2005年 11月

北海道のかほのこと [2005-11-30 13:20 by shigeshogi]
Finepix Z2 [2005-11-29 19:59 by shigeshogi]
クリスマスのすごしかた [2005-11-26 16:40 by shigeshogi]
沖縄時代のネット、メール、出会い事情など [2005-11-25 01:52 by shigeshogi]
沖縄時代の話 [2005-11-23 17:34 by shigeshogi]
キャノンの御手洗社長の話 [2005-11-18 14:33 by shigeshogi]
いとしのマイミーオ [2005-11-18 13:25 by shigeshogi]
しばらく更新もしてなかったのに [2005-11-17 14:50 by shigeshogi]

北海道のかほのこと

自分は北海道が好きだ。
今までに訪れた回数は10回ほどだが
いつ行ってもいいなあと思う。
沖縄が好きで北海道が好き・・・対極のようだがそうでもない。

どちらにも基地がごろごろあり(沖縄は主に米軍、北海道は自衛隊)
また差別を受けてきた歴史もある。
そして、失業率の高さや所得の低さではワーストを争っている。
日本の中央に対する辺境という意味で両者は共通なのだ。

沖縄では左翼勢力の影響が強いこともあって
少数民族権利保護運動などを展開する大学の先生などもいて
アイヌやイヌイット、アメリカ原住民など
迫害された歴史をもつ人々と
連帯しようみたいな主張もしばしば見受けられる。

今や参議院議員となった沖縄音楽界の重鎮
喜納昌吉さんもアイヌについての音楽なども作ったりしていて
それもなかなかすばらしい。
(特に「森の人」という曲は私のお気に入りだ。)

北海道と沖縄はそういう意味では近い部分があるし
自分も都会があまり好きではないということもあって
沖縄と北海道の両方にひかれるのかもしれない。

北海道になぜかご縁があり数々の思い出がある私だが
今回はその中で一番古いご縁、かほ、という女の子の話をしよう。
彼女は半年ほどの付き合いで会ったのは2回だけ。
最後までさせてもらったこともなかったけど、とても心に残っている。
ぼくの大切なヒロインの一人なのだ。


かほとは例によってニフティの掲示板で知り合った。
彼女が出していた掲示にこちらが申し込んだのが
きっかけだと記憶している。
時代は今から9年前から8年前、沖縄に住んで最初の冬のころだ。
新潟のゆみと別れて、沖縄のはるみやまりこと仲良くなる
少し前くらいの時期だったと思う。

かほは当時20歳で、専門学校生だった。
メールはそれほどまめではなくちょっとメールを交換して、
途切れたと思ったらまた復活して、
みたいな感じで半年くらいはメールをした。
手紙のやり取りも2,3回したと記憶している。
そしてバレンタインには自分で焼いたチョコクッキーを
沖縄まで宅配便で届けてくれたことがあり
自分はどうしてもこの子と会ってみたいと思うようになった。
それで大学の長い春休みに実家に帰った際、
北海道を訪ねてみることにした。

時は3月、私にとってははじめての北海道。
その年はわりと雪の多かった年で
知識としては3月ではまだまだ雪が多いことを知ってはいたが
実際、新千歳空港に入るために室蘭あたりから
飛行機が陸上に入っていったとき、
一面雪景色が広がっているのを目の当たりにしたときの
真っ白な大地の記憶は今でも心に残っている。

かほは折りしもちょうど専門学校を卒業し
4月からの就職の前の準備の時期。
ラーメン屋さんをやっている実家を抜け出して
部屋を借りたところだったのだ。
実家の近くに部屋を借りて数日目でまだ電話もなかった。
かほの部屋のそばのボーリング場で待ち合わせ。
でも結局おなかがすいたということで
ボーリングはやめにして「びっくりドンキー」で食事をした。
びっくりドンキーは沖縄はもちろん、東京にも当時はまだ見かけなくて
北海道の地元のチェーンなのかと思った。
木でできた大きなメニューはおもしろいと思ったし
ハンバーグもおいしいと思った。
のちに東京に進出してきたときにはちょっとうれしかった。

「今日、泊まるところはあるの?」と聞かれたけど
「とりあえず君のうちでお酒を飲もうよ」と言って
沖縄からもってきた泡盛「菊の露・サザンバレル」(当時のお気に入り)
を飲むという口実で、
かほの住み始めたばかりのお部屋に上げてもらった。

4畳半二間の2Kで古びた部屋だった。
部屋備え付けのガス暖房が北海道らしさを感じた。
お酒を飲みながら音楽を聴いたり、
パソコンをいじったりおしゃべりをした。
彼女はパソコンで札幌のおいしいジンギスカンのお店など
調べてくれてプリントアウトしたりしていた。

「明日から登別のほうに旅行に行こう」
ということで話がまとまってその日は寝ることになった。

添い寝して、ぼくは彼女を求めた。
キスをしたり、胸をさわったり、
でも下を強引に脱がそうとしたら
彼女は涙を流してしまい、それであきらめた。
しばらくないていたけど、耳元でささやくように
いろいろな歌を歌ってあげた。
沖縄の歌や、流行歌、子どものころの懐かしい歌。
彼女もリクエストしたり、一緒に口ずさんでくれているうち
気持ちがおさまっていった。
いつしか寝てしまった。

話はまだまだ長いので今回はこの辺で。
後半に続く(・・・はず)

# by shigeshogi | 2005-11-30 13:20 | 出会い | Trackback | Comments(0)

Finepix Z2

デジタルカメラを買い換えた。
今までは5年物のFinepix4800Zという機種を使ってきたが
今月11日に発売になったばかりのFinepix Z2という機種を買った。

きっかけはモモさんがデジカメを買うのにつきあっていろいろ調べているうちに
高感度のデジカメがいいなと思うようになったからだ。
今までの4800Zは買った当時は小さくて高機能なデジカメで
ポルシェデザインがかっこよくて愛着はあるのだが
起動も遅いし、最近では携帯のカメラで取ることがおおかった。
携帯はいつももってるしとても手軽なんだけど
手ぶれしやすく、特に室内など光が弱いところでは
なかなか思うような写真がとれなかった。
しかし高感度ならその心配は少なく
室内ならフラッシュなしでもそこそこの写真が取れる。

そして買うことを決定づけたのが11月13日にあったくみのコンサートだ。
ここで撮影するのに、演奏の邪魔にならないように
フラッシュを使わないでバシバシ撮れるカメラがどうしてもほしかった。
それでその2日前に発売になったばかりのz2を購入したのだ。
その写真が11月17日にアップした写真だが、
あれはわざと画質を落としているのであしからず。

その後モモさんとハメ撮りをしてみたり悪い使い方もした。
(こういうときにも高感度は超便利。
フラッシュ使うとムードが壊れちゃうからね)

今回アップしたのはもちろんそれではなく(笑)
日曜日の社会人団体リーグで優勝した記念写真。
屋内でノーフラッシュで素人さんがとってこれだけ取れれば満足!


社会人団体リーグ戦優勝したのはよかったが
自分は15戦全勝を逃し、14勝1敗。
もちろんチームが勝ったのでうれしいが、
しょうもない弱い相手に負けてがっかりだった。
最近はいつも大事なところでミスしてしまう。
ずっと運が悪いので、こうなるんじゃないかと思っていた。

大会の打ち上げでは2時間の飲み放題で8杯は飲んだと思う。
酒は特に飲みたいと思うことはないし普段もあまり飲まない。
でも、飲んでもあまり酔わないし、翌日に残ることもない。
今回もけっこう飲んだはずだが、なんともなかったなあ。
恋愛に酔いやすく、酒に酔いにくい。

ちなみに大会会場にはマイミーオ(11月18日参照)もきていたが
声はかけなかった。

# by shigeshogi | 2005-11-29 19:59 | 近況 | Trackback(1) | Comments(0)

クリスマスのすごしかた

昨日は元妻との慰謝料裁判。
和解は難しかったようで、本格的に争う事になりそう。
今まで自分で準備書面やら、答弁書、証拠提出などしてきたが
どうやら素人だけでは難しいかも。
とりあえず1審は自分の力でやってみるつもりだが
2審以降のこともあるし、
弁護士ドットコムというサイトで見積もりを請求してみた。
費用対効果を考えるとどんなものなんだろう?
しかし、裁判で負けようとも死んでも金を払うつもりはなく
有り金を全部現金に換え、住所も替え
仕事もやめて日払いの仕事にかえて徹底抗戦のつもりだ。
(そうすれば簡単に差し押さえはできないはず)

絶対負けるもんか。
人生は戦いだ!、と思っている。

その後、髪の毛を切って気分転換をして御徒町で将棋。
将棋も戦いだ!


今日は土曜出勤だったが、会社の電話を受けたら
うちの会社の系列元売会社の担当が
     「おたくの会社で従業員の女の子にメイドの格好をさせて
      接客やチラシ配りさせているという情報があるんですが」

とあわてた声。

ちょっと~、うちはガソリンスタンドですよ(笑)
思わず笑ってしまったが、案外いいアイデアかも。
静電気防止コーティングに、
安全靴を履いたメイドさんのいるガソリンスタンド。

「ご主人様。ガソリンだけじゃダメ。
オイルもいれてー。お車も洗いたいの!」
って女の子に言わせようか?!
うちの社員やバイトの女の子がメイド服を着ている姿を
想像したところで、妄想はやめておいた(笑)


クリスマスは前述(7/20)のこっちゃんと
モモさん(7/12初出)と1日づつ
すごすことになりそうな気配。
くみにはこれからアプローチしてみるつもりだが望み薄。

本当はくみと一緒にいられたらどんなに幸せだろうと思うけど
一人で過ごすことにならなくて済みそうだ、
と安堵する気持ちもあるのが正直なところ。

自分の場合、一人になるのが嫌でたくさんの女の子に
アプローチしてしまうのだけど、
やっぱり寂しさに耐えて本当に好きな人だけを
待っているほうが幸せの近道なんだろうか・・・

自分はあふれるエネルギーをじっとしておくことができないし
一人で泣いているより行動するように生きてきたが
きっとそのあたりうまくバランスを取りながら
幸せをつかめる人もいるんだろうなあ・・・

# by shigeshogi | 2005-11-26 16:40 | 近況 | Trackback | Comments(0)

沖縄時代のネット、メール、出会い事情など

自分が沖縄にいた、今から9年前から5年ほどまえのころの
メールでの事情を少し書いておこう。
この時期の一番大きかったできごとは
なんと言っても携帯電話の普及だろう。
それまであったポケベルはまだまだ一部の人の使うものだったが
携帯はあっという間に普通の人の使うものになっていった。
携帯は人との付き合い方をどんどん変えていった。

とはいえ、当時の携帯はまだ通話メイン。
メールもまだまだだったし、ましてやiモードなどの
携帯のインターネットサービスなどもまだだった。
携帯の影響が出会いの形を完全に変えていくのはもう少し先のことだ。

自分といえばつきあいのあったまりこや
将棋仲間の友達が携帯を持ち始めるのを横目に
学生時代はついに携帯を買わなかった。


その次に影響を与えたのはWindows95の登場だろう。
それまでもWindows3.1ではまだまだMS-DOSとの併用という状態で
ブラウザでインターネットを閲覧するにはまだまだ重かった。
それが95の登場で一気にインターネットが身近になったのだ。
それまでのテキスト中心のパソコン通信から
ブラウザでグラフィックですべてを表現できるインターネットは
圧倒的な印象を与えた。
「ホームページを作っています」みたいなのが
ちょっとした流行みたいになっていた。

と言ってもまだまだ現在のような状況とは違う。
ダイヤルアップでの接続が普通であって通信速度も遅い。
課金も従量課金が主流だったので
今のようにうちでネット見放題というわけでもなかった。
自分はというと大学のパソコンでインターネット見てはいたが
まだまだ今のようにあふれるほどのコンテンツがあるというわけではなくて
まだまだパソコン通信(NIFTY)を中心に使っていた。
相変わらずNIFTYの掲示板に募集を出したり、
逆に女性の掲示にメールを出してみたり。
ただ沖縄時代はリアルでの出会いなどが充実していたために
それほど積極的にメールでの出会いを探していたわけではなかった。

だからメールで知り合った沖縄県内の人に
1,2人会った記憶はあるけれども発展した人はいなかったし
それほどの思い出も残っていない。


沖縄から撤退した自分は東京に戻り少しの実家ぐらしのあと
一人暮らしをはじめた。
そこで新しい出会いを探すべく、
再び本格的にメールでの出会い探しをはじめるようになる。

その話はまたそのうちに・・・

# by shigeshogi | 2005-11-25 01:52 | 出会い | Trackback | Comments(0)

沖縄時代の話

沖縄のメールフレンドとの出会いに影響を受け
実家を離れ沖縄に行ったのは9年前のことだ。

自分にとっては沖縄時代は
楽しくもほろ苦い青春の1ページとなった。

沖縄での生活の幕開けは明るい光に満ちたものだった。
一人暮らしだったが、沖縄は物価が安く
東京感覚で仕送りをもらえた自分は裕福だった。
まあ、もともと質素な生活をするたちだったし
ぜいたくといえば新車を買ったぐらい。
今もそうだが、お金で買えるものでほしいものが
あまりないという性格なのだ。
沖縄での生活は楽しくて、
車を買ってからは島中を探索してまわったと思う。
美しい景色の中で新しい友達がどんどんでき
人生がいっぺんに開けてきたような感じがした。
将棋も沖縄に行ってはじめての大会
竜王戦県大会で準優勝をして一躍有名になり、
沖縄では強い人があまりいなかったのでちやほやされた。
実際将棋の勉強もして一段レベルアップをして強くなり、
何度も県代表になることができた。
いくと必ずごちそうしてくれるだんな筋ができたり
新聞観戦記なども担当させてもらったりもした。

大学生活も楽しかった。
中学高校と詰襟学ラン(今どき!)の男子校だったから
女の子のいっぱいいる大学は華やかに感じた。
エリートっぽい学校からきていたこともあって
普通にしていれば好成績が取れて、奨学金ももらえた。
大学の先生のこどもさんの家庭教師を頼まれたり
塾講師のバイトをしたり、毎日は充実していた。

いつしか講義のときに一緒に座ってくれる女の子も現れた。
彼女の名前は晴美(仮名)。
沖縄の大宜味という本当の田舎からでてきて貧乏だった。
ボーイッシュでさわやかな印象で自分も好きになった。
シャツとジーンズの似合うスマートな
いかにも女子大生って感じの女の子だった。
ウチナンチュ(沖縄人)らしく、
小麦色だけど若くて弾力にあふれた肌だった。
でも貧乏なのでバイトは忙しいし、
携帯もポケベルもなかったから
連絡を取るのが難しかった。

一方、将棋のほうで将棋をやる34歳の女の人とであった。
まりこ、という。
彼女は三重県から沖縄にやってきて、
沖縄の音楽の勉強にしにきたのだという。
浦添の将棋道場で将棋を指していたら
当時の将棋仲間たちが、那覇の道場に女のお客がきているらしい
という話を聞いて、わざわざ見に行ったのだった。

彼女は沖縄にきたばかりで住む場所も決まってなく
格安の宿泊所に日払いで泊まっていた。
それでぼくは彼女が住むところが見つかるまでみたいな感じで、
うちにこさせたりした。
その後彼女は自分のアパートを見つけたが
お互いに部屋を行ったりきたりするような関係になった。

今思えば2人の女性の好意を得たわけだけど
当時の自分は本当ににぶくて女の子の好意ってものに
まず気がつかなかったし
(それは今もそうで、言葉にしてくれないとイマイチわからない)
どっちもくるものは拒まずみたいな感じで
やりまくってしまった。

今思えば18歳の晴美を大事にしそうなものなのに
将棋という趣味を持ち、
時間が暇でこっちが都合いいときに遊びに行くことができ
携帯もポンコツ車ももっていて
(今思えば自分とのつきあいのために準備したのだ)
積極的で圧倒的に便利だったまりこと会う機会が多くなって
それを察した晴美にはふられてしまった。
普通の男女交際ってことをしたことがなかった自分は
特定の人と付き合うってことが
よくわかっていなかったのだ。

自分は本当に女性の気持ちのわからない人間で
この辺で気がつけばもう少しマシな人生だったかも、とも思う。

まりこのほうとは結局東京に帰るまでの長い付き合いになった。
3年生の中ごろには一緒に住むようになっていた。
そして東京に戻る前の歳に彼女はぼくのこどもを宿した。
彼女は34という年齢もあってこどもがほしかったのだ。
自分が「こどもって好きだよ」って言ったのを
こどもを作ってもいいという意味だと考えて
(わざとそうしたのかもしれないが)
危険日に「大丈夫」といわれて、したら、娘が生まれた。

いろいろ考えて結婚して育てようと思ったときもあったが
しかし学生だった自分は稼ぎもないし
まだ人生を決める覚悟はなかった。
実家に逃げ帰ったり、沖縄に戻ったりを繰り返すうちに
まりこは、まりこなりの覚悟の見せ方をした。
彼女は少し体の弱い中年の軍用地主
(沖縄の米軍基地の中に土地をもっているのでそこから地代が入る
沖縄にはけっこういる人種で働かないで暮らしてる人も多い)
の彼氏をみつけ、その彼と結婚したのだ。
こどもも彼にひきとってもらった。

それを知ってあわてた自分に
まりこは半日だけこどもを預からせてくれた。
こどもはかわいかったが子育てをやってなかった自分は
育児の大変さを思い知るとともに
今の自分には無理だと悟った。

またある将棋指しの奥さんにちょっと手を出したりして
将棋関係者にも疎まれるようになるなど
最後のほうは支離滅裂になってきた。
そして沖縄の荷物を車に積めるだけつんでフェリーで送り
東京に逃げ帰ってきたのである。

まりこと娘にはもう5年以上もあっていない。
元気にしているのだろうか?
心が弱ったときに、尋ねていきたい気持ちになることがある。

沖縄ですごした4年間はいろいろなことがあった。
しかしここでも生来の怠け者気質と
本当に愛する人を探すという気持ちにかけていたために
幸せをつかむことはできず、
逆に周りの人を不幸にしてしまったように思う。

しかし今でも美しい沖縄を愛する気持ちはやまず
いつの日か心から愛する人と結ばれて
一緒に沖縄を旅するのがぼくの変わらぬ願いである。

# by shigeshogi | 2005-11-23 17:34 | 出会い | Trackback | Comments(0)

キャノンの御手洗社長の話

今回は前回の記事に関連した余談。

前の記事でブラザーの複合機の話をしたが、
結局導入したFAXはブラザー製にしたのだった。
もちろんマイミーオではない。
モノクロレーザーFAXの単機能機だ。
業務用だとやはりインクジェットでは辛い。

ちなみに家庭用インクジェット機は近年めざましい性能アップだ。
写真画質と銘打つほどの印字品質に加え
デジカメからのダイレクト印刷やスキャナ機能、
カードリーダー機能、フィルム読み込み機能、
さらにはFAX送信機能などいろいろ盛りだくさんで
しかも驚くぐらい安くなった。
この分野ずっとエプソン(カラリオ)の独壇場だったが
数年前からめきめきとキャノン(ピクサス)が頭角を現し
ついに逆転したと聞く。

一時期業績の悪かったキャノンが反転攻勢に出たのは
御手洗富士夫社長が就任してからといわれている。
この社長なかなか切れ者で、徹底した現場主義を掲げ
何かの雑誌で日本の経営者ランキング1位になったり
日本経団連の次期会長にも内定しているという。

この御手洗さんなんと将棋指しなのだ。
私は吉祥寺の将棋道場でこの人と指したことがある。
対局するときに手合いをつけてくれた道場の席主から
「この人は偉い人なんだよ」といわれたが
当時はキャノンの社長になる前のこと
「へえ。そうなの・・・」くらいにしか思わなかった。
棋力は道場の並四段くらい。
普通のアマチュアとしてはなかなかの腕前だ。
あとから、テレビや雑誌でたびたび目にするようになり
ああ、あのときの・・・と思うようになった。
この人が将棋指し出世ナンバーワンではないだろうか?

将棋指しで有名人といえばほかには
プロ野球の古田選手(今度から監督)などが有名で
あとはタレントや作家や音楽家などにいくらかいるが
昔はけっこう大物がいたようだが、
今活躍している人ではそれほどの人はいない。
まあ将棋なんかやりながら偉くなれるようなご時世ではないのだ。

オレンジ共済で捕まった友部議員の長男(主犯格)が
だました金で熱帯魚のほか、
数百万円ほどの将棋盤駒などを買い占めていたり、
青森で着服したお金をみんなチリ人妻に貢いでしまった
元県代表がいたり、まあろくでもないほうが多い。
小悪党なら山ほどいるって感じだ。

いや、私もどっちかというと(いや、明らかに)
ろくでもないほうの部類で
いつか「チンピラ将棋指し列伝」に
名前を載せることになるやもしれないが。

# by shigeshogi | 2005-11-18 14:33 | 近況 | Trackback | Comments(0)

いとしのマイミーオ

マイミーオ(MyMio)というブラザー工業
薄型デジタル複合機のブランドがある。
ブラザー工業はもともとミシンなどのメーカーだったが
小型印刷機方面に進出し一時期はそこそこのシェアを持っていたが
パソコン用プリンタなどではキャノンやエプソン、
また外国メーカーにやられ苦戦中である。
しかしFAX分野では家庭用、業務用含めて
一定のシェアを確保しているようで会社も力を入れているようだ。

なんでそんな話をしたかというと自分がたまたま会社で
FAXの買い替えを担当していろいろ検討したときに
ちょうど弥生(みお=仮名としておく)という
名前の女の子とのつきあいがあったからだ。
今年の8月から10月にかけて、
短い時間だったが心に残っている女の子だ。

将棋をやる女性で26歳。
将棋の腕前は女性のアマチュアとしては
日本でベスト10に入るくらいだと思う。

みおとは元妻との裁判の帰りに立ち寄った御徒町の道場で
対局の手合いが偶然ついて知り合った。
初めての対局、遊んであげるつもりで指したら
なかなかきらめくような手を指してくるので
思わず本気になってしまった。
帰りに食事に誘ってみたらついてきた。

東大に2回も入学している(卒業は1回)という変わった経歴。
東大将棋部で将棋を覚え、すっかりはまって
今は将棋の修行をしつつフリーターという
男ならこの世界ではありがちなパターンだ。
お決まりで日が昇ってから寝る超夜型生活を送り、
夜はいつもネット将棋に行けば彼女を見つけられるだろう。

余談だが自分は東大を侮れないと思っている。
偏差値がどうとかはあまり何とも思わない自分だが
学生の団体戦リーグとかで東大がいつも強いのをみたり
また東大将棋部の連中とは数々の戦いをしたし
手ごわく感じる人が多かった。
自分の中学高校からたくさんの人が東大に行き
部活で一番仲のよかった友達も東大に行って、
彼の研究の話とか聞くと「なかなかやりますねー」と思ったし
話せば「さすが」と思わせる知識や知性の持ち主が多くて
当然かもしれないが中身のないブランドではないと実感してる。

しかし!しかしだ、いとしのマイミーオは違った。
はっきり言う。彼女はおバカ!
最初は能ある鷹は爪隠すで、謙虚な人柄なのかな~と
思ったりしたがそうでもなくて
なかなかものが覚えられない。
自分に自信がなくて、物事をうまく表現できない。
知能は低くないという意味で頭は悪くないんだろうけど、
とにかく要領が悪く直感がにぶいのだ。
人付き合いが苦手でバイトを転々。

男女問わず、将棋指しにはそういう人が多くて、
(私もご多分にもれないほうかもしれないが)
将棋は必ず手番が回ってきて、
そこで自己主張する権利が与えられるし
そこで相手より良い手を指せば必ず勝つことができる。
一方、社会では地位とか立場やお金で発言力がかわるし
何を言っても普段がダメなら誰も認めてはくれない。

だから、将棋指しには盤上のみで自分を表現する事に
プライドの全てをかけているような連中が結構多いのだ。
将棋が強いから自分は偉いと本気で信じているような連中が多い。
そういうのは社会では通用しないから強豪の中には
ニートやフリーター、ごろつき系の人がけっこういたりもする。

閑話休題。

みおとはそのあとときどき将棋を指すようになった。
個室居酒屋で将棋盤を広げ
閉店までいて駒を動かし続けるヤバイカップルの話を聞いたら
それは自分らのことだ。
会えないときもインターネットの将棋で
週に2,3回対局したり、チャットをしたりして、
久しぶりにいいな、って思えるようになってきていた。
顔は美人じゃなかったし、
キャラもちょっと難しいところはあるけど
でもそういう癖のあるところはむしろ好みだった。
ちょっと好きになりかけていたと思う。

しかし意外な事実が判明。
超ミニのジーンズのスカートをはいて
うちに将棋を指しに来たときに迫ったら、どうしても濡れない。
なんというか、そういう病気?なんだそうで
医者にかかろうか悩んでいるそうだ。
そのくせバイト中に意味もなく濡れだしたりして
それは自分の気持ちとは関係なくそうなるんだそうだ。
(別にHな気分ではなくてもなんかのはずみで勝手に濡れる
しかし肝心なときには濡れない)
性はデリケートでいろいろな人がいるのはたしかだが
そういうのははじめてだった。
みおにもキスをしたり、形がいびつな乳首をしゃぶったり
感じやすいという背中やそのものやら
いろいろ触らせてもらってがんばってみたけど
結局彼女は濡れることがなく
すまたでこすったりで終わってしまった。
こっちは全然気持ちよくない・・・とは言わないが
かなり不満足。

その後
「チャットでいつも話している会ったことがない好きな人がいる」
という話をされたり
「自分は今、将棋を極めたりと思っているから
将棋をする以外のつきあいは控えたい」
と言われたりしてさすがにぼくもあきらめた。

お別れは自分とみおらしく、ネット将棋サイトの対局後。
「今までありがとう」「幸せになってね」「強くなってね」
と言ってきれいに別れた。
その後、ちょっとネットで見かけるときもあるけど
チャットなどで話しかけたことはない。

ちょっと好きになった、いとしのマイミーオ。
そのうちまたどこかの大会か道場で、偶然会えたらいいな!

# by shigeshogi | 2005-11-18 13:25 | 近況 | Trackback | Comments(0)

しばらく更新もしてなかったのに

久しぶりに自分のブログをみてみたら
はじめて(営業ではない)コメントがついてうれしく思いました。
それにレポートを参照すると何で検索してくるのか
訪れてくれている人もいるようです。
自分がここで何を表現したいのかよくわからないながらも
誰かが見ていてくれるということに感謝する気持ちはあります。
ありがとう。

それで近況などを少しまとめてみようかと思います。
現在の自分の世界を大きく4つにわけると
くみのこと、くみ以外の出会いのこと、将棋のこと、
そして仕事やそれ以外の日常のことって感じになると思います。

書きやすい順に書いていきます。

仕事はまずまず。暮れのボーナスもある程度期待できそうです。
それ以外に趣味でやっている外貨取引が堅調。
地道にやってるんでたいしたことはないにしても
ここ2年ほど年利換算で8%以上なんでいいんじゃないでしょうか?

将棋は低調。
9月にうちの師匠の昇段記念将棋大会で優勝したあたりまでは好調だったが、
その後目を覆うばかりの惨状になっています。
いや、マジ弱くなった。まあ勉強不足だからしゃあないかあ。
来週は重要な朝日アマの東京大会があるので
ここはがんばりたいと思っている。
それから団体戦で全勝をキープしていてそれが
その次の週の大会にかかってるので、そこが肝。
チームが昇級し、自分が全勝なら金字塔だ。


出会いの方面ではいろいろなことがあった。
ネットでの出会いとしては、
以前書いたぽちゃのモモさんとはステディな関係になった。
以前はデブに近いとか書いたが
気合入れてダイエットしたようでかなりやせた!
温泉旅行に行ったり、うちに来てくれたり、
かなりH方面も開発中という感じで、本人も積極的になってきた。

彼女は結構本気みたいでなんか申し訳ない気持ちになって
自分はこんな人間のくずで君を傷つけるかもしれないよ、
という話もしたりしたけど、それでも構わないとのこと。
自分も申し訳ないと思いながらもさびしいのでついつい
連絡とってしまい、一緒の時をすごしてしまう。
女の子と抱き合っていれば、嫌なことを忘れられるからね。
つくづくダメな自分だなあと思いながら。。。

ほかにもドタキャンされたHな人妻さんとは結局会えた。
車で2時間かけて入間まで会いにいったが
遠いとはいえ行ったかいがあった。
1日休みをとって朝から夕方までずっとホテルですごす。
半日で4回もシテしまった・・・
いや、別にヤバい薬とか使ってないですよ。
生まれつきそっち方面の体力はあるみたい。。。
しかしさすがにやりすぎたのが、その日でメールが途切れた。
人生は一期一会。止む無し。

他にはお茶女の学生さんとは3回ほどデート。
こちらはスレンダーで中国語ペラペラだけど、
キャラがイマイチぱっとしなくて萌えない。
大山にあるでかい女子寮に住んでいるのだが、
夜の12時すぎるとセンサーがセットされて、
帰れないし、住人でも外出できないそうだ。
週に1度くらいネコがセンサーにひっかかって
夜中に「侵入者あり」の警報が部屋に鳴り響くそうな。
さすがお嬢さま学校とは思ったが、
どう考えてもやりすぎだし・・・(笑)

他にはご近所住みの元ヤンキーの派遣社員(27)と1回お会いした。
地元のファミレスにゴスロリちっくな服装に
フリフリのついた傘さして自転車で現れ
「きたーーーー!(笑)」って感じでした。
IT関連の仕事していて専門知識はすごかった。
趣味も車にマンガにしかも通信で法学の勉強していたり
田舎の秋田の話やら会話はなかなかおもしろかった。
モーターショーに誘われたが忙しくて時間がとれずいかれなかった。
キャラは好み、容姿はややぽちゃだがどことなくくみに似ている
今後どうなることやら。。。微妙な情勢。

さらにネットで知り合ったあった人が2件、
リアルでの出会いが1件あった。
それから一番重要な、くみとのことでもいろいろあったけど
あまりにも長くなってきたのでここでいったん終わろう。

最後の更新をしてからまもなく4ヶ月だけど
やっぱりけっこういろいろなことがあるものだなあ。

写真は最近行ってきたくみのコンサートin宇都宮

# by shigeshogi | 2005-11-17 14:50 | 近況 | Trackback | Comments(0)

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