今回はくみっちのお話は1回お休み。
最近ふとしたきっかけで思い出した
心に残っている女性のお話をしてみたいと思う。
今回のヒロインのきりこさんと知り合ったのは
おととしの暮れのこと。
くみに出会う少し前の時期で、
公美と同じメール送信サービスがきっかけだった。
ぼくより5くらい年上の方で、
メールのテンポもよく、
すごくしっかりした丁寧な言葉使いのメールが特徴だった。
自分の詩集などをメールで送ってくれたりした。
きりこさんはとてもさびしい状況だったこともあって
仲がよくなるのも早くて、
割と早い段階で写真を送ってくれたり
名前や住所、電話番号なども教えてくれて
電話で話したりするようにもなった。
声はとても大人っぽくてすてきな声だった。
ところがクリスマスに会う約束だったのに
(行く店まで決めて、スペアリブを食べようと話を決めていたのに)
急に仕事が入ったということで(それは本当だと思うが)
あまりにもむかついてしまって一度メールは中断になった。
そして公美との出会いがあって、
そしてその2ヵ月後には早くも最初のお別れが・・・・
それであまりにも辛くて、
きりこさんに電話してしまったのが復活のきっかけになった。
落ち着いた素敵な声で、あせらずにぼくの話を聞いてくれたのだった。
それで、少しよりを戻して会ったりするようになったのだった。
きりこさんは生まれながらに病弱な人で
人生の3分の2が入院生活ということだった。
そういうこともあってか、感受性が豊かで
芸能関係の仕事をしていたりした。
一時期は仕事が順調で家賃60万だかの
お部屋に住んでいたこともあったらしい。
ただ仕事は年々苦しくなってきたみたいで
ぼくに出会う前年に、自分のうちで火事をだしてしまい
(推測だがおそらくは自殺未遂)
そのまま入院生活を余儀なくされたのだった。
そして退院後はほとんど収入もなく
生活保護を受けながら6畳1間のアパートで暮らし始めたのだった。
女性のひとりくらしなのに、お風呂も無く銭湯通い。
生活保護ということもあって、携帯もないのだった。
家の電話がかろうじてあって、それで話をしたのだった。
精神関係の薬の副作用などでけっこう太っていて、
60キロはある感じだった。
むくみとかもひどくて、風船のように丸い顔だった。
なかなか外出できない体なので会うときはいつも彼女のアパートだった。
初台のオペラシティから歩いて5分ほどの
ちょっと昔懐かしい商店街のそばだった。
新宿に近いのに、そこだけ30年前から変わらないような
神田川の歌の世界だった。
彼女のうちに行くときはいつも近くのスーパーなどで
食べるものを買っていった。
やきとりだの、お刺身だの、お菓子だの、そしてお酒だの。
そして、彼女はスープなどを作ってくれているときもあった。
ごはんを炊いていてくれたときもあったと思う。
二人でそれを一緒に食べて、CDを聞いたり、話をしたりするのだった。
いつも公美とのことで相談に乗ってくれたお礼に
初雪かずらの鉢を買っていってあげたこともあった。
初雪かずらは丈夫でかわいい植物なのだ。
きりこさんは作詞の仕事を手がけていて、
中でも「楽しいムーミン一家」のオープニングに使われた曲
(「おまじないの歌」)などは楽しい歌詞でとってもよかった。
(今回きりこさんのことを思い出したのはビッグローブストリームという
映像配信サービスでこの「楽しいムーミン一家」が配信されていたから)
他にもいくつかの歌手の曲や
CMソングなども手がけていてそれが一番のヒットだったようだ。
きりこさんのおはなしはたいていが過去の栄光のお話。
いつも昔の楽しかった頃のお話をしてくれた。
きりこさんは昔モデルもしていた人だった。
「きりこ17歳」というタイトルでアサヒカメラという
写真の一流誌にまでグラビアを飾っていた。
坂本龍一さんとのツーショットグラビアもあった。
とっても細くてちょっとエキゾチックな顔立ち。
現在のきりこさんからは想像できないような感じだった。
きりこさんは少しぼくのことを好きになっていたんだと思う。
でも自分はきりこさんの部屋に二人きりでいても
迫ったりすることはなかった。
公美とまだメールは続いてるころだったし、
体が弱かったきりこさんの
壮絶な人生を受け止めてあげる自信もなかった。
でもある日の帰り際「それじゃあね」ってぼくがいうと
きりこさんはついにアクションを起こした。
ぼくとの距離をちょっとつめて、そしてぼくの目をまっすぐ見て
「しげさんともうちょっと仲良くなれたらいいな」って言ったのだった。
ぼくはいたたまれなくなってしまった。
それからなんとなく彼女へのメールに返事が出しにくくなってしまった。
それでも彼女は何通か続けてメールをくれたので、
電話をかけたらたまたま忙しくて話せないという状態だったので
結局メールで「友達以上にはなれないと思う」と伝えた。
その後も2通彼女からはメールがきたけどそれでメールは途絶えた。
それが最後だった。
きりこさんは人生の哀歓を感じさせてくれる女性だった。
過去の栄光にすがりながらも、その一方で
弱い体で一生懸命できる仕事を探し未来を切り開こうとしていた。
栄光と挫折を知った、ちょっと大人の女性だったと思う。
今も彼女が健康に恵まれて幸せな毎日をすごしていることを
心から願っている。