産科医表情硬く 患者へ深々と謝罪 大野病院事件

硬い表情のまま、言葉を探しながら質問に答える加藤医師(左)と、主任弁護人の平岩敬一弁護士=20日午後1時45分ごろ
 「今後も地域医療の現場で、自分にできることを精いっぱいやっていきたい」。福島地裁で20日にあった福島県立大野病院事件の判決公判。無罪を勝ち取った加藤克彦医師(40)は記者会見で現場復帰に強い意欲を見せたが、硬い表情は崩さず、亡くなった女性患者への謝罪を繰り返した。一方、遺族は「残念。彼女はもう戻ってこないが、今後に生かしてほしい」と無念さを隠さない。帰らぬ命と無罪判決のはざまで、複雑な思いが交錯した。

 弁護団と市民会館で記者会見に臨んだ加藤医師。冒頭、「信頼して受診いただいたのに最悪の結果となったことを申し訳なく思う」とあらためて謝罪し、頭を下げた。

 突然の逮捕で医療現場を離れてから丸2年半。「何もできない、何もしたくない悶々(もんもん)とした日々だった」と振り返った。待ちに待った無罪判決にも、表情に晴れやかさはない。

 「いろいろ言いたいことはあるが、今後(医療事故調査などの)制度が変わる可能性もある」と捜査批判を封印したが、「同じような立場の人をつくらないでほしい」と付け加えた。

 言葉を選ぶように質問に答えた加藤医師だが、医師復帰をめぐるやりとりでは言葉に力を込めた。「2年半、何もやっていない不安はあるが、医師という仕事は好き。またやっていきたい」

 女性患者の父親渡辺好男さん(58)は弁護団にやや遅れ、県庁で記者会見した。「最初から知りたかったのは真実。病院で何が起きたかだけを追及してきた。公判を通じ、知らされなかったことの一部が分かった」と事件化の意義を語った。

 しかし結果は無罪判決。「これ以上の解明は難しいのかな」とぽつりと漏らし、静かな口調に深い落胆ものぞかせた。

 事件をきっかけに医療が崩壊したような論調も強まり、脅威も感じたという渡辺さん。多くのカメラを前に初めて記者会見したことを「自分たちは悪いことをしていない。医療界に変わってもらうには、必要だと考えた」と説明した。
 血圧が次第に低下していく手術経過などが読み上げられていく判決を、「娘は生きていたんだな」と感じながら聞いたという。「今も元気な姿をふとした瞬間に思い出す。いまだに『なぜ』とばかり考えてしまう」と遠くを見つめた。

◎医療事件立証難しさ露呈
 【解説】大野病院事件で加藤克彦被告(40)を無罪とした20日の福島地裁判決は、弁護側主張に全面的に沿ったものではなく、検察側立証の不十分さを指摘した内容だ。医学界の協力がない中では、高度な専門性が問われる医療事件の立証の困難さが浮き彫りになった。

 最大の争点だった胎盤剥離(はくり)継続の判断について、判決は「直ちに子宮摘出に移るべきだった」との検察側主張を「一部の医学書と検察側鑑定による立証のみで、臨床症例は何ら示していない」と否定した。

 立件への反対を明確に表明した医学界の後押しもあり、弁護側は周産期や病理の権威と目される研究者を次々と証人に立てて反証した。

 一方で検察側は周産期の専門家を証人に立てられず、十分な立証ができなかった。象徴的なのが、剥離でのクーパー(医療用はさみ)使用の是非だ。冒頭陳述では過失の柱だったが、捜査段階で使用に否定的だった検察側証人が公判で証言を翻し、検察側は結局、論告で過失から外した。

 主張に沿う鑑定や証人を十分に集められなかった検察側は立証不足と批判を受けるが、立件に反発して高い壁を築いた医学界はどうだったか。

 捜査段階で福島県警は周産期学会の幹部に鑑定を依頼したが、多忙を理由に断られた。この幹部は公判で弁護側証人として出廷し、「診断は慎重で間違いはない」と証言した。もし捜査段階で同様の鑑定があれば立件されなかった可能性もある。医師擁護で結束した医学界だが、無実の証明のためにも捜査への前向きな協力姿勢が必要だったのではないか。

 事件化で加藤被告1人が責任を背負ったが、背景には産婦人科医が大幅に不足する厳しい現実がある。インターネット上で見られた医師の反応は「有罪ならば、産婦人科医のなり手がいなくなる」と検察批判に向いたが、地域の周産期医療が抱える問題を置き去りしてきたことこそが、疲弊しながらも最前線で診療に当たる医師の反発を招いたとも言える。(福島総局・熊谷吉信)
2008年08月21日木曜日

福島

社会



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