今週は忘年会やらなんだかで忙しく更新があまりできなかった。
沖縄から東京時代に移る前に9年前の話をもうひとつ。
大阪のちばなお、という女の子の話をしようと思う。
大阪は自分にとってはけっこうなじみの深い街でやはり好きな街だ。
大阪の好きなところは庶民的な文化や食べ物が安くておいしいこと。
そして将棋が盛んなところだろうか。
ネットで知り合った将棋関係の方で(男性)
いつも大阪に行ったときに泊めてくれるので
近鉄や阪急の
将棋祭りや、賞金100万円の平成最強戦などの
将棋関係のイベントがあるときにはよく遊びに行った。
今はなくなってしまったそうだが、
東京発大垣行きの夜行普通電車に乗り込んで
車中泊をしつつ大阪に行ったことも1度や2度じゃない。
うまく知り合いのうちなどに泊まるところが見つからないときには
関西将棋会館や、サウナなどに泊まったり
そんな貧乏旅行をよくしたものだ。
大阪の堺で行われた坂田三吉杯という大会に招待されて
意気揚々と乗り込んで赤いバラを胸に挿して対局したものの
一般参加の予選通過者に初戦敗退を喫して
大恥かいて撤退したこともあった。
ただ今回話をする、ちばなおちゃんに出会ったのは
大阪でそんないろいろな経験をするもっと前。
まだまだ2、3回目の来阪のころだった。
彼女とは例によってニフティの掲示板で知り合ってメールを重ねた。
メールの中身は正直あまり覚えていない。
大阪で看護婦をしている23歳の女の子だった。
時期としては北海道のかほとの関係が終わったころになると思う。
沖縄での2年目の夏にアマ名人戦の県代表に初めてなったとき
山形で行われる全国大会にでるときに、大阪にたちよった。
ちばなおちゃんは写真ももう残ってなく
顔立ちもおぼろげにおぼえているだけだ。
今会っても気がつかないかもしれない。
丸い平凡な顔立ちをした女の子、というイメージが残っている。
別に美人でもないけど、ことさら悪いということもなくて
ごくごく普通の庶民的な感じの女の子という気がした。
でも彼女がやさしくしてくれた記憶は今も心に残っていて
感謝の気持ちと懐かしさがこみ上げてくるときもある。
彼女は大阪をとても愛していた女の子で
特に実家のある鶴橋の街をとても愛していた。
鶴橋には韓国人街があって、焼肉屋や韓国食材店が立ち並んでいる。
彼女は流暢な大阪弁で「ここが一番うまい店なんや」と
1軒の焼肉屋に連れて行ってくれて、
いろいろなものを注文してくれて、食べさせてくれた。
何を食べたのかはおぼえていなかったけど、
「最後の締めはこれじゃなくちゃあかん」といったかどうか
冷麺で締めたのを覚えている。
自分は冷麺はそのときはじめて食べたので、わけもわからず
「大阪ではそうなんかー」と頭の中が大阪弁になりつつ
納得して食べたのを覚えている。
彼女は歳もかわらない女の子なのにぼくが学生だったからか
「いいのよ、いいのよ」とみんなご馳走してくれた。
もうとっぷりと日はくれていたけど、
彼女は実家に行って愛車ミラージュだったと思うが
それを出してくれて、大阪の街をドライブして南港を見に行った。
これが花と緑の博覧会の跡地だとか
いろいろなところを教えてもらいながら南港に行った。
当時はまだUSJはオープンしていなかったと思う。
そしてできたばかりの「
海遊館」が日本一の水族館なんだ
というような話を彼女が誇らしげにしていたことをうっすらと覚えている。
閉まっている海遊館の前で写真を撮って(散逸)
そして
マーケットプレースのところから海を眺めた。
大阪の海には夜もたくさんの船が走り、
此花橋を見て、あっちが神戸のほう、というような話をしたと思う。
夜9時をすぎていたと思うけど、泊まるところも決めてなくて
そうしたら彼女が「まあ、とりあえず車乗りなよ」
といってぼくを乗って車を走らせた。
「ちょっと走るけど、高槻に自分の部屋があるから」って
自分を連れて行ってくれた。
「ここは女子寮だから、人目につかないように静かに入って」
と生まれて初めて看護婦寮に入れてもらった。
幸い誰にも会わず彼女の部屋に入れてもらった。
6畳の部屋にキッチンがついているだけのこざっぱりしたお部屋。
女子寮って言っても別に特別なことは何もない。
彼女はぼくにシャワーを勧めてくれて、
シャワーからでてみると6畳の部屋に
1組の大き目の布団が引かれていて
机やら、タンスやらいろいろな家具があるので
床ちょうどいっぱいに布団が引いてあるような感じだった。
あたしもシャワー浴びてくるから寝てていいよ、
って言って彼女はシャワーに。
部屋の机の上にコルクのボードが立てかけてあって、
見ると、そこに画鋲で写真がたくさん貼ってあった。
ちばなおちゃんと、一緒に映っているのはたぶん彼氏だろうな
って写真が何枚かあって、
彼女は彼氏と別れてさびしいのだろうな、って思った。
「彼はとても尊敬できる人だけど、一緒にはなれないの」
って言っていたのを今少し思い出した。
ぼくが布団に寝転がって、
まだ起きているとパジャマに着替えた彼女が戻ってきて
電気を消してぼくの隣に寝た。
彼女は髪をなでてくれたり、首筋をさすってくれたりした。
ぼくも彼女の髪の毛をなでたり、背中をさすったりしていた。
彼女の胸がぼくに当たると、
彼女がブラをつけていないのがわかるくらいだった。
次第にお互いのいろいろところを触るようになっていって
そしてキスをした。
彼女のキスはねっとりと絡みつくようなキスで、よかった。
キスにもうまい下手があるんだって初めて知った。
「はじめてなの?」ってぼくが聞いたら
「そんなわけないじゃない」って彼女は答えた。
当時のぼくはそんなものかな?と思うくらいうぶで
たぶん彼女を満足なんてとてもさせられなかったのだと思う。
まだ未熟だった自分はコンドームなんてもってなかったし
彼女の中で夢中で腰を動かすうちに気持ちよくなってしまい、
そのまま中ではててしまった。
数秒後、それまで気持ちよさげな声を出していた彼女が急に
「えっ、中で出した?」っていい、
ぼくはその急な態度の変化におどろいて
「いや」と思わず言ってしまい、
「でもなんかでているよ」といわれて
あわてて「少しでてしまったかも」と言った。
彼女はあわててシャワーに行った。
体の中を洗い流したのだと思う。
結局、このときはそれで済んでしまったが
その後もちっとも懲りてない自分は
女性の気持ちがわからない病気なのかも、とも思う。
彼女とは寝る前と、朝と、2回抱き合った。
2回目には中で出さないようにしたと思う。
朝は彼女が高槻の駅まで送ってくれた。
それから新快速で東京のほうに行ったのだと思うけど
それはよく覚えていない。
彼女のことを思い出すと、大阪南港の暗い海と
「悲しい色やねん」という歌がかぶって思い出される。
きっと彼女はさびしさにたえられなくて、
メールをしてぼくをもてなしてくれて、
彼氏との擬似デートをしたのかなと思う。
でもやさしくしてもらったぼくには
やさしかった彼女のイメージが残っている。
きっと彼女はぼくと一緒でさびしがりやだったんだろうと思う。
ぼくもウソでもいいから、女の子にやさしくされたかった。
今もそう思って本当に好きじゃない女の子にやさしくして
そしてやさしくしてもらっている。
本当に好きな人に思いを受け止めてもらえなくて
仕方なく他の人にやさしくして、抱きしめてもらう。
いけないことなのかもしれないし、
だから本当の愛を得られないといわれるなら、その通りかもしれない。
でも本当に好きな人だけを愛したいのに
その人に受け入れてもらえない人はどうすればいいの?
いつまで続くかわからない長い間、
一人でさびしくがまんしてろっていうの?
ちばなおちゃんはぼくに似た女の子だったと思う。
さびしさをセックスで紛らわせて、そして快感と罪悪感を得る。
でもぼくは彼女に感謝しているよ。
生まれて初めて、ぼくを誘惑してくれたちばなおちゃん。
もう会わないであろう彼女が本当に愛する人と結ばれて
幸せになっていることを切に願っている。