2006年 02月

誕生日 [2006-02-27 03:27 by shigeshogi]
上野の思い出 [2006-02-22 04:29 by shigeshogi]
宮古島ラブストーリー 4.美しい砂山ビーチ [2006-02-21 06:01 by shigeshogi]
宮古島ラブストーリー 3.宮古島の夜 [2006-02-17 05:27 by shigeshogi]
旅に出ていました [2006-02-14 23:45 by shigeshogi]
大城克友君を悼む [2006-02-09 20:03 by shigeshogi]
プラネテス [2006-02-07 05:35 by shigeshogi]
宮古島ラブストーリー 2.宮古島の思い出 [2006-02-03 06:13 by shigeshogi]
宮古島ラブストーリー 1.旅立ちまで [2006-02-02 04:13 by shigeshogi]
今回は近況を軽く [2006-02-01 07:56 by shigeshogi]

誕生日

今日は33回目の誕生日だ。
最低の誕生日。
こんなひどい世界に苦しむために生まれてきてしまった。


去年の誕生日は幸せだった。
1日遅れの28日ではあったが、
公美がお祝いをしてくれたのだった。
公美はわざわざ美容院で髪の毛をセットしてからきてくれて
二人で一緒にコルトンプラザに行った。
コルトンでお店をいくつも回って、何度も試着したりして
(着させてくれたりもした)すてきな服を選んでくれたのだった。
1万円以上する革ジャンや、5千円以上するシャツだった。
金額もさることながら、いろいろ服を見立ててくれる公美の
やさしい笑顔でぼくはこの世に生まれてきたことを感謝した。
一生懸命まじめに生きてきてよかったと思った。
こんな最高の彼女を連れて誕生日を過ごせる自分が誇らしかった。
今までの苦しみはこの人に出会うための試練だったんだって思った。

これから先、公美を大切にしてがんばって仕事をしていけば
きっと幸せな未来が待っていると思っていた。
公美と結婚して、2人で暮らせる小さなおうちを建てて
愛し合いながら楽しくのんびりと暮らせると信じていた。
この世に生まれてきたことと、神様に感謝した、
人生で最良の誕生日だった。


どうして、公美は、この世界は、
一生懸命な、ささやかな願いを簡単に裏切るんだろう。
この世界には何の価値もない。
みんな死んでしまえばいい。

いつもこんなに苦しんで、こんなにがんばって生きているのに
何にもいいことなんかない。
本当に何もかもがむかつく。腹が立つ、憎らしい。
公美と一緒に死んでやりたい。

# by shigeshogi | 2006-02-27 03:27 | 近況 | Trackback(1) | Comments(0)

上野の思い出

今回はジェンカ、mixiと共通ブログ。
だけど、こっちは本音ブログなのでプラスワン。

写真のパンフレットのコンサートを聴いた夜、
公美はステージの上からぼくを見つけてくれた。
そして芸大から歩いて数分のお部屋にぼくを泊めてくれて
その美しい体で抱きしめてくれたのだった。

*****************

東京という街はたくさんの街の集合体だ。
東京の中のひとつひとつの街が
日本のほかのたいていの街よりも大きい上に
それぞれに個性的で特徴があるのだ。

大正ロマンを思い出させる銀座に
人の流れの中心の新宿。
若者の渋谷に、外国人の池袋。
サラリーマンの新橋に、官庁の霞ヶ関。
お台場は現代的だし、六本木はセレブなイメージだ。
そんな中でぼくにとって
もっともなじみ深いのは上野の街だ。

上野という街はホームレスの拠点になっている上野公園や
ドヤ街なども近くきわめて下町な部分と
美術館や博物館、東大や芸大など山の手の部分が
渾然一体となっていて、そこが大きな魅力だ。

この街にはたくさんのご縁があり、思い出が多すぎる。
谷中墓地には祖父が眠っているが
亡くなる前年、その祖父を連れて墓参りしたときがあった。
その日は風がとても強く、桜吹雪が舞い散っていた。

西郷さんの前で初めて出会った最愛の人もいる。
芸大に通うその人のことをずっと思い続けて
この1年がすぎたけど未だに忘れられないでいる。

上野にあった将棋クラブでバイトしていたこともあった。
幼稚園の遠足で来たときのことも覚えている。


書ききれないたくさんの思い出の中でも
一番昔の話のひとつを今回は紹介。

上野の博物館では何年かおきに「恐竜展」が開かれるが
自分が4歳のときのそれは日本に恐竜ブームを巻き起こした。
夏の暑い日、それを見に行くことになった。

4歳の自分と3歳の上の妹が父に連れられて上野に行った。
博物館は長蛇の列に取り囲まれていた。
おそらく1、2時間の待ち時間のはずではなかったか?
行列は長いので、途中でいったん通行人を通すための
通り道が設けられていた。

そして、通り道が開放されて行列がいっせいに進むそのとき
父は妹を抱っこしたまま「こっちだ」と手を引いた。
そして、自分が進む方向だと思っていたのと違う列に入った。
自分は父について行って進んだが、そのとき気がついてしまった。
父はどさくさに紛れ隣の列に割り込んだのだ!
自分は何も言えなかった。

恐竜展は入り口のところに大きなティラノサウルスの骨格標本が
おいてあったことと、アンモナイトの化石が売られていることに
びっくりしたことぐらいしか覚えていない。
でも自分はずっと「父がずるをした」ということが記憶に残っていた。

それから20年以上の月日が流れ、
自分も大人になったあるとき、母とそのことを話すことがあった。
そして母はそのときの事情を教えてくれた。

ちょうどそのころ、母は下の妹がお腹の中にいて
そして夏の暑さで母が参っていたのだった。
今のようにエアコンなんかはなかった時代だ。
それで父は母を休ませようと自分と妹を連れて上野にでたのだ。
母は「それでどんなにか助かったことか」と言った。

父がひとりでこどもをどこかに連れて行ったのは
後にも先にもそのとき一度きりのことだった。
思えば、父はあのとき30歳だったはず。
今の自分よりももっとずっと若いときだったのだ。
仕事は忙しく、週に1度父の顔を見るかみないかという毎日で
日曜日といえども仕事にでていることが多かった。
2人の兄妹とお腹の中のこどもを抱え、
父も母も限界ギリギリだったのだろう。

良い悪い、を言いたいのではない。
そのときのできごととあとから知ったその背景が
上野の街とともに記憶に残っている。

最近、仕事をやめたこともあって週に3、4日くらい
御徒町(上野の隣)の将棋センターに通っている。
つくづく上野は自分に縁深い街だと思う。
愛すべき小汚い街。

***************

と今回この上野の話を書いたのは
来月公美のコンサートが上野公園内にある旧奏楽堂で行われることを
ネットで発見してしまったから。
行きたい、行って公美の音楽を聴きたい・・・
でもそうしたら、また大騒ぎになってしまうだろう。

だけど、その機会を逃したら、いったいどこで公美に会ったり
話しかけることができるというのだろう。
人生を捨てる覚悟で行くべきか・・・・
せめて公美と話すことができれば、いいのだけど。

2月は仕事をやめて一息ついて小康を得た月だった。
来月は決断と試練の月になりそうだ・・・

# by shigeshogi | 2006-02-22 04:29 | 近況 | Trackback | Comments(0)

宮古島ラブストーリー 4.美しい砂山ビーチ

(宮古島とりなの話の4話目
1話目は2月2日、2話目は2月3日、3話目は2月17日のブログ参照)

宮古島での2日目のお話。
この日はすばらしい快晴だった。
もう9月半ばだったが、海に入りたいと思った。

ともあれ、ホテルをチェックアウトしドライブに出る。
宮古島の北の端っこを目指す。
池間大橋という橋を渡って池間島に行くことができる。
景色は美しく、さとうきび畑が多い。海はエメラルドグリーンだ。

前日通った来間大橋も壮大な大きさで美しかったが
こちら池間大橋もすばらしく立派な橋だ。
おそらく一日数十台しか車は通らないであろうこの橋に
いったい何億円ついやしたのだろうと思うがまあ我々はそこを通るだけだ。

ドライブを楽しんだ後は沖縄で一番という評判もある砂山ビーチを訪れた。
砂山ビーチはその名の通り、砂の坂を登ってビーチに出る。
駐車場で車を止めて、そばのシャワールームで水着に着替え
ビーチサンダルで坂を登って行くが砂に足を取られて登りにくい。
砂山はかなり急で、しかも砂は南国の太陽熱で熱くなっている。
しかし、砂山を登りきると目の前にエメラルドグリーンのビーチが広がる。
自分たち以外にほんの2,3組しか人がいない。
自分たちだけの海がそこに広がっていた。

岩が侵食されてできた天然のトンネルの下に荷物をおいて泳ぎ始めた。
りなは「私は波打ち際で遊ぶから」と言って最初は見てるだけだったけど
自分が海で泳いでいるのを見て「やっぱり私も泳ぎたい」
といって水着に着替えてくると行って車に戻った。

入り江の奥に位置するビーチなので波はおだやかだった。
砂の目は細かくて足にも滑らかで美しかった。
りなと二人で波とたわむれた。
ときどき、小さな熱帯魚が泳いでいるところも見られた。
波打ち際でコンビニで仕入れてきたポークのおにぎりとお茶をいただいた。
穏やかで楽しい海辺の時間だった。
りなも思い切りはしゃいでくれて笑顔がまぶしかった。

さて、それから事件は起こった。
砂浜の荷物のところにもどり、荷物を見るとどこを探しても財布がない!
他のタオルとかデジカメとかそういうものは全部残っているのに
旅行ということで10万円近くを入れてあった財布がどうしてもないのだ。
車に置いてきたのかもと思い、
坂を2往復して車とビーチを調べ、
さらに最後にお金を使った池間大橋のところの売店まで戻って探したが
どうしても財布は見つからなかった。
おそらく砂浜で置き引きにあったのだ。

我ながらうかつだった。
宮古の警察署に一応届けたが、見つかるわけもなく
また旅行の保険会社にもあたったが、ついに保険が降りることもなかった。
一文無しになってかなりがっかりした。
免許証もいろいろなカード類もみんななくしてしまった。
でもりなが1万円カンパしてくれたので、
なんとか気を取り直して旅行を続けた。

その後菊の露酒造に立ち寄ったり、おみやげ屋さんを見た。
宮古人頭税の石柱も見た。
宮古は琉球王国の時代、王府に逆らったことで重税を課せられ
その石柱よりも背が高くなった人間には人頭税が課せられたのだ。

そうこうしているうちに夕方になりホテルに向かった。
その日泊まることになった「アトールエメラルド宮古島」も
宮古島では良いホテルとして知られているが平良市の中心部の近く
平良港の目の前に位置していることもあって
リゾート色の強かった「宮古島東急」に比べると
シティホテルの雰囲気が強かった。
各離島や沖縄本島、台湾などとの航路がある宮古の港には
とてもたくさんの船が出入りしていてにぎやかだった。

ホテルには「歓迎宮古島災害復興ボランティアの皆さん」とでていて
実際、台風の被害からの復旧作業の人々大勢受け入れて
またその拠点になっているようだった。
ただ宮古島で一番の高層ホテルのこの建物の上のほうの階では
まだ割れたガラスのあとにビニールを貼り付けて
応急手当がしてあったり、台風の爪あとはまだまだ残っていた。

ホテルの部屋は東急よりもやや狭かったが、まあ平均的。
港の様子がよく見えた。
海で泳いだのでシャワーを浴びることにしたが
かなり日焼けしていて、お湯はかけるのがいやだった。
水でシャワーを浴びるのが心地よかった。
りなはさすがにウチナンチュだけあって日焼けには強く
そんなに焼けた感じでもなかったようなのだが・・・

テレビで昔懐かしいアニメなどをやっていたので
二人でそれを眺めて、そのあとまた抱き合った。
昼間の疲れもあってそのまま2人とも少し眠ってしまったと思う。

目が覚めるとすっかり暗くなっていて
お腹がすいてきたということでホテルのレストランに行った。
沖縄ツーリストがお詫びということでディナーをつけてくれたのだ。
アトールエメラルドの3Fの和食レストランで
懐石料理風のお膳をいただいた。
ホテルのディナーということでちょっと高級な感じだったが
ボリュームも少なく、味もちと微妙な感じがした。
イラブー(海蛇)入りのスープはちょっとおいしかったけど。。。

コンビニでお酒などを仕入れて二人で少し飲んだ。
りなといろいろなお話をした。
恋愛のことや、仕事のこと。将来のこと。
お互いの携帯の画像とかを見せ合ったり、
着メロを流したり、小さいころ歌った歌を口ずさんだり
最後はもう一度抱き合って、宮古島最後の夜は更けていった。

今回のお話はここまで。
ハプニングがまたあったが、今では思い出話。
美しい砂山ビーチとりなの笑顔がより心に残った。
次回がたぶん最終回となる。

# by shigeshogi | 2006-02-21 06:01 | 出会い | Trackback | Comments(0)

宮古島ラブストーリー 3.宮古島の夜

(宮古島とりなの話の3話目
1話目は2月2日、2話目は2月3日ブログ参照)

宮古島とりなのお話を再開しよう。
前回は台風の爪あと残る宮古島に到着し、
なんとかホテルに泊まることができるようになったところまで話した。

前浜ビーチでサンセットを眺めたりなと自分は部屋に戻った。
部屋は普通のツインだが、一般に作られた時期の古いホテルほど
狭い部屋になっているのが普通だ。
バブル以降、外資系のホテルがどんどん日本に進出してくるにつれ
国内のホテルも部屋を広くするようになってきた。
宮古島東急リゾートはその建てられた年代を考えれば
かなくゆったりした部類だと思う。
高層ではないが、窓からは海が眺められゆったりしている。

お風呂もちゃんと使えるのでシャワーを浴びて
浴衣に着替えてベッドで寝転んでテレビを見ていたら
りなもお風呂に入ってくるということなので
入っているあいだにティッシュペーパーの位置を
ベッドサイドに置いたり、持参のコンドームを出したりして
テレビを消してりなが来るのを待った。
部屋はすでに暗くなっていたのでカーテンも閉じた。

お風呂から出てきたりなは浴衣には着替えなくてもってきた別の服だった。
ベッドの端に腰掛けたので「浴衣を着ないんだ」
とか話しかけながら、りなの隣に行った。
「宮古島はどう?」とかいろいろ話をしながら
まだ少し湿っているりなの髪の毛をいじる。
りなの上体をベッドに倒して、体をいろいろ触り始めたとき
「生理中なのよ」とりなが言った。

何でこう間が悪いのかと思うのだけど、よくあるパターンで
仕方ないこととはいえ本当にがっかりしてしまう。
でも今回はりなが助け舟を出してくれた。
「嫌じゃないの?」とりなが聞く。
したい一心でぼくはうなずく。
「じゃあこれを敷こうと」とりなは言って、
部屋にあった大き目のバスタオルをベッドの上に敷いた。

りなはぼくを受け入れてくれた。
とってもおとなしいセックスだった。
今まで自分が抱き合った人の中で、一番おとなしい。
大きな声も出さず、大きなリアクションもしない女の子だった。
唯一、入っていった瞬間に少し声が漏れたくらいだった。
それでもりなと抱き合えてぼくは満足だった。
時間をかけてゆっくり抱きしめた。

終わったあとりなは血で汚れたシーツを洗いはじめた
「ぼくはいいよいいよやるから」と言ったけど
りなは構わずシーツを洗った。
看護婦の仕事で「こういうのは慣れている」と言った。
なんだか悪いような気がして申し訳なかった。


翌朝目を覚ますとりなはもう起きてテレビを見ていた。
朝食はホテルが用意してくれることになっていた。
普段はバイキング形式なのだろうけど
その日は何しろホテル休業のはずの日なので
どうなるんだろうかと思ったのだが
開放的で気持ちのいいレストランに行ってみると
30センチ四方(高さは5センチほど)くらいの大きさの
漆器のお弁当箱のようなお膳に朝食が盛られていた。
和食、洋食、琉球料理などがいろいろ取り混ぜてあってボリュームも十分。
フルーツの盛り合わせも入っていたり
ごはんや味噌汁のおかわりを持ってきてくれたり満足な内容だった。

その後、りなとふたりでホテル内の遊歩道を散策してまわったが
台風であちこちの木が倒れていたりして
係員の人が掃除をしたり、木の植え替えなどの作業をしていた。
それでも亜熱帯の珍しい植物がたくさん見られ気持ちよかった。

ホテルをチェックアウトするとき、
やはり料金は返してくれるということで後日現金書留で送るという。
正直そこまでしてもらっては申し訳ないくらいのもてなしだった。

宮古島の2日目は島内をドライブすることだったが
幸い天気はすばらしい快晴になった。
その話はまた次回。

# by shigeshogi | 2006-02-17 05:27 | 出会い | Trackback | Comments(0)

旅に出ていました

4日ほど旅にでていました。
新潟と群馬で3泊4日。

新潟ではジェンカで知り合った女の子にあってきた。
今回会ってきたえりこちゃんとは最初は互いのページに
コメントをつけあうような感じから、
ジェンカのフレンドになっていった。
そのうち会おうという話になってきて今回実現にこぎつけたのだ。

会うという話が具体的になってきてからも
実はそれほど期待していなかった。
というのは彼女は同じ年で32歳とけっこう年齢がきていたし
遠距離ながら一応彼氏がいるというとのこと。
だから本当にはるばる新潟に出かけて会うほどなんだろうか?
と考えてしまったときもあった。
しかし人生何があるかわからないし、
チャンスをみすみす捨てることもないだろうと思って準備を進めた。

会うのが近くなってくると本名を教えあったり
電話で話したりもするようになったが話すと声はかわいいし、
すごくフレンドリーでやさしい感じなのでとてもドキドキした。
そして、会う前日写真を送ってくれてそれがあまりにも
かわいらしかったのでとってもびっくりした。

新潟には父方の祖母の実家があって、親戚がけっこういる。
それとゆみ(7月13日、7月23日のブログ参照)
と付き合っていたとき何度か行っているので比較的縁のある場所だ。
とはいえ、うちの親戚やゆみは新潟に入ってすぐの
小千谷とか小出あたりだったので、
新潟市まで足を伸ばすのは実に中学生のとき以来のことになる。

500円で行けるワンコインバスなどいろいろな選択肢を探ったけど
結局一番当たり前に新幹線で行くことにした。
新幹線はさすがに早く、上野を出発して
お弁当を食べ終わってうとうととしていたら、
もう関越トンネルのなかで越後湯沢に着くところだった。
湯沢のあたりは一面の雪。
雪下ろしをしていないと思われる屋根の上には
ひとめ3メートル以上という感じで雪がつもっていた。

ゆみとホームでキスしたこともある浦佐は通過。
長岡、燕三条と進んで行くとあたりはほとんど雪はなくなってきて
最後新潟に着いたときにはまったく雪はなくなっていた。
えりこさんに「なんだ雪なんて全然ないじゃない!」
と文句言ったらかなり受けてました。

新潟に着いて駅前の将棋道場をちょっと様子見してから
いったんホテルに行って荷物を置いて、風呂に入る。
ホテルは日航新潟というところで最新のところで
とてもきれいでまた高層なので窓からの眺めも最高だった。

新潟駅でえりこちゃんとはじめて会った。
落ち着いているのにかわいらしい服装や、ちょっと声が高くてかわいい話し方が
32歳とは思えないほどすてきでドキドキした。

駅から歩いて数分のところにある
新潟の地のものをいろいろとおいてある居酒屋さんに案内してもらった。
そこで銘酒「八海山」「久保田」などをいただき
新潟の刺身の船盛りなどをいただいた。
彼女もけっこう飲んでくれてうれしかった。
そんなに高い店じゃないけど、味はよく、店は活気があった。
彼女はせっかく来てくれたんだからとご馳走してくれた。
やさしくしてもらってうれしくてたまらなかった。

それからカラオケ屋さんに行って、一緒に歌った。
ここでもお酒を飲み、デュエットしたり、ツーショットで写真をとったり
1時過ぎまで遊んだり、個人的なことをいろいろお話したりもして楽しかった。
彼女にホテルにきてほしいと言いたかったけど翌日も会いたかったし、我慢した。
あまりにも素敵だったので、強引に迫って
1日で終わりにしてしまうわけにはいかない、って思った。

翌日は彼女が車を出してくれてドライブした。
新潟のサッカー場ビッグスワンや海辺のアイスクリームショップ。
そして海岸沿いの道を走って、寺泊漁港の海産物市場までいった。
この寺泊は遠い昔にゆみとドライブした場所でもあったけど
そのころと何もかわらない雰囲気だった。

ずっと一緒にいても話しが尽きなくて、楽しかった。
これぐらい一緒に楽しくいられる女性は今までの人生でも
5人くらいしかいなかったんじゃないかと思った。
新潟駅で別れるときに、有名なお漬物のお店に行って
高級なおつけものをいくつも買ってもたせてくれた
なんかうれしくなって涙が出そうになってしまった。
別れ際手をとってキスをしたら、
彼女はちょっとびっくりしたみたいだけど受けてくれた。


それから新潟の駅の近くにある将棋道場を訪れ、
地元強豪と対局した後、ラス前の新幹線で群馬に移動。
大学生のとき、千葉に住んでいて将棋仲間だった友達が
群馬の実家に住んでいるのでそこを訪ねた。
夜中の10時過ぎだったけど、駅まで迎えに来てくれて歓迎してくれた。

彼は将棋のつてで、将棋団体日本一を目指している会社に
就職して、会社を日本一に導いたものの
体調を崩してしまい、群馬の実家に帰っていた。
今ではパチスロ生活だが、将棋で培ったデータ分析能力を生かして
毎月50万ほどの稼ぎとのこと。
実際彼の財布にはいつも分厚い1万円札の束が入っている。

彼のうちは面倒見のいい彼の性格を慕って
強豪や奨励会員(プロ修行の人)が続々集まって
さながら会員制の道場のようになっている。
広い彼の部屋には数千冊の将棋の本やら
将棋のデータベースのパソコンやらもあって
しかも来訪者をただでは帰さない歓待ぶり。

2日間みっちりお互いの最新研究を明かしあい
夜には酒を飲み、群馬の上州牛の焼肉をご馳走してもらい
また人生や将棋、女のことなどについて語り合った。

昨日の夕方、快速電車で1時間半かけて上野に戻ってきた。
道々、旅のことを思い出し、やさしくてかわいかったえりこちゃんのこと。
彼女には彼氏がいること。
でも新潟を去ってからもメールは続き、また会いたいと言ってくれたこと。
遠くなく東京を案内してほしいと言ってくれたこと。
そんなことをいろいろ思った。

上野の駅では向かいのホーム公美のところへ向かう特急ひたちが見え
また公美と初めて会った西郷さんの像も見えると
急にさびしくなってしまって、家路を急いだ。
旅の終わりはいつもものさびしい気持ちになる。
たったひとりでいいから、
安心して思い切り心を預けられる女の子がいてほしい、と切に願った。

# by shigeshogi | 2006-02-14 23:45 | 近況 | Trackback | Comments(0)

大城克友君を悼む

私的には大きなニュースが入ってきたので今回はその話。
自分の沖縄時代の一番の親友であった大城克友君が亡くなった。
いつも巡回しているインターネットの将棋関連の掲示板で
それを見たときには我が目を疑った。
知人に確認してみて彼が自殺であることを知った。

2006年2月2日没。享年28歳。

自分が学生時代沖縄にいたとき彼はまだ10代だったが
(最初に会ったときはたぶん19歳)
すでに国民平均の一生分の酒は飲んでいたんじゃないだろうか?
彼が初めて県代表になったぐらいのころで
まさに充実期を迎えようとしていたところだった。
今のようにインターネット将棋も普及していない時代
彼とは沖縄で千局以上の対局をしただろう。

初めて彼と対局したときのことをよく覚えている。
沖縄に行ってすぐの時期、那覇の将棋道場だった。
将棋は私が優勢だったが、終盤妙手を指されて負かされた。
盤面を大きなスケールで見て、
人の気がつきにくい筋に気がつく才能型の将棋指しだった。
すぐに仲良くなって、うちで将棋を指したりするようにもなった。

私が沖縄ではじめて優勝した沖縄最強戦では彼が決勝の相手だった。
当時は彼のほうが強かったのだが、
決勝で当たった時点ですでに勝った気分でいて
知人に「勝ったらヘネシー開けてくださいよ」とか言ってる。
そういうところが彼の甘いところだったが、
いいところでもあり、彼はいつも酒の席の人気者だった。
歌もとてもうまくカラオケではいつも古臭い歌をうまくうたった。
結局優勝を逃がした彼だったが、
結局残念会ということでヘネシーは開けてもらっていたように思う。

プロのいない沖縄では将棋の強かった我々はいつも歓迎され
沖縄のあらゆる将棋関係のところを回って
いつもタダで飲み食いをさせてもらっていたように思う。
そういうことで彼とは島中をドライブして回った。
石垣島に将棋大会を兼ねて旅行したこともあった。

彼とは自分が沖縄から帰ったときのいざござが原因で
(11月23日ブログ参照)しばらく疎遠になっていた。
しかし、インターネットなどでお互いの活躍は気にしていた。
彼は沖縄代表に何度もなって、全国大会で名だたる強豪を何度も倒していた。

昨年、沖縄の青年がプロを目指すために東京に出てきていて
彼と友達になったので、その縁で克友との縁も復活した。
ときどき電話で話すようになった。
彼もまた私のことを知っていて、
将棋の成績や結婚したことまで知っていた。
別れたことまでは知らなかったようだが・・・

最後に話した去年の暮れには
「東京に出たい。いい仕事はないかな?」という話をしていた。

彼はプライドをうちに秘めて、酒で紛らわすタイプだった。
いつも笑顔の表情の裏側にいつも影がある人だった。
仕事が続かず、飲みすぎて体を壊すこともあった。
彼が敬愛した師匠奥原忠吉さんもそうだし、
そのまた師匠の小池重明氏(有名な真剣師。最後は自殺した)
と同じアウトローの古き良き真剣師(賭け将棋指し)
の系統に連なる最後の一人だったのではないだろうか。
将棋も型にはまった将棋を嫌い、
早指しが得意で終盤に独特の感覚をもっていた。
酒を飲んでも指し手に乱れはなかった。

何もない自分の人生を将棋で飾った男。
大城克友五段の死を悲しむ。

私がそちらに行く日もそんなに遠いことではないように思う。

# by shigeshogi | 2006-02-09 20:03 | 近況 | Trackback | Comments(0)

プラネテス

宮古島の話は、一時お休み。
今回は近況を少し。

2月に入ったが、状況は相変わらず。
将棋ばかりやっていて、一日10時間くらい対局したり勉強したり。
トーナメントで2回ほど勝って賞金を稼いだりした。

先週の金曜日(2月3日)は久しぶりに楽しかった。
マイミーオ(11月18日のブログ参照)に再会したのだ。
金曜日は師匠がやっている将棋の研究会に参加している。
マイミーオが今度、その一門に入ることになって研究会にもやってきたのだ。
研究会で対局することはなかったが終わった後
食事に行って、帰りは車に乗せて送って行くことができた。
いろいろな話もできたし、悪い感じではなかった。
まあ、しばらくは様子見かな・・・

2月5日にはこっちゃんと新宿でお食事。
彼女を沖縄に誘うが、反応はいまいち。
楽しかったけど、帰り道にはさびしくなっていた。


昨日2月6日は一年前に公美がうちに遊びに来てくれた日。
あの日には部屋をピカピカに掃除して彼女を迎えたものだ。
バッハのCDをBGMに居間からお風呂、トイレ、廊下。
それからお布団を干して、ケーキを買いに行ったり。
うれしくて、うれしくて、うれしくて。

一緒にプラネテスというアニメをみたり
コーヒーを入れて、紅茶シフォンケーキを食べたり
抱き合ってシーツを血まみれにしたり、
一緒にお風呂に入ったり。
その日の思い出はその日のまま。

そのことをずっと考えていたからか、ずっとなんだかだるい。
昨日は明け方の4時くらいに寝たのにずっと変な夢を見続けた。
おいかけても追いかけてもおいつけない公美。
夢の中でもさびしくて、ずっと叫び続けていた。

2時まで10時間くらい寝たのに、起きた後も眠かった。
結局夕方また眠くなって寝たら、夜の11時くらいまで寝た。
今もなんとなくだるくて、あの日公美と一緒にみた
プラテネス」をまた流しながらこのブログを書いている。

ちっとも進まないので、このあたりで終わりにする。


追記
プラネテスは近未来SF作品。原作はコミックでNHKがアニメ化した。
SFといっても近い未来なのでとてもリアルな感じがある。
環境問題や南北問題、平和の問題などがソフトに織り込まれていて
それでいて人間のドラマとして大げさでないのにとても上手に描かれている。
表現方法も個性的だが洗練されていてとても美しい。
機会会ったら見てくださいね。

# by shigeshogi | 2006-02-07 05:35 | 近況 | Trackback | Comments(0)

宮古島ラブストーリー 2.宮古島の思い出

(宮古島とりなの話の2話目。1話目は2月2日ブログ参照)

那覇空港で降り立った自分をりなは待っていてくれた。
到着ロビーをでてすぐのところにいる人待ち顔の
沖縄顔(ウチナージラー)の女の子。
「りな?」と声をかけるとうなずいた。
写真も何も見てなかったけど、やはりわかる。
りなは小柄でちょいぽちゃ。
でも嫌いな顔立ちじゃなかった。

「本当に会うまで、半信半疑だった」とりなは言った。
そうだろうなあ、って思った。
「宮古は台風ですごい被害みたいなんだけど、大丈夫なのかな?」とりな。
「いや、旅行会社からも何の連絡もないし、飛行機も飛んでいるから
大丈夫だと思うよ。」とあくまで楽観的な自分。

那覇でりなの車を預けてきたり、用事をすませると
さっそく宮古に行く飛行機の時間。
JTA(日本トランスオーシャン航空=JALの子会社で
主に沖縄の離島便などを運行)で宮古に向かった。
JTAのB737は小さいがいつもけっこう混んでいてせまくるしい。
しかしコーラルウェイという機内誌が旅のムード満点でけっこう楽しいし
またCD(キャビンアテンダント、いわゆるスッチー)も
かりゆしウェア(沖縄の服、アロハっぽい)を着ていたり
またBGMに沖縄民謡がかかっていたりして
民謡の話などをりなとしているうちにすぐに到着という感じだった。


宮古島
沖縄県で、沖縄本島、石垣島についで、3番目に大きな島だ。
で、あるにもかかわらず自分は沖縄在住中
この島を訪ねたことがなかった。

この島のイメージにはいろいろなものがある。
スポーツの好きな人ならば、マリンスポーツや
宮古島トライアスロン大会を思い浮かべるだろう。

お酒の好きな人なら、沖縄を代表する泡盛のブランド
菊の露」を思い浮かべるかもしれない。
またオトーリという杯を回してみなで酒を飲む
風習を思い浮かべるかもしれない。

歴史文化に造詣の深い人なら宮古島人頭税や海外移民の歴史、
あるいは遠洋漁業の基地というようなことを思い浮かべるかもしれない。

またリゾートといえば沖縄を代表する2つのビーチがここにはある。
砂山ビーチと前浜ビーチで、沖縄のビーチは一般に砂が荒いところが多いのだが
ここは滑らかで景色も美しい。

宮古空港を降りるとレンタカーを借りる手はずになっていたが
料金があらかじめ提示されたものと違うなどいかにも沖縄流だったが
交渉の末、言い分が通った。
また沖縄流でしばらくまたされたあと
駐車場に案内されるとパプリカオレンジのマーチ
沖縄には原色が似合うのでうれしくなった。


早速もらった地図を片手にまずは腹ごしらえに出かける。
宮古の大部分を占める平良市の中心部へと向かった。
ガイドにも乗っているおいしいというそばやさんを訪ねる。

宮古そばは基本的に沖縄そばと同じだが俗説として
そばの下に具を隠すようにいれる、といわれている。
まあ、実際にはそういうところは少ないようだが
これは琉球王府時代の名残で税金が重かったので
少しでも質素に見せるためにそのようにしたといわれている。
自分たちが向かった店では案の定というか
具は普通に上にのっていて「やっぱりね」という感じ。
沖縄らしく、けっこう大盛り。しかしそばはうまかった。
自分は沖縄そばが大好きなのだ。

食事の後はとりあえずホテルに向かった。
宮古島東急リゾートは島の南西部。
しかしそこに近づくに連れて様子がおかしいことに気がついた。
ところどころ倒れている電柱。切れた電線。
商店も閉まっているところが多い。
そう台風は宮古島の南西部が特に被害が大きかったのだ。

倒れた電柱や通行止めなどを避けながら
ホテルについてみると入り口のところに「休業中」の札が!
しかし今更帰るわけにもいかず、とりあえず車を止めて
フロントまで行ってみるとマネージャーさんが応対してくれた。

なんと電気も電話も不通だという。
しかしホテルの中はなんとか非常電源があるので
最低限のことはできるということ。
で、交渉の結果、今日は何とか泊めるが明日は無理なので
旅行会社(沖縄ツーリスト)とも相談して対策をとってくれ、とのこと。
それに台風のダメージが大きく、レストランもプールも使えない。
明日の朝食は出るけど、
あとは何のサービスもできないのでお金はあとでお返しする、とのこと。

正直びっくりした。
このような大変な状況で泊めてもらえるだけでもありがたいのに
お金を返してくれる?
こちらからしてみれば、ありがたいことこの上ない。
のちにホテルの宿泊記のサイトを運営している沖縄の人にこの話をしたら
「宮古の人は沖縄でも特に人情が厚い」という話をしてくれた。

とりあえず、泊まるところも決まって部屋に荷物など置いたが
エレベータも一応動いているし、お部屋もエアコンはちゃんときいていて
もちろんきれいでお風呂もちゃんと使えるとのこと。
何の不満もあろうはずはなかった。

ちなみにこの「宮古島東急リゾート」は宮古では一番良いホテル
ということになっている。
できたのが少し古いので設備などは最新とはいえないが
その分、沖縄を代表する前浜ビーチのオンザビーチとなっていてロケーションは最高。
建物はやや古いがゆったりとした設計になっていて
のんびりとしたリゾート気分を満喫できる。
古き良きリゾートの雰囲気が満点で本当にすてきなホテルだと思う。
それにサービスマンシップもすばらしいということを実感させてもらった。


夕方にはまだ時間があったことと
レストランが休みなので晩御飯を調達しないといけないということで
周辺の観光を兼ねて、ドライブにでた。
店は休みばかりで開いていても物がないところも多く
結局コンビニで買うハメになったが、
それでも沖縄でしか食べられないポークのおにぎりだの
さんぴん茶だと、沖縄らしいものがいろいろ調達できたのでまあ満足だった。
ドイツ村は行ったがお休み、ということで、来間大橋などを渡ってみたりして
周辺を一周してきてホテルに戻る。

途中、沖縄ツーリストから電話があって、
翌日は「アトールエメラルド宮古島」というホテルが取れたとのこと。
ここもなかなかいいホテルと言われているし、
お詫びのしるしにディナーも用意したとのこと。十分、ありがたい。

少し日が落ちてきて夕方の気配。
ちょうど西海岸に面しているので、二人で前浜ビーチにでて
ビーチを散策しながら記念写真をとったり、夕日が落ちるのを眺めた。
ハプニングが多いけど、すてきな旅行になりそうだ!

(写真は前浜ビーチにて。これを撮る少し前に通った、来間大橋をバックに)

長くなったので、今回はこのへんで。

# by shigeshogi | 2006-02-03 06:13 | 出会い | Trackback(1) | Comments(0)

宮古島ラブストーリー 1.旅立ちまで

今回のヒロインは沖縄のりなちゃん。
彼女は当時25歳の看護士さんで、沖縄の人だ。

彼女とはSWEETBOATというサイトで知り合った。
このサイトはオープン当初(サイトの説明によると)
上場企業の直営ということをうたっていて
最初は利益度外視でまじめで本格的な出会いサイトを作ると
豪語していたのだった。
どう本格的なのかというと
まずは入会に際して免許書の提示を義務付けるというもので
自分としてはそういう身分証明の必要なサイトに登録してみるのは
初めての経験だった。
当初は1年間無料ということで、
しかも入会記念のテレホンカードもまでもらえるという至れり尽くせりぶりで、
しかもサイト自体もきれいでけっこう充実していた。
女の子がみんな証明書つきというのは安心だった。

ここで出会った女の子は今までに何回かでてきている
仕事ができるこっちゃんとか、複数いるけど
今回のりなちゃんは特別に思い出深い女の子だと思う。

このSWEETBOATのように検索して女の子のプロフィールを読んで
メールを出してみるタイプのサイトは結構多いが、
その場合自分は東京、千葉を中心に
埼玉、神奈川、茨城の東京よりのほうの人を選んで
年齢18~30くらいまでに設定して
出てきた人のプロフィールとかはあまり見ないで
当たり障りのない自己紹介や日常の話題を書いたメールを片っ端から送る。
SWEETBOATの場合は同報メールで検索した人すべてに一斉送信できるので
楽だったが、ほかの人も楽なので競争率が高くなり結局かわらないのかも。

さて、自分は大学時代を沖縄ですごしたが、
その後も沖縄にあこがれる気持ちはやまず
いつの日か大好きな人を連れて沖縄に旅行に行きたいと願っている。
そんな気持ちもあって、メールを出すときには
東京近辺の人に出すのと同じ感じで沖縄の人にも出していた。
そして、それに返事をくれたのが今回のヒロイン、りなだったのでした。

りなは沖縄本島中部の病院に勤める看護士さんだったが
メールはわりと淡々としていて、週に1、2通と普通のペースだった。
内用もわりとありきたり、仕事のこととか沖縄のことをいろいろ話した。
本当に普通の感じがする女の子だった。
だからメールもこれといって印象に残っていることがあまりなく
いったい何を話したんだろう?って感じだけど
2,3ヶ月して電話番号を交換して電話で話すようになった。

彼女は沖縄の離島に行ってみたいという話をした。
それで知り合ってから3ヶ月ほどはすぎた10月ごろ
りなが連休をとったのにあわせて休みをとって2泊3日の予定で
宮古島に行くことにした。
沖縄の島の数々を訪ねた自分だったが
沖縄で三番目に大きな宮古にはなぜか行ったことがなかったのだ。

一緒に行かないと意味がないので
沖縄ツーリストという沖縄県内最大手の旅行会社を使って
沖縄発の宮古島ツアーを手配し、
それと別に沖縄までの一人用の航空券を手配した。

りなの気が変わらないように毎日のように
「今日チケット取れたよ」とか
「宿泊予定の宮古島東急リゾートはすごいいいところらしい」
とかいう話をして気分を盛り上げる。

その旅行まであと1週間というところで宮古島に
25年ぶりという台風が直撃した。
空港の管制塔のガラスが壊れて飛行機が発着できなくなったり
島内各地で停電が起こっているという。
しかし、台風が去ってしまうと宮古島のニュースは
東京ではあまり伝えられなくなり、
自分は旅行会社も何も行ってこないし、大丈夫だろう
とあまり深く考えずに出発した。

りなとは那覇空港での待ち合わせになっている。
さて、りなに出会ってからのお話はまた次の回としよう。

# by shigeshogi | 2006-02-02 04:13 | 出会い | Trackback | Comments(0)

今回は近況を軽く

1月24日はくみと初めてあってからちょうど1年目だった。
それで、公美の実家まで訪ねて手紙を届けてきた。
でもそれだけ。
今回は最初からそのつもりだった。
高速を使えば2時間かからずにいける。
公美のふるさと、茨城の笠間にはまだまだ雪がたくさん残っていた。

帰りは一般道を使ったので3時間くらいかかった。
うちに帰ってきたら頭が痛くなって、しばらくひとりでうずくまっていた。

1年前の今ぐらいは幸せの絶頂だった。
ようやく運命の人に出会えたと毎日に感謝していた。
自分の生きてきた道が間違ってなかったと感じられた日々だった。
最近のうつろな日々とは大違い。

このところは仕事をやめて毎日の時間にゆとりがでたこともあり
毎日怠惰にすごしている。
家事とかもあまりやる気はしなくて、横着な日々。

前よりも少し将棋をやるようになった。
土曜日にはトーナメント戦で優勝して賞金を稼いだが
調子が良かったのはその日くらいで、あとはぱっとしない。
インターネットで気が狂ったようにたくさん将棋を指しているが
雑で無意味な内容のものばかりだ。

ジェンカのIDが削除になった。
チャットで人との会話の途中に何も言わず急にいなくなり
しかも他のチャットルームで話をしてるから
あまりにもふざけてると思い注意したら、
逆恨みして通報したようだ。
毎日更新して1000ヒットを超えたところだったのに水泡に帰した。
まあ、原稿は全部残っているものの
改めてアップするのも大変なことなのでもう放置だろう。
一応ジェンカで会う予定の人もいるし
別のIDで復活させたがしばらくブログはやらない。

ジェンカのほうも出会い探しも一生懸命やっているのに
何一つ成果につながらない。
どうしてこう何もかもうまくいかないのだろう。
毎日一生懸命誠実に生きているのに。
こんな世界、滅んでしまえばいい。
人間なんて死に絶えてしまえばいい。

今は無気力状態。
新しい出会い探しをするわけでなし、
仕事を探すわけでもなし、
正直何一つ気力がおこらない。
くみにもアプローチする気力もすくなくなって
ちょっと鬱が入っているような感じかもしれない。
精神病院で鎮静剤を打たれたような状態の軽いやつだ。
彼らは何もできなくなる薬を使って、人を無気力に陥れ
何かする気も、自殺する気もなくさせて病室に監禁しておくのだ。
この世の中には必要悪が多すぎる。

そういうわけで、ブログの更新もままならないが、
一応次の女の子の話も3分の1くらい書きはじめている。
2,3日中にアップできるのではないだろうか?

今回はちょっと軽めだが、この辺でご容赦。

# by shigeshogi | 2006-02-01 07:56 | 近況 | Trackback | Comments(2)

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