小島一志コラム
ここでは、弊社代表を務める小島一志のコラムをご紹介します。格闘技ジャーナリストとして20年にわたって活動してきた小島ならではのコラムを毎月お届けします
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 2006年4月30日。『大山倍達正伝』制作の協力者である「大山倍達研究家」こと宮田玲欧氏のホームページ『武道・格闘技版』の掲示板において、『大山倍達正伝』の著者が小島一志、塚本佳子であることが発表された。
 それを契機として、先の掲示板では小島に対する根拠のない批判の書き込みが多数見受けられるようになっていった。
 「2ちゃんねる」などの掲示板にまま見られる、事実に基づく確証や論拠のない小島に対する批判、揶揄への見解として、小島は以下の文章を「武道・格闘技版」の掲示板に寄稿た。
 Netの掲示板の書き込みを読んでいて私が許せないのは「事実に基づく確証なく批判する事」です。
 確かに私の文章はある面過激であり断定口調が問題にされる事もあります。しかし次の点だけは明確にしておきたいと思います。特に●●さんや▲▲さんの意見こそが、2ちゃんねるで流れているような私への●●確証無き批判」の典型のように感じてしまいます。
 ですから、これから書く事は全てのNet掲示板で私を批判する人に向けたメッセージだと理解して下さい。
 私は物書きが商売で、物を書くのが仕事です。「?を批判して飯の種にしている」というのならば評論家やジャーナリストは皆そうだという事になります。
 それじゃ●●さん、あなたは何にも飯の種にしていないのですか? サラリーマンとして営業に携わる人は会社の製品を売る事を飯の種にしているのです。証券マンは株を人に売る事を飯の種にしています。物書き、作家は皆、物を書いて飯の種にしているのです。
 私は極真会館の分裂騒動を書いて飯の種にしています。黒沢浩樹の事を書いて飯の種にしています。当然の事です。私は物書きのプロですから。
 私が著書の中で「ある事ない事を書く」「人格否定をする」というならば、私が今までどんな事について「ない事」を書いたのか証明して下さい。どの点が人格否定になるのか現物で指摘して下さい。「大学教授のM氏が?」ではなく、教授の実名を挙げて欲しい。もしくは教授自身が匿名で私を批判しているならば名前を名乗って下さい。それならば私は実際に、その教授に会いに行きます。北海道でも沖縄でも私は直ぐに行きます。実際に会って事の真偽を確認します。仮に私を殴りたいというならば何時でもケンカは買います。
 ちなみに大道塾の東氏と私の間の確執も、その原点は長田賢一さん達当時の指導員から直談判されて頼まれた東氏への苦情を、私が憎まれ役を買う形で受けて進言し、それを嫌った東氏が「大道無門」という機関誌に「小島は情緒不安定なので以後小島と付き合う者を罰する」と書いたのが発端です。
 私が福昌堂を辞めたのも、私が個人的に東氏に書いた手紙の中の「ボーナス等がない福昌堂の社員に対する待遇の悪さを記した部分」のみを抜粋コピーして福昌堂の社長に見せ、小島の解雇を迫った事が原因です。この事実は有名な格闘技編集者・山田英司氏も知っている事実です。東氏のこれらの行動こそが明らかに常軌を逸したものではないでしょうか?
 また東氏は自著の中で「小島が独立して新雑誌を作る為にお金を借りにきたが断って諭した事を逆恨みして大道塾の悪口を言いだした」と書いています。それこそが「ない事」です。私は1度も東氏に借金を頼んだ事はありません。
 1980年代、東氏が如何に経済的に困窮していたか私はよく知っています。機関誌「大道無門」も私は一切無報酬で作っていました。そんな事は長田賢一さん達がよく知っているはずです。
 噂によれば最近、東氏は「小島から突然電話がきて仲直りしたいと言い、大道塾にきて東氏に土下座をしたが許さなかった」と公言しているようです。ライターの家高康彦が実際に東氏から聞いたと私に語っています。しかし私は東氏または大道塾の電話番号も知りません。勿論東氏には電話もしていませんし、会ってもいません。
 ただ今後、機会があれば何時でも東氏に会う意志はあります。もう20年近くも昔の事です。全てを水に流して東氏と付き合うのもやぶさかではありません。しかし、その為には筋の通った手順が必要です。
 私は東氏との確執の経緯を振り返っても一切間違った事はしていないし「ある事ない事の嘘」は書いていません。ただNet掲示板などで小島批判を展開する人の多くが大道塾関係者である事は知っています。
 小島の言動が「ある事ない事の嘘の固まり」というならば、長田賢一さん達当時の指導員に直接、当時の小島と東氏の経緯を聞いて下さい。長田賢一こそが小島と東氏の確執の原因を熟知する証人ですから。また自分にとって長田さんは今でも親友だと思っています。
 匿名で、さらに嘘だけで確証もなく私を批判するのは極めて卑怯だと言っておきます。
 少なくとも私は自分の名前を公表し、たとえ「飯の種」であっても本の中で堂々と批判や評論をしています。Net掲示板で匿名(名無しさん)の小島批判をするならば、自らの名前を明かした上で私の会社(夢現舎)に手紙なり電話なりして欲しい。私は喜んであらゆる質問に答えます。
 この「武道・格闘技版」の管理人氏とも、最初はメールのやりとりから始まり、現在では電話し合ったり、会って語り明かす関係に発展しました。今や「格闘技研究家」氏は私の親友です。「武道・格闘技版」の管理人氏宛てにメールをくれれば、直接私が返事をします。
 もし今後、あらゆるNet掲示板において、確証も根拠もなく人伝てまたは噂だけで私を否定、更には人格否定の発言があった場合(根拠ある批評、私の主張に対する正当な立場からの反論はどんどん指摘して下さい)、私は徹底的に戦います。
 私(夢現舎)には顧問弁護士、顧問探偵、専属BG&SSがおります(そうでなければ格闘技界で文筆業など営んではいられません)。合法非合法的手段に拘らず必ず書き込み人を特定し、合法非合法に拘らず必ずケジメは付けさせて戴きます。
 三瓶氏との経緯も私の本を読めば「ある事ない事の嘘」ではない事が分かるはずです。
 人格否定というならば一例を挙げますが、三瓶氏は「小島と松井、黒沢はホモ関係」と言い触らした張本人です。実際、私が三瓶氏本人から確認しています。
 また私は過去何度も自ら三瓶氏本人に、会って話をしたいと提案しています。その都度三瓶氏は理由をつけて逃げています。三瓶氏が「絶対に書かれては困る事実を私が握っている」事を怖れているからなのでしょうか?
 でも私はこれからも三瓶氏と実際に会い、互いの誤解を解く努力をしたいと思っています。第一、私は面と向かって三瓶氏とケンカした訳でも言い争いした訳でもありません。要は私が極真分裂の際に松井側に立った事が全ての原因です。
 三瓶氏とは可能な限り直接会って話をしたいと思っていますし、関係改善に尽くすつもりです。ただ私が今まで三瓶氏について書いてきた事は「事実」であり全て間違ってはいないと断言します。何時でも証拠は提示します。
 最後に松井氏について書いておきます。
 私の本でも書いてきたように、松井氏は私にとって親しい友人でした。私と松井氏の関係を知る大山総裁は、だからこそ「小島、良薬口に苦しというように、松井にとって苦い薬の役を担ってくれ。単なる空手や仕事の付き合いじゃなく友人関係だからこそ、時には戒めの言葉を松井に言ってやってくれ」と言ったのです。1994年3月8日の事です。私にとって、それが総裁の遺言です。
 松井氏の2代目館長は明らかに総裁の遺志です。だから私は総裁が松井氏に託した「新会館建設」「空手百科制作」「武道空手の継承」「極真会館の公益団体化」について、常に松井氏に進言してきました。
 特にKー1などのショービジネスへの接近については、「武道空手」の方向性と異なるという理由で苦言を呈してきました。既に1997年『新極真空手』や自著『実戦格闘技論』でも松井氏のショービジネスへの接近を批判しています。その思いは今も変わりません。
私は松井氏が総裁の遺志を受けた後継者だと信じるからこそ、行動の上でも総裁の遺志を継いで欲しいのです。そう公言し、松井氏本人に言う事、それが私の役割です。
 ただ私と松井氏の見解が合わず、合意が出来ないからといって私は松井氏と「ケンカ」するつもりはありません。今後も私の主張は変わらないし、この点については堂々と松井氏批判をするでしょう。
 しかし私と松井氏の間の絆はそれだけではありません。
私にとって松井氏は大切な友人でした。
 1991年、2人がまだ若く将来の展望さえ描けなかった時代、松井氏は私に「小島さん、一緒に大きくなっていきましょう」と言ってくれました。私の会社が大きくなり事務所を移転する度、松井氏は立派な花束を贈ってくれました。松井氏にも小島に対する友情がある以上、今後も私は松井氏はかけがいのない友人であるし、松井氏を応援していくつもりです。
 今私は極真空手の方向性として盧山先生の姿勢を高く評価し認めています。それは過去から今まで盧山先生と私の極真空手観がイコールだからです。それは私の著書を読んでいただければ一目瞭然でしょう。
 しかし、それはそれとしながらも私には松井氏を憎んだり否定する理由がありません。むしろ人間個人として、私は松井氏を尊敬さえしています。私には松井氏に対する友情があります。
 1998年、『実戦格闘技論』の中で松井氏批判を書いた私は松井氏と会いました。私は「昔のように貧乏で夢しかなかった時代が懐かしい。松井さんともただの友人でいられたからね」と言いました。すると松井氏は「それぞれ立場が変わり、僕は館長で小島さんは社長、作家になりましたが裸の部分では何にも昔と変わりませんよ。これからも昔のままですよ、僕達は」と言いました。
 繰り返しますが松井氏は私の大切な友人であるし、尊敬する人間です。だから、さらに立場が変わっても私は松井氏を見守り続けていきます。
 私は「人間としての部分で」決して松井氏の敵には回りません。それだけは明確にしておきます。
追伸
 7月下旬に新潮社から私と塚本佳子共著の『大山倍達正伝ー虹を渡った巨人』が発売になります。 原稿用紙1400枚、1部「人間・チェヨンイ」が塚本、2部「空手家・大山倍達」が小島担当です。発売前後は『週刊新潮』で特集連載を組んで貰う予定です。『空手バカ一代』を代表とする伝説を全て覆す内容ですが、少なくとも総裁の強さが本物だった事が証明出来た事は嬉しい限りです。
 ちなみに総裁のアメリカ遠征での活躍は全て総裁が著書で書いた通りの「真実」でした。
小島一志



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 前回の小島の見解文が宮田氏の掲示板に掲載された後、小島が今までに公にしてきた文章に対し、断定的な文体であるとか、個人的な見解に基づく誹謗中傷が多いのではないかという批判の書き込みがいくつか寄せられた。それらの意見に再度小島が答えるかたちで、掲示板に寄稿した文章を以下に転載する。
 最近、過去の小島の著書に対して、断定口調が多いとか感情的な文章だとかと言った批判の声がいくつか寄せられています。
 それらの声に対し、まず最初に貴重なご指摘をありがとうございます。更に大変小島自身それらの指摘に対しては深く反省している次第です。
 嘗て、松井館長から小島は次の様なアドバイスを受けた事があります。松井館長曰く、
「小島さんの文章は良く言えばパワフルなんですが、極めて語調も強く、断定口調に終始してしまう事が少なくない。だから小島さんの文章が感情的だとか傲慢だとか言った見方をされてしまうことも多い。ただ、一方で、小島さんの文章は論理的に隙が無いため、反論しようにも理屈で反論することが困難になってしまう。かと言って論理性が高いからという理由で読者の反感が消えることはない。理屈で反論出来ない分、読者の反発が小島さんの人格否定に繋がってしまうこともある。それが小島さんの文体の特徴ですし、それを支持する人もいるだろうが、少なくとも小島さん自身はそういう自分の文章の長短を理解しておくべきだと思います」
 松井館長の言葉は、まさしく正鵠を射ていると小島は理解しています。それが長所であるという自負よりも、短所であるという事実を深く受け止めていく所存です。
 その意味で、今度発売される『大山倍達正伝』では精一杯反省を生かし、より良質で説得力のある文章を心掛けました。これからも以上のような指摘を正面から受け止め、頑張っていくつもりです。
 ただ一点、文章の中で誰かが、言った言わないという表現は水掛け論になってしまうという指摘について、つまり「あることないこと」の「ないこと」は勿論、「あること」でさえ、証明は難しいという声に対して唯一反論させていただくならば、小島の著書の中で書かれた誰かの発言には必ずそれを証明する資料なり証人がいるということだけは、理解していただければ幸いと存じます。
追伸
 三瓶氏が吹聴した私と松井館長、黒沢さんのホモ疑惑について。
 以前も書いたように小島は三瓶氏自身に彼が発信源である事を確認しています。またこれについては松井館長など証人も少なくありません。××さん、何ならばアナタの前で小島が直接三瓶に確認してもいいですが。
 何度も言いますが小島の文章が断定的で感情的と誤解されるのは全て小島の未熟さ故です。ただ誰が言ったかどうかは録音でもしなければわからない……と言うならば、何も書けません。私の発言には常に証言者や資料がある事を言っておきます。また私への批判は名前を上げてするのが筋ではありませんか? 私は名前を公開しているのですから。私に対する意見や批判、要望などがあれば直接私にメール下さい。改めてアドレスを記しておきます。
boss14kyokushin@docomo.ne.jp。



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 くだんの宮田氏の掲示板において、ハンドルネーム○○氏より次のような書き込みがなされた。
「小島氏は、かつて氏自らが編集長を務めていた『月刊武道空手』(成美堂出版)誌上において、掲載していた漫画に大道塾をモデルとした空手団体を悪役として登場させた。さらに読者のページでは、大道塾と思われる団体を誹謗・中傷する投書(しかも編集者が書いたのではないかと思われるもの)を掲載することで、読者が大道塾に対して、偏見を持つように仕向けていた。その行動は、マスコミ人として疑問符を付けざるを得ない」
 この書き込みを受けて、宮田氏は『月刊武道空手』全14冊をもとに事実を検証のうえ、○○氏に反論した。宮田氏からの反論に対し、○○氏もさらに異議を唱え、両者の間で白熱した議論がなされることとなった。
 その後、○○氏の書き込みに端を発した議論が一応の決着を見たとき、それまで無言を貫いていた小島は以下の見解文を掲示板に寄せた。
 私が昔関わった雑誌『月刊武道空手』の漫画『拳王』および「読者の投稿ページ」における「大道塾への中傷など」について、○○さんと研究家(管理人)さんのやり取りを客観的に傍観してきました(研究家さんからの質問には答えさせて戴きましたが見解については研究家さんにお任せしました)。
 まずは○○さん、貴重なご意見、ありがとうございました。また研究家さん、まさにジャーナリスティックな視点に立った論理的な検証には物書きの端くれでもある私でも頭が下がる思いです。研究家さんこそが所謂「市民ジャーナリスト」と言える存在なのです。いずれにせよ、率直な意見を言ってくれた○○さんと、冷静な検証をしてくれた研究家さんには感謝いたします。
 さて、私と大道塾(東孝氏)の確執はこのスレッドで以前書いた事がすべてです(※コラム1参照)。ただその後、両者が歩み寄る機会に恵まれなかった故に、互いの対立構造がエスカレートしつつ現在に至っている事は否めません。私と東孝氏が袂を分かった後、ある意味でメディアを使い、互いに「批判合戦」を繰り返しました。
 私が『月刊空手道』編集長を辞し、福昌堂を退社した後、1988年暮れから90年にかけて『月刊空手道』では東氏と一体になり、まさしく「小島批判」のキャンペーンが張られました。まさに有る事無い事を書き連ねる『月刊空手道』の姿勢は、かつて同誌が展開した「極真&大山倍達批判キャンペーン」を彷彿とさせるものでした。長年世話になった福昌堂から徹底した批判に曝され、また福昌堂からはあらゆる空手・格闘技関連団体および出版社に「小島が不正行為を働いた為、解雇した。今後、小島との付き合いは遠慮願いたい」という「絶縁状」が送付された時にはとても悔しい思いもしました。
 同時期、東氏も『大道無門』の中で福昌堂の「絶縁状」同様、「以後、小島との付き合いを禁じる」という「破門通告」を掲載しました。私は進退極まる状況に追い込まれました。
 そんな私を救ってくれたのが芦原英幸先生と大山倍達総裁、そしてビデオ会社・メディアエイト社長の前田達雄さんでした。特に芦原先生は生涯の恩人です。私は孤立感に悩みながらも家高康彦と伴に死に物狂いで企画書を作り、足を棒にして出版社への営業を繰り返しましたその結果、成美堂出版から『武道空手』の創刊が決定したのです。
 私の心には、私からのプライベートな手紙の抜粋コピーを福昌堂社長に見せて私の解雇を迫った東氏の行動、そして福昌堂と東氏による「絶縁状」「破門状」、さらに『月刊空手道』での小島批判キャンペーンに対する悔しさや無念さが極限状態まで高まっていました。
 『武道空手』創刊前、成美堂の担当者と私達の間で「一方に偏向したり、批判する事なくバランスある編集をする」事を確認しました。しかし以上のような私と東氏との確執の影響は無意識のうちに表れていたと自分でも理解しています。
 漫画『拳王』の中で○○さんが指摘したように、私達が(実際に具体的なアイデアを出したのは家高であり原作脚本も家高が書きましたが……)ともすれば大道塾と想像する事も出来る団体を仇役に設定したのは事実です。
 しかし研究家さんが指摘するように、当時は大道塾と殆ど同じスタイルで試合を行う流派も多く、一般の読者が見ただけでは絶対に大道塾と特定出来ないように配慮しました。
 当時、「東氏が大道塾を設立する際、闘道と名付けようとしていた」という、ほんの数人しか知らない秘密話が存在しました。それを知る私と家高は、「その逸話を知る数人」だけが、「この団体は大道塾を揶揄している」と理解出来るように「闘道」という名前を付しました。いわば「闘道」は暗号だったのです。だからこそ、私達は『拳王』に登場する闘道が可能な限り大道塾と読者に想像されないよう心掛けました。何故なら、その事実を知る数人にだけに私達の意図を知らせたい、というのが私達の目的だったからです。○○さんは、そんな私達の心理を多分敏感に読み取ったのでしょう。
 ただ「読者の投稿ページ」で反大道塾批判のキャンペーンを張った事実は断じてありません。
 話は変わりますが、このスレッドで5月28日に▲▲さんから次のような文章を寄せられました。「大道塾のM氏(大学教授)は、あることないこと嘘を並べ立てる、この技をコジマと言うと、自身の掲示板で揶揄していました」
 その後、私の元にも、元大道塾さんと同様のメールを何人からも戴きました。結果的に「M氏」が「東大教授で大道塾師範代の松原隆一郎氏」である事が判明しました。
 私は直接、松原氏に連絡を取り事実確認をしました。松原氏は理論的な説明で、その事実がない事を証明してくれました。また私の部下や顧問調査エージェントも、松原氏が元大道塾さんが書いたような文章を松原氏の掲示板で掲載した事実を確認する事は出来ませんでした。
 私は松原氏に対し、一方的な情報で脅迫・暴力的に松原氏を責めた事を心から謝罪しました。こうして松原氏と知己を得た私は、彼と色々な話をしました。
 その中で、松原氏は驚くべき話を私に告げました。
 「小島さんが『武道空手』の読者の投稿ページで反大道塾キャンペーンを張ったという噂は今や事実として、大道塾内では最も有名な小島批判の理由とされている」。
 まさに○○さんの主張そのものです。勿論、私は即座にその噂を否定しましたが、松原氏自身もこの噂を信じ込んでいた為、私の否定に驚いていました。ですから○○さんのような意見は、少なくとも大道塾に関係ある人にとっては当たり前の事だと松原氏は語っています。
 今回、研究家さんの努力で、この噂が事実でない事が証明された訳ですが……。私は改めて悪意に基づいた噂の恐さを実感しています。
 ところで私は松原氏を介し、今後東氏との関係改善をしていきたいという意志を伝えて戴くことになりました。勿論、私も東氏も昔のふたりではありません。私は今、夢現舎を率い20数名の部下を有する立場にあります。また物書きとしては約2万人の固定読者、つまり支持者を有する立場です。東氏は大道塾の道場生や多くのファンを抱える流派のトップです。組織の長という立場同士では複雑な利害が絡み関係改善は簡単ではありません。ですからまずは小島と東氏という一個人同士で、和解する事が第1ステップだと思っています。また私にとって、東孝氏は元・師であり先輩であり、兄貴でもありました。ですからまずは「目下の身分」である私から頭を下げる事も厭わないつもりです。そう私は松原氏に話しました。
 近々、夢現舎は某大出版社から『格闘技ジャーナル』(仮題)という雑誌を創刊する予定です。従来の雑誌とは違い、完全な「オピニオン誌」を目指しています。その創刊の前に、私は是非東氏と和解しておきたいのです。
 また○○さん、過去の私の文章が強引で断定口調が多く、その為、感情的とか傲慢だと誤解を与えた事については私自身、このスレッドで「見解文」を寄せています。ただ私は批判が多いから反省するという訳ではありません。私の物書きとしての今後を見据えたからこその思いなのです。
 最後に、「編集者」と「ジャーナリスト」は違うという事を書いておきます。
 普通の辞書ではどちらも一緒くたに扱われていますが、業界内では明らかに異なる職種です。編集者は媒体を制作するのが仕事です。媒体制作は共同作業であり、常に版元(出版社)の意向に沿った姿勢を遵守する義務を負っています。ですから私が福昌堂を辞めた後、『月刊空手道』で展開された小島批判のキャンペーンは編集長の意向ではなく福昌堂の意向なのです。
 「戦う編集長」で有名な山田英司のように、編集者の名前を全面に打ち出した雑誌でさえ、決して編集長(山田)の思うように内容を左右する事は簡単ではありません。だから山田のように個性の強い編集者は往々にして出版社の意見と衝突する事が少なくないのです(ちなみに私と山田英司は福昌堂時代からの友人です。山田は「やる側」と言いますが、私は「実践者」と言います。しかし共に格闘技とは観るものではなく実践者の為にあるという主張はふたりとも共通しています。あえて友人だからこそ言えば山田は私の主義に同調・共感したのです)。
 一方、ジャーナリストは取材や資料収集によって、ある事に対する自らの意見や主張を公に明らかにするのが仕事であり、自身の価値観による見方を訴える言論人です。ですからジャーナリストに多少偏向的な意見があっても当然な訳で、彼らの主張をどう受け取るかは読者の自由であり判断は読者にかかっているのです。
 例えばTVによく登場する「政治評論家」(ジャーナリストと評論家も厳密には違いますが)は何人もいますが、視聴者によって好き嫌いが分かれているのはご存じでしょう。ある人はAの思想や主義に賛同し、ある人はAの考えは偏向していると言います。また時にはBの主義には賛同したいが態度や物言いが嫌いだという人がいれば、Bの意見には疑問だが、物腰の柔らかい態度が好きだという人もいます。評論家やジャーナリストはそういうものです。すべての人に賛同されるはずもなく、常に反対論者、敵がいるものです。決して居直る訳ではありませんが、仮に私の文体が断定口調だとか偏向的、個人攻撃が多いという理由で批判的な方は私の本を読まなければいいだけの話です。勿論、私は過去の自分の文体や論調を、より良質なものに改善していく努力を続けるつもりですが。これは極端な話です。
 ただ1つ、「小島は相手の私生活に近い事まであげつらう」という批判がありましたが、相手がその業界において「公人」的な存在の場合、ジャーナリストにはそのような取材や言及も時には必要だと思っています。『週刊新潮』『週刊文春』の記事を読んで戴ければある程度は理解出来るはずです。
 勿論行きすぎは問題ですが、私自身は行きすぎた文章は書いていないつもりです。だから過去、私の元には何のクレームも裁判沙汰もないのです。
 『武道空手』時代の私は長とはいえ一編集者に過ぎませんでした。山田英司と同じように、自分の好きなように雑誌を操る事など所詮不可能でした。
 私がジャーナリストを自負するようになったのは1991年に『最強格闘技論』を執筆してからです。ですからジャーナリストである私の主張に同意するも否定するも、すべて読者の自由なのです。
 『武道空手』の編集者時代はいざ知らず、今の私は「格闘技ジャーナリスト」として自負しています。まだまだ未熟ですが。ですから●●さんや○○さんのように、私に対する批判をしてきださる方は(勿論、根拠と実証が出来る上でというのが原則ですが)私にとっては有り難い存在なのです。文体が断定的だとか決め付ける論調が嫌いだという感覚的な意見も大切なものです。
 ただ問題提議・批評と中傷・悪口の区別はつけて戴きたいと思います。それは簡単に言えば「良識」と「悪意」の差だと思います。もっとも私も生身の人間ですから、余りにひどい言葉で批判されると不愉快になるのもまた事実です。
 例え匿名のNet掲示板とは言え、互いに品性を保って論じられるのが理想です。そして、どうしても小島の論調も文体も嫌いな方は私の本を読まないのが最も嫌な気分にならない為の方法です。勿論私は1人でも多くの方に読んで戴きたいのは言うまでもありません。○○さんや●●さんも私にメールを下さい。直接意見交換する事で理解し合える事は多いと思うからです。遠慮なくメールを下さい。
小島一志
小島一志の「力なき正義は無能なり」
http://blog.livedoor.jp/samurai_mugen/
格闘技ジャーナリスト.小島一志の備忘録であったり本音を
語る雑記ノート。格闘技に限らず面白話題も。

『武道・格闘技版』
http://k.excite.co.jp/hp/u/hand_of_god/pid=00&yid=&showtree=true&SSL=
「大山倍達研究家」こと宮田玲欧氏のホームページ。
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◆BACK NUMBER:
2000年7月 「格闘技界を考える[1]」
2000年8月 「格闘技ジャーナリズムの確立を期す」
2000年12月 「地に堕ちた空手の権威」
2001年2月 「息子のこと」
2001年4月 「芦原英幸について」
2002年4月 「格闘技と私の関わり」
2002年6月 「LET IT BE ●人々―人間〜その1」
2002年7月 「LET IT BE I LOVE ROCK!(1)
       ●人々―人間〜その2」
2002年8月 「LET IT BE I LOVE ROCK!(2)
2002年9月 「LET IT BE I LOVE ROCK!(3)
2002年10月 「LET IT BE I LOVE ROCK!(4)
2002年11月 「LET IT BE I LOVE ROCK!(5)
2003年2月 「LET IT BE I LOVE ROCK!(6)



プロフィール




小島一志 (こじま かずし)


1959年、栃木県生まれ。早稲田大学商学部卒。元『月刊武道空手』編集長。古武術、柔道、極真空手の有段者。著書として『最強格闘技論』『新世紀格闘技論』(ともにスキージャーナル)、『黒澤浩樹 ザ・ラストファイト』(光栄)、『格闘技別 肉体鍛錬バイブル』(高橋書店)、『必ず使える護身術 ─ ディフェンス・ミッション』『格闘家に告ぐ! 実戦格闘技論』(ともにナツメ社)、『「格闘技」史上最強ガイド』(青春出版社)、小説『拳王 ─ 復讐』(PHP研究所)などがある。