古来、コメは日本人の主食だった。当然のことと思っていたら案外で、「農業と食料がわかる事典」(日本実業出版社)は、近世以降の食生活を概観しながら興味深い考察を記している。
文字通りに「コメ主食」時代といえるのは、列島各地で開墾が進み、人々の暮らしに余裕が出てきた大正期から昭和初期にかけてだけ。それ以外は<願望としての主食か、残映としての主食なのではなかろうか>と。
なるほど、江戸期や明治期は冠婚葬祭以外でコメを腹いっぱい食べられるのはまれだったろう。終戦前後は食料難が深刻だった。その一方で、戦後は産業構造の変化による農業の衰退や食生活の急激な欧米化から消費が大きく落ち込み、慢性的なコメ余りに陥った。
瑞穂の国では、コメの生産調整(減反)が続き、耕作放棄地が広がっているのが現実だ。
が、世界各地で食料危機が叫ばれるに至り、長くそっぽを向かれていたコメにもようやく復権の兆しが見えてきた。
二〇〇七年度の一人当たりの年間消費量は前年度比〇・四キロ増の六一・四キロ。小麦価格の高騰による割安感や、食の安全性を最優先する消費者の国産志向の高まりなどを追い風に十二年ぶりに前年度を上回った。
五月から完全米飯化に踏み切った岡山県の美咲町など全国的に米飯給食が浸透。小麦粉に代わる米粉が注目され、飼料用米の普及も徐々に進む。用途が増えれば日本農業の活路も広がろう。
コメ回帰はどこまで進むのか。事典にはない「第二の主食時代」の到来が待たれる。
(編集委員・国定啓人)