沖縄のメールフレンドとの出会いに影響を受け
実家を離れ沖縄に行ったのは9年前のことだ。
自分にとっては沖縄時代は
楽しくもほろ苦い青春の1ページとなった。
沖縄での生活の幕開けは明るい光に満ちたものだった。
一人暮らしだったが、沖縄は物価が安く
東京感覚で仕送りをもらえた自分は裕福だった。
まあ、もともと質素な生活をするたちだったし
ぜいたくといえば新車を買ったぐらい。
今もそうだが、お金で買えるものでほしいものが
あまりないという性格なのだ。
沖縄での生活は楽しくて、
車を買ってからは島中を探索してまわったと思う。
美しい景色の中で新しい友達がどんどんでき
人生がいっぺんに開けてきたような感じがした。
将棋も沖縄に行ってはじめての大会
竜王戦県大会で準優勝をして一躍有名になり、
沖縄では強い人があまりいなかったのでちやほやされた。
実際将棋の勉強もして一段レベルアップをして強くなり、
何度も県代表になることができた。
いくと必ずごちそうしてくれるだんな筋ができたり
新聞の
観戦記なども担当させてもらったりもした。
大学生活も楽しかった。
中学高校と詰襟学ラン(今どき!)の
男子校だったから
女の子のいっぱいいる大学は華やかに感じた。
エリートっぽい学校からきていたこともあって
普通にしていれば好成績が取れて、奨学金ももらえた。
大学の先生のこどもさんの家庭教師を頼まれたり
塾講師のバイトをしたり、毎日は充実していた。
いつしか講義のときに一緒に座ってくれる女の子も現れた。
彼女の名前は晴美(仮名)。
沖縄の大宜味という本当の田舎からでてきて貧乏だった。
ボーイッシュでさわやかな印象で自分も好きになった。
シャツとジーンズの似合うスマートな
いかにも女子大生って感じの女の子だった。
ウチナンチュ(沖縄人)らしく、
小麦色だけど若くて弾力にあふれた肌だった。
でも貧乏なのでバイトは忙しいし、
携帯もポケベルもなかったから
連絡を取るのが難しかった。
一方、将棋のほうで将棋をやる34歳の女の人とであった。
まりこ、という。
彼女は三重県から沖縄にやってきて、
沖縄の音楽の勉強にしにきたのだという。
浦添の将棋道場で将棋を指していたら
当時の将棋仲間たちが、那覇の道場に女のお客がきているらしい
という話を聞いて、わざわざ見に行ったのだった。
彼女は沖縄にきたばかりで住む場所も決まってなく
格安の宿泊所に日払いで泊まっていた。
それでぼくは彼女が住むところが見つかるまでみたいな感じで、
うちにこさせたりした。
その後彼女は自分のアパートを見つけたが
お互いに部屋を行ったりきたりするような関係になった。
今思えば2人の女性の好意を得たわけだけど
当時の自分は本当ににぶくて女の子の好意ってものに
まず気がつかなかったし
(それは今もそうで、言葉にしてくれないとイマイチわからない)
どっちもくるものは拒まずみたいな感じで
やりまくってしまった。
今思えば18歳の晴美を大事にしそうなものなのに
将棋という趣味を持ち、
時間が暇でこっちが都合いいときに遊びに行くことができ
携帯もポンコツ車ももっていて
(今思えば自分とのつきあいのために準備したのだ)
積極的で圧倒的に便利だったまりこと会う機会が多くなって
それを察した晴美にはふられてしまった。
普通の男女交際ってことをしたことがなかった自分は
特定の人と付き合うってことが
よくわかっていなかったのだ。
自分は本当に女性の気持ちのわからない人間で
この辺で気がつけばもう少しマシな人生だったかも、とも思う。
まりこのほうとは結局東京に帰るまでの長い付き合いになった。
3年生の中ごろには一緒に住むようになっていた。
そして東京に戻る前の歳に彼女はぼくのこどもを宿した。
彼女は34という年齢もあってこどもがほしかったのだ。
自分が「こどもって好きだよ」って言ったのを
こどもを作ってもいいという意味だと考えて
(わざとそうしたのかもしれないが)
危険日に「大丈夫」といわれて、したら、娘が生まれた。
いろいろ考えて結婚して育てようと思ったときもあったが
しかし学生だった自分は稼ぎもないし
まだ人生を決める覚悟はなかった。
実家に逃げ帰ったり、沖縄に戻ったりを繰り返すうちに
まりこは、まりこなりの覚悟の見せ方をした。
彼女は少し体の弱い中年の軍用地主
(沖縄の米軍基地の中に土地をもっているのでそこから地代が入る
沖縄にはけっこういる人種で働かないで暮らしてる人も多い)
の彼氏をみつけ、その彼と結婚したのだ。
こどもも彼にひきとってもらった。
それを知ってあわてた自分に
まりこは半日だけこどもを預からせてくれた。
こどもはかわいかったが子育てをやってなかった自分は
育児の大変さを思い知るとともに
今の自分には無理だと悟った。
またある将棋指しの奥さんにちょっと手を出したりして
将棋関係者にも疎まれるようになるなど
最後のほうは支離滅裂になってきた。
そして沖縄の荷物を車に積めるだけつんで
フェリーで送り
東京に逃げ帰ってきたのである。
まりこと娘にはもう5年以上もあっていない。
元気にしているのだろうか?
心が弱ったときに、尋ねていきたい気持ちになることがある。
沖縄ですごした4年間はいろいろなことがあった。
しかしここでも生来の怠け者気質と
本当に愛する人を探すという気持ちにかけていたために
幸せをつかむことはできず、
逆に周りの人を不幸にしてしまったように思う。
しかし今でも美しい沖縄を愛する気持ちはやまず
いつの日か心から愛する人と結ばれて
一緒に沖縄を旅するのがぼくの変わらぬ願いである。