9月26日から29日までの4日間沖縄に行ってきた。
ジェンカのフレンドの女の子が勧めてくれたのが直接のきっかけだけど
ずっと行きたいと思っていたのでよい機会だった。
他にも2月に亡くなった大城克友の墓前に参りたかった。
それから、この夏、一度も行かれなかった海で泳ぎたかった。
それともうひとつ旅行が決まってから目的ができた。
セイクラブというサイトのチャットで沖縄のあいという
19歳の女の子と知り合って会うことができることになったのだ。
そして沖縄に行った初日がたまたま
あいの休みの日だったので会いに行くことになった。
今回はレンタカーを手配していなかったので沖縄ではじめてモノレールに乗った。
初めて乗ったけど、思いのほか景色がよくて楽しかった。
那覇でもいろいろ動きそうだったので一日乗車券を購入した。
モノレールで古島まで行って、そこからバスであいの住む宜野湾まで行った。
そしてバス停で降りて、その辺のコンビニでまっていると
あいが来て、ぼくを見つけてくれた。
それから2人でタクシーで北谷まで行って、アメリカンビレッジで遊んだ。
あいはちょっとシャイで胸の大きな女の子でゲームが好きだった。
お店を見て、そのあとゲームセンターでDDRなど音楽もののゲームで遊んだ。
また一緒にプリクラをとって、そのあとA&Wで食事をして帰った。
あいとは普通に遊んだだけで終わったけど、
ウチナンチュらしいマイペースな女の子で楽しそうに遊んでくれた。
あいと別れた後閉店間際の首里将棋倶楽部を訪ねたら、旧知に会った。
上海旅行でもあった、沖縄の将棋指しの具志堅さん。
彼に大城克友のうちの電話番号などいろいろ情報を聞いた。
将棋も指したが彼は5年前と変わらない棋力のようだった。
閉店を2時間も延長してもらって沖縄の将棋界の話などいろいろして
モノレールでホテルに戻った。
今回は1泊分の宿泊と往復の飛行機がついたホテルパックでいったのだが
そのパックは31800円と格安だったのでホテルは期待していなかった。
ところが実際ホテルグランビュー沖縄についてみると新しくてきれいな上に
立地もよく、フロントの応対も悪くなくいいところでびっくりさせられた。
窓の景色も朝食もよくて、1泊6千円台と考えると本当に安い。
2日目に泊まった松山のソルヴィーダホテルやGRGホテルなど
安くてしっかりしたビジネス系のホテルがどんどんできてびっくりだった。
従来の那覇の廉価なホテルはかすんでしまいそうだ。
2日目、朝に大城克友のうちに電話して、
彼のお母さんと話して夕方にお邪魔することになった。
そこで昼はモノレールやバスで市内を回った。
ゆかりや、まりこや、克友とも行ったこともある
御殿山という首里の沖縄そば屋を訪ねたり、
沖縄時代通っていた将棋道場(今はなくなった)や、
当時の行き付けの美容院に行ったりした。
那覇の市内はずいぶんかわっていたけどそのあたりは昔のままだった。
美容院の人はぼくのことを覚えていてくれて、昔話などした。
その後克友のうちにむかった。
途中栄町というところにある、深夜営業もしている本屋に立ち寄って
香典袋を買ったりしたが、ここはすぐ裏に克友との共通の将棋仲間の家があり
待ち合わせに使ったりもしたのだけど、
まさかここで彼の香典袋を買うことになるとは思ってもいなかった。
克友のうちではお母さんと妹さんが出迎えてくれた。
沖縄の位牌のお参りの仕方は知らなかったが、普通に線香をあげて手を合わせた。
彼の遺品の数々をお母さんが見せてくれた。
一番多かったのが彼の将棋の観戦記が乗った新聞(主に琉球新報。
奥原さんという方が書いている沖縄将棋の観戦記はかなりおもしろい)
の切抜きの数々で、お母さんがずっととっていたのだと思った。
もちろん、ぼくと克友との将棋の観戦記もいくつもあって
またぼくと克友が一緒に写真に並んでいたりもした。
自分にとっても沖縄から帰るときのバタバタで散逸してしまった
これらの観戦記はとても懐かしいもので、彼がいて、まりこがいた
沖縄での懐かしい日々の数々が思い起こされた。
克友の遺書のようなものもちょっと見かけてしまった。
克友のお母さんが沖縄の家庭のごはんを食べさせてくれて
また着てほしいと手を握って言って送ってくれた。
しばらく公園で考えごとをしたあとバスで那覇の曙の将棋道場に向かった。
道場はバスで行くにはちょっと不便なところで、
バス停からも15分ほど歩かねばならないのだが、
バスを降りてすぐ目の前のガラス屋さんの軒先をふと見ると
そこで将棋をやっているではないか。
どうしたものかとしばし迷ったあと声をかけてみると
「将棋を見ていけ。終わったら道場まで送ってやる」とのこと。
街道場の二段と四段くらいの腕前で角落ちで対戦していた。下手制勝。
上手のおじさんはぼくの名前を知っているようだった。
昔那覇の前島にあった道場で見たことがあったような気もした。
上手のおじさんが車で送ってくれた曙の道場に場所を移し対局。
1局危なくしたが、沖縄ではついに負けることはなかった。
もうひとり、旧知の将棋指しにあったところで閉店。
昔何度か行った食堂で食事をしたあと、ホテルに行った。
3日目はついにレンタカーを借りた。
ネットで格安のレンタカーを見つけたのだ。
1日3150円(税・保険料込み!)。内地では考えられない安さ。
1泊2日で6300円ぽっきりで借りられた。
3日目は恩納村のリゾート、サンマリーナホテルを予約していたので
そこに向かうのだけど途中いろいろ寄り道をした。
沖縄時代通った浦添の将棋道場。(なくなってしまった)
そしてそのすぐ近くのパーラー(軽食堂)。
おばちゃんは自分のことを覚えていてくれて、いろいろ昔話をした。
タコライスを作ってもらう。
それから沖縄市の比屋根というホテル地帯を通ったり、
勝連のほうを回って勝連の城跡に登ってみたり、
昔よくいった、海中道路や伊計島の海をみたりした。
それぞれの場所にそれぞれの思い出があって懐かしかった。
海中道路の真ん中に道の駅や資料館ができていて、そこで
「通いの校長先生」という写真のことを調べたけどわからなかった。
この写真は海中道路ができる前に本島から宮城島の学校まで
渡って通っていた校長先生の写真。
引き潮をとき長靴を履いて浅瀬を渡る校長先生
(おそらくたったひとりの先生?)の姿がとても印象的な写真で
再会したくていろいろ尋ねてみたのだがわからなかった。
寄り道したものの、サンマリーナホテルには午後3時くらいにはつけた。
リゾートに一人で泊まりにくる客はどれくらいいるのだろう?
ちょっと日が西に傾いた時間で沖縄の海で泳ぐにはいい時間だ。
あまり真昼だとやけどをしてしまう。
9月も最後の週だったが、泳ぐには十分な気候でよかった。
沖縄滞在中、ずっと天候には恵まれた。
サンマリーナホテルのビーチはちょっと狭いが質はよかった。
どこからか運んできたきれいな砂が敷き詰められていて滑らかだった。
魚も泳いでいたし岩場とかも怪我をしないような配慮がいろいろされていた。
ビーチには家族連れやカップルなどが数組。
浜辺も含めれば20人ほどの人がいただろうか?
ビーチがしまる5時半まで、
ビーチとプールを行ったりきたりしながらずっと泳ぎ続けた。
泳いだ後はホテルのレストランでディナー。
バイキング形式の和食沖縄料理の店。
揚げたてのてんぷらや握りたての寿司がいただけた。
おいしくてお腹いっぱい食べた。
ビーチでもレストランでもずっとひとりぼっち。
一人ぼっちには慣れているけど、
公美がいてくれたらどんなに幸せだろうって、公美のことばかり考えていた。
公美なら水着もとっても似合うし、
レストランでも一緒にお食事できるし
部屋に帰ればたくさんの時間の中でゆっくり抱き合うこともできる。
公美といろいろな沖縄の話をしたことなんかを思い出した。
「しげさんと一緒に沖縄にいける女の子は幸せね」といってくれた公美。
一緒に旅をできたら、一番幸せなのはぼくのほうだと思う。
ホテルにひとりでいても仕方ないと思ったので
車で沖縄市の道場まで行ってみたが、金曜日の夜というのに誰もいなかった。
仕方ないのでスーパーに立ち寄って少し買い物をしたあと
ホテルに戻ってマッサージを呼んでしてもらって、テレビなどを見て寝た。
翌朝はまだ泳いだ疲れが残っている感じでだるかったけど
もうひとがんばりと思い切って午前中の海で泳いだら、気分がよくなった。
海が大好きなんだなあって思った。
時間ギリギリまでホテルで粘ってからチェックアウトして那覇への帰途についた。
一昨日にあいとも行った、北谷によって観覧車に乗ったり、
ブルーシールでアイスクリームをいただいたり。
那覇に戻ってからは天久新都心(おもろまち)のスーパーでおみやげを買ったり
昔行った食堂を訪ねてごはんをいただいたりした。
そして自分が学生時代に住んでいたアパートを訪ねてみた。
表札を見ると、やはり内地からの学生さんが住んでいるようだった。
それほど雰囲気も変わっておらず、部屋の前まで行くと懐かしかった。
ドアを開けたら、なんだかあの頃の自分が中からでてきそうだった。
克友や、まりこや、はるみや、ゆみが、来てくれたときのことを思い出した。
自然に涙がこぼれてきた。
あの頃の自分に会えたなら、道を間違えないように教えてあげたい。
別ればかりのこんな悲しい道に進まないように、教えてあげたい。
でもあのころのまだ未熟ながら一生懸命がんばっていた自分に
励ましの言葉もかけてあげたいと思った。
それから、懐かしい場所をいくつかたずねてみて
そしてまりこに連絡をとってみたいと思い電話をかけてみたが
やはりつながるはずもなかった。
那覇の図書館を訪ねて、克友が亡くなった前後の
新聞記事や観戦記などを見たりした。
観戦記を書いている奥原さんにも、愛弟子だった克友の死への
複雑な思いが伝わってくるような内容だった。
昔の新聞の縮小版を見ていくと自分の将棋の観戦記はもちろん、
自分が執筆した観戦記などもあった。
図書館で古新聞を読み進めていくうちに飛行機の時間も近くなってきて
沖縄の旅はどうやら終わりになった。
もうこられないかもしれない沖縄に別れの挨拶ができたように思えた。
自分にとっては沖縄はいつまでも青春の夢の中にあるパラダイスのようなところだ。
ここで4年間をすごせて、本当によかった。
もし人生でひとつだけ神様が願いをかなえてくれるなら
くみと仲直りして、沖縄を旅したいと思う。
くみなら、青春のいろいろな痛みや悲しみを抱きとめて包んでくれる、
そう信じている。