限界まで力を出し切ることが 新聞記者として成長につながる
小学生を対象に講演し
言葉を伝える喜びを知る
中学2年で日本新記録を出し、3年でアトランタオリンピック出場。だが、大学入学直後のシドニーオリンピック選考会で代表からはずれる。以後、「水に恐怖を感じるようになった」という青山綾里さん。泳いでも泳いでもタイムが伸びず、自信が持てない。悩んだ末、「このまま続けてもいい結果は生まれない。ならばスパッと辞めよう」と決心し、大学3年の夏に引退した。
その年の冬、小学生対象の講演依頼が舞い込む。プールでの指導なら何度か経験したが、演壇で語るのは初めてだ。山形県の小学校で自分の経験を語ると、児童たちは目を輝かせて聞き、お礼の手紙までくれた。
「うれしかったですね。初めてじっくり自分を振り返れたこともプラスでした」
言葉で他者にものを伝えるのは大変だが、それが通じたときの喜びはことのほか大きいことに気づいた。これをきっかけにマスコミ業界で働きたいと考えるようになった。
いつか運動部の記者になり、
オリンピックの現地取材を
産経新聞社の入社試験では、「スポーツで培った強い精神力」をアピールした。今は横浜総局の新人記者として、県内の指導者へのインタビュー企画を担当したり、街の話題を追いかける日々。企画を立てて1日1本原稿を書くことが使命だ。
新聞記者は、朝早く、夜遅い。宿直もあるし、事件が起きれば休日でも呼び出される。自分の時間も思うようにとれないような、肉体的にも精神的にも厳しい世界だ。
「どんなに苦しくても限界まで力を出し切ることが大切。それが自己成長につながるのだと、今は、自分に言いきかせています。水泳と同じですね」
今年8月、敗退した高校野球の選手たちを取材したときは、一緒に泣いてしまった。そんな青山さんの将来の夢は、運動部の記者になって、オリンピックの現地取材をすること。
「負けた人にこそドラマがある。悔しさを知る私にしか書けない記事もあると思います」
(2004年9月に取材)

2000年
「泳ぐことに恐怖心を抱くようになり」、2年余り悩んだ末、現役引退を決意する。仲間とは離れたくなかったのでマネージャーとして水泳部に残る
2002年
12月 某新聞社からの依頼で山形県の小さな小学校に赴き、「夢に向かって」と題した講演を行う。子供たちの反応に新鮮な喜びを感じる
2003年
講演がきっかけで、言葉で伝える楽しさを知る。卒業後はマスコミに進みたいと考えるようになり、友人や知人に相談にのってもらう。産経新聞社の入社試験を受け、合格。
2004年
4月、産経新聞に入社し、1ヶ月の研修を受けた後、横浜総局に配属される