(宮古島とりなの話の5話目
1話目は2月2日、2話目は2月3日、3話目は2月17日
4話目は2月21日のブログ参照)
旅にでると感情が増幅されるように思う。
宮古島での3日目、最後の日は明け方目が覚めて
なんとなくさびしい気分になってまた抱き合った。
朝は前日とはかわって普通のホテルの朝ごはん。
バイキングだし、しかもたいしたことはない。
同じバイキングでもホテルによって雲泥の差だけど
アトールエメラルドは可もなく不可もなく。
それから最後のドライブに出かけた。
今度は宮古島を東へ東へと。
東平安名崎が近づくにつれて、
例によって電線が切れて地面に垂れ下がったり
倒木がそのままになっているような場所も見かけられた。
前日よりも雲がでていて、風が強い日だった。

東平安名崎は美しい岬だった。
ここから見る景色は昨日までみた、
エメラルドグリーンに光る沖縄らしい海というより
打ち付ける波が力強い、内地の海に近いイメージだった。
海の色も濃くてコバルトブルーだった。
街で少し買い物などをして、ガソリンを給油して
昼過ぎに空港についてレンタカーを返した。
沖縄の道は海風が強いので2,3日でも
目いっぱい走らせればけっこう車は汚れてしまうものだ。
りなは空港で飛行機をまっているあいだ
病院の仲間たちへのお土産を手荷物いっぱい買っていた。
一方ぼくは手ぶらに近い。
りなは旅の非日常が終わりに近づいて
少し日常の現実に意識が戻ってきているみたいで
手をつないだりするのを躊躇するようになった。
夢は終わりが近づいていた。
帰りの飛行機の中では疲れていてすぐに眠ってしまった。
気がついたら、沖縄本島に到着するところだった。
那覇空港でりなと別れがきた。
別れ際は実にあっさりしたものだった。
涙も、お別れのキスも、特別な何もなし。
りなもきっと疲れがたまっていたのかもしれない。
ぼくはまた会おうね、と抱きしめたかったけどかなわなかった。
夢の終わりはあっけなかった。
那覇の空港で、宮古そばを食べながら待っているうちに
東京へと戻る飛行機の時間になった。日常が戻ってきた。
その後、宮古島東急リゾートからは宿泊費の返還分として
2万円の現金書留が送られてきた。
お礼のメールを送ったら、
ぜひまたいらして美しい状態の宮古島と東急リゾートをお楽しみ下さい
という返事が来た。
またいつか大好きな彼女を連れて、宮古島を訪れたいと思った。
宮古島でなくした財布はついにでてくることはなかった。
今も南の島のどこかにあるのだろうか?
りなとはその後メールを数回したり、電話で2回くらい話した。
もう一度沖縄に行きたいという話をしたが
気になる人がいるといわれてはぐらかされてしまった。
一期一会。
でも美しい宮古島と、やさしかったりなはセットになって記憶に残った。
いつか、自分が歳をとってベッドから起き上がれなくなるとき、
刑務所で孤独で長い時間をすごすとき、
精神病院のベッドで拘束されて身動きもできなくなったとき、
きっとりなのことをまた思い出すだろう。
人生でもっとも楽しかったいくつかの思い出のひとつとして。