2006年 10月

かえってさびしかった一日 [2006-10-31 03:36 by shigeshogi]
県代表になった [2006-10-30 02:58 by shigeshogi]
喘息と戦いつつ将棋を続ける日々 [2006-10-28 04:14 by shigeshogi]
会う前日のメール [2006-10-17 19:14 by shigeshogi]
もうダメだ [2006-10-15 05:36 by shigeshogi]
首がまわらない [2006-10-05 04:23 by shigeshogi]
沖縄の旅:自分の過去をたずねてきました [2006-10-03 05:25 by shigeshogi]

かえってさびしかった一日

赤旗名人戦で代表になったニュースは
ネットの掲示板などを通じて一夜にして
たくさんの人の知るところになった。
何人もの人からお祝いの言葉をかけてもらうことができた。

でもその反面、かえってさびしい思いでいっぱいの一日だった。
うちからほとんどでないで、ずっとネット将棋をやっていた。
公美さえ、くみさえいてくれたら
こんな悲しい思いはしなくて済んだのに。
一緒に心から喜び合って、幸せを分かち合うことができたのに。

ああ、どうしてぼくはこんなにさびしいんだろう。
たったひとり、たったひとり、
心から愛する人がいてくれさえすればいいのに。
どうして、こんなに心から切望しているのに、
女の人は誰一人助けてくれないんだろう。

公美、聞こえる?ぼくは君を必要としているんだ。
本当に必要としているんだ。
ぼくを、助けて、助けて!!


2005年1月24日。
二人の大切な記念日のひとつ。
このメールはそのついに公美と出会った日のメール。
ちょうど20往復目。
公美のやさしい言葉のひとつひとつが胸にしみる。
公美がいてくれて本当によかった。
どんなさびしいときも、ぼくを愛してくれたあの人が
いつもそばにいてくれて、ぼくを励ましてくれる。
公美がいてくれるから、どんなときも心正しく
希望をもって生きていくことができる。
愛してる。

From: "kumi iitsuka"
To: "しげ"
Subject: おはようございます。
Date: Mon, 24 Jan 2005 11:00:39 +0900

あんな時間に寝たのに朝も早くから洗濯をしてしまいました。。

そうですね。
確かに怖いですね。
でもそれは私も同じですよ^^
だから怖がらないでくださいな。
特に会うことを焦っているわけでもないのですけれど、
もし今朝方のメールで少しでも
不愉快な思いをさせてしまっていたらすみません。
私は6時には自由になれると思うのですが、どうされますか?  
あっ しげさんのお気になさるような、
会ったからってこの関係が崩れることはないと思いますよ。
^^大丈夫ですから。
もし、しげさんがよかったら、お返事くださいな。
優柔不断なもので。。。
ちなみに私は素敵でもなんでもないですよ。笑
どちらかと言うとしげさんのほうが優しくて素敵な方だと思いますので。

公美



sub:6時半に西郷さんのところでいかがでしょう?

こんにちは、公美さん。
公美さんのメールで不愉快な思いしたことなんて
一度もありませんのでそのことはご安心くださいね。

寝た時間から考えると、相当の早起きさんですね。
お洗濯おつかれさまでした。

それじゃ、今日の夜お会いしましょう。
6時半に上野の西郷さんのところでいかがでしょう?
ベタですけど、最初なんでわかりやすいほうがいいと思って。

万一、わからなくて会えない可能性もないとは言えないので
公美さんの携帯を教えておいてもらえれば安心です。

ぼくのももう一度書いておくと
080-****-***:
***********@***.**.**
ですので、これから出かけてしまうのでお手数ですけど
携帯のほうにメールで番号など送ってもらえるとありがたいです。

服装を書いておくと、黒のコートで紫のセーター
下は黒いスラックスです。
ってこれじゃわからないですね。
公美さんの服装なども携帯のほうにいただければと思います。

待ち合わせの場所も別の場所のほうが都合がよければ
携帯に入れていただければ、大丈夫ですよ。
お店とか行くところも考えておきますね。

それでは、またあとで!


2人が出会ってどうしたのかは、また次の記事で・・・
二人の大事な大事な最初のデート。その記録と記憶。

# by shigeshogi | 2006-10-31 03:36 | 公美 | Trackback | Comments(0)

県代表になった

赤旗名人戦、県代表になれた。

喘息の薬の副作用か1局目を指しているときから
左の胸の後ろ、たぶん心臓が痛くて苦しかった。
不摂生もあるのだと思うけど、今日が終わるまでもってほしいと思った。
2、3局目をやっているときがピークで
痛い!!と叫びたいほどだったけど
次第に落ち着いてきて代表決定戦になる4局目の
苦しい将棋を戦っているときにはなんとか忘れることができた。

将棋は2局目と4局目、決勝戦は苦戦だった。
手拍子の手とかもあって、正直あまり調子がいいと思わなかったが
粘り強く戦って拾うことができて、運がよかった。
対戦相手の組み合わせの運にも恵まれたし
時計がギリギリでも切れなかった。
朝の道もスムーズに走れた。
今年で一番運のいい一日だった。

今日は都合が悪くてできなかったが、
水曜に友達が集まってくれて祝勝会をやってくれることになった。
所司先生はじめ、たくさんの人がお祝いのメールをくれた。
先生は棋譜もみてくれた。

でも夜からはうちでひとりぼっちだった。
公美がいてくれたらどんなにいいだろうって思った。
きっと一緒に喜んで、一緒に祝ってくれて、抱きしめてくれるのに、と思った。
たった一人やさしい女の子がいてくれたら何も悲しくないのにぼくには誰もいない。
どんなにがんばっても、どんなに一生懸命生きても、みんな無駄になる。

早く公美に会いたい。
心も体もぼろぼろで、もう長くはがんばれないけど
死ぬまでには絶対公美に会いたい。

# by shigeshogi | 2006-10-30 02:58 | 近況 | Trackback | Comments(0)

喘息と戦いつつ将棋を続ける日々

公美とのことはいよいよ二人が会う段になってなかなか筆が進まない。
一番、そのことを書いておきたかったのだが、
実際それを書こうと思うといろいろな思いあって書けないでいる。
それで今回も近況を書いていきたいと思う。

最近は体調がずっと優れない中、将棋漬けの日々が続いている。
強いストレスの状態の中で喘息が改善せず、ずっと薬を飲み続けている。
眠くなるし調子が悪くなるので嫌なのだが仕方がない。
吸入の心臓に負担のかかる薬も手放せない状態だ。
公美のことでいつも苦しんでいるし、
将棋も常にギリギリの勝負なので負担が大きい。
このあいだネットで14時間ぶっ続けで将棋をやったときには
翌日動けないほどで体が悲鳴を上げていた。
日々の生活のことを考えたり、将来のことを思っても暗澹とするし
助けてくれるようなすてきな女性も誰も現れない。
過食や不摂生も原因だろう。

ただ自分に残された時間が少ないと思われる中、
将棋をもう少しやっておきたいといういう気持ちがあって
けっこう勉強をしている。
詰め将棋や棋譜並べのほか、研究会、道場などなど。
研究会では岡畑三段や相良を倒したり悪くないのだが
体調や調子が悪くてつまらない相手にも負けたりする。

大事なところで負けていい結果につながらない状態が続いている。
御徒町のトーナメントでは切れ負け将棋で必勝の局面を1秒差で
時間切れ負けしたり
社会人リーグでも元三段の池田さんに必勝を時計を切らしたり
一昨日も藤森奨励会二段を秒読みでしとめ損なった。
そんなことばかりだ。
決断に迷いがいつもあって、
無駄に時間を使ってしまい秒読みで間違えることが多い。
心の迷いが指し手の迷いにつながっている。
私はどんなときでも最善の手を指して美しく勝つ将棋を目指しているが
調子が悪いと最近流行のネット将棋で多く指されているような
秒読み特有の実戦的な勝負手に屈してしまうことが多い。
いい内容がいい結果につながらないことばかり。

社会人リーグはそれでも、元奨励会有段者合わせて13段という
厳しい当たりであったのに11勝5敗の好成績で
特に小牧、山寺、下山、高徳などの有名強豪を倒せたし、
また学生時代のライバル星出さんや
以前によく将棋をやった(教わった)池木さんなどにも勝てて
有意義な内容ではあった。
しかしそれにもかかわらずチームは3回戦で急病で6人で
戦うことになったり(おかげで優勝の翔風館TLSに3-4負け)
とにかくツキがなくて、結局入れ替え戦にもつれ込んだ上で
3-4負けを喫して降級となってしまった。
ここでもやはりいい結果はでなかった。

最近はうちでも将棋をやっていて
奨励会の知花君を中心に、溝部さん、福元君、川上さん、
そしてマイミーオなどがやってくる。

(写真は2006/10/20 久しぶりにうちで二人きりになれたときのもの
自分撮りなのであまりうまく撮れていないが・・・)

お金を出し合っての賞金トーナメントや10秒将棋。
また目隠し将棋や変則将棋などをやったりもする。
せっかくいい仲間もできたのに、
もうすぐ終わりになってしまうのがとても残念に思う。

今度の日曜は赤旗の県大会。
これと朝日の大会くらいで将棋をやれる日々はおわりだろう。
公美とのことも決着をつけなくてはないらない。
自分の力を発揮できるなら、赤旗は普通に代表になれるはずだが
果たしてそうすることができるだろうか?

# by shigeshogi | 2006-10-28 04:14 | 近況 | Trackback | Comments(0)

会う前日のメール

二人が初めて顔をあわせるその前の日公美がくれたメール。

From: "kumi iitsuka"
To: "しげ"
Subject: さて
Date: Mon, 24 Jan 2005 04:58:24 +0900

頭もおかしくなりそうなので。
このあたりで少し休みます。

明日は夜が久しぶりにゆっくりできます。
何しようかな。
なんて事を考えながらお休みします。

一人でどこか食べに行くのもなぁ。。
明日は明日の風が吹く~♪

では。
しげさんも良い一日を☆


ぼくがいろいろ悩んでいるように公美もいろいろ悩みがあって
いろいろなことを感じているんだなあって思った。
少女から大人の女性にかわるそんな途中の姿を感じた。
そんな公美の悩みも全て受け止めてあげられたらいいのにと思った。
公美の悩みや苦しみ、悲しみ、全てを包み込むことができる
そんな人間になりたいと思った。

re:さて

> 頭もおかしくなりそうなので。
> このあたりで少し休みます。
>
> 明日は夜が久しぶりにゆっくりできます。
> 何しようかな。
> なんて事を考えながらお休みします。
>
> 一人でどこか食べに行くのもなぁ。。
> 明日は明日の風が吹く~♪
>
> では。
> しげさんも良い一日を☆


今、このメッセージ読みました。
メールの時間といい、
若い公美さんの青春の悩みというか、
とまどいというか、短い中にそんなことを感じました。

ぼくも今日の夜はなんの予定もないんです。
もし、お食事ということであれば夕方くらいまでに
メールか携帯に連絡いただけたらいけますよ。
もちろん、会うことをあせってもいけないし
予定通り2月まで待つのでも構いません。
公美さんにお任せしますね。

今、ぼくはメールだけでもとても楽しいし、
公美さんがほれてしまうようないい男ではない我が身としては
会いたいけど会ったらこの関係が壊れてしまうかも・・・
なんて恐れる気持ちもあるんです。
こんなことを怖がるのは、年をとっているということなのかも
しれませんが、たくさんふられてきたので怖い。
逆にメールだけの細い糸は逆にまた急に途切れてしまうときも
あるのかも・・・と反対の不安を感じるときもあります。

公美さんがすてきな人だと感じる気持ちが強くなってきたので
余計こわく感じています。
恐れていてはいけないのでしょうけどね。
つくづく、もう若くないんだな・・・なんて思ったりします(笑)


ぼくは公美に会うまで今まで一度も告白した女の子に
気持ちを受け入れてもらえたことがなかった。
好きになってもいつも裏切られて、すてられてきたので
正直とてもこわかった。
会うということは終わりになってしまうことが多いことを
経験で感じていた。
公美は特別な女の子かもしれないという淡い期待と
どうせだめに決まってるという悲しい思いがあった。
ダメならあきらめようと覚悟を決めたのをよく覚えている。

このところ、体をすっかり壊してしまい、
昨日はぜんそくで病院にいった。
今回はなかなか治らない。薬が手放せない。
外に出るのは少しきついし、といって体を横にするとしんどいので、
ネットで将棋をしたりもしている。

日曜日にはマイミーオが遊びにきてくれて
朝まで将棋を指したり遊んだ。
またつきあってくれない?って聞きたかったけど言えなかった。
彼女は将棋が強くなって、短い将棋なら何番かに一番は
負けるときもあるようになってきた。
長い将棋でもそろそろ最初の1敗目を喫してもおかしくはないだろう。
彼女には女流プロになるという道が残っていてうらやましく思う。
女流プロもいろいろ大変だとは思うけど、
将棋で多くはなくてもお金をもらいながら、
勉強して強くなっていくこともできるのだから
どれくらいいいことだろうと思う。
ぼくにはもう生きていく何の希望もない。

公美に会いたい。
死ぬまでに一度でいいからあって
心ゆくまで抱き合って話をしたいと思う。
大好きな公美のそばに帰って、もう一度人生をやり直したい。
神様、ぼくに救いをください。

# by shigeshogi | 2006-10-17 19:14 | 公美 | Trackback | Comments(0)

もうダメだ

前回書いた首が痛いのは治まってきたものの
胃の調子が悪くて、口端にできものができたり
指先に膿がたまって腫れてしまったり
喘息が長く続いたり、風邪っぽかったり、眠れなかったり
気分が沈んでいる日が続いている。
ハプニングがあって大会を2つ続けて休んでしまったり
いろいろなことがあって苦しい日々が続いている。

最近はジェンカのほうもサイト自体の人気低下もあって
コメントもつかないし、チャット待ちしていても人がこない。
何万円も払って登録した結婚相談所のほうもなんの効果もなく
なんかもう何をやってももうダメなのかなあという
気持ちになってしまうことが多い。
いつもだるくて疲れているような気がする。

公美のお母さんが自分に連絡を取りたがっているという話を
人づてに聞いて(クレフ楽器などから)、連絡取りたいけど
連絡してもどうせ一方的に向こうの言い分ばかりを言われるだけで
何一つこっちの言い分は聞いてもらえないから無駄だとも思うし、
といってこのままいてもジリ貧で仕方ないとも思う。

何か打開策はないんだろうか?
助けてくれる人はいないんだろうか?

メールのほうは19往復目。
公美は相変わらずやさしくてついに具体的に
会う日取りを相談し始めている。
公美のやさしい言葉のひとつひとつがどれくらい
ぼくの何もない毎日に光を与えてくれていたかと思う。
今だって公美のように素敵な人がいてくれたら
なんとか仕事を見つけて
がんばって生きていこうって思えるのに!
ぼくには何の希望もない。
大好きなくみに会いたい。

"kumi iitsuka"
Subject: おめでとうございます。
Date: Mon, 24 Jan 2005 00:43:59 +0900

すごいですね。お強いんですね!
親友の優勝をこころからおめでとうといえるのは
なかなか出来ることじゃないですよ^^
素晴らしいです。
本当におめでとうございます。m(_ _)m

お写真是非拝見したく思います。
あっ  でもお任せします。
私もお送りしたいのですが携帯からしか送れないので。。
すみません。
あまりパソコンは使い慣れていません。
普段は携帯でのやり取りが多いですね。
学生でパソを持っている人が少ないので。
電話もよく使用します。電話は長いほうなんです。
学校で会うのに電話したり、、、自分からはそんなにかけませんが。

きっと誰もが誰かを愛し愛されるか、
不安を抱えながら生きているんではないでしょうか。
だからきっと不安を考えて生きるより
誰かを愛する幸せを考えて生きたらきっと
そのほうが幸せなんだと思うんです。
そして何より、自分自身がそのほうが幸せだったり。
おばあ様も愛してるという事共に愛されていたから今もお幸せなのでしょう。
なんて。。。でしゃばってしまいましたね。
すみません。
でも自分はそう出来たらなって。思うんです。

27日からは教習所行ってきます。
もう3ヶ月近く行ってないのでほんとまずい・・・
あとは練習しないといけないのでゆっくりも出来ませんね。頑張ってきます。

2月は7~10日くらいまでなら空けられます。
後は月末になってしまいますね。
なので、そのあたりでしげさんがご都合つく日にでもどうでしょうか?

明日はどんな一日をお過ごしになるのでしょうか?
               くみ

公美が日にちを提示してくれたので、その中で一番早い日付を選んでいる。
少しでも早く会いたかったのだと思う。
電話番号も交換していよいよ会えるまで秒読みだ。
この日に帰って人生をやり直したい。


sub:7日はいかがでしょう?

おはようございます、公美さん。

昨日の大会で優勝した親友は川上君というのですけど、
実力はあるのだけど今までちょっと勝負弱いところがあって
いい結果がでないでいたので今回結果を出すことができたのは
ずいぶんはげみになったのではないかと思っています。

音楽もそうかもしれませんが、
将棋もいい友達はいいライバルでもあって
真剣に勝負するときがあるからこそお互い認め合えるし
向上できるんですよね。
仮に負けても自分の力が出し切れればさわやかな気持ちに
なれるときもあります。
逆に自分の力を出し切れないときは悔しいですね。

ぼくは18歳になってから将棋を本格的にはじめたんですけど
今まで県代表になったことが5回。
関東大会で優勝したことが2回あります。
アマ全国大会での優勝が目標なんですが
学生さんやプロ出身の人のアマチュア復帰が今は多いので
そんな中で結果を出していくのは厳しいところもあります。
ただ仕事と両立して、楽しみながら続けていますので
そういう意味ではあせらずたゆまず怠らずやっていければいいかな
という気持ちもありますね。

写真送りますので、明日まで待ってください。
容姿に自信がないので、正直、公美さんに写真を見てもらうのはこわいです。
でもいずれは通る道ですし、
隠していても仕方ないというのがありますので、
写りのよさそうなのを選んで送れればと思います。

公美さんの写真、ぜひ見せていただければと思います。
携帯からの写真をそのままパソコンに送ってくださっても
構いませんし、ぼくの携帯アドレスに送っていただけてもうれしいです。

携帯のメールもパソコンとは違った趣がありますよね。
送れば、相手がすぐに気が付いてくれるし
電話と違ってその場で相手を拘束しないので気軽に送れます。
ぼくも友達同士の連絡とか情報交換には
携帯メール使うことが多いですよ。
打つのが遅いんですけどね(笑)

公美さんは電話、長いほうなんですか?
学校で会えても電話??
ふふ(^^)、女の子らしいですね。
数日実家に帰られるってことですし、
もしよければ電話でお話できたらいいなという気もします。
一応、私の電話番号を書いておきますと
携帯が080-5xx5-xxxx うちが 03-3xxx-xxxx です。

教習、久しぶりなので緊張するかもしれませんけど
楽しいんじゃないですか?
渋滞さえなければ運転は大好きです。
ぼくは実家に近い国府台自動車学校というところに通ったのですけど、
そこに歌手の華原朋美さんがきていたことがあったそうです。
それと、テレビでバラエティ番組つけたら、志村けんさんが
ぼくの行っていた教習所で運転していました。

2月7~10日の間ですね。
じゃあ、一番早くで7日でお願いします。
その日なら休みが取れると思いますので。
8日は10日は仕事がはずせないので、7日でなければ9日かな。
夜ならばたぶんどの日でも大丈夫そうです。
最初ですし、健全に(笑)昼間がいいんじゃないかと思ったのですが
夜でもかまいません。

最初は緊張するんじゃないかという感じもするので、
例えばテーマパークとか一緒に楽しく遊べるところが
緊張がほぐれていいのかな?とか考えたりしています。
もちろん顔合わせでお食事だけとかでもいいわけですし
公美さんの考えもいろいろきかせてください。
まだ日数もありますからね。

それでは、また!

# by shigeshogi | 2006-10-15 05:36 | 公美 | Trackback(1) | Comments(0)

首がまわらない

普段だらけた生活をしていたのが沖縄で久しぶりに
泳いだり、城に登ったりしたせいか、帰って1、2日は
体じゅうがだるいような状態だった。
いろいろなことで精神的なストレスがずっと続いていることもあって
朝起きると体じゅうがこわばっているような感じで
起きたときから疲れているような感じがしていた。
足のだるさは沖縄から帰って2、3日するうちには消えたが
首筋の違和感がずっと残り、昨日はついに痛いという感じになった。
動かすたびにコキコキ音がしたり、首を回すのが困難になって
しかもだんだんひどくなっていった。
それでついに接骨院をネットで調べて訪ねて
鍼や電気、マッサージなどを受けてきた。
以前同じような症状になったときは鍼を打ってもらって
1,2日で完全によくなったからだ。
今回もやってもらってちょっとづつ楽になってきていて
あの電気を通すときの不快感(人によって感じかたは違うだろうけど)
は嫌だけどやっぱり効果はあるのかもしれないとも思う。

公美とのメールの18通目。
くみは今回もとてもやさしくて、最後に書いてある
「実家に3日間帰る」というのをきっかけに
携帯のメールとか電話番号を交換することになったのだった。
公美にはあせりたくなかったので、ここまで携帯をきかなかったのだ。


朝から

どたばたしてました。
おはようございます。
今日は曇ってしまいましたね。
外は寒いかな?

しげさんは本当におばあ様と仲が宜しいんですね。
人を愛するって力はどこからわいて来るのでしょうか。
私にも一生を共に歩んで生きたいと、
そして何より誰かを一生愛するなんて出来るのでしょうか。
でも、いつかそんな人と出会えたらいいな。
おばあ様。羨ましいですね。素敵だなあ。

公美って名前。気に入っているんです。
森公美子さん以外にも同じ人がいるんです。
何か妙に親近感わきますね。その方も公美さん。笑

将棋の世界はわかりませんが、何でもそうですが、
タイトルを取るというのは本当に難しいですよね。
しかもそれが2大タイトルもとなると。。
本当に。素晴らしいですね。
でもそういった方とお知り合いというのは、とても恵まれていますね。
環境ってすごく大切ですものね。
きっとしげさんも竜王からたくさん良い刺激をお受けになったことでしょう。
もうお子さんもいらっしゃるようで、何とも羨ましい。
私、すごい子供好きで、あまりにもかわいすぎて
立ち止まって通りすがりの赤ちゃんをじっと見ていて、
何度も友達に怒られました。公美、いつか誘拐しそうって。。笑
いやいや、自分のお子さんつくりますよ。。って会話がしょっちゅう。笑
幸せな家庭を築く自信はありますね。
皆には過保護だねって言われますが、どちらかというと
かわいい子には旅をさせろですね。古い?!

今日はいかがでしたか?
楽しく過ごせたなら、とても有意義で良い週末になったことでしょう。
お疲れ様でした。

p.s.
27日から3日くらいまで実家に帰ります。
なのでその間メールできなくなってしまいます。
すみません。

公美



下のメールを書くときに最初
「今度一緒に赤ちゃん作りましょうか?」のフレーズが浮かんだのだけど
そりゃ冗談にしてもまずかろう・・・ということで
「誘拐しにいきましょう」のフレーズになったのだった。
この冗談は通じると思ったので(笑)


友達が大活躍


こんばんは、公美さん。
今、帰ってきました。
帰り道には小雪が舞い散っていて、どうなることかと思いましたけど
都内に入るころには雨にかわっていて、
うちに帰るころにはほとんどやんでいました。

大会は盛況で約150人ぐらいが参加していました。
ぼくはライバルとの直接対決に敗れて優勝はなりませんでしたが
3位入賞しました。
そしてぼくの一番の親友が優勝してくれたのでうれしかったです。
渡辺竜王や師匠の所司六段らとうちあげに行ってきて
いろいろなお話をしてきました。
渡辺君の奥さん、こどもにもはじめてお会いしましたよ。
奥さんが恵さんで、お子さんが柊(しゅう)ちゃんっていうんです。
まだ4ヶ月くらいなので歩いたりはできませんが
とってもかわいかったです。

公美さんも赤ちゃん好きなんですね。
ぼくも大好きです。今度、一緒に誘拐しにいきましょう(笑)
幸せな家庭を築く自信があるって、いいですね。
ぼくももっとがんばって、自分が好きになった人に
幸せな家庭を築く自信があります、って言えるようになりたいです。

うちの父方のおばあちゃんとぼくは特に仲がいいですね。
90歳なんですけど、元気で週に2回ゲートボールに行き
週に3回お風呂を入れてもらいにケアセンターに行きます。
元気で頭もはっきりしていて、数日前、新聞の一面に
アメリカのパウエル国務長官が退任したという記事がでていたとき
「あの人は温厚で偉い人だったのに残念だ」
という話をしていてびっくりしましたね。
ぼくもまさかばあさんから国際情勢の話を聞くとは思いませんでしたから。
食べ物もピザやグラタン、焼肉、ソフトクリーム、コーラなどが好物で
100歳まで生きて、宇宙旅行に行きたいそうです。
正直、明るく元気でぼくよりも心が若々しいと思ったりしますね。
その祖母の孫に生まれながら、頼りない自分に
ふがいなさを感じることもありますね。
一生かけて愛したいたったひとりの女性をみつけて、
その人に気持ちを受け入れてもらって
それをずっと続けていくことができるのでしょうか。
・・・いや、そうありたいんです。

そういえば、今日、渡辺竜王と一緒に
記念写真を取りましたので今度送りましょうか?
(写りがよければ?! 笑)
カードリーダーが今ないので、いずれにせよ2,3日後なんですが。

27日から実家に帰られるんですね。
あらかじめ言ってくれると安心して待ってられますね。
実家でのんびりしてきてくださいね。
携帯、という手もあるんですけど、
パソコンメールのほうがいろいろかけるので
気持ちは伝えやすい気はしています。
電話で話したりとかは公美さんはいかがですか?

それでは、おやすみなさい。

# by shigeshogi | 2006-10-05 04:23 | 公美 | Trackback | Comments(0)

沖縄の旅:自分の過去をたずねてきました

9月26日から29日までの4日間沖縄に行ってきた。
ジェンカのフレンドの女の子が勧めてくれたのが直接のきっかけだけど
ずっと行きたいと思っていたのでよい機会だった。
他にも2月に亡くなった大城克友の墓前に参りたかった。
それから、この夏、一度も行かれなかった海で泳ぎたかった。

それともうひとつ旅行が決まってから目的ができた。
セイクラブというサイトのチャットで沖縄のあいという
19歳の女の子と知り合って会うことができることになったのだ。

そして沖縄に行った初日がたまたま
あいの休みの日だったので会いに行くことになった。

今回はレンタカーを手配していなかったので沖縄ではじめてモノレールに乗った。
初めて乗ったけど、思いのほか景色がよくて楽しかった。
那覇でもいろいろ動きそうだったので一日乗車券を購入した。

モノレールで古島まで行って、そこからバスであいの住む宜野湾まで行った。
そしてバス停で降りて、その辺のコンビニでまっていると
あいが来て、ぼくを見つけてくれた。
それから2人でタクシーで北谷まで行って、アメリカンビレッジで遊んだ。
あいはちょっとシャイで胸の大きな女の子でゲームが好きだった。
お店を見て、そのあとゲームセンターでDDRなど音楽もののゲームで遊んだ。
また一緒にプリクラをとって、そのあとA&Wで食事をして帰った。
あいとは普通に遊んだだけで終わったけど、
ウチナンチュらしいマイペースな女の子で楽しそうに遊んでくれた。

あいと別れた後閉店間際の首里将棋倶楽部を訪ねたら、旧知に会った。
上海旅行でもあった、沖縄の将棋指しの具志堅さん。
彼に大城克友のうちの電話番号などいろいろ情報を聞いた。
将棋も指したが彼は5年前と変わらない棋力のようだった。
閉店を2時間も延長してもらって沖縄の将棋界の話などいろいろして
モノレールでホテルに戻った。

今回は1泊分の宿泊と往復の飛行機がついたホテルパックでいったのだが
そのパックは31800円と格安だったのでホテルは期待していなかった。
ところが実際ホテルグランビュー沖縄についてみると新しくてきれいな上に
立地もよく、フロントの応対も悪くなくいいところでびっくりさせられた。
窓の景色も朝食もよくて、1泊6千円台と考えると本当に安い。
2日目に泊まった松山のソルヴィーダホテルやGRGホテルなど
安くてしっかりしたビジネス系のホテルがどんどんできてびっくりだった。
従来の那覇の廉価なホテルはかすんでしまいそうだ。

2日目、朝に大城克友のうちに電話して、
彼のお母さんと話して夕方にお邪魔することになった。
そこで昼はモノレールやバスで市内を回った。
ゆかりや、まりこや、克友とも行ったこともある
御殿山という首里の沖縄そば屋を訪ねたり、
沖縄時代通っていた将棋道場(今はなくなった)や、
当時の行き付けの美容院に行ったりした。
那覇の市内はずいぶんかわっていたけどそのあたりは昔のままだった。
美容院の人はぼくのことを覚えていてくれて、昔話などした。

その後克友のうちにむかった。
途中栄町というところにある、深夜営業もしている本屋に立ち寄って
香典袋を買ったりしたが、ここはすぐ裏に克友との共通の将棋仲間の家があり
待ち合わせに使ったりもしたのだけど、
まさかここで彼の香典袋を買うことになるとは思ってもいなかった。

克友のうちではお母さんと妹さんが出迎えてくれた。
沖縄の位牌のお参りの仕方は知らなかったが、普通に線香をあげて手を合わせた。
彼の遺品の数々をお母さんが見せてくれた。
一番多かったのが彼の将棋の観戦記が乗った新聞(主に琉球新報。
奥原さんという方が書いている沖縄将棋の観戦記はかなりおもしろい)
の切抜きの数々で、お母さんがずっととっていたのだと思った。
もちろん、ぼくと克友との将棋の観戦記もいくつもあって
またぼくと克友が一緒に写真に並んでいたりもした。
自分にとっても沖縄から帰るときのバタバタで散逸してしまった
これらの観戦記はとても懐かしいもので、彼がいて、まりこがいた
沖縄での懐かしい日々の数々が思い起こされた。
克友の遺書のようなものもちょっと見かけてしまった。
克友のお母さんが沖縄の家庭のごはんを食べさせてくれて
また着てほしいと手を握って言って送ってくれた。

しばらく公園で考えごとをしたあとバスで那覇の曙の将棋道場に向かった。
道場はバスで行くにはちょっと不便なところで、
バス停からも15分ほど歩かねばならないのだが、
バスを降りてすぐ目の前のガラス屋さんの軒先をふと見ると
そこで将棋をやっているではないか。
どうしたものかとしばし迷ったあと声をかけてみると
「将棋を見ていけ。終わったら道場まで送ってやる」とのこと。
街道場の二段と四段くらいの腕前で角落ちで対戦していた。下手制勝。
上手のおじさんはぼくの名前を知っているようだった。
昔那覇の前島にあった道場で見たことがあったような気もした。
上手のおじさんが車で送ってくれた曙の道場に場所を移し対局。
1局危なくしたが、沖縄ではついに負けることはなかった。
もうひとり、旧知の将棋指しにあったところで閉店。
昔何度か行った食堂で食事をしたあと、ホテルに行った。

3日目はついにレンタカーを借りた。
ネットで格安のレンタカーを見つけたのだ。
1日3150円(税・保険料込み!)。内地では考えられない安さ。
1泊2日で6300円ぽっきりで借りられた。
3日目は恩納村のリゾート、サンマリーナホテルを予約していたので
そこに向かうのだけど途中いろいろ寄り道をした。
沖縄時代通った浦添の将棋道場。(なくなってしまった)
そしてそのすぐ近くのパーラー(軽食堂)。
おばちゃんは自分のことを覚えていてくれて、いろいろ昔話をした。
タコライスを作ってもらう。

それから沖縄市の比屋根というホテル地帯を通ったり、
勝連のほうを回って勝連の城跡に登ってみたり、

昔よくいった、海中道路や伊計島の海をみたりした。
それぞれの場所にそれぞれの思い出があって懐かしかった。
海中道路の真ん中に道の駅や資料館ができていて、そこで
「通いの校長先生」という写真のことを調べたけどわからなかった。
この写真は海中道路ができる前に本島から宮城島の学校まで
渡って通っていた校長先生の写真。
引き潮をとき長靴を履いて浅瀬を渡る校長先生
(おそらくたったひとりの先生?)の姿がとても印象的な写真で
再会したくていろいろ尋ねてみたのだがわからなかった。

寄り道したものの、サンマリーナホテルには午後3時くらいにはつけた。
リゾートに一人で泊まりにくる客はどれくらいいるのだろう?
ちょっと日が西に傾いた時間で沖縄の海で泳ぐにはいい時間だ。
あまり真昼だとやけどをしてしまう。
9月も最後の週だったが、泳ぐには十分な気候でよかった。
沖縄滞在中、ずっと天候には恵まれた。

サンマリーナホテルのビーチはちょっと狭いが質はよかった。
どこからか運んできたきれいな砂が敷き詰められていて滑らかだった。
魚も泳いでいたし岩場とかも怪我をしないような配慮がいろいろされていた。
ビーチには家族連れやカップルなどが数組。
浜辺も含めれば20人ほどの人がいただろうか?
ビーチがしまる5時半まで、
ビーチとプールを行ったりきたりしながらずっと泳ぎ続けた。

泳いだ後はホテルのレストランでディナー。
バイキング形式の和食沖縄料理の店。
揚げたてのてんぷらや握りたての寿司がいただけた。
おいしくてお腹いっぱい食べた。

ビーチでもレストランでもずっとひとりぼっち。
一人ぼっちには慣れているけど、
公美がいてくれたらどんなに幸せだろうって、公美のことばかり考えていた。
公美なら水着もとっても似合うし、
レストランでも一緒にお食事できるし
部屋に帰ればたくさんの時間の中でゆっくり抱き合うこともできる。
公美といろいろな沖縄の話をしたことなんかを思い出した。
「しげさんと一緒に沖縄にいける女の子は幸せね」といってくれた公美。
一緒に旅をできたら、一番幸せなのはぼくのほうだと思う。

ホテルにひとりでいても仕方ないと思ったので
車で沖縄市の道場まで行ってみたが、金曜日の夜というのに誰もいなかった。
仕方ないのでスーパーに立ち寄って少し買い物をしたあと
ホテルに戻ってマッサージを呼んでしてもらって、テレビなどを見て寝た。

翌朝はまだ泳いだ疲れが残っている感じでだるかったけど
もうひとがんばりと思い切って午前中の海で泳いだら、気分がよくなった。
海が大好きなんだなあって思った。
時間ギリギリまでホテルで粘ってからチェックアウトして那覇への帰途についた。
一昨日にあいとも行った、北谷によって観覧車に乗ったり、
ブルーシールでアイスクリームをいただいたり。
那覇に戻ってからは天久新都心(おもろまち)のスーパーでおみやげを買ったり
昔行った食堂を訪ねてごはんをいただいたりした。

そして自分が学生時代に住んでいたアパートを訪ねてみた。
表札を見ると、やはり内地からの学生さんが住んでいるようだった。
それほど雰囲気も変わっておらず、部屋の前まで行くと懐かしかった。
ドアを開けたら、なんだかあの頃の自分が中からでてきそうだった。
克友や、まりこや、はるみや、ゆみが、来てくれたときのことを思い出した。
自然に涙がこぼれてきた。

あの頃の自分に会えたなら、道を間違えないように教えてあげたい。
別ればかりのこんな悲しい道に進まないように、教えてあげたい。
でもあのころのまだ未熟ながら一生懸命がんばっていた自分に
励ましの言葉もかけてあげたいと思った。
それから、懐かしい場所をいくつかたずねてみて
そしてまりこに連絡をとってみたいと思い電話をかけてみたが
やはりつながるはずもなかった。
那覇の図書館を訪ねて、克友が亡くなった前後の
新聞記事や観戦記などを見たりした。
観戦記を書いている奥原さんにも、愛弟子だった克友の死への
複雑な思いが伝わってくるような内容だった。
昔の新聞の縮小版を見ていくと自分の将棋の観戦記はもちろん、
自分が執筆した観戦記などもあった。

図書館で古新聞を読み進めていくうちに飛行機の時間も近くなってきて
沖縄の旅はどうやら終わりになった。
もうこられないかもしれない沖縄に別れの挨拶ができたように思えた。
自分にとっては沖縄はいつまでも青春の夢の中にあるパラダイスのようなところだ。
ここで4年間をすごせて、本当によかった。

もし人生でひとつだけ神様が願いをかなえてくれるなら
くみと仲直りして、沖縄を旅したいと思う。
くみなら、青春のいろいろな痛みや悲しみを抱きとめて包んでくれる、
そう信じている。

# by shigeshogi | 2006-10-03 05:25 | 近況 | Trackback | Comments(0)

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