのである。今になれば、その時将棋を続けていればと思うが、うちの両親は私
に将棋をそれ以上やらせくれるような親ではなく、その後将棋に再会するのは実
に10年後、18歳の夏を待つことになる。18歳の年の8月27日に将棋会館
の道場で子供を相手に負けて9級を認定され、再び暑い日ははじまるのだが、そ
の話はまた別の機会に書くことにしよう。
将棋に負けたときにいつも思い出す、そのときのこと。「初心忘れるべからず」
という言葉を忘れないようにしよう。
(注1)次に王様を取れる状態。初心者はこれをかけたがるが、王様を逃げられ
たりしてなんでもない王手である場合が多い。
(注2)放置しておけば(相手が気がつかなければ次に勝つ状態)。詰みという
のが将棋が勝ちの状態で、「次に詰みますよ」という状態の局面のことを「詰め
ろ」といいます。