今に至る

結局、広島から逃げ帰ってはみたものの、
苦しい状況にかわりはないのだ。

仕事だけは負荷が比較的少ない仕事だったので
なんとか大過なくやることができた。
いい仕事だから、自分なりに誠実に勤めさせてもらった。
こどもたちには癒されるときも多い。

チャムのことをあきらめて出会いを探そうと思って
ネットで出会いを探してみたりもした。
2人ほど会ってみたけど
・・・やっぱり愛せるとは思えなかった。
それに向こうもその気ではなさそうだった。

でも一人の人、まさみさんという人とは友達になった。
32歳の歩いていけるほどのご近所にいる女性。
きれいな人だった。
すごく悲しい過去をもっていて、
現在もとっても苦しい状況みたいで
ご飯を食べない?というとときどき会ってくれた。
いつもさびしかったから、すごくありがたかった。
お互いの過去や現在の苦しいところを、
かなり深いところまで話すことができた。
チャムを裏切るようで後ろめたい気持ちもあったけど
さびしさと性的欲求に負けて彼女と抱き合った。
抱き合っているときは、少し忘れられる。
でも彼女とは決して恋人にはなれないと思うし
彼女もそう意思表示をしている。
でも、癒された。心から感謝しています。ありがとう。


経済的にも7月にチャムのところにいったつけが
一気にのしかかってきて、また家賃の更新もあって
完全にどん詰まりになってしまった。
家賃の督促を何度もされて今週末までには
なんとかしないといけないし、駐車場代も払っていない。
10日の支払いができないからカードもとめられるし
来週からは食っていくのも困難になる。

そんな中おばあちゃんは悪性腫瘍が見つかり昨日から入院。
母親も、自分があまりに心配をかけたから
ノイローゼ気味になって、病院にかかっている。
どうして、どうして、何もかもうまくいかないんだろう。
父親だって持病を抱えている。



今までの人生でなんども苦しいときはあった。
初恋に敗れたときは、まだ若かったし(18歳!)
将棋に出会ってとりあえずこれにかけてみよう、と思った。
そのうちに大学にもいったり、
ネットでの出会いを中心に、
そのときどきで心を支えてくれる女性にめぐりあえた。

2度目の公美のときには、もう将棋はダメだったし
(とても将棋で食っていけるレベルにはなれそうもない)
希望はほとんどなかったけど、
当時仕事をしていて貯金がそこそこあったから
仕事をやめて当分好きなことをして、将棋を楽しんで
貯金を使い果たしてから、考えればいいだろうと思って仕事を辞めた。
(ちょうどこのブログをはじめたころだ)
そうしているうちにチャムにめぐり合えて
もう一度がんばってみよう!って気持ちになれた。

だけど、こんどは何もない。
チャムのところに行くも地獄。
だけど、あきらめても何の希望もなく、やはり地獄。
借金して急場をしのいでも、
今度は借金地獄が待っているだけだろう。
もう親もギリギリだし、これ以上頼りたくない。

どうして、こんなことになってしまったんだろう。
チャムとのことは少なくとも、ずっとまじめにやってきたのに。
ずっと信じて、希望をもってがんばってきたのに。
チャムとのためなら、なんとか未来を切り開いていく覚悟もあったのに。

なんで何も相談しないで、いきなり捨てたりしたの?
あなたのことを必要としていたのに。

いったいぼくが何をした?
あなたが苦しかったとき、毎日相談にのって、助けたじゃないか。
ぼくができることはたかがしれてるけど、
それでも誠意を尽くしてがんばってきたんだよ。
何も他の男に心変わりしなくたっていいじゃないか。
その前にもうちょっと相談してくれれば
ぼくだってやれることをもっと考えたのに。
チャムのほうこそ、自分のことばっかりじゃない。


「二人の一番幸せだった日の一こま」


ぼくの人生が苦しいのは、根本的には自分が原因だと思う。
弱い心や、精神力。
仕事を続ける根気のなさや努力不足。
総合的な生きていく能力が足りなかったんだろう。

世の中はたしかに厳しく、苦しいものだけど
それは誰でも同じことだし、昔から変わってない。
だから全てを世の中のせいにするつもりはない。
自分よりもっと苦しい状況で
がんばっている人がいることもわかっている。

もちろん、家族や周りの人のせいでもない。

心の中で、世の中や周りの人を恨んでしまう気持ちに
なることはもちろんあるけれども、
それだけじゃないことも決してわかっているつもりだ。

今回の恋愛の顛末についても
もちろんチャムだけが悪いなんて思わない。
チャムもチャムなりに悩んで一生懸命ぼくに接して
くれていることもまったくわからないわけじゃない。
ぼくのほうが悪いところも多かったのかもしれない。
チャムが別の人に行くときの決断も、考えた末ということは想像している。

だけど、それでも、
ぼくには本当に君しかいないんだよ。
ぼくのこの今までの人生で一番苦しいときに出会って
そのことを全部わかった上で付き合い始めた君じゃないか?
本気で愛し合って、愛を誓い合ったんだよ?

チャム自身も苦しくて、似たような状況で、
お互い励ましあって助け合ったぼくたちじゃないか。
いくら、君がいい仕事を得て、環境もかわって
苦しいところから抜け出したからと言って
ぼくをお荷物に考えて、捨てようとしないでよ。
ぼくのいうことわかるでしょ?チャム。

なんとか、もう一度、話し合いだけでもしてもらえませんか?
お互い譲り合おうよ。
きっと何か妥協点がみつかるよ。
自分もがんばるし、チャムの立場も考えるし
きっときっとなんとかなると思うよ。
あなたの心もきっと楽になると思う。
憎んだり、うらんだり、苦しめあったりするより
なんとか穏やかで平和な形にしようよ。

頼みます、連絡ください。
ぼくのメールアドレスや、電話番号、わかるよね?
至急、お願いします。

あなたのことを、今でもいっぱい、いっぱい愛しています。

                  あなたの「シゲ/山田茂樹」より

# by shigeshogi | 2008-08-07 08:25 | チャム | Trackback | Comments(2)

ギリギリで弱気を出し、逃げ帰る

8度目にチャムに会ったときのこと。

2007年7月2日、深夜。自分は東京を車で出発した。
今度はお金を残しても仕方がないからと思って
首都高、東名高速もバンバン利用した。
静岡に入ると大雨がふってきて危ない感じになったし
またあとで書く目的のためにはちょっと早く中京方面に
着きすぎてしまいそうだったから
高速を降りて国道1号をひたすら行くことにした。

その目的というのは三重県の白子という場所に立ち寄ること。
ここは昔、付き合いがあったまりこという女性の実家がある。
音信不通だけど、もしかしているかもしれない、
あるいはいなくても実家に家族がいて
何かわかるかもしれない、という思いがあった。

7月3日早朝、まりこの実家にはついた。
10年以上前のうっすらとした思い出を頼りだったけど
場所はわりとすぐわかった。
家はそのまま残っていて、人が住んでいそうだった。
しかしなにぶん朝の6時だったから
自分は仮眠をとって、昼過ぎに出直した。

まりこの年老いたお母さんが応対してくれた。
自分はどんなふうに応対されるだろうか?と不安だったが
お母さんは淡々と話してくれた。
まりこは沖縄で暮らしているとのこと。
白子には2年位前に一度きたとのこと。
結婚して、その人とのあいだにもう一人こどもがいるとのこと。
それを聞いて、これでよかったのだろう、と感じた。
これ以上、例えば連絡先を聞いてもムダだろうし
今の彼女たちの幸せを邪魔することになりそうだ、と思った。
それ以上何もきかず、まりこの実家をあとにした。

それから名阪を通って大阪に入り、今回は下りないで
阪神高速を使って、神戸方面に抜けていった。
お金のこととかは考えても仕方ない、と思った。
高速と、それに続いてきたバイパスが終わると
国道2号をひたすら西へ。長く、長く、苦しいドライブ。
岡山あたりで渋滞に巻き込まれたりもした。
途中、きゃらさんというけっこう長く続いている
広島在住のメールフレンドがいて
その人とのメールにだいぶ励まされた。
その人と会いたいという話もしたけど(ただの友達として)
その人は現在だんなさまと微妙な情勢で今回は会えない
ということになっていた。

道を間違えそうなときとかもあったが、なんとか広島入りして
三原からは海沿いの呉線と平行して走る国道へ。
ここまでくればあと少しとは思うが、
それでもけっこうな距離があってしんどい旅だった。
夜の8時半くらい、やっと神田造船の大きなクレーンなどが
見えて、川尻に入ってきた。
そしてとりあえずチャムの家に。
明かりがついていて、中からチャムの電話の話し声。
「ああ、いるんだ!」って思った。

どうしようか?と思ったけど、今チャイムを押して
チャムに声をかけたらきっと断られて
そのまま会えなくなってしまう、と思った。
それで最初車中泊して、翌日を待とうかと思ったけど
あまりにも暑かった。
で、ネットにつなぎたいということもあって
広のマンガ喫茶に行ってみたけどそこはマンガ喫茶をやめていた。

それで呉のステーションホテルにいったけど
そこはネットが使えない上に値段もけっこうした。
だけど、呉にネット喫茶があると聞いたので
呉まで車を飛ばして、そこで夜明かしをした。
たとえ眠れなくても、翌日チャムのうちで寝られる。
ネット喫茶に朝までいて翌朝、6時過ぎ
大渋滞にもまれながら再びチャムのうちに行った。
渋滞中にチャムはもう出勤していなかった。

合鍵で入って部屋で待たせてもらうことにした。
チャムの部屋の雰囲気はあまりかわっていなかった。
ぼくのあげた薬や、お茶とかがそのまま残っていた。
ぼくがあげた洗濯洗剤は使い切っているようだった。
パソコンの中もいろいろ見せてもらった。
彼とのいろいろな関係のこととかもわかった。
ぼくが一生懸命書いたり送ったメールは
速攻でゴミ箱に捨てられていることもわかった。
そんなに大量に送ってないのに・・・
気持ちはわからないでもないけど、ひどいなって思った。

ほとんど寝ていなかったから、今までに何度も眠った
別府から運んできたチャムの布団で眠れるかと思ったけど
やっぱり不安でまったく眠れなかった。
といって、チャムが帰ってくるのを待つには
おきているのは時間がながすぎて苦しかった。
昼くらいに、一度広の街にでて、
もしかして一緒に食べられるかもしれないお寿司やくだもの
そして、ビール、お茶などの飲み物をかってきた。
それでも時間が大量にあまっているので、
一度渡ってみたかった海越えの有料橋を渡って
蒲刈島というところに行ってみた。
ビーチは波穏やかでとても美しかった。
車が転落しそうな危ない道に迷い込んでしまって難儀した。
なんとか、抜け出して、また有料橋を渡って帰った。

そのあと野呂山に車で登った。
思った以上に高い山だった。
山頂からは瀬戸内海の景色がパノラマのように見えた。
美しかった。
眼下に神田造船の工場も見えて、あの中にチャムがいる、と思った。

それからチャムの部屋に戻って、
ようやく、夕方になったのだった。

母親に電話した。
すぐに帰りなさい、と言われた。
帰れば相談に乗るから、と。
でも今更帰れなかった。

チャムはいつもと同じ6時ちょっとすぎ帰ってきた。
部屋に入ってくる。
チャムが完全に部屋に入りきったのを確認。
声をかける。
逃げられたり、大声をだされないように
「落ち着いて、落ち着いて、静かに」と言う。
チャムはなんとか冷静に対処してくれて騒がないでくれた。

チャムの部屋の包丁をぼくが別の場所に移しておいたのを
目ざとく見つけて、どこかにチャムはどこかに隠した。
いろいろ話した。
ぼくは手をついて、お願いだから・・・と話した。
チャムも私こそお願い・・・となった。

チャムの彼氏から電話がかかってきた。
電話は許したけど、そのあと携帯の電源を切った。

話は難しかった。
途中チャムが逃げようとしたりした。
自分は押さえつけてもってきたロープを出した。
チャムは「しばりなさいよ」と言った。
「私をモノみたいに東京にもってかえればいい。
モノみたいな意思のない私でもいいの?」といった。
そして、自分で足にロープをまいたりした。
チャムを縛ろうとしたけど、苦しそうな顔をみて
どうしても縛りきれず、形だけまくような感じになった。

チャムのことを殴りたい、あるいは電気ショックでも
と頭ではいろいろ考えていたけど
実際目の前にいるチャムはやっぱりかわいいし
愛しているから、とてもそうすることはできないのだった。

長期戦の様相になってきた。
チャムは体操ならときどきしてあげるから、
今すぐは無理だけど、ちょっとたったらまた会ってあげるから
みたいな話をしてくれて、もうやめよう、と言ったけど
その場を逃れたくて言っているだけだと思った。
チャムを押さえ込み抱きしめつづけた。
ほしい、と思った。

夜の11時くらいだったか、事態がかわった。
チャムの部屋の呼び鈴を鳴らす音がする。
チャムは「車を勝手に止めているから注意にきたのよ」と言った。
それで動かせば解決するだろうと思って、外にでて応対した。
きたのはチャムの彼氏だった。

チャムの彼氏は一見して、自分とすごく似た感じの人だった。
やっぱりこういうタイプの男が好きなのか、と思った。

難しい状態になった。
男はとりあえずチャムと話したい、という。
でもある意味、ぼくは助かった、という感じがした。
ここで引き下がれば、事件にならないで終われるかも。。。

今、思えば、なんて気が弱いとも思うけど
やっぱり怖いし、不安だし、誰かを傷つけたくないし
もちろん自分も傷つきたくないし、
警察沙汰とかになるのも嫌だったから
何か退くきっかけを探していた気持ちもあった。

結局、引き下がってしまった。
チャムを彼に譲り渡し、おめおめと帰ってしまった。
わざわざ東京からでてきて、なんて弱いんだろう。

帰りの道はずっと高速道路を走り続けた。
何度も日の当たるパーキングで仮眠をとった。
苦しい、苦しいドライブで永遠に続くかと思った。

でもなんとか死ぬことはなく、家にたどり着いた。
もううちには帰れないと思っていたから、不思議だった。
机の上には、行く前においていった書置きがそのまま残っていた。

自分は疲れて何も考えられない状態だった。
ぐっすり眠れるかと思ったけど、意外に眠ることもできず
やたらのどが渇くばかりだった。
だけど、睡眠導入剤を使ったら、ようやく少しだけ眠れた。
ようやく生きている感じがしてきた。

案の定チャムとはまったく連絡がとれなくなった。

チャムの中では彼が助けてくれたヒーローということに
なったようだった。
ひどい話だと思った。
そしていい気になったように、彼との写真などを
ブログなどに載せるようになった。
悔しかった。なんで、ぼくはいつも決断力がないのか。
なんでこんなに思い切れないのか。

そして、今にいたる。

いい気になるなよ。ただ、そこにきただけのくせに。
お前がいったい何をしたっていうんだ。
オレは何倍も悩み、チャムのことも考え、
ずっとずっと長い時間がんばってきた。
ゴミのようにすてられるようなこと、何もしていないんだ。
チャムもいい気になるな。何がヒーローだ!
オレが許してやったんだ。
人を傷つけて、苦しめて、自分たちだけ楽しければよければいいの?
相手の気持ちは考えないの?

謝ってよ。心から謝ってよ。
謝って、心からの誠意を見せれば、考えるよ。
偉そうに上からの態度で応じるつもりなら、絶対許さない!

# by shigeshogi | 2008-08-07 07:36 | チャム | Trackback | Comments(0)

のたうち回る日々 ~どうしてもうまくいかない

カウンセリングをうけたり、仕事をはじめたことと
同時期のチャムとのこと。

仕事とかがんばっているにもかかわらず
チャムとの状況は悪化する一方だった。
ぼくが仕事をはじめた初日に、チャムが突然
「今日からスカイプと体操をやめます」と言ってきた。
正直言って、なんでこんなときに、という気持ちだった。
こっちがようやく新しく仕事をはじめて
これからというときになんでそんなことを言うのか
はらわたが煮えくり返るような思いだったけど
チャムを愛しているし、メールはいつでもどうぞ、
というので辛抱した。

メールも工夫してなるべく明るく、前向きに書いた。
ところが返信はいつもすごく短くてやる気のない内容。
本当にむかついたけど、今はガマン、とまた辛抱。

少し時間をおいたほうがいいのかな・・・と思って
1週間ほど連絡をガマンして、そのあとハガキを送ったり
仕事を続けつつ、なんやかんやと考えて努力した。

「一生懸命仕事した」と言えば
「じゃあもうチャムがいなくても大丈夫だね」と言われ
「新しい職場でこどもたちがかわいい」という話をすれば
「新しい方向でがんばっているみたいで安心しました」
って感じで、自分のことをあきらめさせることしか
考えてないという感じで、
人をバカにするのもいい加減にしろって感じだった。
許せば、許すほどつけあがられる感じだった。

最後には電話はもうしないでくれ、とか言われたり
携帯メールにも返事がこなくなったり
何をしてももうダメなのか、という気持ちになっていった。
毎日がんばっているのがバカみたいだ。

このころになってくると生活のほうも行き詰ってきてしまった。
5月の最後から6月のはじめにチャムのところに行ったり
就職活動のために高いスーツを買ったり
それに追い込まれてしまって、将棋もあまり勝てなくなったし
まして勉強したりするのも辛くなった。
それに自動車保険の更新とか住んでいる部屋の契約更新とかが
それぞれ、7月、8月にせまっていて
たくわえを使ってしまった自分は破綻必至の状態になってしまった。

そんな中、チャムとの情勢は悪化の一途、もはやいじめられ放題
という感じになってきてしまったし
そんな中でも毎日仕事を続けないといけないし
仕事のあととか将棋をすれば、疲れていて粘り倒されて
ますます勝てなくてストレスがたまるしという感じで
やればやるほどすべてが悪くなる悪循環状態になってしまった。

死にたい、と何度も思ったけど、死ぬこととかを具体的に
考えたりすると、やはり怖くて、死ねない、と思うのだった。
それに自分が死んでも、チャムは「これ幸い」とばかりに
新しい彼氏とやらとラブラブラブラブするのかと思えば
死ぬのも負けて逃げるみたいで悔しいと思った。
それで、なんとか直接会いに行って、会って話をしたい。
しっかりと自分の思いや、苦しい状況を説明してなんとか理解してもらい
関係を改善したい、あるいは新しい彼氏とのこと考え直してほしい、
あるいは一緒に住める算段を考えてほしいと思った。
どうしても説得に応じてもらえなければ
力づくでもきてもらう、わかってもらう、どうしようもなければ
そのときはそのときで。。。と思った。

そう考えて、チャムのところに行くことを決めた。
7度目の出会い。
車がなければ、チャムを連れてくることもできない、と思って
車で行くことを決めた。

そのときのとても苦しい思い出は、次回。

わりと最近の写真。ぼくと一緒だったころのチャムとは
いろいろ雰囲気が違うなあと思ったりする。
少し大人っぽくなったともいえるかもしれないけど
ぼくはぼくと一緒のころのチャムのほうがずっとかわいかったと思う。
時は戻せない。
だけど、チャムとはずっとずっとやっていけるって堅く信じていた。
ぼくもたくさん、悪かった。
だけどチャムもあまりに一方的だ。
この広い世界で、ただ会って話すだけでも、すごく縁のあること、
とチャムは言った。
もしそうであるなら、ぼくたちがあれだけ愛し合って一緒にやってきたなら
その関係は決して簡単に切り捨てることのできるような縁ではないはずでしょう?
ねえ、チャム、ぼくを助けてよ。
自分も助かるための努力をするから。
まずは連絡、ちょうだい。お願いです。

# by shigeshogi | 2008-08-07 06:27 | チャム | Trackback | Comments(0)

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