2008年8月9日(土)
自分の為
マザーテレサも自分の為に働いている。
この事は、若い人たちには少し分かり難いかもしれない。
そう言えば、私自身これを本当に分かってきたのは、ごく最近のことかもしれない。
特に、アスペルガー症候群の人たちは、言葉そのままに受け取ることが多いから、
裏の意味、真の意味に気付くのが遅いかもしれない。
マザーテレサは、インドの最貧地区で、自らをかえりみることなく、奉仕し続けた人だ。
人は、その事を多いに讃えたし、私もそうだ。
しかし、事実は、マザーテレサはすべて自分を犠牲にしていたんじゃあない。
マザーテレサは、インドで働くことに喜びがあったんだね。
そして、貧しい人のために働くことが嬉しかったんだ。
世界のお金に余裕のある人に、インドのその地域の現状を訴え資金を得ることが、
さらに、自分の夢を実現できるから嬉しかったんだな。
そして、なにより自分の努力で、其処に居る人が喜ぶことが、嬉しかったんだ。
つまり、自分を犠牲にして、何かをしようとしたら、自分には限りがあるから、
お金が無くなって、自分が夜逃げをするか、鬱病になるかしか無いんだ。
自分が、本当に自分のため、自分の喜び、自分の満足のために出来ることを見つければ、
それは、無情の喜びに繋がるんだね。
その点、浅見淳子は金と有名になるためだから、本当に正直な定型発達なんだな。
変質者の、境界性人格障害ではあるけれどね。
アスペルガー症候群の私たち、敢えて私も含めるけど、
世間一般の表向きの言葉に支配されてしまって、本当の意味で、
自分のために生きると言うことを、知らずに成長してしまっているんだ。
だから、こんなに生きていくのが苦しいんだ。
自分のために生きる。 この命題について、この夏休み時間を掛けて考えてみよう。
マザー・テレサの講演を聖イグナチオ教会へ聴きに行ったことがあります。
彼女は非常に裕福な家の出身だそうで、印象的なことを語っていました。
自分はとても裕福な家庭で何不自由ない少女時代を過ごしたおかげで、欲しいものは何でも手に入れ、満足するということを知った。
人に惜しげ無く献げ、差し出すことが出来るのは、満足することを知っているからである。
でも、裕福な家に育っても満足を知る人ばかりではないようですから、色々ですね。
とにかく、マザー・テレサは一般的に思われているように、自分を犠牲にして人に尽くしていたという意識は、本人には全くなかったようです。
夜逃げか鬱。私のことみたいです・・・
今自分を守るためにどのくらいなら戦ってもいいのか、それとも自分は騙され、利用され、搾取されても仕方ない存在なのか、考えています。
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