ありがとう、BCLの神様・山田耕嗣さん

ありがとう、BCLの神様・山田耕嗣さん

1970年代に大ブームとなったBCLの世界で
神様と呼ばれていた山田耕嗣さんがご逝去

BCL(海外や国内のラジオ放送を聴く趣味)の世界でおなじみの山田耕嗣氏が2008年8月19日夜、癌のため逝去されました。67歳だったそうです。通夜は8月22日18時から、告別式は8月23日11時から行われました。

ネット上では、たくさんの山田耕嗣先生を悼む声が

ラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ、日本短波放送)のサイトでこのニュースが報じられると (こちら)、ネット上の各地で追悼のためのブログのエントリーや、掲示板への、山田先生を悼む書き込みなどがたくさん行われました。その後、やじうまWatchでも報じられ、静かに山田先生への感謝と追悼の声が広がっています。

このウェブサイトは、このうち「2ちゃんねる」のニュース速報+板という掲示板 (こちら) に立ったスレッド(トピック用の掲示板)、

【訃報】BCLの神様・山田耕嗣氏、逝去

というものを、過去ログとして保存したものです。

過去スレッド

【訃報】BCLの神様・山田耕嗣氏、逝去
http://sky.geocities.jp/yamada_god_of_bcl/1219335512.html
【訃報】BCLの神様・山田耕嗣氏、逝去★2
http://sky.geocities.jp/yamada_god_of_bcl/1219461600.html

現行スレッド

【訃報】BCLの神様・山田耕嗣氏、逝去★3
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1219513202/

スラッシュドットジャパン

山田耕嗣氏、死去
http://slashdot.jp/article.pl?sid=08/08/23/0252231

山田耕嗣先生 略歴

山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年12月17日 - 2008年8月19日)は放送評論家。東京都台東区浅草出身、立教大学文学部卒。血液型B型。愛称猫屋敷。元キングレコードディレクター。

1955年から国際放送に関心を示し、1970年代から1980年代前半にかけてのBCLブーム期には、「BCLの神様」と呼ばれた。著書には、「新BCLマニュアル」「ベリカード・コレクション」などがあるが、1977年から1982年まで毎年刊行され、小中学生にBCLを紹介した「入門BCLブック」は特に有名。晩年は日本短波クラブの会報「SW DX GUIDE」で「今夜も笑いかわせみ」を連載していた。

以前は、KBSワールドラジオ日本語放送の毎月第1土曜日の『ラッコのいきいき週末』(現在は終了)に出演し、BCL情報を提供していた。

2008年8月19日23時頃、肝臓がんにより千葉県内の病院で死去。享年67。

以上、ウィキペディアの山田先生の項目の記述から転載

山田耕嗣先生、夢と喜びをありがとう…天国で思う存分ラジオを聴いてください

テレビや新聞で訃報として報じられたわけでもなく、ごく狭い、今となってはマニアックな趣味の世界の巨人・有名人ですが、2ちゃんねるに集う人たちの、ある年代以上にとっては、本当に「神様」のような人、子供の頃の憧れの人でした。

まだ67歳、あまりに早い急逝に残念な気持ちでいっぱいです。

スレッドでは、30年前にラジオにかじりついていた「元少年」が、先生の訃報に接し、懐かしく子供の頃の自分、BCL、そして山田耕嗣先生の偉業を、数日に渡って語り合って、「こんな楽しい話がいまできるなんて」と、ある意味で盛り上がっています。多くの、いまは若くないおじさんを一瞬にして少年に戻し、自然と人が集まる。まさに山田先生の人柄、子供に夢を与えてくれた仕事や生き方が、なせることでしょう。

このサイトは、天国にいく山田先生にこの声が届けと、お通夜や告別式に参加できなかったネット上の別れを惜しむ住人が、感謝のために作ったものです。私自身も、先生とBCLによって、世界の広さ、1つの物事を1方向ではなく、いろいろな方向から聞くことの大切さを教わり、耳を澄まして海外に思いをはせる楽しみを貰いました。心から、先生、ありがとうと伝えたい気持ちです。

山田耕嗣先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。